第十一話 甘味処『さくらな庵』の音と、絵。
駅の南口から出ると、セミの声が聞こえてきた。
あたしはリュックサックを下ろして、リュックサックのポケットのファスナーを開けた。それからマスクを外し、マスクが入っていた袋に、マスクを入れてから、再び、リュックサックを背負う。
その間、みんなが待っててくれたので、「ごめんね」と謝った。
すると三人共、気にしなくていいと言ってくれたので、安心した。
みんなで、広い歩道を歩く。
あっ! 和菓子屋さんだっ!
ケーキ屋さん、パン屋さん、おにぎり屋さんもあるっ!
のぼり旗や、看板の写真を見るだけでも、とっても楽しい。おいしそうだ。
夏の風が、みずみずしい、生命力にあふれる植物の匂いを運んできた。
歩いていたら、お花屋さんが見えてきた。
お花屋さんの前にも、たくさんの花が並んでる。
白い
あっ!
紫色の花もあるけど、それはしょうがないので、できるだけ、見ないようにした。
おしゃれな服屋さんや、靴屋さん、本屋さん、写真屋さんもあり、人が多くて、にぎやかだ。
♢♢♢
「もうすぐだよ!」
もうすぐ、甘味処があるらしい。
四人で、ゆっくり歩いていたのに、突然、桃葉ちゃんが走り出したので、おどろいた。
小さな子みたいに、はしゃぐ彼女は、可愛いけど、なんか、心配になる。
「あった! ここだよー!」
甘味処を見つけたらしく、こっちを見て、大きく手をふる桃葉ちゃん。
空斗君と、
黒い外観のお店だ。
木枠のガラス戸を開けて、空斗君と栗本さんが先に入った。
なんか、緊張するなぁと思っていると、「行こっ」と言って、桃葉ちゃんが、あたしの手に触れた。
彼女があたしの手をつかみ、力強く引いたので、あたしはその勢いのまま、桃葉ちゃんと一緒に、お店に入る。
人に触られるのは苦手だ。
なのに、大丈夫だった。
嫌だと感じないのは、なぜなのか、あたしにはわからなかった。
そういえば、
でも、一瞬だったし、お守りに意識が向いてたせいか、今まで忘れてた。
甘味処に入ってすぐ、花火大会のポスターが貼ってあった。
駅でも見たし、町でも見たやつだと思いながら、進む。
おかしい。あたしはなぜ、この音色を聴いて、筝曲だと思うのだろうか。
泣くな。進め。足を動かす。
レジだ。気にせず、進む。
なんか、甘い匂いがする。おいしそうな匂い。
橙色の灯り。広い窓。
木製のテーブルと椅子。
椅子には、赤い座布団が敷いてある。
なぜだろう?
絵を見た瞬間、身体が熱くなり、涙がこぼれ落ちた。
――
と、思う自分がいるけれど、若菜って、なんだろう?
あたしはそっと、手の甲で、涙をふいた。
ゆっくりと、絵に近づく。
満開の桜と、白猫の絵だ。
オッドアイを持つ、白猫は、藤の香りを身にまとう彼と、謎の神社で出会った女性の鬼に、『リッカ』と呼ばれていた猫に、似てる気がした。
絵の下には、絵の題名が書かれた白いプレート。
『桜と白猫』
そう、書いてあった。
もう一枚の絵に、目を向ける。
菜の花畑と、満開の桜と、三羽の白うさぎ。
絵の下には、絵の題名が書かれた白いプレート。
『菜の花と桜と白うさぎ』
♢♢♢
若菜とは、春の初めに芽ばえたばかりの、葉などが食べられる草のことだ。
菜の花は、食べられるよね。桜は……木だよね?
えっ? 菜の花で、泣くの?
あっ! 若菜は、春の七草の別名だった気がする。
春の七草? うーん、わからないや。
「
あっ!
ふり返ると、心配そうな顔の彼女が、立っていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「えっ? うん、大丈夫だよ」
「本当に?」
信じていないような顔だ。
「ほんとだよ」
答えてから、あたしは、空斗君と栗本さんをさがした。
二人は向かい合って、椅子に座り、こっちを見てる。
ひらひらと手をふる空斗君を見て、なんだか安心したあたしは、歩き出す。
すると。
朱色の和服に、紺色の腰下前掛をつけた背の高い男の人が、お盆を持ってくるのが見えた。
黒塗りのお盆に、お水の入ったグラスが四人分。
彼は、立ちどまったあたしと目が合うと、うれしそうに笑って、おじぎをする。そして、お水を空斗君たちのところまで、持って行った。
声を出さなかったのは、お水を運んでいるからだろう。
お水の上でしゃべると、それを見て、嫌な気持ちになるお客さんがいるかもしれないもんね。
そう思いながら見ていたら、「あの人が、
「あの人が……」
桜柄の着物を着ていた桜さんの息子さんか。
さっき見た店長さんの顔。
雰囲気がなんとなく、伊織という人に似てた気がする。
切れ長の目だったし。
桃葉ちゃんって、伊織さんのことが嫌いって言うけど、彼の名前をふつうに口に出してるし、実はそこまで嫌いじゃないのかな?
人の心って、よくわからないや。
視線を向ければ、お水を運んだ店長さんが、空斗君と、楽しそうに話してるのが見えた。
「行くよ」
と声がして、桃葉ちゃんが歩き出したので、あたしは彼女を追いかけた。
♢♢♢
「こんにちはー!」
と、明るい声で、あいさつをする桃葉ちゃん。
彼女を見た店長さんが、「桃葉ちゃん、いらっしゃい」と、やわらかな声でそう言って、ふわりと笑う。
そんな二人をながめていたら、店長さんと、目が合った。
「君が
店長さんは、ふわりと笑い、さらりと言う。
噂って、どんな噂なのかな?
気になるけど、聞けないあたしは、「ありがとうございます」と言って、ペコリとおじぎをすることしか、できなかった。
「わたしにも、いつでも相談してね!」
満面の笑みを浮かべた桃葉ちゃんに言われて、あたしはドキドキしながら、「うっ、うん」と答えた。
「じゃあ、座ろっか。琴乃ちゃんは
「わかった」
あたしはうなずき、栗本さんのとなりに座る。
そんなあたしの向かいにある席に、桃葉ちゃんが座った。
彼女はこっちを見ながら、ニコニコしてる。
「――あっ! 琴乃ちゃん、メニュー表見る? 桜さんの手描きの絵が可愛いんだよ! 僕はかき氷とおだんごを注文するんだけど、それ以外にもたくさんあるから、好きなのを選んでね! ふわふわかき氷とおだんごが、僕のおすすめではあるけれど、無理してほしいわけじゃないから。あっ、今日は全員分、僕がおごるから、お金のことは気にしないでね」
桃葉ちゃんと同じく、ニコニコ笑顔の空斗君が、手描きのイラストつきのメニュー表を見せてくれたんだけど。
なぜだろう?
和風の可愛らしい感じの絵なのに、せつなくて、泣きそうになる。鼻が痛い。
でも。
みんな見てる気がするし、今、ここで泣いたらおかしいってことはわかるので、泣くのをこらえて、手書きの文を読む。
どうしよう。
早く決めなきゃと焦るけど、どれにしたらいいのか、わからない。
空斗君は、ここで、アルバイトをしているし、桃葉ちゃんと、栗本さんは、何度もきてるだろうから、本物を見てるだろうし、味とか、いろいろわかってるだろうけど……。
あたしは初めてだ。
ここにくることがわかっていれば、ネットで、調べたんだけど……。
ううっ。
絵を見ないようにするの、むずかしいよぉ。
というか、文字だけでも、悲しい気持ちになるんだけど、なぜだろう?
感情がおかしい。
自分じゃないみたいだ。
まあ、最近、よく泣いてる気がするし、おかしいんだけど……。
「ねえねえ、琴乃ちゃん。今日は、わたしと同じのにしてみる? わたしは、
桃葉ちゃんの言葉で、ふわっと、心が、楽になる。
「ありがとう。桃葉ちゃんと同じのにする」
「じゃあ、注文しようか」
おだやかな声。
そっちを見ると、やさしげな眼差しの空斗君と、目が合った。
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