尻があるなら問題ない

 僕が近所の高校に入学して、半年が過ぎようとしていた。

 電車通学をしてみたかったという思いもなくはなかったが、無理に遠くの高校を選ぶような優等生の友人もいなかったし、今の生活を崩してまでいい大学を狙うという向上心もなかった。

 それに、幼馴染の優奈と同じ学校でいたかった。お互いに中学二年の冬あたりから互いを意識しはじめ、友達の協力も得て、受験の真っただ中のクリスマスにデートし、そのまま勢いで告白をした。

 デートの間、優奈は緊張して表情が硬かったので心配だったが、すぐに返事を聞いて両思いだとわかった。受験のこともあってすぐに交際を始めようという気は双方ともになく、合格発表まで我慢して、卒業式の日に初めて周囲にオープンにした。

 その時、僕らの中を取り持っていた二人の友達も、一足先に交際を始めていたことを知った。昇と聖子だ。高校入学後は四人でダブルデートを繰り返し、夏には海辺で初めてのキスをした。奥手な僕と優奈にはいい刺激となったが、歯止めが効かなくなりそうで少々心配でもあった。

「今日、転校生が来るらしいぜ」

 通学中の僕と優奈に、昇が話しかけてきた。

「そうなんだ。男子?女子?」

 僕が聞き返すと、優奈が反応した。

「えー、洋二ってば、女子だったらどうするわけ?」

「え?いや、別にそんな深い意味はないけど」

 優奈は最近、遠慮なく絡んでくる。聖子ほど独占欲をむき出しにしているわけではないが、公認のカップル、という安心感があるのかもしれない。

「僕が好きなのは、優奈だけだよ。これまでも、これからも」

 僕もその気になって、甘い言葉で応戦する。すると優奈は照れながらも、はにかんで笑いかけてくる。僕はその笑顔にそこはかとなく魅了されて、この場で見つめあってしまいたくなるのだ。

「はいはい、見つめあってないで教室入ろうぜ、バカップル」

 優奈はあっかんべーをして、自分の席に座った。そしてまた僕のほうに振り向いて、軽く手を振る。僕が手を振り返すとほぼ同時に、担任が教室に入ってきた。


「転校生を紹介する。浣腸一発くんだ」

「カンチョーだ。よろしく頼む」


 ◇◇◇


「まてまてまてまて!いくら何でも、これはないだろ!!」

 俺はPCのキーボードに両手を叩きつけて叫んだ。

「十秒だ。マスター、命令をよこせ」

「やかましい!これはギャルゲーのストーリーの導入部だぞ!?ガチャの要素なんてこれっぽっちもないだろ!俺がやってるゲームに手あたり次第乱入しやがって、いったい俺に何の、ウッ、恨みがあるんだ!」

 長台詞の間に一発食らった。

「登場人物には全員尻がある。何の問題もない。十秒だ。マスター、命令をよこせ」

「だからまずカンチョーをやめろ!」

「出来ない」

「チクショー!だったらもう、いっそ刺しっぱなしにしやがれ!!」


「…俺が悪かった。抜いてくれ」

「承知した。十秒だ。命令をよこせ」

「まず、お前の目的を話せ」

「カンチョーで敵を斃すことだ」

「敵って誰のことだ」

「ゲーム内でマスターが戦っている相手のことだ。いなければマスターに受けてもらう」

「ギャルゲーの導入部のどこに斃すべき敵がいるんだ。それもカンチョーで」

「下半身に関しては、よっ、一般のゲームより強者が多い。十秒だ。命令をよこせ」

「こ、答えながら刺しやがったなコノヤロウ。わかったよ、だったら先生を斃せ」

「了解した」


 ◇◇◇


「か、浣腸君、いきなり何を…ッ」

 教壇でうずくまる担任を、フンドシ一丁の転校生が見下ろしていた。僕らは、事態が理解できず、ただ見守っていた。あの転校生は一体何をしているんだ。

 次に転校生は、僕を指差してこう言った。

「敵を斃した。次の命令をよこせ、マスター」

 教室のみんなが一斉に僕のほうを見た。

「め、命令って何のことだ!人聞きの悪い!!お前は一体なんなんだ!」

「十秒だ。早く命令をよこせ、マスター」

 僕はどうしていいかわからなくなって、昇を見た。

「洋二、お前…」

「違う!初対面だ!信じてくれ!!」

「その男か。了解した」

 え…という間もなく、フンドシ姿のマッチョは昇の後ろに回り込んだ。

 短い悲鳴のあと、昇は尻を押さえて倒れこんだ。

 静まり返る教室。

「次の命令をよこせ、マスター」

 その言葉を皮切りに、生徒は一斉に悲鳴を上げ、我先に廊下へと逃げ出した。


 ◇◇◇


「親友までやっちゃってんじゃねえか!」

「既定のシナリオだ」

「嘘つけ!」

「次の命令を寄越せ。十秒だ」

 もう嫌だ。いったいどうしたらこいつを止められるんだ。

 藁をもつかむ思いでスマホに話しかけてみた。

「Hey Siri、こいつにカンチョーをやめさせてくれ」

『デリケートな性の話にはアドバイスできません』

「チクショー!」

「命令を、よっ、寄越せ、マスター。十秒だ」

 また話しながらやりやがった。いい加減俺の尻も限界だ。


 ええい、もうどうにでもなれ。

「そんなにカンチョーしたいんだったら、内閣総理大臣にでもカンチョーしてきやがれ!ゲームじゃなくて、本物の総理だぞ!!出来るんだろうな!!ええ!?」


 はじめて、フンドシ男が少し躊躇した。

 だが、断りはしなかった。

「…承知した」

 あくまで涼し気な表情のまま、淡々と答えた。

「少し時間をもらう。終わったら戻ってくる」

「戻ってくんな!」

 フンドシ男は、玄関から静かに出ていった。

 少ししてパトカーのサイレンが聞こえたが、気にしないことにした。

 その後はゲームも滞りなく進行し、途中のサイコじみた展開を乗り越え、メインヒロインのハッピーエンドまでたどり着いた。久しぶりのコンプリートに満足し、俺は安眠についた。


 翌朝のニュースで、総理が暴漢にあったという事件を知った。

 セキュリティの目をかいくぐり総理を背後から襲ったフンドシ姿の暴漢は、標的の臀部に裂傷を負わせたものの、セキュリティに射殺されたとのことだった。

 第一報を聞いたときはだいぶ慌てたが、そのうち(自分がやらせたという証拠もないしな…)と思い直し、夕方にはすっかり忘れていた。


 だがそれから数日たって、フンドシ姿の暴漢が総理に襲い掛かる事件が相次いで起こるようになった。

 みんな、あのカンチョー男の始末に困っていたんだろう。政治への不満もあったのかもしれない。

 ひと月ほど同じような事件が続き、最終的に総理は体調不良を理由に辞任した。

 最後は、ワイドショーのコメンテーターも苦笑いするのみだった。


 こんなくだらないことが、国際テロとして世界中の諜報機関に注目されているとは、当時の俺は思いもしなかったのだ。

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カンチョー召喚獣 こやま智 @KoyamaSatoshi

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