第四十五話 水色のワンピース姿のうたちゃん。手毬柄の着物姿のマツリさまに、金平糖を。
あたしと
敷地に足を踏み入れた瞬間、身体が震えた。鼻の奥がツンとする。泣きそうだ。パチパチとまばたきをした。
胸の辺りが熱い。目の前にある大きな日本家屋を見たのは初めてなのに、なつかしいと感じた。
家が違っても、土地は変わらない。ずっとだれかが守ってきたんだ。この土地を。
外と、空気が違う。温度も、風も、匂いも違う。
門扉を閉める音がしたので、ふり向く。伊織さんが門扉を閉めたあと、こちらを向いたので、ドキドキした。
カラカラという音が聞こえたので、そちらを見れば、空斗君が玄関の引き戸を開けて、「こんにちはー」と、大きな声であいさつをしているのが見えた。
「はーい」
と、元気な声がする。
空斗君と桜さんがなにやら楽しそうに話しているなぁと思いながら、あたしは足を進めた。桃葉ちゃんが、となりに並んだので、二人で歩く。
伊織さんはどうするのかな?
そう思ったけれど、ここは彼が住んでる家でもあるのだ。好きにするだろう。
ふり返らずに進み、玄関に入ると、桜柄の着物姿の桜さんが、にこやかに出迎えてくれた。
桃葉ちゃんとあたしは、桜さんとあいさつを交わしてから靴を脱ぎ、スリッパを履く。
「あとでお茶にしましょうね」
と、桜さんに言われたので、あたしと桃葉ちゃんは「はい」と返事をした。
そして。
先に上がって、廊下で待っていた空斗君が、「マツリさまの部屋はこっちだよー」って、明るく言って歩き出したので、あたしと桃葉ちゃんはついて行く。
桜さんは行かないようだ。
長い廊下を進んだあと、階段を上がりながら、空斗君が教えてくれたのだけど、うたちゃんとマツリさまの部屋は二階で、伊織さんの部屋は一階なのだそうだ。
二階に着き、しばらく歩く。一番奥の部屋の前に、水色のワンピース姿のうたちゃんがいた。
肩の辺りで切りそろえられている髪の毛は、今日もさらさらだ。廊下の電気がついているので、彼女の顔がよく見える。整った顔はとても綺麗だ。なんとなく、不安そうに見える。
彼女の手には、スケッチブック。
あっ、うたちゃんって、マツリさまが見えないんだよね。でも、マツリさまが書いた文字や、描いた絵を見ることはできるみたいだから、あのスケッチブックになにか書いて、コミュニケーションしたのかなと思った。
あたしたちが近づくと、うたちゃんが口を開いた。
「……あのっ、マツリさまが、空斗さんと桃葉さんには会わないって言ったのっ。
「えー?
不満そうな桃葉ちゃん。
「どうする?」
空斗君に聞かれて、あたしは「行く」と答えた。
その次の瞬間。
――目の前が和室だったので、おどろいた。
なつかしい匂い。
障子が開いてる。その向こうには窓。
あの襖の向こうに、桃葉ちゃんたちがいるのだろう。静かだ。いるはずなのに、音も声も聞こえない。
この部屋も静かすぎる。気配がなくて不安だ。頭の上にいたはずのひまわりもいない。
スリッパを履いてたのに、今は履いてない。
あたししかいない畳の上には、たくさんのカラーペン。二枚の座布団。子どもが喜びそうなぬいぐるみや人形や
木製の本棚には、たくさんの本。
木製のタンスや棚のあるこの和室が、マツリさまの部屋なのだろう。
「マツリさま?」
どこにもいないので呼んでみる。
ふと、天井が気になって、見上げてみた。いない。いないなぁ。どこにいるんだろ?
そう思いながら視線を動かした時だった。
さっきはだれもいなかった場所に、
――そうだ。思い出した。
マツリさまはいつも、手毬柄の着物を着ていた。
「そうよ。好きなの」
鈴を転がすような声。
――そうだ。心が読めるんだ。
「読めるけど、ふつうに話してくれる?」
「――あっ、うん。ごめん」
「……いいけど。
「うん、好きだと言ってたと思って……。違った?」
「違わない」
首を横にふるマツリさま。
「じゃあ、渡すね」
あたしは肩にかけているショルダーバッグから、透明なビニール袋に入っている金平糖を取り出した。
そして。
ドキドキしながら、あたしはゆっくりとマツリさまに近づいて、彼女が差し出した小さな手のひらに、金平糖をのせる。
くしゃりと顔をゆがめて、泣き出しそうな顔になったマツリさまに、「約束したのに、なかなか会いにこなくてごめん……」と頭を下げて、顔を上げる。
それから、話を続けた。
「里から出られなくなったあと、
もう一度頭を下げてから、顔を上げると、マツリさまと目が合った。
無表情な彼女が口を開く。
「あのね、ワタシは、小蝶、今は琴乃だね。あなたが悪いとは思わないの。あなたと会えなくて、悲しかったし、さびしかった。あなたに会いたいって何度も思ったわ。なんで自分だけ逃げてきたのって、
「――えっ? 敷地から出たの?」
「出たの。フジに呼びとめられて、どこに行くか聞かれたけど、小蝶に会いたいって気持ちを話したら、とめられなかったわ」
「フジって、
マツリさまだけが彼のころをそう呼んでいた。
「そうよ。それでね、結界がある場所に行ったら、桜の精霊と、水の神にとめられたの。なにもするなと。勝てる相手ではなかったの。だから、泣きながら家に帰ることしかできなかった」
せつなげな顔をするマツリさまを見て、あたしは泣いた。
涙を手の甲でふき、顔を上げると、マツリさまが金平糖を口に入れるのが見えた。
口を動かしたあと、マツリさまがぽつりとつぶやく。
「おいしい。琴乃も食べて」
そう言って、金平糖を三つくれたので、あたしも金平糖を食べたのだった。
金平糖は甘くて、しあわせな味がした。
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