第十四話 ついてくるハムスター。茶トラ猫のトラ。
悲しい夢の話をしたら、突然、
もう、お会計を済ませたようだ。
あたしと目が合った空斗君が、動き出す。
彼は、おだやかな表情で、桃葉ちゃんに近づくと、「大丈夫だよ」と、ささやいた。
なにが、大丈夫なのかはわからないけど、空斗君の声を聞いて、桃葉ちゃんは安心したようだ。
微笑み、手の甲で涙をふいた桃葉ちゃんは、「いつもありがとう。今日もおいしかったよ。ごちそうさまでした」と、空斗君に伝えた。
「こちらこそ、食べてくれてありがとう」
そう言って、ふわりと笑う、空斗君。
あっ! お礼を言わないとっ!
って、思っている間に、
「おいしかった?」
と、たずねる空斗君に向かって、「うん」と言って、うなずく栗本さん。
「それならよかった」
うれしそうな空斗君。
あたしは緊張しながら、「あの……。空斗君、ごちそうさまでした。おいしかったです」と言って、頭を下げた。
空斗君は、あたしに向かって、ニコニコしながら、「
「私は帰るけどね。用事があるから」
栗本さんの言葉に、空斗君がおだやかな表情でうなずく。
「知ってるよ。桃葉ちゃんから連絡きたから。また一緒に遊ぼうね」
「うん」
空斗君の言葉に、コクリとうなずく、栗本さん。
今、気づいたんだけど、お店で座って、長話したり、立って、長話しちゃったような気がするなぁ。
すごい、いっぱい話したなぁと、今更ながらおどろく。
新しいお客さんがいるかとか、気にせずに、うさぎのあやかしのこと、話しちゃったし。
お店の迷惑に、なってないといいんだけど……。
そう思った時、あれ? と、気づく。
「うさぎのあやかしがいない」
つぶやき、キョロキョロしてみたけれど、やっぱり、いない。
「今、うさぎがいないことに気づいたんだねー。可愛いなぁ」
空斗君に可愛いって言われたけど、なにが可愛いのだろう?
よくわからない。
みんなでお店を出ようとしたら、店長さんが近づいてきて、楽しそうな表情で、「またきてね」と言ったので、あたしたちは、「はい」と答えて、外に出た。
みんなと一緒に、つい返事をしてしまったけど、あたしはまたくるのだろうか?
♢♢♢
外に出ると、暑いと感じた。
お店の中が涼しかったのだ。
セミの声が聞こえて、いつもの世界が待ってたような。なんだか違うような、よくわからない空気を感じる。
夏の空気と、夏の風。
足をとめて、空をあおげば、青い空。
ふわふわとしたやわらかそうな、白い雲が浮かんでる。
「琴乃ちゃん」
と、桃葉ちゃんの声がした。
ふり向けば、桃葉ちゃんと空斗君、それから栗本さんがいる。
「大丈夫?」
心配そうな顔で、桃葉ちゃんが聞いてきたので、「えっ? 大丈夫だよ」と答えた。
すると、桃葉ちゃんが心配そうな顔で、「わたしの家まで、二十分ぐらい歩くんだ。ちょっと遠いし、コンビニとかもないけど、自動販売機はあるから、飲みたくなったら言ってね」と言うので、あたしはコクンとうなずいた。
「わかった」
安心したように笑った桃葉ちゃんが、タタタッと、空斗君に駆け寄り、彼の手に触れる。
楽しそうな表情で、手をつないで歩く二人は、仲良しだ。
うらやましいなと、そう思う。
鼻の奥が痛い。熱い涙がこぼれ落ちる。
視線を感じて、となりを見れば、栗本さんと目が合った。
彼女はなにも言わずに、前を見て進む。
あたしも前を向き、歩きながら、目の前の仲良しカップルの背中を見る。
ふと、だれかに見られているような気がして、立ちどまり、ドキドキしながらふり返ると、ハムスターがいた。
手のひらに乗るぐらいの大きさのハムスター。
この子、あたしが和風の雑貨屋さんから出て、マスクをした時にいた子だよね?
あっ、桃葉ちゃんがレジに向かった時にもいたか……。
すぐにどこかへ行ったけど。
えっ? もしかして、ついてきた?
よしっ! 気にしない、気にしない、気にしない。
もし踏んだとしても、あたしは悪くない。
踏みたいわけではないけれど。
もし踏んだら、ショックを感じるだろうけど。
ちょこまか動く、小さなハムスターを気にしていたら、進めない。
みんな進んでるし、あたしも行こうっ!
♢♢♢
歩いていると、建物が少なくなってきた。
畑や田んぼがある。
田んぼの稲が青々としていて、水がキラキラとかがやき、とても綺麗だ。
風が吹き、稲がゆれる。
呼吸が楽にできてるし、しあわせな気持ちになる。
ふと、狐の嫁入りを見た時のことを思い出す。
あの時、あたしは、
唐紅色の和傘を見て、すぐに唐紅色だと気づいた。
どこで、この色の名前を知ったのだろうか?
この色、むずかしいと思うのだけど、なぜだか知っていたのだ。
こんな色、絵の具や、色鉛筆には、なかったはず……。
学校の図書室の本は、好きなだけ読めるから、よく借りていたし……それかもしれない。
マンションにいても、ヒマだったから、勉強をするか、読書をするか、絵を描くぐらいしか、やることがなかったのだ。
実家にいた時は、服とか、小物とか、部屋で使うカーテンとか、自由に選ぶことができない色があったあたしだけれど、学校で使う、色鉛筆とか、絵の具なんかは、どの色も使ってよかった。
それはそれで、困ることがあって。
あたしとしては、紫色を見たくなかったし、使いたくなかったのだ。
薄紫色や藤色も、見たくなかった。
だから、紫禁止にしてほしくて、お母さんに言ってみたけど、そんなことにはならなくて、ものすごく、怒りを感じたのを覚えてる。
保育園にいたころは、確か、クレヨンをよく使っていたから、紫系の色のクレヨンを投げたりしてた。
それで、よく、保育園の先生に、怒られていたのを覚えてるんだ。
今思うと、投げるのはダメだとわかるけど、あの時は、早くこれを、どうにかしなきゃと思ってたから……。
自分のだけじゃなくて、他の子の紫系の物も、投げていた気がする。
クレヨンだけじゃなくて……。
ゴミ箱に捨てたこともあったな。
これは保育園の時だったか、わからないけど……。
本当に、申しわけないことをしたと、今では思う。
そういうことをしなくなったのは、いつからだったっけ?
あんまり覚えてないけど、たぶん、小学校低学年ぐらいだろう……。
恥ずかしいな。昔の自分が。
だけど、あのころは毎日、一生懸命だったんだ。
さびしくて、孤独で、そんな毎日の中に、嫌いな色があったから……。
よく泣いてたし、怒ってたな……。
あのころは……。
……あたし、地元にいた時は、全くと言っていいくらい、泣かなかった――って、そう思ってた。
でも。
最近思い出したけど、幼いころは、たくさん泣いてたんだ。
いつからか、泣かなくなったけど……。
怒りは、どうだろう?
紫系の色を見て、嫌だと思って、それが怒りになることはあったけど、いつからか、周りに見えるように出すことをやめたんだ。
それで、気づけば、無感情な人間だと、言われるようになっていた。
こっちにきてからは、よく泣いてるし、自分、おかしいって、そう思ったりする。
♢♢♢
心理学の授業で、感情を抑圧すると、無表情になると教えてもらった。
感情を抑圧しないためには、自分で自分の気持ちに気づいてあげることが大事なのだそうだ。
自分の気持ちを否定しないで、そのままの感情を感じてあげて、認めてあげて、泣いてあげたり、気持ちを紙に書いて、出してあげることがいいと聞いた。
だれにも聞かれない場所なら、大声で叫んでもいい。
怒りや悲しみを出してあげてもいい。
信頼できる相手がいるのなら、その相手に、
相手の心の準備ができてないのに、いきなり感情をぶつけるのはやめた方がいいと言われたな……。
だれにも見られない日記ならいいけれど、ネットで愚痴を書くのはやめた方がいいと言われた。
嫌な気持ちになる人がいるからだ。
愚痴も悪口も依存症みたいなものだから、やめるのはむずかしいと話してたな。
短大には、無料で生徒の話を聞いてくれるカウンセラーさんがいるので、その人に話すのもいいと言われた。
よく知らない相手に、自分のつらい過去や、悩みを聞いてほしい人もいるだろうけど、あたしはこわいなと思う。
だから、カウンセラーさんに会いに行ったことはない。
♢♢♢
みんなと一緒に歩いていると、大きな橋が見えてきた。
石でできた橋をみんなで渡る。
ふと、川が見たくなったあたしは、橋の途中で立ちどまり、
川を見下ろす。
水面がキラキラしていて、とても綺麗だ。
「――あっ! トラだっ!」
桃葉ちゃんの元気な声。
トラ?
あたしはゆっくりと欄干から手を離し、そちらを向く。
明るい茶色のしま模様のある猫――茶トラだ。
桃色の首輪をつけた茶トラ猫が、トコトコ、トコトコ、こっちに向かって歩いてくる。
銅色の
「暑いのにお散歩?」
桃葉ちゃんがたずねると、茶トラは「ニャー」と、返事をする。
だけど茶トラは、あたしを見てる。
なんだろう? この気持ち。
胸の辺りが、もやもやする。
トラと呼ばれた茶トラ猫は、なぜか、あたしの足元に寄ってきて、頭をこすりつけてきた。
しゃがんで、頭をなでると、茶トラ猫はうれしそうに、「ニャー」と鳴く。
銅色の
あたしと茶トラ猫は、見つめ合う。
知ってる。この子、どこかで、会ったことある……。
そう感じたあたしは、顔を上げた。
桃葉ちゃんと目が合う。
あれ? 空斗君は?
キョロキョロしたら、少し離れた場所に、空斗君がいた。栗本さんもいる。
「どうしたの?」
桃葉ちゃんに聞かれたので、あたしは口を開く。
「あのね……なんか、この猫に、会ったことがある気がしたんだ。猫の違いなんて、よくわからないはずなのに……」
「そう……」
「この猫、桃葉ちゃんが飼ってるの?」
「……うん。今年の春、わたしの誕生日にね、生後半年ぐらいだったトラが、わたしの家の前まできたの。家の前でウロウロしてたのを
「ヒスイ?」
「狐の嫁入りで、先頭にいた子……」
「あっ、あの子がヒスイっていう名前なんだね」
「うん……」
どうしたんだろう?
桃葉ちゃんの声、さっきから、元気がないように感じるんだけど……。
「そうなんだ……。トラって、男の子?」
「……うん、よくわかったね」
声が冷たい。顔がこわいし、機嫌が悪い?
なんか、怒らせるようなこと、したのかな?
不安な気持ちになっていたら、少し離れた場所にいた空斗君が、桃葉ちゃんに近づき、口を開く。
「ヤキモチやいてるの?」
「ヤキモチなんかやいてないっ!!」
桃葉ちゃんの甲高い怒鳴り声を聞き、茶トラ猫が走って逃げる。
「あーあ、行っちゃった」
「わたしは悪くないのっ!」
空斗君に向かって、プンプン怒る桃葉ちゃん。
「僕のお姫さまは、怒っていても可愛いね」
彼女のふわふわな桃色髪を空斗君がやさしくなでる。
くしゃっと、顔をゆがめて、泣き出しそうな顔の桃葉ちゃんが、「キス」とつぶやく。
空斗君はふわりと笑い、「いいよ」とささやいた。
それから、彼女の淡い桃色の唇に、そっと触れるようなキスをする。
静かに涙を流す桃葉ちゃんを見て、あたしはせつない気持ちになった。
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