第4話 義父への謁見

 二人の乗る馬車がレフコス王国の王都に到着したのは、もう日も暮れかけたころのことだった。

 旗を掲げ、管楽器で祝いと喜びを奏でる兵士たちと、商いを終え荷を背負って帰路に就く市民たち。街の賑わいは眠りの一歩手前にあってますます盛んとなり、祭りのような熱気すら立ち込めている。

 跳ね橋の周囲には見物客を相手取って簡易的な市が開かれていたようで、人々は貝の蒸したものや肉団子のスープを手にしている。中にはあの惣菜パンを夕食代わりに頬張っている者もちらほら。

 主役が登場するよりも夜の訪れのほうが一歩早かった。多くの屋台が店じまいだ。日が傾く前に到着していれば、きっとアンナが買い食いを堪能している姿を目にできただろう。

 とはいえ、人々が今日という日に興味をなくしたわけではない。窓から手を振るリシャールに浴びせられる無数の歓声がその証拠だ。


「君も手くらい振ってみたらどうだい?」

「私が手を振って喜ぶ者は相当時世に疎いか、もしくは相当女の趣味が歪んでいるかだと思いますよ」


 オレリアも微笑みの仮面を被って会釈はしているが、親しみやすさをアピールする必要性は感じられなかった。すでにオレリアには嫉妬と害意のこもった視線が突き刺さっている。

 表向きは歓迎されているかもしれないが、彼らにとってオレリアは「王子様のところに転がり込んできたよくわからない小娘」であり、「婚約者の家に転がり込むはしたない女」なのだ。

 それでも彼らは「自分たちの王子様が選んだ相手だから」と受け入れている。

 この反応もある意味では敬虔さの証なのだろう。


「この状況で婚約を素直に祝福できるほど、彼らも牧歌的ではないでしょう」


 そしてその感情は市井の人々に限ったことではない。

 花嫁行列の後方で跳ね橋が上がる音が、オレリアには少しだけ憂鬱だった。この鎖と滑車の悲鳴こそ、王城に到着した証だ。

 これからオレリアは婚約者の父、つまりいずれ義父となる国王に謁見し、逗留の許しを乞わなくてはならない。


「……なるほど、緊張してるんだね」

「緊張くらいしますよ。何だと思っているんですか、私を」

「文字だけで僕をズタボロにできる暴君。……痛い痛い、無言で蹴るのよくないと思うな!」

「はあ……不安になってきました」

「まあ、安心して任せてよ。父上は寛大なお方だし、婚約の話も父上が認めてくださったから纏まったわけだし」


 肉親だからと甘く見るべきではない。

 そう指摘しようとしたオレリアは、代わりにため息をひとつ吐き出した。

 結局、オレリアは実父であるガロア王と言葉を交わしていない。王が帰還してすぐのころは蟄居の身だったオレリアが王から言葉を賜ることもなく、嫁ぎ先が見つかって多少の自由を得てからは内政が忙しくそれどころではなかった。

 王が肉親にどのような情けをかけるのか、少しも知らないオレリアがそんな口を利くのはさすがに滑稽がすぎる。

 馬車が停まり、少ししてから戸が開かれた。

 レフコスの夜風がわずかに漂っていた眠気を追いやっていく。

 軽やかに馬車から降り立ったリシャールが、オレリアに手を差し伸べた。


「――さ、お手をどうぞ」

「……恐縮です、殿下」


 迫る夜闇の中で、彼はうっすらと輝いている。もちろんその輝きは魔術によるものだ。勇者の血統、レフコス王国の正統な統治者としてのパフォーマンスだ。

 しかし、その輝きがリシャール個人の魅力から生じるものだと言われてもさほど違和感を覚えない程度に、彼は光と己の整った顔立ちを使いこなしていた。実に象徴的で、画になる。

 手を取り、馬車から降り立って、オレリアは王城を見上げた。

 いい城だ。正門へと向かう大階段には絨毯が敷かれ、堂々たる風格で来る者を迎え入れている。並び立つ兵たちの鎧は丁寧に磨かれており、それでも消えない傷の風合いがただの置物ではないことを感じさせる。

 城を取り囲む見張り台と城壁には死角がなく、生半可な投石機では打ち崩せない厚みがある。城砦と呼ぶのが相応しい落ち着きと威厳。

 この城が建てられた時期と当時のレフコス島に思いを馳せていると、リシャールがオレリアの手を引いた。


「……しまった、腕を組むには君が小さすぎるよ。どうする?」

「私の見立てが正しければ、勇者はデリカシーという言葉をこの国に遺していかなかったようですね」


 焦ったような、情けない囁き。

 オレリアは小さく「ひとつ貸しですよ」と返して、ごく自然な振る舞いで転びかけた。いかにも慣れない靴で足を痛めましたという具合に。

 倒れかけた身体を咄嗟に受け止めたリシャールは、逡巡の色を見せたが、結局オレリアの誘導に従って小さな婚約者を抱き上げた。


「……大丈夫かい? もう夜の暗がりがこの城までやってきているからね。安全のために、城の中までは僕に身を委ねてくれ」

「ありがとうございます、殿下。お恥ずかしいところを……」

「気にすることはない、むしろ助けになれて嬉しいくらいだよ。君は僕の婚約者なんだからね、これからも気兼ねなく頼ってほしい」


 幸いにして二人の演技は上手く見えたらしく、衛兵たちの中からも感嘆したようなどよめきが生じた。

 盛大に吹き鳴らされるラッパと掲げられた槍の下を、リシャールの胸に抱かれて進んでいく。どうやらレフコス王国は正式な花嫁を迎え入れるときと同じ作法でオレリアを出迎えてくれたらしい。


「――開門! 勇光なるエルメットが長子、リシャール殿下! 並びに、大陸の雄ガロアより、アルノワ家、オレリア姫の御入来!」


 3メートルは優にあろうかという門が6人がかりで開かれる。

 オレリアはついにレフコス王国の王城に足を踏み入れた。いや、まだリシャールに抱き上げられているのだから、運び入れられたと表現すべきか。

 ともかく、オレリアは新天地の拠点となるはずの城にたどり着いたわけだ。


「――よくぞ参られた」


 そして、その男は玉座でも謁見の間でもなく、赤い絨毯の敷かれたエントランスホールでオレリアを待ち受けていた。

 勇者譲りの黒髪には白いものが混じりはじめているが、その悪戯げな瞳は少しも老いを感じさせない。親しみやすさと上品さをほどよく兼ね備えた笑みは、リシャールが王子として振る舞うときにそっくりだ。


「この佳き日に待ちぼうけというのが中々に退屈でな。すまんが、先に始めておる」


 オーウェン2世。エルメット朝レフコス王国の王であり、リシャールの実父である人物は、どうやら待ちくたびれて先に一杯引っ掛けていたらしかった。

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