第3話 魔術
指先に小さな風の渦を纏わせて、庭から拾ってきた落ち葉を弄ぶ。
そのまま生み出した気流に乗せて暖炉へと運べば、落ち葉はあっという間に火の舌に巻き取られて消えていく。
魔術。転生者の自分にとって完全に未知であるこの技術に一体どのような態度で臨むべきか、オレリアはまだ決めかねていた。
便利な技術だ。個々人で属性の合う・合わないこそあれど、適切な手段を用いればあらゆる人間がこれを使うことができる。
では、どうしてオレリアが魔術を手放しで歓迎しないのか。
「銃社会ならぬ、魔術社会というわけですか」
「いてて……姫様、なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ、アンナ。気にしないでください」
母の遺したドレスを幼いオレリアの身体に合わせて手直ししているアンナは、ただの侍女というわけではない。侍衛武官という立派な肩書きを持った、オレリア専属の護衛でもある。
アンナが扱う土の盾はあらゆる矢弾を阻み、刺客を絡め取る檻にもなるという。おっかなびっくり縫い針を扱って指先を刺す間抜けな様からは想像もつかない。
この世界では、適切な教育を受けたあらゆる人々が魔術を行使できる。
はるか昔、世界の神秘が体系化され、魔導文字という発明によって魔術という技術に落とし込まれた段階から、魔術は争いの道具として扱われてきた。
日用的な魔術はただ一つとして存在しない。魔術は戦いのためにある。
「アンナは、私ももっと魔術を学んだほうがいいと思いますか?」
「へ? 姫様がですか? うーん……姫様をお守りするのが私の役目なので、頷くわけにはいかないんですけど……」
「そうですね、使わないに越したことはない。理想を言えば、魔術らしい魔術を使わずに終えられる一生であってほしいとすら思います」
幸いにして平和な生活が許される身分に生まれたのだから、わざわざ血なまぐさいことをやりたくないというのがオレリアの本音だった。
初めて魔術の存在を知ったとき、興味がわかなかったと言えば嘘になる。ただ、その興味は子どもが駄菓子屋のピストルを買いたがる程度の火遊びでしかなく、実際に魔術が残す痛みと傷を目にすれば自然と鎮火していった。
それでも護身のため、いくつかの魔術を扱うための魔導文字は覚えされられた。
風の盾。気体を操作し、力を受け流す防壁を生み出す。
風の槌。突風を生み出し、強い衝撃を与える。
風の衣。自らの操る気流を推進力とし、機敏な動きを可能にする。
専らオレリアは庭での読書を楽しむときに風よけ・虫よけとして風の盾を使っているくらいで、他の魔術は使わないし、使いたいとも思わない。
「実際、風の盾を寒さよけに使ってらっしゃるのは姫様以外には見たこともないです。シャルル殿下の氷とは正反対ですね」
「おや、兄上の魔術を見たことが?」
「見たというか……以前、一手御指南いただいたことがあって。姫様の侍衛武官として登用いただく前の、最終試験です」
なるほど、とオレリアは頷いた。
自分で言うのもおかしな話だが、シャルルは過保護なくらいにオレリアを大切にしてくれている。
寝相の悪いオレリアが腹を冷やして寝ないようにと上等な腹巻きを贈ってくれたり、食欲のない夏場に自ら釣ってきた新鮮な魚で食卓を囲んだりと、少しズレている節はあるが、兄からの愛情はオレリアにしっかりと伝わっていた。
そんな兄はガロア王国の第一王子、つまりやがては国の大将となる武人でもある。妹の護衛を選抜する場に出てくるのも当然と言えば当然だろうか。
「どうでしたか、兄上の魔術は。陛下に似て氷属性が得意だそうですが」
「すごかったです。私風情が語るのも烏滸がましいかと思いますけど……見えないんですよ、シャルル殿下の氷は。気づけないくらいに透明な氷の槍が、突然目の前に現れるんです」
「ほう。それで、アンナはどうしたんですか?」
「どうせ見えないので、目で判断せずに冷気で見抜いてなんとか凌ぎました」
中々にすごいことを言う。この世界の武人は本当に人間なのだろうか。
オレリアの向ける胡乱げな視線をどう受け取ったのか、アンナは慌てたように手を振りながら自己弁護を始めた。
「も、もちろん勝てたわけじゃないですよ? 畏れ多くもシャルル殿下に勝てるなんて、思ってもいませんから。でも、ああいう強者に挑んで己の実力を知ってこそ、武人は己の殻を破れるんです! み、みたいな……」
「知っていますよ。兄上が強いのも、アンナが真面目なのも。……まあ、そうですね。あなたに守られているからといって安心すべきではないのでしょう」
オレリアが開いていた本を閉じると、アンナは針と糸を置いて立ち上がった。
どうやらオレリアが魔術の練習にやる気を見せたのが嬉しいらしい。見えない尻尾がぶんぶん振られていそうなくらいごきげんだ。
あるいは苦手な針仕事から解放されたのが嬉しいだけかもしれないが、ともかくオレリアはアンナを伴って王族用の修練場へ向かった。
護身のための技術はあって損はしない。
それに、文明人として認めたくはないが、暴力でしか解決できないことも世の中には山ほどあるのだ。
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