第14話 孵化

 羽根ペンを走らせていたオレリアは、ノックの音に顔をあげることなく返事をした。歩調で誰が訪ねてきたかはおおよそ察しがついている。


「失礼します。積荷を運び終えました。あとはオレリア様だけです」

「そう。ご苦労さま、アンナ」


 インク壺に蓋をして、オレリアは大きく伸びをした。

 今日でこの部屋ともお別れだ。もう7年もここで過ごした。うち4年は軟禁されていたのだから、オレリアにとっては己の城そのものだ。

 書き上げた手紙のインクが乾くのを待ちながら、オレリアはこの4年間を思い返した。異国に嫁ぐ者としての礼儀作法を叩き込まれた4年間だ。決して愉快な日々ではなかった。

 それでも、傍にはいつも信頼できる家臣がいた。


「心残りはないですか、アンナ」

「はい、姫様」

「おやつも十分に?」

「ありあまるくらいにくすねてきました。今後はもう少しパントリーの警備を手厚くしてもらわなくちゃいけませんね」

「結構。去るとはいえ故郷です、精一杯の愛を込めて去るとしましょう」


 炙ったスプーンで蝋を融かし、手紙に封をする。封蝋に捺された紋章はガロア王家のものではなく、私人として使うことを許されたアルノワ家のものだ。

 オレリアは今、とても微妙な立ち位置にいる。王の庶子であり、亡き先妻の遺児であり、実家という後ろ盾がなく、嫁いでくる後妻に追い立てられるようにして異国へと送り出される。まるで流刑者のようだ。

 それでいて、王国も教会もオレリアを蔑ろにはしない。

 この手紙は教会の連絡船に乗せられ、ガロア王国から嫁ぐオレリアの先触れとして海を渡る。そして、オレリアの到着を待つ婚約者の元へと届けられる。彼とはこのルートで年単位の文通を続けてきた。


「リシャール殿下と顔を合わせるのが楽しみです。手紙ではできない話もありましたからね、胸が高鳴りますよ」

「よい殿方だといいですね、姫様」

「まあ、大丈夫でしょう。まだ5歳の婚約者から送られた手紙を真に受けて、それからずっとやり取りを続けてくれました。非常識なくらいに理性的な人です」

「でも、顔はご存知ないでしょう?」

「重要なのは思想です」


 オレリアが嫁ぐ相手はレフコス王国の第一王子、リシャール・エルメットだ。オレリアから見て9歳年上で、今年16歳。彼が成人したことで、オレリアはとうとうガロアを離れることとなった。

 嫁ぐといってもオレリアは未成年であり、婚約関係を結ぶに過ぎない。婚約の段階で引っ越すというのはかなり異例のことだ。教会は婚前の不純な交渉やその予兆を不貞で淫らな行いとみなす。

 つまり、この婚約と引っ越しは不名誉なものだった。

 どうやら、王の後妻をねじ込んできた派閥がオレリアに汚名を着せることで4年前の事件での醜聞を有耶無耶にしようと企んでいるようだ。

 しかし、オレリアはこれを好機と見た。婚約者であるリシャールとの文通は下地づくりだ。せっかくの新しい環境を怠惰に過ごすつもりはない。


「レフコス王国。面白い国です。勇者の血統で王権を正統化するとは。王朝の開祖はきっと相当性格がよかったのでしょう」

「姫様に言われちゃあおしまいですね」

「おや、私の性格になにか問題でも?」

「世界一性格のいい姫様に褒められても恐縮しちゃいますよ、って言っただけです」


 オレリアは肩をすくめて軽口の応酬を終わりにした。

 勇者の国、レフコス王国。

 初代勇者から四度に渡り、レフコス王国を治める王家は勇者を王族として迎え入れることで聖俗ともに王権を正統化してきた。教会は自らが召喚した聖人である勇者の血統を否定できない。

 もちろん、いいことばかりではない。一聖人に過ぎない勇者への過度な崇拝は異端的だとして教会も睨みをきかせている。

 オレリアがレフコス王国に嫁ぐことになった理由の一端もそこにあるのだろう。卑俗な血を入れれば、かえって教会への依存度が増す。依存させがたりの教会はまるで子を束縛したがる親のようだ。

 その点、オレリアの親は違う。


「陛下はやはりお出でにはなりませんか」

「残念ながら」

「ご多忙の身です、残念には思いませんが……いえ、やはり少し残念ですね。門出くらい見送ってもらいたかったような気もします。叶うことなら、兄上にも」


 4年前の事件で傾きかけた国を建て直すため、遠征は中止された。

 王は宮中にその威光を知らしめ、幾人かの反抗的な古豪が首を飛ばされた。一時は自ら職を辞すると訴え出ていた宮宰も、暇乞いをする余裕がないくらいに多忙な日々を送っている。

 その王国で今密かに注目を集めているのが、不安定な属州を自らの従僕とともに巡回する若き徴税吏だ。名をシャルルという。

 シャルルは宮廷に寄り付かず、半ば流浪するようにして属州を巡っている。各地で反乱を鎮圧し、陳情を聞き届け、時には現地で知事の不正を暴くこともある。


「……シャルル殿下ですか」

「もう殿下ではないんですよ、アンナ。彼は王の庶子という噂がある、有能な徴税吏の騎士です」

「それでも、私たちにとってはシャルル殿下です」

「……そうですね。私もそう思っていますよ」


 彼の活躍はオレリアの耳にも届いている。

 元気だろうか。怪我をしてはいないだろうか。オレリアのことを恨んでいるだろうか。4年前の痛々しい姿を最後に、オレリアは彼と顔を合わせていない。

 手紙を送ろうにも居場所が掴めず、過去のことを思えばシャルルのことで教会を頼るのも難しい。

 それでも、オレリアは彼が健やかであってほしいと思っている。あいにく彼のために祈りを捧げて受け取ってくれそうな神はいないが、思いは変わらない。

 庶子となったシャルルが王になるためには、幾多の困難を乗り越えねばならない。時には残酷な選択を強いられるだろう。それでも、彼が王位を簒奪するのなら、オレリアは全力で彼を後援する。

 オレリアは転生者だ。

 この世界の人間が正気であれば進めない道を、躊躇うことなく進むことができる。その先にたどり着いた、偉大な先人たちの歴史がこの魂に刻まれているのだから。


「行きましょうか、アンナ」

「はい、オレリア様」


 最後に忘れ物がないか確認をして、オレリアはアンナを伴って居室を後にした。

 渡り廊下を春の風が抜けていく。どこか遠くで聞こえる喧騒は、近日嫁いでくる後妻の使用人たちが家財道具を運び入れる物音だろうか。

 中庭の木々を彩っていた花はとうに散り、夏に向けていよいよ葉の青さを漲らせている。かつてオレリアが授業から脱走するたびに隠れ場所にしていた、美しいこの庭ともお別れだ。

 オレリアはずっと、この庭から亡き母を感じていた。

 信心深く芸術を好むという後妻がこの素朴な庭を愛してくれるかはわからない。ただ、亡き母が王にねだった唯一のものだ。大切にしてほしいと、オレリアは切に願っていた。


「――あれは」

「姫様?」

「……いえ、なんでもありません」


 木陰で隔てられた、向こう側。

 風がやってきた方角に、親しみ深い鋼色の髪を見たような気がして、オレリアは小さく手を振った。

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