第2話 旧き神、あらわる!/Rin the pilot その2
守り神はバーストといった。豊穣を司る猫の女神だ。猫の顔をしているというバーストは、同族である猫を庇護しているとされており、猫に危害を与える存在には天罰を下す。そのような伝承には事欠かない。その中で村に伝わっているものの中でもっとも有名なものは『二匹の猫』というものだろう。村の子どもを怯えさせるこの話の要点をまとめると、キャットインを訪れたあるサーカス団は、猫を戦わせるという催しを行っていたそうである。猫と猫の尻尾を繋ぎ、どちらかが死ぬまで戦いは続く。その残酷な興業は、キャットイン以外では人気を博していたものの、猫に親しんだこの村の住人においてはそうではなかった。それに人気が出ることもなかった。サーカス団員は――止めるように言っていた一人を除き――全員死んだのだ。死体はすべて見せしめのように木に吊るしあげられ、肉体には無数の噛み傷と一際大きな爪痕が残っていた。遠くの街からやってきた検視官によれば、まず、無数の噛み傷が出血死寸前までつけられ、最後に爪痕によって絶命した、という検死結果が出た。それが意味するのは、復讐と見せしめ以外ない。
そのほか、バーストの話はいくつもあったが、話を一通り聞いたリンには気になることがあった。
「猫と豊穣を司っている守り神がいるにしては、どちらも乏しいな」
村に入る前のことを、リンは思い返す。現在のキャットイン周辺は砂漠地帯と化している。環境の変化によるものとされてはいたが、原因は定かではない。また、キャットインの中に猫はほとんどいない。数日間滞在していたものの、見たのは入り口で見たプライドの高そうな猫くらいだった。
リンの疑問に、ズータン――サイベの祖父であり村長――は困ったように額の汗をぬぐった。
「私たちにもわからんのです。ただ」
「ただ?」
「ご神体が倒れてからすぐに猫がいなくなり、それと同時期に土地は乾燥し始めた次第で」
「なるほど」
「何か分かったの?」
そのような質問を口にしたのは、二人と同じテーブルについているサイベであった。リンが首を振れば、地につかない脚をバタバタ動かす。
「だったら思わせぶりなことを言わないで」
「すみませんな。サイベが失礼なことを」
「別にいい。わからないのは事実。直接見れば、何かわかるかもしれないが」
「わかるのっ!?」
「かもしれないというだけだ。そのご神体とは?」
「村から少し行ったところにある小高い山――今となっては砂丘同然ですが、そこに木彫りの像があります。先祖はそれを崇めていました」
「最後に一つ。猫がいなくなった原因について心当たりは?」
ズータンがゆるゆると首を振った。その表情には困惑が色濃く浮かんでおり、嘘をついているようには見えない。
ふうんと呟いて、リンは腕を組む。そのご神体があるという場所には行ってみたいところであった。ただ宿泊するために、この村を訪れたわけではない。何か不思議なもの――そう形容するしかないもの――を探して、やってきたのだ。キャットインには、神を信仰しているという話は前もって知っていたし興味があった。それが猫の神様だとは思わなかったが、考えてもみればキャットインは猫の村。猫を守護する神様がいても不思議ではない。
そういうことだから、ご神体を一目見てみたい。見てみたいのだが、具体的な場所はリンにはわからなかった。そもそも、キャットインにたどり着くのだって苦労したのだ。村一帯に吹きすさぶ砂嵐の中では、土地勘のないリンでは迷子になってしまう可能性があった。
「誰かに案内してもらうことは」
「私が案内できればいいのですが、なにぶん年なもので」
「はいはいっ。あたしが案内するわ!」
「サイベが?」
「何よ。不満そうなそうな顔しちゃってさ。あたしだってご神体は見たことあるわよ」
「そりゃあそうだが一人で行ったことはあったか?」
「あったわよ! 去年も一昨年だって!」
「あれだけダメだとキツく言いつけられていたのにか」
「げっ」
「まあいいさ。私は行ってもいいと思っているし、親には言いつけたりはしない」
「よ、よかった」
おじいちゃん大好き、とここぞとばかりに言うサイベに、ズータンはため息をついた。
「こんな孫でよければ……」
「案内と神のことが知れたら誰でもいい」
すっと、リンはサイベを見る。ただサイベの方を向いただけであったが、サイベはもぞもぞと体を揺すった。
「文句があるなら」
「ない」
「そ、そう。ならいいのよ」
「よければ今日中に行きたいが」
「止めといた方が賢明ですぞ。夜は一寸先も見えなくなりますからな」
リンは黙って腰を下ろした。キャットインへと至る道中で、闇夜に行動することがいかに危険で面倒なことか、これでもかと思い知らされていたからだった。
翌日。
日の出とともに、リンとサイベはウルタルクを後にした。二人はリュックサックを背負っている。
「アンタのそれ、大きいわね」
「テントとか寝袋とかを入れているとこのくらいになる」
「テント! それは見てみたいわね」
サイベがねだるが、リンは黙って歩みを進める。昔のテントとは違い、放り投げるだけで設営できたが、収納する際の手間は変わらない。そんなことで時間を浪費したくはなかった。
早く、ご神体を見てみたい。
「どうして、ご神体に興味があるのよ。こう言ったらあれだけど、朽ちた像しかないわよ?」
「それでもいい。何か見つかればそれで」
「何かって何よ」
「…………」
黙りこくるリンに、先を歩いていたサイベが立ち止まる。つられてリンも立ち止まった。
「あのねえ。探してるものが何か知らないけど、それがなんなのか教えてもらわなきゃ探しようがないじゃない」
「別に探してもらいたいわけではない」
「そうですか!」
怒ったように言うと、サイベはドスドスと歩みを再開させる。砂地にできる小さな足跡を見ながら、リンは困惑する。悪気があったわけではなかった。サイベの気持ちが理解できなかっただけだ。
これだから子どもは苦手なんだ。
そうは思いながらも、ご神体のある場所まで案内するのはサイベだ。そのことに文句はない。砂にあしをとられることなく、しっかりと歩く姿を見ていれば、彼女は案内役にふさわしい。
「慣れているのだな」
「ふふん。このあたりはあたしの庭なの。……誰も遊んでくれなかったからじゃないわ」
「何も言っていないが」
「うっさい! さっさと行くわよ」
話によれば、村を出てまっすぐ行った先にご神体が安置された遺跡はある。遺跡は、ご神体が朽ちる前から遺跡であり、昔の人が作り出したご神体を崇めるための神殿ではないかと考えられているとか。
遺跡は村からも見えたそうだが、行けども行けども見えてこない。絶え間なく吹きすさぶ乾いた風に舞い上げられた赤褐色の砂が、ベールのように覆い隠している。
びゅうびゅうという強風に打たれながら無言で歩く。両者の間で交わされる会話はほとんどない。口を開けば砂が入り込んでくる。ゴーグルがなければ、目を開けていることもできなかっただろう。
空にぼんやりと恒星の光が見える。それほど時間は経っていない。視線を地平線へと戻せば、遠くに影のようなものが頭をのぞかせる。それが、建物であるとわかったのは、さらに近づいてからのことである。
それは大きな出入り口であった。風化する前は真っ白に違いなかった大理石の入り口には柱がいくつも建っている。柱の隣には、壊れかけの巨大な像もある。至る所に彫刻が施されていたが、削れてしまって文字や意匠を理解することはかなわない。
横へ目を向ければ、壁が伸びている。どこまでも続いているように見えるのは砂塵による錯覚か。
「なるほど確かに神殿だ」
「信じてなかったの」呆れ口調でサイベが言う。「とにかく中に入りましょ。砂ばっかりでイヤになっちゃうわ」
神殿の中はひどい有様であった。天井はあちこち穴が開いており、いくつかの目にも似た文様は、穴から降ってくる砂に覆われていた。ヒビがいたるところに走っていたし、かつては水が流れていたであろう水路には、今では流砂が滑っていくばかり。ほこりっぽさにリンは思わず咳をする。
「ひどいな……」
「ここ何年かは誰も来てないもの。あたしもほとんど来ないし」
そうか、と返答し、周囲へ目を向ける。壁面には、猫と思われる絵が多く描かれている。そのどれもが、人と生活を共にしているもの。この神殿を建てた古代人は、猫とともに生活していたのかもしれない。
それらを指でなぞりながら先へと進んでいくと、壁画の様子が一変する。猫が人々を襲い始めるのだ。猫の反逆かとも考えたが、そうではなく、襲われる人々は手枷足枷がかけられている。同時に猫を可愛がっている人間の姿もある。どちらかといえば、罪人を猫が罰しているような場面。さらにその先には、複数匹の猫を侍らせた女性の姿があった。玉座のような豪奢な椅子に腰かけた女性の手には、子供をあやすためのラトルにも似たものと、半円形の盾のようなものがあった。その威厳のある姿から、彼女こそがこの神殿に祀られていたバーストに違いない。
それで、壁画は終わりかと思われたが、まだまだ先がある。しかし、その先のものは手前のものよりも前に描かれたのだろうか、状態がよくない。ところどころかすれており、何が何だかわからないものがほとんどであった。
唯一はっきりとしていたのは、猫の顔をした女性と、ライオンの顔をした女性とが対峙していた絵くらいだった。その場面だけでは、何が何だかわからない。その絵のことが気になったリンはサイベに問いかけたが、知らないという返事がやってきた。
「その猫の方がバーストなのは間違いないけれど、そっちのライオンの方はわからないわ。っていうか、こんな絵あったのね」
「来たことがあるくせに知らなかったの」
「悪かったわね。だって、入り口の方しか来たことないし……」
壁面を見ているうちに、二人は神殿の奥の方までやってきていた。入り口からやってくる弱い日の光は、奥を照らしてはいない。何があるのかわからない漆黒が、どこまで続いているようにさえ感じられた。
闇の中に目を凝らせば、奥へと続く入り口が辛うじて見えた。
リンは臆することなくその入口へと歩みを進める。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「怖いなら無理してこなくてもいい」
「バカ言わないでよ! 怖がってなんかないんだからっ」
駆け足になってやってきたサイベがリンの隣に並ぶ。その肩はがくがくと震えている。
そこまでして、どうしてついて来ようとするのだろう。そのような疑問を浮かべながらも、サイベを怖がらせたままでいるのはそれはそれで嫌だった。
リンは少し考え込んでから、リュックサックに手を伸ばす。
取り出したのは、懐中電灯。その先端から光が飛び出し、暗闇を円形にかき消していく。
「あるなら最初から使いなさいよ!」
「誰かいた時に困る」
「誰がいるっていうのよ! こんなボロッちいところに」
バシバシと叩いてくるサイベに対して、あのゴロツキ連中がここを根城にしているかもしれない、と打ち明けようとしたリンだったがやめた。わざわざ怖がらせることもないだろう。
懐中電灯を片手に、さらに銃を取り出す。
「それ、いつ見ても怖いわね……」
「そっちには向けない」
「当たり前でしょ! そんなに撃たれたら死んじゃうわ。でも、どこでそんな大きな銃を見つけたの」
「譲り受けた」
「そうなの。あたし、銃なんて見たことなくて」
「銃なんて街に行けばある」
「ちょっと都会っていうもんが怖くなってきたわ……」
そのような話をしていると、サイベの恐怖も幾分か紛れたようで、体の震えは止まっていた。それを確認して、リンは奥へと銃口と光を向けながら進み始める。リンに一歩半ほど遅れて、サイベが続いた。
リンの心配は杞憂に終わった。
奥の部屋で、あのゴロツキ連中が手ぐすねを引いて待ち構えているということはなく、そのご神体を目の当たりにすることとなった。
美しい。
そのように形容するほかない像が、広い空間に倒れていた。サイズにして、30メートルくらい。あの壁画と同じ姿をしたバステトが、砂が積もる床に寝そべっている。その姿さえ神々しく、横になっているこの姿も涅槃像のように狙ったものかと錯覚してしまうほど。だが、違う。何らかの原因でこうなったのだ。女神をかたどったそれは、直立しているのだから。
よくよく見てみれば、その像には細かい傷跡があった。倒れた時による衝撃だろうか。それとも、木製ということだから年月の経過とともにボロボロになってしまったのか。傷だけではなく、豪奢だったに違いない、金や赤の塗装はすっかり剥げてしまっている。だがそれが、独特な風合いを生み出していてまた美しい。
「はじめてみたわ……」
倒れた像を見て、サイベがほうと息をついた。感慨深げな彼女を横目に、リンは女神像へと近づいていく。
「ちょっと、何するつもり?」
「何もしない」
近くで、まじまじと見たいだけであった。
近くから見上げれば、その威容はいや増した。やはり、像には多くの傷がついている。その中には、穴のようなものもあった。槍のようなもので突き刺されたような。しかし、像のサイズ感からすれば、リンの腕ほどの穴を開ける槍というのは、巨大なものとなる。
例えば、エグゾスターが携行している武器のような――。
リンはかぶりを振った。
天井を見上げれば、中央が崩落していた。砂色の空は星形に見える。誰かが人工的に破壊したのか、それとも単なる偶然か。
神殿の中へ視線を戻したリンは、手を伸ばす。ご神体に手を触れるのはどうかと思ったが、何かを信仰しているわけではなく、神様を恐れているわけではなかった。
ただ、手を伸ばしたのは好奇心から。
指が、ご神体の木目に触れた瞬間。光が弾けた。だが、それに当の本人は気が付かなかった。
リンの意識は、その場になかったのだ。
眩い閃光の中に放り出される。なにが起こったのだと、リンは周囲に目を凝らせば、そこは変わらず神殿だった。だが、違うのは今ほど荒らされていないということ。
リンの目の前には直立するご神体――バーストの姿があった。
「ここは過去――」
過去の再現に違いない。どうしてそう思ったのかリン自身わからなかった。だが、そうに違いない。
不意に、風切り音がした。
天井を突き破って何かが飛来し、バーストへと突き刺さる。槍だ。リンが飛来物に気が付いた直後、何本もそれは飛んできた。それらはあたわずバーストを捉え、ゆっくりゆっくりと、穿たれた像が倒れる。
倒れた衝撃で地響きが響く。建物を揺らし、穴の開いた天井を崩落させる。大理石でできた天井は、リンの頭上にも降り注ぐ。
思わず、リンは両腕で庇う。そんなことをしても助からないとわかっていても体が勝手に動いた。
だが、痛みはなかった。
あくまで目の前で繰り広げられているのは再現でしかないのだ。
ふうと息をついたリンは、嫌な気配を感じて、天を見上げる。
星形に切り抜かれた天井。そこからは月夜がよく見えた。砂嵐の皆無な、静謐な夜に浮かぶヒキガエルのような巨大な物体が見下ろしてきていた。
あれは――。
「ちょっと! 起きなさい!」
ブンブンゆさゆさ体を揺すぶられる感覚に、リンは目を覚ます。ぱちりと目を開けると、眼前にはサイベの心配そうな顔が、ぱあっと輝くのが見えた。
「私は」
「ご神体に手を伸ばしたかと思ったら、アンタ、倒れたのよ。それにご神体は光り始めるし……!」
意味わかんない、とこぼすサイベの向こうのご神体は確かに輝いている。
いや、変化はそれだけにはとどまらない。
リンは手をつき、立ち上がる。体はふらついたが、動けないほどではなかった。軽い脳震とうかもしれない。
「動かない方がいいわ。ねえったら!」
心配の声には耳を傾けず、リンはご神体へと近づく。
リンが手を触れた部分の木が、偶然にも剥がれていた。その先にあったのは、光沢のある――。
「金属……?」
どうして金属が中に。
湧き上がってきた疑問は、遠くから聞こえてきた音によって遮られた。その音は、砂塵の中にあっては些細なものであった。だが、遺跡の出入り口の方からするとなれば、話は別だ。
リンは無言で手を見る。そこには気絶してもなお拳銃が握られていた。シリンダーを確認。弾丸は六発すべて装填されている。どこも壊れた様子はない。
出入口はほんのりと明るく、人影はない。だが――。
サイベのことを一度見てから、リンは駆けだした。
「あっちょっと!」
そんな驚きの声を背後に聞きながら、リンは部屋を飛び出した。目と耳に意識を集中させる。誰かがいても、見逃すつもりはなかった。
あえて、部屋の中央に陣取ったリンは、周囲へ向けて拳銃の銃口を向けるように、周囲を見渡す。だが、誰もいない。誰も反応を示さなかった。あの連中であれば、このような機会、喜んで姿を現わしそうなものなのに。
「別の人間が来ている――いや違う」
音は、外からやってきていた。それも遠くから。
銃を腰に収めたリンに、サイベが追い付く。
「いきなり走り出して、今度は何?」
「音がする」
「音?」
「ああ。外からそれも遠くからだ」
言いながら、リンは神殿の外へと出た。
外へと出れば、その音ははっきりと聞こえた。
爆発音にも似たくぐもった音が、断続的に聞こえてくる。音の方角は、自らつけた足跡が伸びる方。
キャットインの方。
不吉なほど真っ赤な空に、黒い波線が伸びている。一本二本三本……。
それが何を意味するのか、リンはすぐに理解した。
あの連中は、リンに復讐つもりなどなかった。リンの実力に恐れをなした。リンに対して抱いた敵意は間違いなくあっただろうが、それをリンにぶつけることはできなかったのだ。
振り上げた拳は、どこかへと振り下ろされなければならない。
下ろされた先にいたのは、キャットインの人々。
リンは走り始めた。今度こそ、背後のサイベなど気にしてはいられなかった。
彼らが虐げられる理由を作ってしまったのは、他でもない自分なのだから。
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