第1話 王子の助言者
盛大な笛と太鼓に背を押され、表面上は笑顔を保ちながら、船酔いが微塵も醒めやらぬままオレリアはレフコスの大地に降り立った。
西風を山に阻まれた天然の港と、空の彼方まで広がる草原。この牧歌的な風景に感動する暇もない。
「――アルノワ家、オレリア嬢のご到着! 祝福あれ!」
「祝福を! 四勇者と光明なるミトラスの祝福を!」
港は形式的な喝采に包まれている。
歓迎はされていないだろう。オレリアはまだ7歳、教会法で定められた成人年齢を9つも下回る。結婚までの9年間、オレリアはレフコス王国のただ飯食らいだ。
それでも喝采を上げているのは、オレリアを婚約者として迎え入れると決めたのが彼らの王子だからだろう。
その王子が馬車から姿を現したことで、喝采はより力強く、大きくなった。
「――やあ、佳き日に来られた。これほどの快晴に恵まれたのは、君の門出を祝う主のお計らいなのかもしれないね」
「私はてっきり、殿下の輝きが海まで届いているのかと思いました。名声がガロアまで届くのです、その光が海を覆わんばかりであってもおかしくはないでしょう?」
「はは、君がそう感じたのならそうかもしれない。それくらいに君のことを想っていたよ。……ようこそ、レフコス王国へ」
差し出された手は、文字どおり輝きを帯びていた。
リシャール・エルメット。オレリアの婚約者である彼は勇者の末裔だ。勇者のみが適性を示すという光の魔術は、魔術でありながら唯一人を癒やす力を持つ。そして、その光こそがレフコス王国の王たる証なのだ。
輝く手をとると、道中ずっとオレリアを苦しめていた吐き気と揺れはあっという間に消し飛んでいった。
「……流石ですね、輝く手のリシャール」
「あの歌はガロアまで伝わっているのかい? 照れてしまうな」
少し恥ずかしげにはにかむ姿も様になっている。王子様というのはこういう生き物を指すのだろう、そんなお手本のようなふるまいだ。
輝く手のリシャールが病の老騎士を救い、彼とともに村を襲う獣を退治したという歌は昨今の流行歌として各地で好まれている。
それはガロアでも例外ではなく、吟遊詩人は口々に誇張してリシャールの武勇を語っていた。ガロアで歌われている彼の姿はガロア人好みに改造され、隻眼で片腕を義肢に換えた身長3メートルの雄々しい戦士ということになっている。
こうして目前にすると歌詞にあるような傷だらけの巨漢ではなく、穏やかで線の細い青年であることがよくわかる。
「積もる話もある、街まで馬車でゆっくり行こう」
「二人でですか?」
「そうだね、二人きりで」
兵士たちの冷やかすような声援に手を挙げて応える様はまさに「冗談のわかる王子様」そのものだ。ここで「9歳も年下の婚約者と相乗りなどいけませんぞ!」と口うるさい者が出てこないあたり、相当に信頼が篤いらしい。
もちろん、リシャールは不埒なことを考えているわけではないし、オレリアもそれがわかっているから幼い婚約者らしく恥ずかしがって頬を染め、目を伏せてみせる。
「大胆なお誘いですね。……アンナ、船の皆をお願いします」
「仰せのままに。リシャール殿下、姫様をしばしお手元にお預けいたします」
「ありがとう、可愛い護衛さん。それでは、行こうか」
未来の花嫁を祝福して振りまかれる花弁がオレリアとリシャールに降り注ぐ。
互いに微塵も幸せな夫婦生活を期待していないことを確認の上で、微笑みを向けあいながら二人は馬車へと乗り込んだ。
扉が閉められ、馬に鞭が入れられる。向かうはレフコス王国の王都だ。
喧騒から離れて5分ほど走ったあたりで、沈黙に包まれていた馬車の中でようやくリシャールが大きく息を吐いた。
「……本当に子どもなんだあ」
「あれだけ手紙に書いたではありませんか。というかあなた、一瞬アンナと私のどっちが婚約者か迷いましたよね?」
「そりゃあ迷うよ! ついさっきまではオレリア・アルノワが年上な可能性を捨てきれてなかったんだから! というか、あんな手紙を送りつけてきた君にだって責任はあるだろ!」
声を荒げるリシャールは等身大の青年そのものだ。つい先程まで王子らしいハンサムさで衆目を集めていた人物とは纏う空気が全く異なっている。
9歳も年下の婚約者を迎え入れると決めてくれた彼は、もう3年も手紙でオレリアとやり取りをしてきた。時には喧嘩もしたし、時折品のない言葉が二人の間で飛び交った。
「私は構いませんよ、今からでも7歳児らしく振る舞って差し上げましょうか? もちろん、殿下の計画に対しても7歳児相応のご助力をいたしますよ」
「……ああ、うん、確信した。君がオレリアだ」
「ご納得いただけてありがたいですね。私としても、声をかけられておいてイメージと違ったからと返品されるのは困ります。私の商品価値に傷が付きますから」
そう、この婚約話はリシャールから持ちかけられたのだ。
時は3年前に遡る。
オレリアの嫁ぎ先探しは難航していた。
嫁ぎ先の家が教会と親しければ親しいほど、オレリアが起こした事件の真相にたどり着きかねない。表向きは信仰のために戦った勇敢な乙女とされているオレリアだが、その内実は聖職者殺しで国を追われることになった亡命者に近い。
しかし、今どきは小国の王だろうと大国の貴族だろうと多かれ少なかれ教会との繋がりを持っている。教会と疎遠な王侯貴族がいないわけではないが、そういった人々は異教徒や異端と交わっていたり、過去に教会とトラブルを起こしていたりする。
つまり、オレリアの引き取り手がいなかった。
そこに名乗り出たのがレフコス王国第一王子、輝く手のリシャールだったのだ。ガロアから西方に海を隔てた、勇者召喚の祭祀場で知られるだけの小さな田舎の島国。その第一王子が名乗り出てくれた。
教会と疎遠なわけでもないが、物理的な距離があるためにそれほど密接でもない。小さく穏やかな国。素晴らしい提案に思えた。
だからこそオレリアはその真意を問い、彼の計画を暴くに至ったのだ。
「僕だってそんな気はないけど……いや、ごめん、失礼だったね。僕たちは同志だ。そこに年齢は関係ない」
「ええ。我々の契約が有効である限り、私はあなたの革命を支援しますよ」
「……本当に、実現できると思う? 議会による統治なんて」
「任せてください。その道では先達ですよ、私」
紆余曲折の末、オレリアはリシャールに招かれた。
表向きは婚約者として。
しかし、本当の目的は、このレフコス王国に議会制度を成立させるためのアドバイザーとして。
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