第2話 二人の目的

 レフコス王国に議会がないわけではない。

 しかし、それは議会が王国を仕切っていることと同義ではない。王権への介入を認められていない議会が果たして何の役割を担えるだろうか?

 勇者の血統によって治められるレフコス王国。この国は、誰も王を否定できないという重大で致命的な病を抱えている。市民も、議会も、教会すらも。

 馬車に揺られながら、リシャールはため息をついた。


「皆、僕に期待の目を向けている。でも、僕は名君になれる自信がない。……それだけなら、僕が頑張ればよかったんだけどね」

「ええ。よしんば殿下が名君の器であったとしても、


 勇者の血をどれだけ引いているか。それがレフコス王国の正統な王を決める指標だ。当然のことながら、最新の勇者は全身に流れる血の10割が勇者の血、つまり誰よりも王として相応しいということになる。

 これは非常にまずい。

 リシャールはこのレフコス王国に王子として生まれた以上、勇者が新たに召喚され、そして王位を請求するのであれば、冠を勇者に差し出す義務がある。

 しかし、国ひとつをこれから現れるらしい未知の聖人に賭けられるほど、リシャールは敬虔でも博徒でもない。


「……もう一度だけ、確認させてほしい。本当に勇者は召喚されるのかい」

「ええ。9年後です。暦でいえば1358年。ちょうど私が成人する年ですね。なんとも運命的だと思いませんか?」

「嫌になるくらい運命的だよ。うう、最悪だ……」

「9年後を逃せば、次に同条件の星辰が揃うのは183年後ですからね。まず召喚は行われると見ていいでしょう。レフコス王国に過去の勇者召喚について記録が残っていたおかげで、私も楽に計算ができました。ご協力に感謝します」

「感謝されても嬉しくないことってあるんだね……」


 ここが二人きりの空間でなければ、めそめそと半べそをかくリシャールの情けない姿は王家の名に傷をつけただろう。人々は王に勇者らしさを求めている。だからリシャールはずっと市民が求める理想の王子様として振る舞ってきた。

 泣き虫、弱虫、いじけ虫。リシャールが腹の中に飼っている3匹の虫は、普段は王子様の仮面に隠れている。人々は王子様としてのリシャールを愛しているし、それが普通だろうとも思う。

 しかし、目の前のオレリアは仮面を外したリシャールを前にして心底満足げだった。そういう嗜好の持ち主なのではないかと思うくらいに笑顔だった。


「約束を守っていただけてありがたいです。今後も私と二人きりのときは王子の仮面を外していただきますから、早めに慣れてくださいね」

「……僕としては謎なんだけどね、この条件。自分の婚約者が泣き虫の弱虫のいじけ虫なのと、きらきらの王子様なの、普通は後者のほうが嬉しいと思うんだ」

「婚約は書類上のものですから」

「うわっ、冷たぁ……」


 3年間続いた文通。はじめはとても形式的で、社交辞令だけで構成された文面を送りあっていた。

 その関係が崩壊したきっかけはオレリアの「殿下はどのような王を目指しておいでですか?」という問いに「僕は民が王に求めることを為したい」と返し、それにオレリアが「つまり、無計画ということですか」と皮肉ったことだ。

 おおよそ1年半かけて、リシャールとオレリアは大喧嘩をした。

 リシャールはレフコス王国の王権について論じ、自分が王として何を求められ、何をすべきかを語った。

 次の週、オレリアはわざわざ赤いインクで添削したものを同封した上で「民が求めることを為すと仰るのなら形式ではなく内実を論じていただきたい」とあまりにも厳しい一言を添えてきた。

 ムキになったリシャールは「確かに僕は王位継承権を持つ者として未熟だが、他国の姫君よりは己の民についてよくわかっている。君の態度は無礼だ」と返事をした。

 最大限の怒気を込めて送ったその一筆を、オレリアは「殿下はまだ私に敬うに値するだけの人物であることを示してくださらないので、王子であることを忘れてしまっていました」と一蹴した。

 婚約を今からでも解消してやろうかとすら思った。

 しかし、無益な喧嘩は次第に有益な議論になり、議論が深まるにつれて奇妙な信頼関係が芽生えた。


「安心しました、予想していたよりもちゃんと王子様をやってらっしゃるようで。見栄を張っているのではないかと思っていました」

「僕だって一応、この国で16年間王子として生きてきたからね。……わかってると思うけど、みんなの前でそういう扱いはやめてくれよ?」

「あなたの名誉を傷つけるようなことはしませんよ。そんなことをすれば、に差し障りますからね」


 二人の計画は、リシャールの弱音から始まった。

 自分が王として相応しいのか、自信が持てない。

 そんな一文に対し、オレリアから送られてきた「王が君臨するからといって遍く統治しなくてはならないというわけではないでしょう。議会は機能しているのですか?」という問い掛けは、光明そのものだった。

 レフコス王国の議会である星室庁には、博識で経験豊富な諸侯が名を連ねている。彼らは王の名代として国家の運営に関する様々な判断を行い、王がそれを認可する。

 ただ、ここで問題が生じる。

 彼らは提案を行うことはあっても、決定権を持たない。世俗の議会は間違えるが、聖人である勇者は決して間違えないからだ。

 もちろん、勇者の血を引いているからといってリシャールが間違えないわけではない。それはオレリアとの文通が証明している。

 そこで、オレリアから提案があった。わざわざ普段使っている輸送船ではなく、私信用の鳩で運ばれてきた手紙にはこう書かれていた。

 一緒に改革をしませんか、と。


「この国の統治者を人に。すなわち、議会に。我々の計画は長期的に見てこの国を救うでしょう。あなたは本当の意味で勇者になる」

「……言われるまでもないと思うけど、この国で勇者を否定するようなことは言わないでね。彼らにとっては信仰を向ける相手だから」

「承知していますよ。それがどれだけ歪な信仰かも、ね」


 毒づくオレリアはどう見ても7歳には思えない。外見以外に年相応な要素がどこにもないのは、正直に言って不気味ですらあった。

 馬車の外に近づきはじめた喧騒に気がついて、リシャールは気まずさから逃げるように窓を開けた。

 港と王都をつなぐ町のひとつがもうすぐこの馬車を迎える。そこで昼食を取り、民衆に挨拶をして、二人は次の町へと向かうことになる。

 活気のあるいい町だ。港と内陸に挟まる加工拠点であり、商会の目利きたちと腕のいい職人たちが毎日のように喧嘩を起こしている。上品ぶらない、がさつな賑わい。

 リシャールはこの町の空気が好きだった。


「魚は好き? この町の名物はニシンの燻製なんだ」

「あまり食べたことはありませんが、きっと好きになれます。これから暮らす国の食事ですからね」

「魚だけじゃなく、人も好きになってくれるかい?」

「どうでしょうか。……殿下が心配してることはわかりますよ。私が馴染めなければ、迷惑するのは殿下ですから」

「迷惑なんて」


 否定しようとしたリシャールの手をオレリアが掴んだ。

 小さな手のひらだ。少し温度が高いのは、幼さゆえだろうか。

 オレリアは何かを言いかけては閉じ、躊躇い、やがて諦めたように息を吐いた。


「……どうか気を悪くなさらないでください。悪い癖で、なにかあるとすぐに口先で誤魔化してしまうんです。殿下は婚約者ですし、何より契約相手ですから、誠実に接するべきだと思っていたのですが」

「まあ……うん、それはよくない癖かもね」

「はい。なので、これだけは今のうちに伝えておきます。……ありがとうございます、招いてくださって」


 リシャールはオレリアの身に何があったのか、詳細はほとんど知らない。

 ただ、彼女とその兄が出生の問題から庶子となったこと、嫁ぎ先を探していることは海を隔てたこのレフコス王国にまで届いていた。

 だから、リシャールはオレリアに手紙を送ったのだ。そんな残酷な形で生き方が決まるのは可哀想だという、有り体に言ってしまえば憐れみの情がリシャールに筆を執らせた。

 結果として二人の文通は大喧嘩に発展したのだが、そこはそれ。今、二人は婚約者であり、改革のための同志だ。

 そして、手紙では伝わらなかったこともある。


「君、意外と照れ屋だったりするのかい?」

「うるさいですね、何か文句でも?」


 耳を真っ赤に染めて、不機嫌そうに鼻を鳴らして、それでも手は離していない。

 海を渡ってやってきた婚約者は、リシャールが思い描いていたよりずっと可愛らしい女の子だった。

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