姫宮さんと栗本さんと、狐の嫁入り。姫宮さんの彼氏。

第五話 図書館の栗鼠のあやかし。姫宮さん。

 数冊、本を読んでから、本を棚に返して、リュックサックがある窓際まで歩く。

 床に、青いカーペットが敷かれていて、その上を橙色の栗鼠りすたちがちょろちょろしてる。


 でも、あたしには近づいてこないんだよね。

 栗鼠たちはみんな、あやかしだ。

 あやかしが見えない人のことは気にしないみたいだけど、あたしのことは避けているんだ。


 悲しい……。


 この栗鼠のあやかしは、本がたくさんある場所にいることが多い。

 本についた匂いや汚れを食べたり、本をかじる虫やねずみを食べるから。


 栗鼠のあやかしは、人間の言葉をしゃべらない。

 なのになぜか、幼いころから知っているんだ。

 栗鼠のあやかしのことを。


 眠い……。

 眠いけど、部屋に帰って、寝ようとしても、なかなか眠ることができないし、寝るのがこわいという、気持ちもある。


 帰りたくないな。

 一人で、アパートの部屋にいると、つい、あの夢のことを考えてしまうのだ。

 悲しい気持ちがあふれ出して、深い孤独を感じてしまう。


 あの夢を見たあと、目が覚めると、現実でも泣いてるけど、夢を見てない時でも、思い出して、泣いたりする。

 夢なのに。ただの夢とは、思えないけど。


 だから、部屋にいる時は、テレビをつけてみたりするんだけど、旅番組とか、動物が出てくるのぐらいしか、心が動くことはなかった。

 自然や、昔からある日本の建物や食べ物を見るのが、好きみたいだと、最近知った。


「今日の晩ご飯、なににしよう?」


 一人暮らしをするようになってから、ネットで調べて、目玉焼きや、おみそ汁や、カレーや、野菜炒めなんかを作るようになった。

 実家にいたころは、家事代行サービスの人が作ってくれていたから、料理は家庭科の授業でしかやったことがなかった。

 でも、一人暮らしをしてるんだから、なにか作ってみようかなと思ったのだ。


 この前は、グラタンを作ってみたんだけど、自分で作ったというだけで、なんかうれしいし、おいしいなと感じた。


 地元にいた時は、お肉が食べ物だと思えなくて、食べられなかったのだけど、こっちにきてから、テレビで何度も、お肉をおいしそうに食べる人たちを見ていたら、おいしそうだなと思うようになったんだ。

 ドキドキしながら買い物に行って、肉料理のお惣菜そうざいを買って、アパートにもどって食べてみたんだけど、どれもおいしいと感じたので、おどろいたのを覚えてる。


 無添加の食品や日用品が多いスーパーや、コンビニが近くにあるのはありがたい。

 オーガニックとか、無添加とか、無香料と書いてある物をできるだけ買うようにしている。


 身体に合わないと、かゆくなったり、痛くなったり、だるくなったり、眠たくなったりするから、身体に合わないのはすぐにやめるようにと、昔から言われてる。

 お母さんに。


 元気な時は大丈夫でも、ストレスで免疫が落ちると、反応することもあるし。


 今日のお昼は、短大のコンビニで、おにぎりを買って食べた。いくらの。

 短大には、食堂もあるんだけど、注文するのも、食べるのも、緊張するから、二回か、三回ぐらいしか、行ってない。


 その時は、姫宮ひめみやさんがさそってくれて、いろいろ教えてくれたから、ものすごく助かった。


♢♢♢


 あたしは短大のキャンパス内にある図書館の窓から、外をながめる。

 夏の空、セミの声、濃い緑色の山々が遠くに見える。ここは二階で、見下ろせば、アスファルトでできた広い道に、だれもいない。


 窓ガラスに映るあたしは、薔薇ばら色のTシャツを着て、ジーンズを穿いている。

 子どものころは、自分の顔を鏡なんかで見てしまうと、心がざわざわしたり、嫌だと感じて、叫びたくなったりしてた。

 だから苦手で、自分の顔を見ることから逃げていたけど、一人暮らしを始めてからは、逃げるのをやめた。


 そうしたら少しずつ、この顔に慣れたように思う。


 朝、起きてすぐに自分の顔を見ると、だれ? って思ってしまうことはよくあるけど……。

 これがあたしだ。


 この世界に生まれた時からずっと、これがあたしの顔なのだ。

 髪の毛は長いので、いつも一つに結んでる。黒いリボンつきのヘアゴムで。


 このリボンつきのヘアゴムは、こっちに引っ越してから買った物だ。

 なんか、いいなと思ったんだよね。最初は恥ずかしかったけど、もう慣れた。

 姫宮さんが可愛いって、褒めてくれたし。


 人に触られるのは嫌なので、髪の毛は、自分で切っている。うしろの髪だって、結んだまま、短くすることは可能だ。

 実家にいたころは、長すぎるのが嫌なので、できるだけ切っていた。

 だけど、こっちに引っ越してきてからは、前髪しか切ってない。うしろを短くする気持ちになれないのだ。


 窓際に並ぶ椅子たちに、目をやった。

 あたしの黒いリュックサックがぽつんとあるだけで、だれも座ってない。

 それを見て、さびしいと感じた。


 ふうと息を吐き、濃い緑色の山々をながめる。

 今日は八月一日。明日から夏休みだ。

 実家に帰るつもりはない。帰っても、孤独なだけだ。今も孤独だけど。


♢♢♢


 ジーンズのポケットに、珊瑚さんごのお守りがあるのを触って確認したあと、あたしは自動ドアに向かった。


 図書館の自動ドアが開くと、むわっとした空気が押し寄せてきた。

 暑さを感じながら、あたしは進む。

 暑いけど、夏が好きだ。生きている感じがする。


 大声で、わめくように鳴くセミたち。 

 見上げた空は青くて、雲一つない。そして風もない。


 階段を下りて、そのまま進んだあたしはふいに、足をとめる。

 セミではない、人の声のようなものが、聞こえた気がしたからだ。

 あたしの耳に、聞き慣れた女性の声が届く。


「暑いー! なんで短大は、夏休みが八月からなのー? 七月から夏なのにー! 暑いよぉ! 嫌だよぉ! 駅まで歩きたくないよぉ!」


 姫宮さんの声だ。

 ドキドキしながら、あたしは足を動かした。速すぎても、逃げているみたいだから、そう見えないように意識しながら、ゆっくり進む。


 姫宮さんは、ふわふわとした綿菓子みたいな、桃色髪の可愛らしい女の子だ。

 ネイルも、桃色。

 彼女はいつも耳に、血のように赤い珊瑚のピアスをつけている。

 それと、金色のハートモチーフのネックレスもしてるんだ。


 彼女に近づくと、甘い匂いが、ふわりと香る。

 今年の四月、初めて彼女と会った時も、この香水をつけていた。

 桃色の髪の子がいるな。ふわふわしてて、綿菓子みたいな髪だな。


 綿菓子を食べたことがなくても、絵として、知っていたあたしは、そんなことを思いながら、姫宮さんを見てたんだ。


 黒いワンピース姿で、桃色髪の姫宮さんは、ものすごく目立ってた。

 いろんな人に話しかけられても、笑顔で、楽しそうにしゃべっていた彼女から、目が離せなかった。

 そうしたら、彼女があたしに気づき、うれしそうな顔をして、近づいてきたんだ。

 話しかけてくれたので、びっくりした。


 姫宮さんは、楽しそうな顔で、いろんな話をしてくれた。

 誕生日の話とか、好きなものの話をしてた。

 聞かれたので、あたしが四月二十八日生まれだと話したら、ものすごくびっくりしたみたいに見えたんだけど、どうしたのだろう?


 その日になにか、あったのかな?

 あたしの好きなものを聞かれても、その時はわからなかったので、わからないと答えた。


 姫宮さんは三月三日生まれだと言っていた。ひな祭りだなと思った。

 楽しそうな姫宮さんを見ていて、なんか、なつかしいって感じたんだよね。

 なぜか知らないけど。


 その中に、魔除けの話があったのだ。


『この珊瑚のピアスはね、魔除けの効果があるんだよー。わたしがいつもつけてる桃の香りの香水もね、魔除けの効果があるんだー。オーガニック香水だから、天然の植物性香料だけで作られているんだよ』


 姫宮さんは、自分の耳元でゆれる珊瑚のピアスに、そっと触れたあと、笑顔で教えてくれた。


 そうか。

 魔除けか……と、思ったけれど、『あたしはアクセサリーとか、つけたくない』って、そう言った。


 そのあと、せっかく話しかけてくれたのに、こんなことを言って、嫌われたかもって、そう思った。


『アクセサリー、嫌い?』


 ふしぎそうな表情で、首をかしげる姫宮さんに、説明しなきゃと思って、あたしは答えた。


『……うん。ネックレスとか、ピアスとか、したことはないんだけど……。化粧水も、日焼けどめも、嫌いだし……。肌に、なにかをつけるのが嫌なんだ。あと、自分から匂いがするのは嫌だから、シャンプーや洗濯洗剤は、無添加、無香料のにしてて……』


 緊張しながら、自分の気持ちを伝えたら、姫宮さんが少し不安げな顔をして、『わたしの匂いは大丈夫?」って、聞いてくれたんだ。


 あたしが、『この匂いは大丈夫』だと答えると、彼女はうれしそうに微笑んだ。


 その翌日、姫宮さんがあたしのところにきて、珊瑚のお守りをくれたのだ。いちご大福まで、くれた。


『これ、少し早いけど、誕生日プレゼント。昨日、四月二十八日が誕生日って言ってたから。珊瑚のお守りはね、わたしのおばあちゃんの力が入ってるんだ。琴乃ことのちゃんのことを守ってくれるよ』

 って、言いながら。 


 誕生日プレゼントというものを初めてもらって、戸惑っていたあたしは、『ありがとう』と言って、受け取ったけれど。

 なんで、あたしに魔除け効果のあるものをくれたのかとか、おばあちゃんの力って、なんなのかとか、気になったけど、それを聞く勇気はなかった。


 聞くのがこわいと思う、自分がいたからだ。


 もしかして姫宮さんも、あやかしを見ることができるのかなって、思ったあたしは、こっそりと、彼女のことを観察した。


 その結果、姫宮さんも、あやかしを見ることができるということに、気づいたのだ。

 ただ、彼女は、あやかしをこわがっていない。近くに、あやかしがいたとしても、気にしていないようだった。


 あたしには、そう見えただけだけど。

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