第96話 彼女の祈り①


 女湯の様子を想像し、耐えられなくなったゼオが逃げるように男湯を去った後。




 当の女湯ではヴァーミリアやラフィス達三姉妹がじっと何かを見つめていた。


 視線の先にあるのは他でもない、リリオンだ。もちろん、風呂場という状況故にその美しい身体を隠すことなく晒している。月光を受け輝く白い肌は湯の熱気に当てられほんのりと紅が乗り、顔はいつもの無表情を装っているものの羞恥に朱く染まっていた。

 魔王城に居た頃、ヴァーミリア達と共に湯浴みをしたことがないわけではない。だが同性と言えど、こうしてじっと見つめられては羞恥が勝る。胸を隠す腕にも、自然と力が籠っていた。


 単純にその美しさを楽しむためにリリオンの裸を眺めている三姉妹と違い、ヴァーミリアはじっと彼女の腹部のみをじっと見つめ続け……ふう、と息を吐いた。


「本当に、何ともないみたいね。

 ギルにお腹を貫かれたって聞いた時は驚いたけど」


「……ですから、大丈夫と言ったでしょう」


 安堵し穏やかな声で話すヴァーミリアと対照的に、リリオンの声は上擦っていた。




 ギルファーメトルと一対一で対峙した際、彼女はゼオの姿を利用した策にまり腹部を貫通する重傷を負った。

 もちろん即座に治療はしたと、単なる情報共有のつもりでリリオンは告げた。

 だが、ヴァーミリアたちの心配振りは予想以上で、押し切られる形で傷の確認をすることとなった。




 その結果が、さっきの有様だった。

 心配してくれたことを嬉しく思う気持ちもあるが、あんな恥ずかしい目に遭わされては素直に感謝できない。


 そんな不機嫌なリリオンの様子を見抜いたのか、三姉妹の長女ラフィスが呆れたように呟いた。


「いいじゃないですか。

 魔王城に居た頃、あなたがゼオにしてたのとおんなじことですよ?」


 確かに鍛錬を終えたゼオの傷を癒し、湯浴みに連れていくのはかつてのリリオンの日課だった。

 と言っても、ゼオが大きくなってからは一緒の湯浴みは避けられているが。


「……それとこれとは、話が別です」


 意固地になってつんと口を尖らせた彼女は同じと認めようとしないし、ゼオが湯浴みを避ける理由にも気づかない。ゼオへの気持ちを愛を自覚しても、そういったところまで考えが至らないのは変わらないようだ。

 ヴァーミリアと三姉妹は揃って額に手を当て、ため息を漏らす。


(もどかしいけど……これも、リリオンとゼオらしいかしら)


 そんなことを考えながら、ヴァーミリアがふふ、と頬を緩ませた直後の事。




 ガラガラと、女湯の入り口が開く音がした。

 誰が入ってきたのだろうと、リリオンたちは反射的に顔をそちらに向ける。


 そこに居たのは。




「あら?これはこれは、ローゼンライツ御一行じゃない。

 奇遇ね、こんなところで」




 この国を治める王女であるシャルティナ・デュアンバッケンが、やけに白々しい態度を取りながら湯船へと近づいて来た。傍には護衛としてかサクラシアの姿もある。

 ギルファーメトルとの戦いが集結して数時間ほど。現場で指揮を執っていた彼女もやっと一息付けたのだろうか。

 本来彼女の護衛を務めるはずだったハルラの姿はなかった。今、彼女が置かれている複雑な立場を思えばこの場に居なくとも不思議ではない。


「シャルティナ様……申し訳ありません、このような恰好で。

 また、今晩の一件に付きましても……」

 

 このような場で王女と相まみえるとは予想外のことだった。ひとまず地方領主の姪という建前にのっとり、臣下として言葉を交わそうとしたリリオンをシャルティナは制す。


「あーあー。いいわよ、そう言うの。

 というか、アンタ達が風呂に入ってるのを狙って来たんだから」


 しっしっとシャルティナは手で払った。


 リリオンはこの街に来る前、シャルティナと交渉した際に幻魔候としての力の一端を彼女に示した。

 それもあり、彼女はリリオンのことを単なる地方領主の姪とは思っていない。今更下手に出たとて誤魔化されないだろう。


「色々話したいところはあるけど、まずは身体を洗ってからね。

 逃げないでよ?」


「ええ、もちろん」


 話したいことがあるのは、リリオンも同じだった。同等の立場として話すため、湯船に浸かりながらシャルティナを待つ。



*****



「んんっっ、ふうぅぅ……!

 ……ごめん、待たせちゃったわね」


 身体を洗い終え、ゆっくりと湯船に浸かった彼女の口から気の抜けた声が漏れた。

 この一日に起きた事件を想えば、心身ともに疲れ切っていてもおかしくはない。


 それでも、彼女はここに来た。その意味をリリオンも理解している。余計な口は挟まず、彼女の言葉を静かに待った。

 そんなリリオンの態度を確かめてから、シャルティナもいよいよ話を切り出した。


「まずは、お礼を言わせて。この街を守ってくれて、ありがとう」


 そう言いながら、彼女は頭を下げる。前置きも何もない、いきなりの感謝の言葉。

 それも王女が頭を下げるとは、普通なら到底見られない光景だろう。


「やぁんやぁん♪王女様ったら、いきなり感謝されても、困りますって~~」


 リィフォンがニタニタと笑いながらシャルティナの謝罪を茶化す。だが、彼女はまったく怯んでいない。

 むしろからかってきたリィフォンに対し意地悪そうな笑顔を向けている。


「ふふん、そうやって誤魔化そうとしてもム・ダ!アンタたちが今回の事件に絡んでることくらいお見通しよ!」

「アンタには、聞きたいことが山ほどあるんだからねっっ……!」


 シャルティナは眼を見開き、真っすぐにリリオンを捉えていた。

 彼女の気迫は得物を見つけた肉食動物そのもので、リリオンを逃がすつもりなど毛頭ないのが伝わって来る。


 そのまま彼女は湯船から腰を上げ、一糸まとわぬ身体を隠そうともせずじゃぶじゃぶと水音を立てながらリリオン目掛け迫る。


「さあっ!

 今夜この国に何が起きたのか、知ってることを洗いざらい話してもらうわよ!」

 

 あと一歩の距離まで近づくと、シャルティナはリリオンの前で腰に手を当て堂々とした態度で説明を求めた。やや小ぶりな胸が呼吸に合わせて揺れるのを隠そうともしない。


 


 リリオンの返事は決まっていた。


 元より、 時が来れば人間界における協力者になるであろう彼女には全てを語るつもりだったのだ。まさか風呂場で、とは思ったがタイミングが多少早まっただけだ。


 お互い裸と言うのも隠し事はなしと考えればちょうどいい。


 彼女の決意をくみ取り、リリオンも同じように湯船から腰を上げた。


「分かりました。

 我々を信頼するというあなたの見せた態度に、我々も信頼で以って応えましょう」


 二十センチ近い身長差と想像以上のサイズ感に思わずたじろいだシャルティナだが、すぐに負けじと胸を張って対抗した。

 月が見下ろす中、魔界の王女と三大国家の王女が、一糸まとわぬ姿でじいっと睨み合う。



 

「……ちょっと、二人とも。そんな馬鹿なことしてたら風邪引くわよ」




 二人の様子を見ていられずに、サクラシアが口を挟んだ。

 リリオン達と友人関係にあり、人間界でも名を馳せる実力者である彼女はリリオンとシャルティナの仲を取り持つことが出来る数少ない人物だ。


 そんな彼女の言葉に、シャルティナの興奮も収まり冷静さを取り戻した。




 そして、自分とリリオンが置かれている状況……

 お互い裸で、密着寸前という状況に気付き、かーっと顔が真っ赤になっていく。




「そ、そっそっ、そうね!長話になりそうだし、ゆっくり話しましょ!」


 急いで湯船に腰を沈めたシャルティナを見てふふ、と頬を緩めながらリリオンも暖かい湯に身を預ける。


「……ふう」


 先ほどまでの緊迫した雰囲気が嘘のように穏やかな空気が流れていた。シャルティナも落ち着いており、冷静に話を聞いてくれるだろう。


「では、少々長くなりますが……」


 リリオンはシャルティナに向け静かに、ゆっくりと話し始めた。




 魔界を統べる魔王の娘という、自分自身のこと。


 


 内乱状態にある魔界のこと。




 共に戦う仲間たちと、敵対する反乱軍のこと。




 先のクーデターで姿を見せた悪魔の如き祈機騎刃エッジオブエレメンタル【ヴァルガテール】。

 そして、それを駆る黒騎士の正体である、三百年前から蘇ったヒューグのこと。




 最後に。




 魔王である父に託されて以来、単なる主従関係以上の気持ちで接してきた、そしてその気持ちが愛以外の何物でもないと気づかせてくれた……他の誰でもない彼女だけの騎士である、ゼオ・オークロウのことを。


 




  





 

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