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【準備中/未完成】


1章序盤

「はっきり言います。義務教育を終えたあなたを育てる義務は私たちにはありません。中学校を卒業したら家を出て行きなさい。せめてもの情けで1年目だけは最低限の費用は出して差し上げましょう。ただし、2年目からは自分でなんとかしなさい。それを見越した上で進学するのなら高校選択をすること。話は以上です」


 そう母親に冷たく言い放たれたのが、高校見学会の前日。予想はしていなかったが、別に驚きもしなかった。


 もう母親は娘である藍に興味も用もないということを知っていたからだ。藍はただ「分かりました」とだけ返事をする。母親は既に別のことを始めていて返事なんてないから、藍の言葉が伝わっているか証明するものは何もない。


 母親のこの宣言は、「藍を捨てる」という宣言であると言っても過言ではないだろう。しかし藍はそれを聞いてもなお縋ることも怒ることもせず淡々と食事を食べ、入浴し、明日の準備を済ませベッドに入る。そうして目を瞑った。


「藍、藍! 起きてるか? それとも寝落ちしそう?」


 切り揃えられたサイドの髪が顔を隠す。俯くその表情は隣を歩く優斗からは見えず、肩を叩いて反応をみた。


 藍と呼ばれたのは、顎より少し長いサイドの髪、後ろは腰の辺りまで伸ばされている、邪魔にならないように低い位置で一つにくくられている濡羽色をもつ少女である。

 

 自宅ではありえないような優しい声がけにゆっくりと横を向いた。どうやら昨日のことを思い出してぼうっとしていたようだ。


「ううん、大丈夫。眠くはないよ。昨日のことを思い出してだけ。私、優斗の話聞き逃したりしてた?」


「いや、してないよ」


「そっか、よかった」


「なんか悩みとかあるなら聞くぞ? 俺でも解決の手伝いできるかもしれないし」


 陽の光に焼かれて、藍ほどではないが黒い髪を、運動する時に邪魔にならないように短く切り揃えたスポーツマン。元の体格の良さに加えて、剣道で鍛えた体はガタイがいい。何も知らない人から見れば、威圧感があり一歩下がってしまいそうな容姿とは正反対な話し方をする少年は、優斗と呼ばれた。


 藍は言うかどうか迷ってから、言う方を選択した。


「……えっとね、私は公立高校にしか行っちゃダメで、一人暮らしもしなきゃいけないんだって。どうしたらいいと思う?」


 母親も父親ももう藍には興味も用もない。だから捨てられるのは当たり前。この先どうしていくか現実的に考えなければ。


(そうは分かっていても、やっぱり悲しいな)


 分かっていても心は痛む。言葉にすると自分に言い聞かせているみたいで余計にだ。


 だから住むところは? 諸々の費用は? いずれ行われるであろう三者面談とかどうしようと現実的なことを考えて痛みを誤魔化そうとしていたし、まあ、この悩み自体はいずれ決着をつけなけらばならない物だから真剣に考えていた。


「じゃあ俺の家族になるか。そしたら俺ん家で暮らせるぞ!」


「いきなりすぎない? そういうのはもっと手順を踏んで行うものでは?」


 藍の心臓が跳ねた。いきなり家族になるだなんて。


「て言うのは冗談でぇ」


 優斗みたいに優しくて、ちゃんと目を見て接してくれるような人が家族であったらよかったと思ったことは何度もある。


(本当にそうであれば、私はもっと幸せだったのかな……)


「ねぇー、私は割と本気で考えてるのよ、今後のこと。馬鹿にしないでったら! 本気で鳩尾狙って抉るように殴るよ!」


「具体的かつ正確に痛いところ痛そうに突いてくるのが末恐ろしい。さっきのはマジで冗談なんだけどさ、今回のは大真面目。……俺が高校進学してから住む予定の部屋、余ってるから来る?」


「いいの? 私家族じゃないけど、一緒に暮らせる?」


「幼馴染だから。それに、俺が世話焼くの好きなの知ってるだろ。あ、ほら説明会始まるみたいだ。急ぐぞ」

 

 遠くからアナウンスが聞こえてくる。どうやら学校説明が始まるようだ。優斗は藍の手を引いて走り出した。


 その間も、藍の心臓は跳ねっぱなしだった。心なしか顔も熱い。こんな感じのことは度々ある。一体何が原因なのだろうか。


(友達には恋じゃないかって言われたけれど)


 藍はこれが恋だとは言い切れなかった。言い切りたくなかった。認めたら優斗と今の距離で居られなくなる気がするのだ。それだけは嫌だ。


「ちょっと優斗。待ってってば」


「ごめん、早かったか?」


「違うのあのね、さっきの話、お願いしてもいい? 優斗の部屋にお邪魔するって話」


 説明会の会場である体育館に着いた。優斗は徐々に速度を落として、その歩みは歩くくらいの速さに戻った。藍もそれに合わせて走るのを止める。


 優斗は振り返って、藍に目線を合わせてニッカリ笑った。


「おう、いいぞ」


 同居の合意がなされた。藍はその事実にまた、胸がドキドキ言っている。


(春からは優斗と一緒に暮らすのね)


 自分だけ心をかき乱されているのも何だか嫌で、藍の手を引いてちょっと前を歩く優斗を見上げる。どうやら優斗は何とも思っていないようだ。


 藍の思うような結果は得られなかった。けれど、


「良かった。優斗なら、私のこと助けてくれるかもって思ってたから」


 きっと下心があって相談を持ち掛けても優斗ならきっと助けてくれる。そんな世話焼きで人を見捨てられないのが藍が思っている優斗の人物像であった。


 

3章途中から 虹色の芋事件

 異世界へ転移して数日が経った。藍と優斗は神官による即席授業と、街の散策を経て小国「ルベウス」のことをなんとなく分かってきたところである。


 神官にも、もうこの国で暮らしていけるだけの知識はあるであろうとお墨付けを受けた。つまり、授業は終了だ。


 二人にはありがたいことに、神官は一日の多くの時間を授業に割いていたから、その授業が終わりを告げると言うことは、同時に自由時間の出現とも言える。


 そこで、藍と優斗は神官に交渉をした。


「神官様、お願いがあるのですが」


「はい、なんでしょう。私共にできることがあれば、何なりとお申し付けください」


 神官は薄く笑みを浮かべ、話しかけてきた藍の方を向いた。


「あの、何かお手伝いできることはありますか?」


「手伝いと言いますと」


「確か孤児院やら兵舎やらでは雑用が出るからそれを仕事にする人たちもいるって言ってただろ。炊事とか洗濯とかなら魔法が使えない俺たちにもできるかもしれない」


 優斗が自分たちが思う手伝いに関して補足をする。


「お部屋も借りて、食事も準備してもらって、こちらの世界の知識も教えてもらって。いただいてばかりです。どうか私たちに恩返しさせてください」


 ただ与えられた部屋に引きこもって帰還の準備が整うまで待つこともできた。だが、真面目な藍と優斗は、怠惰に生きることをよしとしない。部屋を与え、食事を与え、知識を与え、この国で生きることを全力でサポートしてくれた人々に報いて時を待つことをよしとしたのだ。


「そんな、恩返しだなんて。我々の世界が貴方達を巻き込んでしまったのです。来てしまったこちらの世界で生活できるように、物資と知識を提供するのは当たり前のことです」


ですが、と神官は言葉を続けた。


「ありがたいお申し出です。ぜひ手伝っていただけますか?」


 神官は二人の申し出を快く受け入れた。授業の間接している感じだと、どうやら藍も優斗も人に何かしてもらったのならば、何か同等かそれ以上のものを返差なければいけないと思っているタイプのように見えた。


 神官はその職業の性質上たくさんの国民と関わっているから分かる。この手の人間は、与えるだけだと申し訳ないと思って、落ち着かくなるといことを。


 手伝いをお願いした時の藍と優斗の表情は明るいものであった。人の役に立てるのだと喜びに満ちていた。


(いきなり知らない土地で生活しなければいけない二人の気分が少しでも晴れればいいですね)


 神官が初めに割り振った仕事は炊事だ。ルベウスには国を防衛する部隊があり、それに所属する兵士たちが暮らす兵舎での仕事である。兵士は数がいる上によく食べる。その準備には人手が必要なのだ。


 神官は場所がわからないだろうと、藍と優斗を兵舎のキッチンまで連れて行き、事情を説明して手伝いに加わる旨を伝える。そこで準備していた者たちは、戦力が増えたぞ! と歓迎した。


「野菜の皮むき、鍋の番、炒める作業! やることは山ほどあるんだ! 戦力が増えてくれて嬉しいよ、よろしく!」


「はい、よろしくお願いいたします」


「よろしく!」


 藍と優斗がキッチンで任された仕事は芋の皮剥きだった。


 藍は弟が産まれてから食事の準備を親がしてくれることがなく、必要に駆られて炊事を自分で覚えた。優斗は弟や妹たちに美味しいものを食べてほしくて、適当なものしか準備して行かない親の代わりに料理をしていた。


 つまり藍も優斗も炊事ができる上に経験豊富であると言うことだ。任された芋の皮剥きもスルスルと進めていく。その手際は間違いなく歴戦の主婦にも負けないものであろう。


 軽く会話を交わしながら、芋を剥いて、剥剥く前の芋が山積みになっている籠とは別の籠に放り込んでいく。皮は足下のボウルに溜めておく。これも後で調理したり、畑の肥料にしたりと利用するのだ。


「ね、ねえ。ちょっといーい?」


 意を決したように別の作業をしていた者が話しかけてきた。

 

「なにか違うことしちまったか? 俺たち」


「いや、平気よ。芋の剥き方なんて剥けてればなんでもいいし。それよりも私が聞きたいのは隣のお嬢ちゃんよ」


「私、ですか?」


「なぜあなたの芋は虹色に輝いているの?」


「えっ、あ、本当だ。あれ、これってこういうものなんじゃ」


「断じてないわ」


 話しかけた者は、食い気味に否定した。

 皮を剥く前の芋は普通の芋だ。だが、藍が一枚皮を剥いた下はなぜか虹色に光り輝いている。


「これ何? なんで? 仕組みが全くわからん」


「目に痛いほどのカラフルさね」


「魔法なの? でも元の世界に魔法ってなかったんだよな?」


「は、はい。ないです」


「魔法なら魔力と食材の化学反応が起きたとか、魔力が暴走して色変えの魔法かけちまったとかあるんだけどな」


「藍ちゃんだっけ? 魔力持ってたりするの?」


「分かりません、あの」


 自分が何かしてしまってそれを責められていると感じている藍は、緊張して口からなかなか言葉が出てこない。そんな藍の少し前に優斗が庇うように出て代わりに話す。


「特にあるとかないとか、こっちの世界に来てから調べてもないし、そんな話もなかったな」


「なるほど」


 何が原因か議論せども、結局推測の域から出ることはない。問題は山積みだが、急ぎのものはただ一つ。


「これ、食べれるの?」


 その場にいるほとんどの人の気持ちが一致した瞬間である。


「ただいまぁ〜、今日の晩御飯なんですかぁ?」


 どうやら訓練を終えた兵士たちが帰ってくる時間になっていたようだ。キッチンの外から沢山の足音と剣が鎧に当たる音が聞こえてきた。


「ちょうどよかった! カイ、あんたこれ味見していいよ!」


「うわぁ、虹色の芋だぁ! 新しいメニューですか? 彩があっていいですね。いただきます!」


 カイと呼ばれた人懐っこい子犬のような少年はなんの躊躇いもなく芋を口入れた。


「あれ? ただの芋の味しかしない? しかも生??」


不思議そうにしながらも咀嚼はやめない。


「カイ、体に異変は?」


「ないですよ〜、あれ? もしかして僕、今実験台にされてます?」


「ないならいいのよ。さあ、私たちはまだ準備があるから、いったいった!」


 不思議そうな顔をしながらも背中を押されてキッチンからカイは閉め出されてしまった。


「よし。このまま晩ごはんに出しましょう。手を止めちゃってごめんね、藍ちゃん。皮むきを続けてもらってもいいかしら?」


「はっはい」



7章冒頭

 与えられた部屋のベットに寝転がり、天井を見つめていた。その目に映るのは幼き日の藍の姿だ。


「あのね、弟が生まれてからね、お母さんがわたしのこと見てくれないの。なんで? なにかわるいことしちゃったのかなぁ」


 まだ幼さを残した瞳からは大粒の雫がこぼれ落ち、小さな両手はスカートの裾を握りしめている。きっとこれ以上大泣きしないように堪えているのだろう。


 この時俺はどうしてやったのだろうか。 


 抱きしめてなぐさめた? 

 

 それともただ何もできずに狼狽えていた?


 弱々しく泣く藍の姿ばかりが思い出され、自分がどうしたかは思い出せない。


 なのに藍のことは、その出来事がまるでそれが昨日起きたかのように思い出せる。


 それこそまだ小学校に入学してすぐの頃から、異世界転移という想像すらしていなかった事態に巻き込まれた今までの全てを。


 だからこそ分かる。藍は異世界に転移してから変わった。悪い方向にではない。いい方向にだ。


 どちらかと言うと引っ込み思案だった藍が、今では自分から進んで他人とコミュニケーションを取ろうとしている。魔法だって覚えて人の役に立とうと、俺のそばを離れていく。一人では怖いからと、俺のそばから離れなかったあの頃の藍はもういなくなりかけている。


——俺は、こんなにも自分の足で立てる藍のことは、知りたくもなかった




 

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②マラカイトの花束 大和詩依 @kituneneko

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