第二十四話 ずっと欲しかった物は――(終)



 契約が途切れないのが大事なのではなく、契約を解除するまでの関係性や。何を得たかが悪魔にとっては大事だった。


 悪魔にとって今まで契約してきた人間は全て不可解だった。


 その中で最たる不可解はファウストだった。ファウスト博士と契約し、天国へ行ってしまった契約者との遣り取りは快活だった。

 悪魔は――メフィストフェレスだ。神と賭けをし、負けた。すんでのところで逃げたのだが、年々天国へ懸想していく。

 悪魔たる自分が何故この思いを抱くのか判らなかった。ただ、理性と知恵をもちながらすんなりと天国へ行ける人間という生き物が、悪魔には羨ましかった。

 悪魔には知恵があっても理性があっても、共感はない。だからこそ、ただ一人抱えて誰にも告げられない思いで悪魔は苦しみ続けていた。

 一人の魂をそんな折りに見つけた。賢そうでもない、美しくはあるが特別派手なわけでもない。ただ存の心の成り行きは気になった。


 悪魔は、存を理解したかったのだ。理解すれば、憧れの人間がどのような生き物か、少しだけ判るような気がした。


 天国へ行ってみたかった、とはいえ悪魔は悪魔。


 メフィストは飽きたのだ。いつまでも飽きないゲームは存在しない。天国行きへのチケットが欲しくて金を何度も何度も貯めてはいるが、一向に行けない。

 存を追い込んで殺してしまおう、とすんなりと考えた。これ以上は存は契約してくれそうにない。

 宣言通り、存は地道に働き始め、事務所も畳んでしまった。顧客達が寂しがって悪魔に声をかけるのが何とも気怠かったのだ。



「映画面白いものがやってる」

「へえ昔のシンガーのドキュメントか! 少し興味あるな」


 スマホから流れる動画の広告に、興味深そうに疾風が覗き込んで、スマホが見えづらかったのかスマホを少し位置調整しようと存の手に触れただけ。たったそれだけでスマホはまたショートした。

 存からの非難の眼差しに疾風は話題を切り替える。


「悪かったよ映画のチケット奢るよ」

「おれは知らなかったな。チケットを稼ぐ金でさえ今は必死だ、でも今の方が楽しい」


 存は実感のこもった声で微苦笑すれば、疾風もよしよしと撫でる。


「人間らしくなってきたな、最近。帰りにみんなで焼肉にでもいくか」

「待ってください疾風くん! そこはお寿司でしょう、日本の文化といえばお寿司でしょう! オレは食べたことないんです、ねえ!?」


 アルテミスが風呂掃除から戻ってくれば雫を垂らしながら、必死に疾風に訴える。

 存と疾風は笑っていたのだが、ふとした瞬間に疾風は窓辺を見つめた。

 ちらりと存の指先を見やるが、あれから存には赤い糸は一切出なくなり、弓も青い糸を失って通常の人間に戻った。

 感覚も直感も、ある程度鈍くなった人間だ。

 疾風はアルテミスと視線で会話し、存の両手を握りしめた。


「風邪は引かないように」

「ん?」

「そうっすねえ、存さんはお腹出して寝るから。それだけは心配です」

「あとは自炊下手でもハンバーガーで済まさないこと。料理もお前には才能あるから、覚えるよきっと」

「料理のメニューも今までの見てきて覚えてるんじゃないんですかねえ」

「二人とも何の話をしてるんだ」

「存、もう。お前には僕たちは必要ないってこと。もしも、また会えたらDVDでもいい、さっきの映画一緒に見てくれ」


 疾風は存の両目に手をあて、おやすみ、と囁けば術がかかり存はすやすやと眠っている。

 この調子であれば三時間ほどはもつだろうか、と疾風はアルテミスと一緒に外へ出る。

 外へ出ればメフィストフェレスが、存の姿を借りて苛ついている。


「君たちにはがっかりだ。何度私は契約を無効化されるんだ」

「一億ずつ支払ったはずだ」

「他人の金など認めない、返金したよ受け取れない」

「ならこれはどうだ。うちの山を売り払った金だ、金はある」

「お前……ッ大事な子との約束だったんじゃないのか、山を守るのは」

「いいんだもう。時代も変わっていくなら、思いも変わって良いはずだ。固執してもいいこともない、変化も大事だ。存を変化する切っ掛けになるならあいつも喜ぶ」


 疾風は神聖さを失っている。山からの愛は尽きていて、気配が変わっている。

 山の化身ではなく、ただの妖怪となった様子で、今までの強さを感じなくなっている。

 疾風は悪魔へぺたぺたと裏手で、頬を叩いて笑った。


「僕の契約はなされていないも同然だ、存じゃなかった。最初、僕が望んだのは存じゃなかったんだ。確かに友達は得たが、詐欺も同然だ。そこんとこはどう思う?」

「……何が望みだ、願いをただで叶えればいいんだろう?」

「理解早いところ助かる。僕の願いを引き受けてくれるなら、僕も無茶は言わない」


 にっこりと疾風は笑いかければ、錫杖を現し、その先を悪魔の喉仏に押しつけた。


「存と関わるな、もう存に契約を持ちかけるな金輪際近づくな」

「……馬鹿馬鹿しい、それで私がいなくなったからといって、あの人間は悪魔を魅了し続ける。不安定な生き物に、皆惹かれるんだ」

「そこらへんは大丈夫。存ならもう安定したんだ、だから後は僕たちがいなくなるだけよ。そしたら存には危うい存在は来ないはずだ。嫁さんも守ってくれるしな。立つ鳥跡を濁さずって言うじゃん?」

「……断ったらどうなる」

「お前、天国に行くために金を貯めていたんだってな、粉雪から聞いた。元神聖の身だ僕は。断らない方がきっとお前にはお得なんじゃないかな、僕の口利きで天国に行けるかもしれないのだから。妖怪と神は紙一重だぞ?」


 悪魔は快活な笑みを浮かべて、げらげらと大笑いした。何故大笑いするかは判らないが、疾風には悪魔にとって愉しさが全てだと思っているので良い傾向の気がした。

 悪魔は錫杖を避け、衣服を正して笑いかけた。


「宜しい。ただ、代償は戴くぞ。これはお前への契約違反に関係せず、必要な代償だ。お前たちが選べ、何を差し出す?」

「……記憶を差し出そう。存との楽しかった日々を、差し出すよ。何もなかったことになる、それで充分だろう?」

「お前たちのみならず存からも記憶を消すぞ?」

「それでいい、って話し合ったんだ。アルテミスと。さあ、お別れの時だ。メフィスト、沢山迷惑をかけた。感謝してるのも本当だ。だけど、これ以上側にいると駄目だ」

「存さんに必要なのは日常なんです。非日常が日常になっていくのは、駄目なんです」

「……独水社長なら大喜びしそうな、話だな」

「話して反応が見られないのが残念だ」


 疾風の言葉に、悪魔が笑ってぱちんと指を鳴らした。

 それが合図で目の前から悪魔が消えた。





「遅い。あの人はいったい何をしてるんですか、まったく。スマホも持ってないんだから連絡とれないし」


 駅前でアルテミスは時計を眺めて、顔を顰める。待ち合わせしているのは疾風だった。

 縁が不思議なもので、疾風とは偶然同じ街に長い間の記憶喪失を共有していた。いつからか記憶がないのも疾風と同時期だったし、ずっと探していた首をいつの間にか手にしていたのも不思議だった。

 一度故郷に戻ったときオルタナに報告すれば、オルタナは少しだけ寂しげに笑っていたのが印象強い。

 疾風とはそこから気が合い、交流するようになり。日本に遊びに行くたび、時折遊ぶくらいにはなっていた。

 今日も日本に来日したために、アルテミスは疾風と待ち合わせをしていた。

 お寿司を今日こそは奢って貰うと約束している。


「はー、眠い眠い。お前早いな朝」

「朝じゃないですよ、昼ですよ! もう十二時なんです! 映画どころじゃないでしょう、今からならいっそお寿司が先です!」

「よく廻るお寿司でいいか? お前生魚ほんとに食えるの~?」

「舐めないでいただきたい! いつのまにか食べられるようになってました! 安いところでもいいですけど、高い品を頼みまくりますよ!」


 疾風が呆れながら、アルテミスの顔をじっとり見つめている。じっとり見つめてから嘆息をつけば、いつもの悪い癖だと呆れた。


「この顔に思い入れがなにかあるのは判りますが、人の顔に溜息やめてください」

「お前じゃないのに。その顔が何だかもやもやしてな」

「記憶喪失のときになにかあったんですかねえ」


 信号が青になる。待ちくたびれたアルテミスは、信号を白い線だけ器用に足を乗せ歩き出す。遅れた疾風はのったりと欠伸している。向かいがわにも信号を渡ろうとする人々がいた。

 アルテミスと疾風は、交差点で知らず知らずのうちに弓と存の二人と通り過ぎ。ぎょっとした二人は存へ振り返れば、存と弓は此方を見ずに手をひらひらと振っていて。


 たまたまもっと先に粉雪がいたからなのだと、すぐにアルテミスは察したが、それでも何処か暖かい気持ちが満ちる。

 立ち止まっていた二人は信号から鳴る音に急かされて、さっさと歩道を渡れば、車が物凄い勢いで行き交っていく。

 アルテミスは、口元を押さえてにやけるのを隠していた。



「バグですね」

「……何回も契約切ったり結んだりしていたから、麻痺したんだな、効能が」

「悪魔からの祝福だったりして」

「それは流石に美化しすぎだ」


 疾風の様子を見れば、はにかむ疾風。二人して存の記憶を同時に取り戻したのだと、改めて実感する。

 それでも存たちは思い出せていない様子だから。たまたま奇跡的にお別れの合図のように、手がむけられたのだと解釈している。


「見守るのも駄目ですよ疾風くん」

「判っているよ、日常と普通の境目を区切るべきだ。僕たちは非日常、もう、関わるべきじゃない。仲良しの主従ごっこは終わり」

「オレは思うんです、存くんはたまに蝶々みたいな人だった。気楽に誰かのところにふらふらしていって、綺麗さを魅せるんです。でも蝶々は儚い」

「でも見てみろよあの笑顔。きっともう……墓は要らないんじゃないかな、あいつには。蝶々に墓なんて要らなかったんだ、ありゃ価値をもう自覚してる顔だ」

「あの笑顔はお墓より、式場のが近いですね。いやでもある意味墓場なんですかね、結婚っていうなら」

「綺麗に纏めるお前の会話、僕は嫌いだな」


 疾風の言葉にアルテミスは笑い、そうっと指先に金色の蝶々を生み出す。


具現・雨コピーライト・ミューズ


 アルテミスは存たちのもとに、晴れながら天気雨を降らせた。疾風が自分たちも濡れるので非難がましい眼で此方を見つめたので、アルテミスは楽しげに笑った。

 金色の蝶々は人には見えない状態で、存と粉雪に赤い糸を巻き付けている。今度こそきっと、縁の糸になればいいと願いながらアルテミスは幻覚(ちょうちょ)を消した。


「狐の嫁入り。粉雪さんの嫁入りの、祈願です。もう本音を言われてるのかなんて、心配しなくていいんですあの人は」

「そういうセンスを何故オルタナさんに出来ないのか……残念なやつだな」

「さてと。お寿司屋さんまで走って行きましょう」

「あー、行くとき洗濯物干すんじゃ無かった」


 アルテミスと疾風は、虹が架かった天気の中で走り抜けていく。

 足取りは不思議と軽くて、今にも空を飛べそうな足取りだった。









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異能悪魔交渉術 かぎのえみずる @hyougozaki

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