第99話 『大好き』
今から十年以上前になる。
その頃からオレたちは、リリオンに頼まれてまだ幼かったゼオの面倒をよく見ていた。
素直で人懐っこい坊主をラフィスたちはすぐ気に入って、それはもう可愛がっていた。リリオンに頼んで、ゼオのことを譲ってもらえないかなんて話も三人でしていたくらいだ。
オレも、もし将来リリオンがゼオを手放すようなことがあれば引き取るか程度には考えていた。
そんなある日のこと。
オレはいつものように魔王城の庭の一角に向かっていた。途中、こそこそと付いてきてる奴がいることに気づきはしたが、放っとくことにした。
木々に遮られ人目のつかない、庭の隅の隅にあるその場所に花を供えるのはオレとラフィスたちくらいだ。
ギルの野郎は花なんぞに興味はないし、ここに近づきすらしない。
その日、その場所の様子はいつもと違った。
「ん……」
普段ならラフィスたちが前に供えた萎れかけの花が供えてあるだけのその場所は、今日、その日だけはめいっぱいの花で埋め尽くされていた。
無機質で冷たい小さな石の柱のまわりを、色とりどりの花が賑やかそうに彩っている。どれも魔王城の庭園で見かける花だ。合わせて数十はあるだろうに、わざわざ植え替えて来たのだろうか。
「……」
しばらくじーっとその光景を眺めていると、背後の気配が動いた。
「お前の仕業か?坊主」
後ろからそーっと様子を伺っているゼオにそう声をかけると、あいつはびくっと驚いて恐る恐る近づいてきた。
「……あの、えっと……あのっ」
小さな体を更に縮こませているゼオは、褒められるか叱られるか分からず戸惑っているようだった。
オレは身を屈め、坊主と目線を揃えながらなるべく怯えさせないよう心掛けつつ続けた。
「……ここのこと、誰から聞いた?って言っても、予想は付くが」
「別に、怒ってるわけじゃねえよ。教えてくれ」
叱られる心配がなくなったと分かったゼオは、ゆっくりと話し始めた。
「あの、ラフィスさまたちに……教えてもらって」
「そうか。
じゃあ、あの花もお前が飾ってくれたんだな?」
ゼオは頷く。
「はい。あの、ラフィスさまたちとラーボルトさまには、いつも遊んでもらってるので、お返ししたくて……」
「それで、ラフィスさまたちに何をしたらいいか聞いたら……ここにお花をうえてほしいって言われて」
「……にしては、数が多いな」
オレが思わず漏らした感想に、ゼオはくふふと笑みをこぼした。
「がんばりました。えへへ……ラーボルトさま、びっくりしました?」
「ああ、したした。ビックリだよ」
そう言うとゼオは嬉しそうな様子を隠そうともせずぴょんぴょんと飛び跳ねた。
そんなゼオの様子をしばらく眺めつつ、オレはこほんと咳払いした。
「はしゃぐのもいいが、程々にしてくれよ。ここはお墓なんだ」
その途端ゼオの動きがピタッと止まる。この歳のガキにしてはありえないくらい礼儀正しい。
「……お墓、なんですね」
子供ながらに薄々は感づいていたのだろうか。幼く無邪気な瞳が、花に囲まれた石の柱をじっと捉える。
「ああ、墓だ。つっても、ここには誰も眠っちゃいねぇがな」
そう言いながらオレは持参した花束をそっと石柱の前に置いた。ゼオが頑張って飾り付けてくれたおかげで賑やかし程度にしかならないが、それでも無いよりはマシだと思う。
「……」
花を供え、静かに祈る。
背後でゼオも同じように祈りを捧げている気配がした。
祈りを終え、顔を上げたオレにあの、とゼオが声をかけてきた。
「このお墓って……だれの、お墓ですか?」
当然の疑問だ。
しかし、説明すると長い話になる。まだまだお子ちゃまなゼオの頭では理解しきれない可能性もあった。
「んー……
まあ、大切な人だよ。
オレもそうだし、ラフィスやリィフォン、ルゥファ達に……ギルの奴にとっても、大切な人の墓だ」
「たいせつな……」
そうそう、と言いながらオレは再び身を屈め、ゼオと目線を合わせた。
「お前、リリオンのことは好きか?」
オレがそう聞くと、ゼオは照れもせず真っ直ぐな笑顔ではっきりと
「はい!だいすきです!」
と、そう答えた。
「……そうか、そりゃあ良かったな」
その笑顔の眩しさに思わず視線を外しながら続けた。
「お前がリリオンに仕えているように、オレもここに眠ってる奴に仕えていた。
そして、お前がリリオンのことが大好きなように、オレもコイツのことが好きだった……」
「でも、会うことは出来ない。もう四百年以上前に居なくなって以来、死んじまったのかすら分かんねぇんだからな」
オレの言葉を、ゼオは真剣に聞き入っていた。常日頃から感じていた、この少年の眩しいくらいの純粋さ。それが何かのきっかけで、失われてしまうと思うと……あまりにも惜しい。
主のリリオンのことを好きだと言うのなら尚更だ。
だからオレは、自身の経験も踏まえた忠告を贈った。
「強くなれよ、坊主。
この先ずっとリリオンと一緒に居たいなら、リリオンのこと、守れるくらい強くなってみろ」
「その為なら、オレも手を貸してやるよ」
オレみたいにならないようにな、と心の中で付け加えて。
「はい!ラーボルトさまっ」
元気よく返事をしたゼオの頭を乱暴に撫でながら、オレは坊主の将来に密かに期待するようになった。
ゼオがリリオンの騎士に名乗り出たのを知ったのは、その数日後のことだった。
─────
「……と。
これが坊主に聞いた、リリオンへの気持ちってわけだ」
話を終えたラーボルトは乾いた喉を潤すためワインを口に含んだ。
結果としてみれば、なんてことはない。
恐らく当時四歳か五歳頃のゼオにリリオンのことをどう思ってるか聞いただけだ。そんな子供に母親代わりの存在をどう思ってるか聞けば、余程のことがなければ好きと答えるだろう。
それは恋愛感情によるものではない。ただの好意だ。
だが。
(……コイツは、俺と同じだったのか)
ヒューグは静かに、ワインを煽るラーボルトの横顔を見つめた。彼もまたヒューグと同じ、主を守れなかった者の一人。
それを踏まえると今日、彼から妙に親しげにされたことにも納得できる。ラーボルトからすればヒューグは同じ経験をした仲間で、ゼオに向ける気持ちまで一緒なのだ。
主を守れなかった、自分のようになって欲しくない。
そして。
(あの子が、私を……好き、と?)
リリオンもまた、ラーボルトの話に思考をかき乱されていた。
もちろん、如何に人生経験の乏しい彼女でも幼いゼオの語った『大好き』の意味くらい理解している。
それは、リリオンが自身の感情を自覚するきっかけになった『愛してる』とは、似て非なるもの。
だが、それでも。
ゼオが自分のことをどう思っているか。その答えを欲していた彼女には十分すぎるものだった。
幼い頃、大好きだと言ってくれた。
では、成長してからは?
記憶を失ってからは?
昔から変わらず、好いていてくれるだろうか。
それは確かに、ラーボルトの言う通り本人に聞かなければ分からない。
ただ幼く淡いゼオの言葉だけでも、リリオンの心は暖かく満たされていた。
「……ゼオ」
長風呂の余韻とワインの酔い、そして何よりゼオへの感情で火照った身体で、リリオンはその潤んだ瞳をベッドで眠るゼオに向ける。
今まで一方的で、静かに見守ることしか出来なかった自分の愛情が、ゼオの気持ちを知れたことで初めて通じ合えたような気がする。
とても素敵でこれ以上ないほど幸せな気持ちが、優しく彼女の心を包む。
「……さて」
「オレ達は少し場所を移すか。
なあ、ヴァーミリア?」
「えっ?あ、そ、そうねぇ……」
せっかくラーボルトが気を利かせたにも関わらず、ヴァーミリアはゼオに夢中なリリオンに夢中だった。ラフィスたちがグラスやワインを持って場所を移そうとしてる中、彼女だけチラチラと眠るゼオとそれを見つめるリリオンを交互にチラチラと見ている。
「ヴァーミリアっ」
「わ、わかったから……リリオン、またねっ」
強く声をかけられヴァーミリアは名残惜しそうにそそくさと部屋から出ていった。
「じゃあな、姫さん。
俺達は隣の部屋で飲んでるよ」
ヒューグはそう告げ、扉を閉じた。
室内には、眠るゼオとリリオンの二人だけだ。
他に誰もいない。
「……ゼオ」
名前を呼んでゆっくりと立ち上がり、静かに、やや早足で彼が眠るベッドに近づき、その傍にしゃがみ込む。
「すぅー……すぅー……」
ゼオの眠りは深い。大変なことばかりだった今日一日の苦労から開放され、気持ちよさそうに眠っている。
静かな寝息が漏れる、やや開いた彼の口から彼女は目を離せなかった。この口で、確かに大好きだと言ってくれたのだ。
そう思うと、顔がかあっと熱くなる。今、例え寝言であっても、同じように『大好き』と言われればきっと自分はおかしくなってしまうだろう。
想像しただけで、心臓はバクバクと破裂しそうなほど鼓動を早め、身体は芯に火が着いたのかと思うほど熱くなっているのだから。
ふと、ベッドの上の彼の手が目についた。無造作に投げ出されたその手を恐る恐る優しく掴み、掌を自身の頬に当てる。
努力の跡が伺えるごつごつとした掌は想像していたよりも冷たかった。というより、自分の顔が熱くなっているのだろう。
「……ゼオ」
また、名前を呼ぶ。
その度に、彼への思いは強まっていく。
リリオンはベッドで眠るゼオの上にぐっと身を乗り出した。ゼオの枕の上に両手を付きまるで覆いかぶさるように、その寝顔を間近から見下ろす。
彼女の長く美しい銀髪が、重力に引かれベッドに落ちる。それはまるでカーテンのように、ゼオとリリオンを二人だけの空間に包んだ。
「……ゼオ」
寝ている彼を起こさないように、再度名前を呼ぶ。想いがより一層強まる。
最早、彼女の思考は働いていなかった。安らかなゼオの寝顔を夢見心地で眺めながら、ゆっくりと顔を近づけていく。
彼女自身は、そうしたいとはっきりと意識してはいなかっただろう。本能的にそう望んでいたのだろうか。
ゼオの、安らかな寝息が漏れる本の少しだけ開いた唇に、吸い寄せられるように彼女は唇を近づけていった。
ゆっくりと。
確実に。
二人の距離は縮まって行き───。
「んん……」
寝息を唇で感じる距離まで近づいたその瞬間、ゼオは呻きごろんと寝返りを打った。
その瞬間、魔法が解けたようにリリオンは我に返る。
(今、私は……何を……、っっっ!?)
寝ているゼオに覆いかぶさり、唇を重ねようとした。つまり、寝込みを襲ってキスをしようとしていた。
それを自覚した途端、今まで彼女を支配していた熱も吹き飛ぶような羞恥心が襲ってくる。ゼオが寝ていなければ、大声を上げていただろう。
「っっっ……!!」
なんとかそれを抑えつつ、気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返す。
(それにしても……ま、まさか、キスをしようとするとは……)
まだどくんどくんと動悸が止まない中、少しは落ち着いたリリオンは冷静に自身の行動を振り返る。
今までの人生で、キスをした経験などない。
ただ唇を重ねるだけの行為を、なぜ小説ではああも魅力的に描くのだろうと、そう思っていたが。
「……」
リリオンは自身の指で何度も唇に触れる。
もし、これがあの子とのキスだったらと、そう思いながら。
「ゼオ……」
名残惜しいが、ラーボルトたちの元に戻らなくては。
そう思ったリリオンは、せめてもの労いとばかりに再び眠るゼオの枕元にそっと近づいた。
キスを試したかった気持ちもないわけではない。だが、今は。
「ありがとう、ゼオ……。
私も、大好き……愛して、います……」
夢の中の彼にも届くように。
他の誰にも聞こえないように。
静かに、たっぷりの愛情を込めて。
「……」
気持ちよさそうに眠ったままのゼオの顔を見て頷きながら、彼女もまた部屋を後にした。
隣の部屋で待っていたラーボルトたちは、何故かニヤニヤした様子だった───。
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