第3話 勇者の食事

 手際よく準備される昼食のテーブルを前に、オレリアはただ主賓として座って待たされていた。

 小さな花嫁――少なくとも、彼らはオレリアをそう呼んでいた――のために新鮮な野菜と卵、焼きたてのパンが詰まった籠、そしてニシンの燻製が運ばれてくる。


「オレリア様、こちらは作物と大地の守護聖人として知られる三代目勇者、サユリ・ナカモトによって伝えられた名物料理でして、お口に合うとよいのですが」


 主賓に最も近い席で滝のような汗を流しながら食事の説明をしてくれているのは、この町の町長だ。この州を治める貴族の傍系にあたるらしいが、少しも偉ぶらない姿勢は好感が持てる。

 この町長に限らず、レフコスに入ってから見かける人々は相手が王子やその婚約者であっても必要以上に畏まらない。距離が近い。

 隣の席ではリシャールが注がれる葡萄酒を断れずに苦笑いしている。彼個人の親しみやすさというよりは、勇者が召喚される地としての距離感が根付いているのかもしれない。

 オレリアはすすめられるままにニシンにフォークを入れた。赤い身は見るからに引き締まっていて、添えられた香草の爽やかさとの対比が食欲に訴えてくる。


「いい香りですね。燻煙材は……クルミですか?」

「おお、お見事ですな! 半分はクルミ、もう半分は工房の秘伝でして、最近新しく取り入れたものが……ともかく、もしご興味があるようでしたら、工房の見学を手配いたしますよ」

「そうですね、しばらくは忙しいかもしれませんが、落ち着いたらぜひ」


 軽くほぐした切り身を口に運ぶと、ふわりと抜けていく奥深い香りと強い塩気の後に、じわりと旨味がにじみ出てきた。

 見た目以上に食感がしっかりしていて噛みごたえがある。ニシンの燻製といえば短時間の高温で柔らかく仕上げる印象があったが、時間をかけてしっかり燻しているようだ。これが「勇者の秘伝」だろうか。

 前世で食べた記憶などありもしないのに、食品としてのニシンの燻製の知識は湧き出てくる。自分の奇妙さにオレリアは苦笑して、それから不安そうな顔をして様子を窺っている町長に慌てて「おいしかった」と誤魔化した。

 ほぐし身のニシンを野菜と溶き卵で炒めたものを薄く切ったライ麦パンに乗せたものも供された。

 見た目は惣菜パンだ。


「こちらは勇者サユリ・ナカモトが愛したとされる料理で、彼女はこれを勤勉な一家のパンと呼んでいたそうです。折りたためば……このように! 片手で食べることができるわけでして、はい!」

「なるほど。……ふふ、これは確かに」


 惣菜パンだったようだ。

 オレリアは手元の野菜炒めパンに奇妙な親しみやすさを感じて、思わず小さく笑いをこぼした。

 勇者は現代日本から召喚される。これは過去に召喚された四人に共通している事実で、オレリアの知識もおそらく現代日本に由来している。

 だからだろうか、記憶がなくとも郷愁を掻き立てられるのは。


「どうしたんだい、オレリア?」

「……いえ。このパン、可愛くないですか?」

「え、あー……うん、君と同じくらいに可愛いよ」


 囃し立てる声で周囲が騒がしくなってから、ようやくオレリアは自分が何を口走ったかに気づいた。これでは「婚約者に可愛いと言わせたい子ども」ではないか。

 奥の席でしたり顔で頷いているアンナを軽く睨んで、オレリアはパンを頬張った。

 それから町を代表して町長からリシャールに上等な葡萄酒のボトルが手渡されたり、今年生まれた赤子にリシャールが祝福を施したりしたあと、二人は再び馬車に乗り込んだ。


「確かに、可愛いパンだったね」

「からかわないでください。咄嗟に出た言葉だったんです」

「咄嗟に出る言葉って本音だと思うんだけど……痛い痛い! 悪かったよ、蹴らないでくれ!」

「言っておきますが、我々は対等な、そう、対等な契約関係にあります。子ども扱いは絶対にやめてください。寒気がするので」


 これは本心だ。

 オレリアには前世がある。記憶がないため年齢としてどれだけの月日を重ねたかはわからないが、スーツを着て仕事をしていた男なのは間違いない。

 7歳の女の子として扱われるのはとても気まずい。

 もっとも、このあたりの事情を話しているのはアンナだけだ。リシャールから見ればオレリアは背伸びしたがりの子どもなのだろう。それがなお気まずい。


「まあ、うん、わかった。それにしても、ニシンの燻製が随分気に入っていたね」

「ええ。あれはかなり興味深かったです。燻煙材にサクラを使っていました」

「サクラって……あのサクラかい? 三代目勇者が咲かせた奇跡の花の?」


 オレリアは頷いた。

 ニシンの燻製を気にしていたのは、何もおいしかったからというだけが理由ではない。燻煙材としてサクラを使っていることに気がついたからだ。

 サクラはレフコスに自生しない。では、なぜあるのか。

 それこそが三代目勇者を「作物と大地の守護聖人」足らしめている偉業だ。


「はるか東方から勇者の元へ流れ着いた種子を、奇跡によって芽吹かせた大樹。サクラは勇者たちにとって故郷の象徴でもあったそうです。だからこそ、すべてのサクラは教会が管理しています」

「じゃあ……」

「町長か、その実家か、他に有力者がいるのかはわかりませんが、教会と懇意にしている者がいるのは間違いないでしょうね」


 レフコスは辺境の島国だ。教会が力を入れるには小さく貧しい。それでも、勇者召喚の祭祀場があるせいで放置はできない。

 この奇妙な関係のせいでレフコス王国は長らく教会との繋がりを深めてこなかった。しかし、これからはどうやらそうも言っていられないようだ。

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