第3話 旧き神、あらわる!/Rin the pilot その3
転がるように村まで戻ってきたリンが見たのは地獄だった。
素朴な村の姿はどこにもない。建物はつぶされたように倒壊し、燃えている。パチパチと爆ぜる家からは黒い筋がいくつもたなびいている。風が吹くたびに肉の焼ける匂いがした。離れたところからは、神殿まで届いていた爆音がした。燃料に引火したのか、襲撃者が爆発物を使用しているのか。真っ赤な花が咲いたり散ったりするたび、リンの顔に影をつくった。
「な、なによ、これ!」
悲痛な叫びが、リンの背後でする。誰が叫んでいるかなんて、わかりきったことだが、リンは振りかえれなかった。どんな顔をして彼女のことを見ればいいのかわからなかった。
村の襲撃の理由をつくってしまった自分が、何を言えばいい――。
肩にサイベの指が食い込む。その力は強く、震えていた。
「村が、村が燃えてるじゃない。こんなのって」
「…………」
「何か答えなさいよ!」
「……すまない」
「どうして謝るのよ」
リンは答えられなかった。かろうじて絞り出すことができたのは、別の言葉。
「まずは宿に行こう。ズータンが心配だ」
「そ、そうね。母さんたち大丈夫かな」
大丈夫ではないかもしれない。発しかけようとしたその言葉を、リンはぐっとこらえる。そんなことを言っても意味はなかったし、大丈夫かそうではないかは直接確認すればすぐにわかること。それならば、今すぐにいかねば。一刻の猶予もないのかもしれないのだから。
「背後についてきて」
「わかったわ」
銃を胸の前に構えて黒煙と炎に包まれた村を駆ける。物陰から物陰へ。見つからないよう慎重に先へと進む。被害とは裏腹に、人の姿はほとんどない。リンが警戒しているのは、五人とプラスαだ。
「おかしい」
「おかしいってどういうこと?」
「村を襲ったやつらの姿が見えない……」
リンは周囲に目を凝らす。爆発は断続的に起きており、今もなお蹂躙が繰り広げていることは紛れもない事実。それならば、あのゴロツキたちがどこかにいて、周囲を警戒しているはずだ。もっといえば、脅威たるリンがやってこないか監視していてもおかしくはないのだが、そういった様子は皆無だった。
おかしいといえば、この破壊規模だ。五人が行ったにしては大きすぎないだろうか。ゴロツキが五人――仮にそれ以上いたとしても、所詮はゴロツキだとリンは考えていた。ゴロツキが寄り集まったとしても、村一つを火の海にするだけの戦力は有していないだろう。
だが、目の前に広がっている凄惨な光景が、リンの想定を斬って捨てる。現実問題として村は焼け野原と化そうとしている……。
身を隠しながら、じりじりと先へ進んでいると、倒壊をまぬかれていた建物が見えてくる。それは、リンが泊っているウルタルクであった。まぬかれていたというのは正確ではない。倒壊させないように敢えて残されていたのだろう。そのように思ってしまうほど、建物にはほとんど傷がない。
よくよく見れば、棒が突き刺さっている。三階建てのウルタルクを上から下まで貫いているそれは、槍のように見えた。
あの規模の槍を使えるものは、巨人くらいだが、この世界にはエグゾスターという機械製の巨人がいる。
エグゾスター。いつから現れたのかよくわかっていない。謎の技術体系から生み出されたとされる、人型ロボット。銀河を揺るがした先の戦争において活躍したそれらのロボットは、今では民間でも手にできるものとなった。農家が農業を楽に行うために利用されることもあれば、悪事を働くために用いられることもある――今回のように。
しかし、その際に用いられるエグゾスターは大したものではない。金銭的な問題があるし、戦闘用のものは民間へ売られていない。
そのはずだった。
「ムーンビースト」
リンから零れ落ちた言葉に反応するかのように、地面に寝そべっていた――降着体勢だ――それが体を起こす。ヒキガエルのような、もしくは鏡餅を逆さまにしたようなものに手足が生えたような異様な体躯がそこに現れる。それこそがムーンビースト。月獣。軍事用のエグゾスター。
それは、真っ白な曲面装甲を引きずるようにのっしのっしと槍へと近づき、基礎に深々突き刺さっていたそれを、容易く引き抜いた。
螺旋を描くような穂先が、地面へと向けられる。突き刺したわけではないようだが、何に対して向けているのかは二人のいる場所からはよく見えない。
「エグゾスターじゃない!? な、なんで村を」
よろめくように大通りへと出てしまったサイベを、リンは慌てて引き留めようとする。
そこで、見えた。槍を向けられて硬直している、サイベの両親の姿が。
サイベの目が大きく見開かれる。
サイベは走り出していた。リンが伸ばした手を振り払い、両親の下へと駆けていく。悲痛な顔をして駆けだした少女を、リンは止められなかった。追いかけようと思えば、簡単に追いつくことができた。それなのに、リンはできなかった。
リンの冷酷な部分が、もう手遅れだと静かに言った。姿をさらしたあの子は、悲しいけれど、弾丸の餌食になる。止めようとしたら、自分も見つかってハチの巣になってしまうだろう…。
だが、残されていた感情が反論をしようとしたとき、走り出していたサイベが、ゴロツキに見つかる。白い巨体が、サイベの方を向くのが、物陰からでもはっきりわかる。
いくつかの悲鳴。すすり泣くような声。
それらが、リンを迷わせる。それでも、リンは動かなかった。少なくとも、自分が見つかってしまえば、どうなってしまうのかわかったものではない。――だがそれは他者を、この村の人間を見捨てるということに他ならない。
サイベを見殺しにする。
悩んだのは、数秒のこと。判断は最後までつかなかったが、ここにいてもしょうがない。当初の予定通り、様子を窺うことにした。
物陰に隠れながら進んでいると、エグゾスターは一機しかいないことがわかった。武装したゴロツキは、見えた限りで四人。あとの一人が、エグゾスターに乗っているとすれば、人数は足りている。
――これ以上いないことを祈りたい。
切に願いながら、リンは素早く進む。サイベの安全を考えないで済む分、その速度は先ほどよりもずっと速い。だというのに、物音一つ立たない。
あっという間に、ウルタルクの間近までやってきた。
建物の前には、四人の人間が銃を構えて立っていた。銃は、前にバーで見たものと全く変わらない、ゴロツキには似つかわしいもの。彼らはにやにやと笑いながら、槍を向けられている人間を眺めていた。輪から少し離れた場所にはムーンビーストが立っていて、手にした槍を、サイベ一家へと突き立てようと構えている。
近寄れば、何やら声が聞こえてくる。白い巨人のパイロットへと何かを訴えかけるような声。パイロットと一家の誰かとの間でやり取りが行われているようだ。会話の内容を知るため、リンは這うようにしてさらに前進。
「頼む。娘だけは助けてくれ」
嗚咽と恐怖の混じった声が、聞こえた。それは、調理場から飛び出してきて、ゴロツキのリーダーに平身低頭の態度をとっていた男性の声だった。恐怖に打ちのめされながら、それでも発した言葉に対する返答は、バカにしたような響きのものであった。
『助けてくれだぁ? どうしてオレがそんなことをしなくちゃならねえ。まあ、世話をしてくれるなら、考えないでもないがよぉ』
スピーカーから放たれた耳障りな声は、ごろつきリーダーのもの。その『世話』とやらが、何を意味するのかなど、下品な笑い声を聞くまでもない。周囲にいた四人のゲラゲラという笑い声と甲高い口笛は、聞くに堪えない。
「そ、それだけはっ」
「なんだ。助けてもらうつもりなら、それくらいはしなきゃいけねえよなあ?」
お嬢ちゃんもそう思うよな?
そのような意地の悪い問いかけが、サイベへと向けられる。目をこすり嗚咽を漏らしていたサイベが体をこわばらせた。彼女が見上げた先には槍の切っ先がある。下手なことを言えば、その大きな槍によって貫く――そんな脅し。
サイベは俯いていた。だが、何かを決心したかのように、顔を上げる。白い巨体の中から向けられる悪意に、真っ向から立ち向かうように。
「誰がアンタなんかに助けてもらうっての。アンタが股間を丸出しにしたら、噛みちぎってやるわ」
周囲がしんと静まり返る。風も砂も、時さえもが止まってしまったかのよう。誰も彼も、彼女が放った言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
少し離れていたリンには、その言葉の意味が理解できた。だって、自分でもそうしただろうから。捕まるくらいなら、誰かの道具になるくらいなら死んだ方がマシだ。
――だが、同時にその選択は最悪だともリンは思った。サイベの言葉は挑発そのもので、ゴロツキなんてやっている連中はバカにされることが大嫌いだ。
「ああそうかい!」
激高したゴロツキの声が音割れを伴って、鼓膜を揺らす。その怒りに同調したかのように、ムーンビーストの巨体がゆらりと動いた。興奮したかのように、ふしゅりと全身の排熱口から白い煙が飛び出す。煙をかき分け、槍を持った剛腕が振り上げられる。
狙いの先にいるのは、一歩も動かずに、切っ先を睨みつけているサイベ。あくまで彼女の腹は決まっている。避けるつもりはないのだろう。それが、何物も思い通りにしたいパイロットの神経を逆なでする。
「死ねやーっ!」
咆哮とともに今まさに必殺の一撃が、サイベの体を穿とうと動く――。
それでも、リンは動き出せない。
自分には守る力がない。もう手遅れだから。
にゃあ。
猫の鳴き声が、リンにははっきりと聞こえた。
見れば、いつの間にか猫はいた。あの時――キャットインを訪れた際に最初にして最後に見かけた、威厳に満ち溢れたあの猫だ。それが、リンの顔を見上げている。
どうするのか、と尋ねられているような気がした。自分が責められているような気さえした。
リンは、じっと見つめ返す。
猫の瞳と人の瞳がぶつかり合う。
「私に何かしてほしいのか」
鳴き声。
「……私にできることなど何もない」
猫から視線をずらせば、スローモーションで動く槍が目に入る。ただ遅く見えているのか、実際に時の流れが遅くなっているかは、リンにはわからない。どっちだって一緒だ。今から走っても間に合わないかもしれないという事実は何も変わらない。
猫は、じっとリンを見上げていた。猫特有の何物をも見通したような目は、リンの言葉を否定しているようであった。
「私にしてほしいことがあるというのか」
それが何なのか、リンにわかるはずもない。だが、この状況をどうにかできるのであれば。
あの少女の覚悟に報いることができる手段があるのなら。
猫が頷いたように見えた。
次の瞬間、猫が光と化す。光は徐々に強さを増していき、やがてリンをも飲み込んだ。
痛む目で、柱ほどの槍を睨みつけていたサイベは、その光に気がついた。サイベだけではない。周囲にいた人々は皆、突如として発生した光に驚いていた。
ただ、サイベだけは驚き以外のことを感じていた。神々しさを、その光に見いだしていた。
盗賊たちは驚きつつも、その光へ銃を乱射する。だが、効果はない。鉛色の雨を受けながら光はどんどん膨らみ、建物よりも大きくなったところで弾けた。
『なっ』
唖然とした声がムーンビーストから発する。それもそのはず、光が消え去った後に出現したのは、巨大な人型の存在だった。
単なるヒトガタなどではない。金属光沢を有したそれは、ムーンビーストと同じエグゾスターのように見えた。
だが、それと同時に、ズータンが声を上げる。
「守り神が降臨なされた……」
消えつつある光を後光のように浴びながら、宙に浮かぶそのエグゾスターは、まさしくあの神殿に倒れていたご神体と瓜二つであった。
すらりとしたそのシルエットは、女性の体つきをしている。人間であれば、モデルとして活躍してもおかしくなさそうなプロポーションだが、そこには金属の無機質さと生物のしなやかさを感じられる。手には神殿で目にしたものが握られていたが、木でできていたそれよりも造詣が細かい。半円状の盾の表面には、金の矢が交差している。こうしてみれば、ラトルにも似たものはハンドベルに近い。持ち手のすぐ上には顔のような意匠が施されており、ハンドベルでいうところのベルの部分には金のヘビがうねっている。
だが、そのような特徴よりも目を引くのは顔だろう。
猫のような鼻に猫のような耳。金属装甲板によって精巧に再現された猫の顔。それは、猫のかわいらしさというよりは、美しさ――もしくは、秘められた凶暴さを映し出していた。
背中から、噴き出す粒子にもエネルギーによって、ゆっくりゆっくり守り神は降下する。そして、音もなく、着地した。
それが、そのエグゾスター――バーストが顕現した瞬間だった。
気が付けば、暗闇の中にいた。
リンは、周囲を見渡す。どこまでも闇が広がっている。ここは天国か、はたまた地獄か。それともまた別の何かなのか。
上下左右という概念そのものがない世界にリンは漂っていた。
不意に光が生まれた。その光は大きくなる。いや違う。リンの方へと近づいてきている。
目の前までやってきた光は、人の形を成していく。現れたのは、バースト像そっくりの女性。しかし、木造でも金属製でもない。真っ白なワンピースとサンダルに身を包んだ褐色の肌からは、溢れんばかりの生気が感じられた。
それに何より、その女性の頭部は猫のそれではない。それこそ女神と形容するほかないような美しい顔があった。彼女の慈愛に満ちた瞳に見つめられるだけで、理由のない高揚感に体が包まれるような気さえした。
――人の子よ。
言葉が、脳内に響く。バーストは口を開いてはいたものの、それは音として鼓膜が認識したわけではない。脳が、バーストの言葉を認識した。
――おぬしに、妾の力を。この力で、妾の子を守ってくれ。
「どうして! どうして私なんだ!」
――それはおぬしが、女王を探しているからだ。
「女王」
それこそは、リンがここまでやってきた理由。リンは、女王と呼ばれるエグゾスターの開発者のことを探して銀河を旅している。
友人が亡くなった理由を訊ねるために。
そのために、軍隊を離れ、エグゾスターを放り出し、あてもない旅に出た。
「貴女は女王のことを何か知って――」
バーストは何も答えない。ただ、超然と微笑み、そして、消えるのだった。
ハッと我に返ったリンは、自らがエグゾスターのコックピットにいることに気が付いた。見慣れたコフィンだ。まるで、あらかじめしつらえられていたかのように、すべてがフィットしていた。
「これがバーストの言っていた力……」
ざっと一通り見渡してみたが、記憶の中の操作系と何一つ変わっていない。コフィンを取り巻くモニターの前面には、こちらへとやってきている醜悪なエグゾスターの姿が映し出される。
不思議と不安はない。母の腕に抱きしめられているような安心感があった。そんな感情をエグゾスターの中ではこれまで一度も感じなかった。以前なら、エネルギーを吸い取られるような気持ち悪さばかり募っていたのに。
リンは、操縦桿を握り、小さく息を吐き、力をこめる。
黒煙と砂塵の中で、二機のエグゾスターがぶつかり合おうとしていた。
最初に動いたのは、ムーンビーストだ。振り上げようとしていた槍を構え直し、直立不動の体勢を崩さない未知のエグゾスターに対して向かう。どの鈍重な体が動くたびに地面が揺れる。ムーンビーストが歩いた先にはぺんぺん草も生えないともっぱらの噂だ。
熱のこもった蒸気をまき散らしながら近づき、槍を振りかぶる。目前にやってきたにもかかわらず、相手は動かない。不動の女神の下腹部に、槍が突き刺さる――。
「へっビビらせやがって」
一撃で仕留めたという確信が、驚愕へと転じるまでにそれほどの時間はかからなかった。
命中したと思われた槍は、その寸前で止まっていた。艶のある装甲には傷一つついていない。丸みを帯びた盾が、穂先をずらしていた。
コフィンの中のリンにも、相手の声は聞こえていたが、何も返答はしない。心の中では、静かな闘志が燃え滾る。それに、呼応するかのように、シストラムという文字がモニターで輝く。
「シストラム。これか」
逆の手に握られていたものを、ムーンビーストへ叩きつける。その鏡餅を連想させる装甲は、耐衝撃性に富んでいる。光学兵器には意味をなさないが、物理的な攻撃に対してはめっぽう強い。暴徒鎮圧用に用いられるほど堅牢でもある。だからこそ、パイロットは高をくくっていた。
だが、違った。シストラムと曲面装甲とがぶつかった瞬間、鐘のような音色が響く。ゴーンという間延びした音は、シストラム内部の金属球が奏でる凛とした鈴と反響しあい、その音を増していく。それは心を落ち着かせるような、不思議な音色。泣いている赤ちゃんだって、泣き止んだだろう。
しかし、その眠くなってしまいそうな音を間近で聞いたごろつきは、がくがくと揺すぶられることとなる。直接叩きつけられた音は、ムーンビーストを、その最奥のコフィンをも振動させ、パイロットの頭蓋を揺さぶる。脳みそを直接揺さぶられ、平衡感覚が失われる。
それこそが、バーストの意思が狙った効果。
相手が動かなくなったところを目にして、リンは距離を置く。パイロットの操縦に従って、バーストは後方へと踊るように移動。足音も揺れも全くない。足跡一つ地面にはなく、まるで体重がないかのようだ。
「こういう効果か、なるほど」
シストラムを軽く振り、軽妙な鈴の音に心を和ませる。
操縦桿を動かした通りに、機体が動く。操縦よりも速く、バーストの方が動いているような気さえした。
バーストと一体になっているような感覚。それは、これまでのじゃじゃ馬を無理やり操縦するものとは違って、気持ちがいい。
バーストがステップを踏む。
何か他に武器はないのだろうか。
無意識の要求に、マシンが反応する。コフィンの座席がわずかに下がる。それと同時に、上へと突き出していた操縦桿が内側へと倒れ、包み込むような座席の両側面に白い線が走る。操縦桿を引っ張ったり突き出したり可能だと、言っているかのようだ。そのような機能ははじめて見たが、一瞬で理解した。
操縦桿を握りしめ、ペダルを踏みしめる。
バーストは持っていたものを放り投げ、身震いするムーンビーストへと駆けだす。地を舐めるような前傾姿勢は、ネコ科を彷彿とさせるしなやかな動き。
前面モニターいっぱいに白い巨体が広がる。すでに距離はない。
操縦桿を引く。
その瞬間、手の甲から、爪のように鋭利な金属が飛び出す。それはまさに、猫のツメを連想させる短くも鋭い凶器。
同時に、口元でも変化があった。口元を覆っていたマスクのような金属が下がり、口と牙が露わとなる。すべてが、一瞬にして切り替わった。美しさは鳴りを潜め、猫の野性的な部分が表へと姿を現わす。
「――っ!」
操縦桿を勢いよく突き出す。バーストの腕がムーンビーストへと振り下ろされる。爪によって切り裂かれる。普通であれば、相手はムーンビースト。肉弾戦など挑まない。そんなことをしても無意味だからだ。――だが、バーストならできる。そんな気がした。
爪は槍よりも細く軽い。だというのにもかかわらず、ムーンビーストの白い金属に、赤く線を刻み込む。抵抗も何もない。バターに熱したナイフを滑らせるような切れ味のよさ。もう片方の手で切り裂けば、X字に傷跡ができる。傷の向こうに、コフィンと震えて何もできていないごろつきリーダーの姿が垣間見える。曲面装甲だけではなくその下の多重装甲さえも切り裂いたらしい。
無抵抗の機体に、バーストが抱きつく。その真っ白な首元――そこを走るエネルギー供給パイプめがけ、牙を突き立てる。
液体がほとばしる。オイルにも似たぬらぬらとした極彩色の液体が、噴水のように飛び出す。
ムーンビーストの体から力が抜け、どうと倒れた。エネルギーの供給が滞った機体は、動かない。
相手からほとばしった液体にまみれながら、バーストは牙と爪を収めた。
コフィンから降りていると、駆け寄ってくるサイベが見えた。リンは直立不動のまま動かなくなったバーストの体を伝って、地面へと降りる。
着地したところで、サイベが目の前までやってきた。その目には涙が滲んでいて、立ち止まることなく、リンに抱きついた。
思わず抱き留めた彼女の体は、震えていた。
「わ、わたしアンタがいなかったら……!」
「あれでいい。私でもそうした」
「そうなの?」
リンは頷く。「誰かに縛られるなんてまっぴらごめん」
「わたしもそう思うわ」
リンと顔を合わせたサイベが笑い始める。いたって真面目なつもりだったから、リンからすれば、なぜ笑っているのか理解ができなかった。
「アンタがそう言ってくれるだなんて思わなかったからよ。自殺行為だって怒られるとばかり」
「怒りはしない。しょせん他人事だ」
「そういうドライなところ、わたしは好きよ」
「意味が分からない。私は生き残るためにやっただけ」
「でも、わたしのことを守ってくれたじゃない」
「……それはバーストが」
リンは、純白の機体を見上げる。砂嵐が止み、静かになった空の下で日の光を浴びるバーストは輝いていた。この機体が現れなければ、サイベを助けることはできなかっただろう。この村の人間は見捨てていてもおかしくはなかった。
だが、バーストは現れた。現れて、リンに力を授けた。
どうして、自分だったのか。
リンは手のひらに目線を下ろす。操縦桿を握ることの多い手は、女性にしてはごつごつとしている。自分にパイロットとしての技量があったからだろうか。
ゆるゆると首を振った。自分は、エグゾスターから逃げ出したのだ。そんな自分はパイロットとしてふさわしくない……。
険しい顔つきをしていたリンを見守るかのように、バーストはたたずんでいる。
「ちょっと!」
腕を組んで空を睨みつけていたリンを、サイベが揺さぶる。彼女が指さす先では、バーストが日の光と同化するかのように、消えていこうとしていた。光の粒子となって、空へと拡散していく。エグゾスターにそんな機能はない。少なくとも、リンが知っているエグゾスターにはそのような機能はなかった。
目の前には、すでに半透明になったバーストがいる。リンは手を伸ばす。その手がバーストの硬質な肌に触れることはない。
バーストは消えた。そこには何もいない。
今までのことは、夢だったのだろうか?
リンは首を振った。胸の高鳴らせたあの高揚感は、まぎれもない本物だ。今も心の中でくすぶっているこの気持ちは現実のもの。だからこそ――リンは認めたくなくて、歩き始めるのだ。
「どこ行くのよ」
「村の人間を探す」
「そ、そうね。みんな生きてるに違いないものね。探しましょ」
そうして、リンとサイベは生存者を探し始めた。
それから、一週間後のことであった。
リンは、村で唯一の建物となってしまったウルタルクの前に立っていた。
村を後にする日が来たのである。
「リンさん。復旧作業に手伝ってもらったこと、感謝します」
頭を下げたのは、ズータンだ。その隣には、サイベを除く一家の姿があり、同じように頭を下げた。
「別に大したことはしていない」
「いやいや。ブラックキッドを使ってがれきを取り除いてくれたではありませんか」
「あんなの誰だって――」
ブラックキッドは、民間用のエグゾスター。いくつものサブアームを搭載していることで、多様な作業を同時に行うことのできる多目的機械だ。トラクターやクレーン車の代わりとして用いられることもあり、この村でも同じ理由から準備されているようであった。サブアームはパイロットが操作することもできたが、簡単な作業であれば、AIが勝手に行うから、それほど難しくはない。――それはエグゾスター操縦に慣れているリンからすれば、であった。
「悪かった」
「いえいえ。気にしておりません。余っていたものですからの。誰かが乗ってくれたらいいものですが、気味が悪いでしょう?」
「…………」
同感だった。だが、それは、触手のように蠢くサブアームが気持ち悪いからではない。山羊とはかけ離れたグロテスクな形からでもない。コフィンの中にいるだけで、嫌悪感を催すのだ。獅子身中の虫のような気持ちというか、いついかなるとき、その力が自分へと向くかわからないという不安なのだろうか。
本能から生まれる嫌悪は、気のせいなのか、リンにもわからない。リンの不安が当たっているか知っているのは、エグゾスターを生み出した女王ただ一人。だからこそ、リンは女王に会いたいのだ。
「まあ、こんな小さな村ですからな。なくても困らないといえばそれまでなのですが」
「だが、あったおかげで、がれきを除去することができた」
ですな、とズータンが視線をリンの向こうへ投げかける。つられてみれば、そこには以前の村はない。都会から支給されたテントその他もろもろがいくつも立っている。遠くの街から少なくない人員がやってきて、村を以前の姿へと戻そうとしていたが、遅々として進んではいない。この村までやってくるためには、砂漠を乗り越えないといけないからである。だが、季節を問わず吹いていた砂混じりの嵐が収まったのは不幸中の幸いであった。長らく吹いていた砂塵が止んだ原因は未だわかっていない。だが、青空が見えることに疲れ切った村の人々喜んでいた。
村人にケガ人はいなかった。というのも、ムーンビーストはその戦力を誇示しながらやってきたために、早期から逃げ出すことができたのだ。ズータンにどうして逃げなかったのか、と訊ねれば、宿を捨てるわけにはいきませんから、という答えが返ってくる。それが彼ら一族の誇りなのだろう。リンから言えることなどなかった。
「私がいなくてももう大丈夫」
「ええ。警察も来て、ゴロツキを輸送するらしいですし、ようやっと安心できそうですわい」
「じゃあ」
リンはリュックサックを背負い、村の出口へと向き直る。
そういえば、とリンは気がついた。サイバが見送りに来ていなかった。彼女のことだから、ツンケンしながらも見送りに来るだろうと思っていたリンからすると少々意外だった。
そのとき、建物の中から、どたどたと駆けてくる足音がする。噂をすれば何とやら。飛び出してきたのは、サイバだ。
サイバの背中には、パンパンに膨れ上がったリュックサック。
よたよたとリンの前までやってきたサイバが、両手を横に広げる。
「セーフ!」
「何がセーフじゃ」
「いたっ!? な、なにするのよおじいちゃん!」
「その頭でよく考えてみなさい」
「?」
すっとぼけるサイバに、ズータンの眉間にしわが寄る。
「その荷物のことじゃ!」
「わかってるわよ! 耳元で叫ばないでちょうだい」
肩で息をするほど興奮しているズータンに対して、サイバが叫ぶ。だが、すぐにサイバは申し訳なさそうな顔になった。その目線の先には、リンのつま先。
「アンタと一緒に行きたいの」
「私と」
「そんなことは――」
「おじいちゃんは黙ってて」
その言葉には、並々ならぬ覚悟が込められている。顔は真剣そのもので、ふざけて口にしているようには見えない。
「危険なのは承知の上。でも、行ってみたいの」
「私はいい」
本人がそうしたいと望んだのであれば、リンは止めない。
だが、とリンはズータンの方を見た。本人は覚悟を決めていても、仮に、のたれ死んだとしてもいいと考えていたとしても、周囲の人間はそうではない。血のつながった相手ならば、なおさら心配になる。どうしてわが子を危険な目に遭わせたい親がいるか。
銀河は広く、果てがない。その中には、様々な人間がいて、様々な生物がいる。何が起こるのか分からない。それこそ、明日死ぬかも知れないのだ。
リンの視線を受けたズータンがうめく。頭を抱えてしばらくの間考えていた。
はあ、という大きなため息が、その口から漏れる。
「わかったわかった。お前がそれでいいならな」
「やった!」
「ただし! 絶対に帰ってくること。あと、リンさんに迷惑をかけないこと」
「それくらいお安いご用だっての」
「本当かのう……」
「できるかぎりのことはする」
「助けるのは危険なときだけにしてください」声を潜めてズータンが言う。「ここ最近は天狗になっているようなのでな」
「わかった」
「なにこそこそ話をしてるのよ。わたしも混ぜなさい」
「何でもない。挨拶はすんだのか」
「喧嘩になるからやめときなさい。私の方で話はしておくから」
「おじいちゃんありがとう!」
「現金なもんだ、全く誰に似たんだか」
ため息をついたズータンは、懐から鞘に納められたナイフを取り出した。受け取ったリンは不思議そうな顔をしながら、鞘からナイフを抜く。
薄い刀身は、華奢な印象があったが、同時に紙切れ一枚を真っ二つにできそうな繊細な切れ味もありそうである。天から降り注ぐ光を受けると、刃に彫り込まれた目のような円盤のような文様がよく見えた。
「なにこれ」
「代々受け継がれている魔法のナイフだ」
「はじめて聞いたんだけど」
「はじめて言ったんだから当然だろう」
「どうしてよ」
「今のお前みたいに、ブンブン振り回して怪我されたらたまったものじゃないからの」
バカにしないでよ、とは言いつつも、サイベはナイフに目を奪われているようである。
「魔法が使われているのか」
「ああいえ、そういう言い伝えがあるというだけです。そのナイフは破邪のナイフ。守り神からの贈り物だそうです」
「贈り物……」
「何か心当たりでも?」
「いや、何でもない。だが、そんなものを上げてもいいのか? 大切なものだろう」
「大切なものだからですよ。これが孫を守るのであれば私だけではなく、神様だって満足でしょう。それに、どのみち受け継いでもらうものですからね」
ナイフをためすがめつしているサイベを見るズータンの目は、見守るような優しいもの。目に入れても痛くないほどに、わが孫が可愛いのだろう。
「使い方についてはリンさんならご存じでしょう」
「ああ。怪我しないようにきちんと教えておく」
「お願いします。さて、もうそろそろ行った方がいいですな。息子と嫁がくるかもしれないですからね」
「み、見つかる前にさっさと行きましょう」
リンは頷き、村の出口へと歩く。背後を振り返って、サイベは祖父に手を振った。
とんてんかんてんという建設作業の音を耳にしながら、村を歩く。
「本当に良かったのか?」
「いいに決まってるでしょ。外には行ってみたかったの。こんな狭い世界にずっとい続けるだなんてまっぴらごめんだわ」
「外の世界はいいものじゃない」
「だとしてもよ。アンタにとってはそうでも、わたしにとっては違うかもしれない」
それに、アンタが守ってくれるでしょ?
その問いかけには、リンは答えなかった。
村の出口あたりまでやってくると、猫の鳴き声がした。
見れば、真っ白な猫。村にやってきたときに見た猫であり、バーストが顕現する直前に現れた猫でもあった。
その不思議な猫は、みゃうと鳴くと、リンの足元までやってきて、体をすりすりこすりつけている。
「猫なんて珍しいわねえ」
「ここに来た時に見た」
「そりゃあ幸運ね。最近はめっきり少なくなったっておじいちゃんが言ってたわ」
どれ、とサイベが猫を抱きかかえようとする。だが、軽やかに猫は手を逃れて、逆に腕を駆けあがっていくではないか。
そして、サイベの頭までたどり着くと、ここが定位置といわんばかりに、そこから動かなくなった。
「ちょっどきなさいよ! い、いたっ。ひっかいてくるなんて聞いてない! そっちがその気なら、こっちにだって考えがあるんだからっ」
そんなことを言いながら、サイベが猫を引っぺがそうとし、猫はそれに抗う。
もしかして――リンの頭によぎるものがある。この猫は、ついてきたがっているのだろうか。バーストが現れたあの時、この猫が合わられたのは決して偶然ではない気がする。では、今回も。
視線を感じてそちらを見れば、猫が見てきている。その目に映るのは、いかにもな好奇心の光。
リンの喉がゴクリとなる。
「面倒なことになった……」
「面倒って言わないで! っていうかわたしのことを助けなさいよーっ!!」
そんな悲痛な叫びを上げたサイベの頭上で、猫があくびをした。
コズミック・バースト! 藤原くう @erevestakiba
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