第七話 狐の嫁入り。

 パラパラと雨が降り出したかと思えば、急に寒くなり、真っ白な霧が出てきた。

 身体が動かない。


 霧は、地面に近いところで、うごめいている。

 生きてるみたいだ。


 生ぬるい風が、動かしているのだろうか?


 どこからか、笛と太鼓たいこの音がして、きつねの嫁入りという言葉が浮かんだ。

 お守りがあるから大丈夫。そう、自分に言い聞かせる。


 今日も、ポケットの中に入っているのを何度か確認したし、きっときっと、大丈夫だ。


 テテテテ、という感じで、子どもが走ってくるのが見えた。

 十歳ぐらいに見える。

 人間なら、だけど。


 灯りのついた提灯ちょうちんを持ち、軽やかに駆けてくる茶髪な子どもの顔には、白い狐面。

 ふさふさの尻尾さえ、見えなければ、上品な、薄浅葱うすあさぎ色の着物を身にまとった人間の子どもに見えるんだけど……。

 狐であろう子どもの尻尾は、金茶色だ。


 狐面の子どもは、あたしの前で、ピタリととまる。


「お姉ちゃん、ボクのこと見えるよね。ジャマになるから、階段の上で待ってて。動かないでね」


 子どもが早口で言った――次の瞬間。


 なぜかあたしは、図書館の前にいた。

 音を立てて自動ドアが開き、ビクリとする。


「瞬間移動だ……。あっ、声が出た」


 つぶやきながら、足を動かす。ここは屋根がある。よかった。


 自動ドアが開かない場所に移動していると、「桃葉ももはちゃんもジャマー! どいてー!」という、大声が聞こえた。


 次の瞬間、自動ドアの前に、桃色髪の姫宮ひめみやさんが現れた。

 自動ドアが開く。


 彼女は、黒猫のイラストが可愛い、ピンク色のTシャツを着て、黒いショートパンツを穿いている。

 胸元には、金色のハートモチーフのネックレス。

 肩にかけているのは、いちご柄のトートバッグ。

 ふわりと香る、桃の香り。


 ちらと、自動ドアに視線を向けたあと、あたしがいる方に向かってきた姫宮さんが、ニッコリ笑う。

 バタバタと、走るような音が聞こえて、そっちを向けば、栗本くりもとさんが走って、階段を上がってくるのが見えた。

 茶髪のポニーテールが、ブンブン、ゆれる。


 栗本さんは、かき色のTシャツを着て、若葉色のカラーパンツを穿いている。背中には、真っ白なリュックサック。


「急にいなくなるから、びっくりしたよ! セミとか空気とか霧とか雨で、狐の嫁入りなのはわかってたけどさっ! なんでわたしだけ置いてくのよっ!」


 本気で怒る栗本さんがこわいなと思っていると、姫宮さんがクスクス笑う。


むぎちゃんは、あやかし見えないもん。あそこにいてもぶつからないよ」


「いや、ぶつかるとかの問題じゃないから。見えなくても、大事な儀式を邪魔したみたいで、なんか嫌なんだよ」


「気にしないと思うけど」


 そんな二人の会話を聞いていた時だった。


 笛と太鼓の音が近くなっていることに気づいたあたしは、そっちを向いた。


♢♢♢


 笛と太鼓を奏でながら、ゆっくり歩く、白い狐面をかぶった子どもたち。

 さっきの子とは違い、尻尾は出てない。


 だけどあたしは、狐なんだろうなと思った。

 狐の嫁入りだし、髪の色がさっきの子と同じだからだ。


 笛と太鼓を奏でながら歩く、子どもたちのうしろには、浅葱あさぎ色の着物姿の大人たちがぞろぞろ歩く。

 大人だと思うのは、背が高く、身体が大きいからだ。


 大人たちも、狐面をかぶっていて、尻尾は見えない。髪の色が同じだなーと思いながら、ながめていた時だった。

 大人たちに守られるようにして、お嫁さんが現れた。

 白い狐面は同じだけど、白無垢姿なので、わかりやすい。


 お嫁さんが、雨で、ぬれないようにだろう。

 唐紅からくれない色の和傘をお嫁さんに、差してあげている狐面の大人がいる。


 なぜだろう? 涙が流れて、とまらない。


 ――姉さま。


 いや、姉じゃない。狐だよ。狐の嫁入りだからね。


 ――姉さま。行かないで。


 ――わたくしを置いて行かないで。


 ――一人にしないで。


 ――あの男を選ばないで……。


 ――嫌い、嫌いよ。


 ――ふじの花の香りを身にまとう、あの男。


 ああ、せつない。せつないよ……。

 藤の花の香りを身にまとう男って、あの人のこと、じゃないよね?


 たずねても、返事はない。


♢♢♢


 狐の嫁入りを見ながら泣きじゃくる自分が、そばにいる二人に、どう思われているのか気になった。

 だけど、泣きやむことはできなかった。

 手の甲で、ふいても、ふいても、涙が出るのだ。


「――あっ、虹っ!」

 姫宮さんの声におどろき、顔を上げると、虹が見えた。


 あ然として、つぶやいた。


「大きい……」


 いつの間にか、セミが鳴いている。


 空が青い。

 霧も、雨もない。


 地面はぬれてるけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る