第101話 からっぽ




『一にも二にも、とにかく話をすること』




 ゼオの気持ちを知りたいと望むリリオンに、ラーボルトが送った助言はそれだけだった。昨夜寝込みを襲い、キスしようとしていた事実を必死に隠しながらリリオンはゼオをデートに誘う。




 もちろん、ゼオは断りなどしない。それがデートと気付いているのかいないのか、頬を赤らめながらはいと頷く。ニヤニヤと笑うレヴンとファンガルに見送られながらゼオはリリオンの傍に駆け寄り、共に歩き始めた。






 独立相互都市連盟シュタルクラムは複数の都市が寄せ集まって国の体を成している。その首都だけあって、ケンギュラの文化は多彩だ。

 ただ歩くだけで建物の形式や店先に売っている商品の多様さを楽しめる。通りを一つ越えただけで、まるで別の国に来たかのように街の様子も様変わりする。昨日は表面的にしか楽しめなかったこの街を、二人はじっくりと楽しむつもりだった。


 


 だが、実際はそうスムーズには行かなかった。


 戦災の復興支援や避難民の誘導を続ける騎士は街のどこにでもいた。それだけでなく、昨日ゼオが模擬戦をした騎士見習いの学生も手伝いに駆り出されている。彼らは街を歩くゼオを見かけるとすぐに声をかけてきた。そうでなくても、遠くからじろじろ見られてはゆっくり観光することも出来ない。




 今もまた、ゼオは昨夜の彼の戦いぶりを熱心に語る男性に捕まっていた。




「あの、お気持ちは嬉しいのですが……今は観光中ですので」




 せわしなく喋る彼の言葉に割り込むようにゼオがそう告げると、彼は我に返り申し訳なさそうに謝りながら元の作業へと戻っていった。

 その姿が見えなくなってからゼオはふう、と乾いた息を漏らした。


「……あまり、嬉しくなさそうですね」


 謙遜するのもそうだが、とにかく疲れた──と言いたげなその表情に、リリオンは声をかけずにはいられなかった。先ほどからゼオが褒められているのは間違いない。彼が学生という立場に見合わぬ活躍をしたことは間違いなく、騎士たちの賞賛もやや過剰だが裏があるとは思えない。


 しかし彼は一貫して、賞賛の言葉を素直に受け取らずに謙遜を繰り返している。

 これではリリオンだって褒めることが出来ない。彼を褒めてあげたい気持ち彼女だって一緒だ。寝ている間に、なんて卑怯なことはせずに堂々と褒めてあげたい。


「う゛っ……すみません。

 謙遜も度を超えると失礼だということは、僕も分かってるんですが」


 リリオンに声をかけられたゼオはぴっと背筋を伸ばし、たどたどしく言葉を連ねて返す。


「リリオン様も、せっかく誘っていただけたのにこんなことになってしまって……

 本当にすみません」

 

 そうしてまた、ゼオはぺこりと頭を下げた。

 今日、一体どれだけの騎士がゼオの勇気と忠義と奮闘を称えたのか分からないのに、彼は少しも変わらない。声をかけられ褒められるたびに彼の瞳は曇り、どこか冷めたものになっていく。


 まるで自分に向けられる賞賛の全てを、他人事に思っているかのように。




「ゼオ……」 


 なぜあなたは……褒められるたびに、そんな寂しそうな顔をするのですか?




 続けた言葉は声には出さなかった。

 だが彼女が静かに呟いただけで、彼は察したのだろう。




 えっと、と前置きしてから、彼はゆっくりと話し始めた。




「見ての通り、僕は……本当に、たくさんの人に期待されてるみたいです。

 シャルティナ様にはハルラさんを助けるよう頼まれ、レヴンには騎士の象徴を。

 ハルラさんには彼女の理想の騎士像を……」

「正直、どれも僕には過ぎた期待だと思ってます。

 入学を支援してくださった、リリオン様の前でこんなこと言っていいのか分からないですけど……少なくともラーボルト様には、そうお伝えしました」

「……なのに、こんなことになるなんて本当にどうなるか分かんないものですね」




 呆れたように彼は頬を緩めて笑ってみせた。

 ただ、その後にでも、と付け加え息を吸い直す。




「せっかく期待してくれる人がいるのなら、それに応えないと……

 まだまだ未熟ですけど、僕には力がありますから」




 まっすぐに堂々と、どこか寂し気な笑顔でそう話すゼオの言葉に、リリオンの顔からさっと血の気が引いていく。




(いけない。ゼオ、それは……)




 リリオンが危惧していた、人々が望む通りにゼオが英雄となる───なってしまう未来。

 それを今、他ならぬ彼自身が選ぼうとしていた。彼が望んでのことではない。望んでいるのは周囲の人々だ。彼らが望むがままの役割を、ゼオは果たそうとしている。




 シャルティナが評した通りに、彼は『時代が求めた英雄』になろうとしつつある。

 単に一人か二人がゼオを英雄と望むのであれば、リリオンの力でどうとでも対応出来る。だが世論や大衆の意志が相手となれば、如何に彼女の力が強大でも限度がある。個人の意思ではどうにもならない領域へと達してしまう。


 そうなってしまえば、最早それは運命と言って差し支えないかもしれない。その運命が、リリオンの思いなど知ったことではないと言わんばかりに、ゼオを戦いへと誘いつつある。




「……どうして、そんなに」

「他人の期待を、あなたが背負う理由なんてありません。

 叔父上にも言った通り、期待に応えるだけの自信はないのでしょう?」




 リリオンの問いかけにゼオはやや迷う素振りを見せ、静かに答えた。




「それは……


 僕は、空っぽですから」




 空っぽ。


 その言葉がリリオンの胸を鋭く突き刺す。




「記憶がない僕にとっては、今ある関係が全部なんです。

 例え身に余る期待でも、僕にとっては大事な繋がりで……それに」


「分かってるんです。僕に期待している人は少なからず、僕が……

 『姿を見せない主を信じて探し続ける忠犬』であることを望んでいるんだって」




 その痛々しさすら感じる告白に、リリオンは言葉を失っていた。


 そして同時に、彼の胸中に渦巻く思いを悟る。




 記憶を失った彼がどれだけ孤独と不安に苛まれていたか。いくら友人が増え、名を知られ、活躍を称えられようとも、彼の心を埋め尽くす虚無感と絶望を払うには到底足りはしなかったのだ。


 今日何度もかけられた賞賛の言葉も、ゼオからすれば『健気で忠誠に篤い騎士』へ向けたものであり、彼自身に向けられたものではないと思っているのだろう。だから他人事のように聞き流せるし、心にも響かずただただ静かに冷めていく。




 彼は、自分を『健気で忠誠に篤い騎士』ではないと思っている。

 なぜなら、ゼオ自身も自分が分からないからだ。




 記憶を失った彼には自分という者が分からない。孤児の身分で親兄弟もいない。

 手がかりとなるのは姿を見せない主だけで、過去と呼べるものは彼にはまったくない。


 そんな彼が自分を定めるには他者からの評価に縋るしかない。記憶を失う前の自分に向けられた『忠犬』という期待に沿った役割をただただ演じていれば、周囲の皆は喜んでくれる。



 ────だが、そこに彼の意志はない。

 


 周囲が望めば、彼は喜んで戦いに身を投じかねない。周囲から与えられた『忠犬』という役割を演じ続けるために。


 今の記憶を失ったゼオを動かしているのはそれだ。

 周囲から与えられた『忠犬』という役割を失い、自分が何者か分からなくなる不安に対する、恐怖。







 そして。




 過剰な謙遜も、期待を背負い込もうとする姿も、自分を空っぽと語ったのも。





 全ては彼の為を思い、記憶を封じ姿を消した───他ならぬ、自分のせいだ。


 知らず知らずのうちに、自分の選択がゼオの心を追い詰めていた、と。




 リリオンはこの時になって、ようやく、気づいた。

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