第2話 勇者の伝説

 夕食を取ったあと、オレリアは燭台を片手に星見台へと向かった。

 星見台と言っても、天文台のような大層なものではない。宮廷の外れにある灯りのない高台で、落下防止のために柵で囲われているほかは何もない場所だ。


「さーむい……姫様、足元にお気をつけくださいね」

「ありがとう。厚着してきて正解でしたね、風がなくとも秋の寒さは侮れません」


 夜闇の静けさに抱かれて、空の星々だけが賑わいを見せている。

 ミトラス教の教えでは、星々が重要な意味を持つ。生前に主の聖意に従って善行を積んだ者は死後もミトラスの恩寵を受ける。星として天に召し抱えられ、ミトラスが眠る夜に人々を見守る番をするのだ。

 実際にこの世界の星が死者の行く末なのかは誰も証明していない。証明しようがない。死から帰ってきた者はいないのだから。

 オレリアはミトラス教の教義そのものにはそれほど興味はなかった。今見えているのが死人でも、恒星でも、オレリアには大した違いはない。

 しかし、何かと理由をつけてのんびりと星空を眺められるのは悪くない。

 ともあれ、オレリアは眠い目をこすって自前の星図盤を睨み、初秋の夜空に輝く星々から目当ての星を見つけようとしていた。


「アンナ、戦に赴く人の無事を祈るのはどの守護聖人だったかわかりますか」

「武勲なら第一勇者アキト・ハラダが定番ですけど、うーん。戦士の無事を司る聖人っているんでしょうかね?」

「いましたよ。ほら、矢除けの……喉元まで出かかってるんですが。聖墓騎士団の旗にいる彼ですよ」

「あー……ネストリアの聖グレンディオス!」

「そう、それです! ありがとう、アンナ」


 明日はシャルルが戦地に向けて出発する日だ。

 家族が戦争に行くというのは初めてのことで、華やかな武勲よりも痛ましい死傷ばかりが脳裏によぎってしまう。

 こうして星見台に来れば多少は気持ちも落ち着くだろうと思っていた。しかし、オレリアの胸につかえるもやはどうにも晴れてくれない。


「ネストリアの聖グレンディオス、勇猛なる信仰の守り手。汝の名と信仰のもとに、我が兄シャルルを護りたまえ……」

「おそれながら、姫様。シャルル殿下も姫様に祈られるなら戦での活躍を祈られるほうがお喜びになると思いますよ?」

「家族としては、怪我なく帰ってきてくれればそれでいいんですよ。兄上は勇者になんてなる必要もありませんし、そもそも勇者はなるものではないんですから」


 ただの感傷的な呟きに過ぎない。


「……アンナは、勇者に憧れますか」

「私がですか? そうですね……憧れ、っていうのは烏滸がましいと思ってます」

「ほう。烏滸がましい、ですか」

「歴代の勇者様は魔王の封印だけじゃなくて、色んなすごいことをやってるじゃないですか。第二勇者ヒロ・フユハラの聖療院には私もお世話になりましたし、第四勇者様なんか物の長さとか重さとかを決めたんですよね?」

「単位を決めたんです。勇者が召喚される前から長さや重さはありましたよ」


 第四勇者ナツメ・コシガヤは最も近年に召喚された、そして最も現代日本人らしい勇者だ。

 教会への信仰心を盾に自らの生み出した原器を神聖視させ、この世界にメートル法を定着させた。教会の勢力圏では度量衡の統一がなされている。

 その功績により彼は天秤と地図の守護聖人として祀られている。北方の商業都市群では彼個人を讃える聖堂があるほどだ。

 だからといって、アンナが第四勇者に劣るとは微塵も思わない。

 オレリアにとってアンナは優秀な侍女だ。勇者と同様、アンナも替えがきく存在ではないのだから、何を卑下する必要があるというのか。


「……自信を持ってほしいですね。私を傍で守ってくれるのは勇者ではなく、アンナなのですから」


 照れくさそうに頬を掻くアンナが、ふと思い出したように外套の懐へと手を突っ込み、ビスケットを引っ張り出した。


「また隠れ食いですか。太りますよ」

「へへ。これが太らないんですよ、姫様のおかげで運動には事欠かないので」

「そんな生意気を言う口にはビスケットなんてもったいないですね。スープ用の骨でももらってきて咥えさせましょうか」

「そんなご無体な……何卒、これでご容赦を」


 わざと威張り散らした貴族のように胸を張り、差し出された片割れを受け取って一口かじる。

 どうやら上等なビスケットをくすねてきたらしい。素朴な甘みの奥にほんのりと感じるのは、果物を漬け込んだ葡萄酒だろうか。

 こうした贅沢品はガロアの国内で生み出されるわけではない。はるか南東、ミトラス教の聖都周辺の山地で栽培された上質な葡萄が現地で加工され、そこから教会の物流網に乗って長い旅の末にこの辺境へたどり着いている。

 ガロア王国は大国だ。大陸西部の覇者と言っていい。それでも、ミトラス教にとってガロアという地は未だ聖都から程遠い辺境に過ぎない。

 あるいは、国王テオダルド3世の征服への熱情もそこから生じているのかもしれないとオレリアは考えている。


「南海の対岸に橋頭堡を築ければ、ガロアは教会にとって大きな存在になります。陛下も全力で獲りにいくでしょうね」

「そうなんですか?」

「南海の海上交易網を使えるようになるだけでも経済的な価値は大きいですし、それに……聖墓への巡礼が可能になりますから」


 ガロア王国の地図では南海とだけ呼ばれるその内海を隔てた、さらにその先。そこにはミトラス教にとって重要な聖地であり、禁域でもあるひとつの都市が存在する。

 すでに廃墟と化して久しく、中に入ることも許されないその地を、聖職者たちは多くの聖人が散った地、聖墓ネストリアと呼んでいる。

 その地こそが教会の至上命題、魔王封印の地だ。

 聖グレンディオスを始めとする様々な悲劇的殉教者の名で知られるネストリア。その地への道は南海に流入した異教徒たちの都市群によって閉ざされている。

 テオダルド3世の軍勢はその道をこじ開けようとしているのだ。


「アンナは聖墓に行ってみたいと思ったことはありますか?」

「いやあ、私はまだ死ねないです。あ、でも、勇者の結界には興味あります!」


 魔王は聖墓ネストリアに封印され続けている。

 もう1000年以上昔の存在だが、教会が伝えるとおりであれば魔王はまだ生きているらしい。とは言っても、確認はできない。結界に阻まれているからだ。

 かつて教会によって召喚された初代勇者アキト・ハラダが施した封印を、歴代の勇者たちが更新していくことで世界は魔王の脅威から守られている。

 封印、結界とは一体何なのか、それは一般に明かされていない。

 ただ、オレリアは他の人々より少しだけ勇者に造詣が深い。彼らの名前と聖典に描かれた美麗な肖像画から、彼らが日本人であるとオレリアは気づいた。

 初代勇者、アキト・ハラダ。平等と開拓の守護聖人。

 二代目勇者、ヒロ・フユハラ。貧者と病人の守護聖人。

 三代目勇者、サユリ・ナカモト。作物と大地の守護聖人。

 四代目勇者、ナツメ・コシガヤ。天秤と地図の守護聖人。

 つい先程アンナが口にしたとおり、歴代の勇者たちは魔王の封印だけではなく、彼らの知恵と技術で世界を豊かにした。

 その勇者たちが魔王封印の結界を更新したあと、どこに去ったのかは語られていない。教えのとおり星になったのか、それとも日本に帰ることができたのか。


「私もそこは気になっているんです。帰ってきたら、兄上に土産話をねだるとしましょう」


 今さら帰る気もないが、自分の出自に係わる秘密は気になるものだ。

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