第10話 オレリアの目的

 オレリアが一人で乗り込んだのは、焦燥感だけが理由ではない。

 これはただの誘拐事件ではない。聖職者が一国の王子を、しかも戦に向かう直前の将を拐ったのだ。その裏には聖俗を問わずいくつもの思惑が重なっている。

 その中で捕まったシャルルの姿は、あまり多くの者の目に触れるべきではない。シャルルは自ら脱出した、それが「真実」として流布される必要がある。

 これは名誉の問題だ。王家の威信という、人命に関わる名誉の。


「……兄上」


 オレリアは扉の隙間から漏れ出る明かりの前に一度立ち止まり、呼吸を整えた。

 ここから先に進めば、オレリアは後戻りできない。

 ずっと、虚勢を張ってきた。

 オレリア・アルノワという、大国の王女として振る舞ってきた。生まれ持った地位と知識に相応しいだけの、聡明な振る舞いを続けてきた。そうしなければ、「ありえない存在」として忌み嫌われ、虐げられると判断したからだ。

 3年間も怯えてきた。もう十分だ。この胡散臭い微笑みの仮面をようやく外すことができる。

 自分の正気を疑いながら、母と同じように殺されるのではないか、今にも刺客が現れるのではないかと闇に目を凝らし続けた。3年間の恐怖がオレリアの顔に消えない微笑を縫い付けた。

 アンナとシャルルだけが安らぎだったのだ。


「兄上を、救う。……それで、私は」


 終わる。

 それこそがオレリアのだった。

 前世は思い出せないが、前世の歴史に刻まれた「政争に敗れた者の末路」はいくらでも思い出せた。幽閉、流刑、絞首台。どれでもいい。このゲームから降りることができるのなら。

 兄を救う。その使命感に酔えればどれほどよかっただろうか。ミトラス教が憎むべき存在であれば、もっと気兼ねなく争えただろうか。

 オレリアは今から、兄のためという大義名分を掲げ、暴走したミトラス教徒というナイフを構えて、己の人生を終わらせようとしている。

 こみ上げる罪悪感も、所詮はオレリアの自己満足だ。

 震えそうになる手を強く握りしめる。

 せめて、兄を救うという大義名分だけは全うしなければ、結末として納得がいかない。あまりにも不義理だ。


「……私が何者であろうとも、私は、オレリア・アルノワだ」


 オレリアは扉を押し開けた。


「――これは」


 眩しいほどの別世界がそこには広がっていた。

 燭台には緑の炎が怪しく揺らめき、広大な地下空間を照らしている。その光を受けて輝くのは、天井に数多と吊るされた色とりどりの宝石だ。星の海を模したかのように輝く石たちが微かな風に揺られ、受けた光の色を染め替えて拡散している。

 幻想的な空間だった。しかし、その空間を満たす人々の姿は決してその限りではなかった。

 オレリアの侵入にも気づかず、最奥の十字架へと血走った目を向ける男たち。彼らは裸体を晒し、その劣情を隠そうともしていない。

 彼らが視線を向ける十字架の前には、唯一聖職者らしく祭服の外套だけを纏った男が何事かを演説している。


「――今、魔王の後嗣は我らの食餐によって清められる! それこそが我らの尊きミトラスから賜った、唯一無二の正義! 我らは正義の食餐を為す!」

「正義を!」

「正義の食餐を!」

「傷と愛だけが、血と肉だけが彼を罪から救うのだ! 羊たちよ、恐れるな! 己の奥底から湧き出る、正義の熱情こそが彼を救うのだ! 存分に傷つけ、存分に愛することこそが!」


 すべての視線が、十字架にくくりつけられたシャルルへと向けられている。ボロ布を纏わされ、その肌をさらけ出したシャルルに、彼らの昂りは今にも突き刺さろうとしている。

 オレリアの中で、欠けていたピースが埋まった。

 つまり、彼らはシャルルが魔王の後継者だと主張し、シャルルの肉体によって自分たちの獣欲を満たそうとしているのだ。

 そして、それこそが彼ら遺餐主義者のやり方なのだろう。


「――カルトめ」


 オレリアを引き止めていた最後の躊躇いが切れた。

 指先が風を纏い、魔導文字を刻む。

 オレリアが求めているのは、槌だ。醜い欲のために他者を食い物にしようという、その悍ましいまでの愚かさに下す、鉄槌だ。

 その槌を、オレリアは迷うことなく――


「頭が高いですよ」


 天井へと放った。

 吹き荒れる暴風。熱狂の最中にあった男たちは、何事かと悲鳴を上げる。

 劣情に満たされた愚鈍な顔を上に向ける。あまりにも遅きに失するその反応が、彼らに天から降り注ぐ最大の不幸をもたらした。

 星の海を成していた無数の宝石たち。それがオレリアの放った風に揉まれ、砕け散り、鋭い矢の雨となって降り注いだ。


「ひいっ、な、なんだ!」

「侵入者、侵入者だ!」

「あああっ、目が、私の目が!」


 この世で最も美しい散弾が彼らに傷を負わせていく。

 惨状を引き起こしたオレリアは、悲鳴と怒号に耳を貸すことなく、風を纏ってまっすぐに進んでいった。祭壇の向こう側、狼狽する聖職者と目を閉ざしたままのシャルルの元へ。


「貴様……貴様は!」

「私はオレリア・アルノワ。アルノワ朝ガロア王国の勇壮にして偉大なる王テオダルド3世の名において、あなたたちの罪を裁きに来ました」

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