第95話 少年の呪い


「……」




 言葉が出ないまま、頭上に浮かぶ星空を見上げる。




 未だクーデターとそれに伴う混乱が収まっていないケンギュラの街など知ったことではないとばかりに、星々は普段と変わらない様子で瞬いている。

 月の位置はかなり高い。もう間もなく日が変わるか、もしくは変わったばかりだろうか。

 

 宿泊先のホテルに用意された露天風呂に浸かりながら、ゼオはこの半日の間にケンギュラで起きた出来事を振り返った。




 騎士学校での模擬戦と襲撃事件。


 レヴンから託された騎士の象徴を務める、その役目。


 王城での披露宴、そしてハルラとの対決。


 クーデターの発生とそれを鎮圧した謎の祈機騎刃エッジオブエレメンタル……。




(ここに着いたのが正午あたりだから……たった半日でこんなに色々あったんだ)




 立て続けに起きた事件の連続に、自分のことながら面白く思えてきた。思わずふっと声が漏れてしまい、誰かに見られてないかと周囲を伺う。

 時刻は夜深くで、広い露天風呂の男湯には誰も居ない。ゼオの連れであるファンガルとレヴンの姿もなかった。


 二人は今もなお、シャルティナの指示の下でクーデターの事後処理の手伝いをしている。ゼオを見つけ安全なところに連れて来たというラーボルトもそうだ。

 出来ることならゼオも事後処理の手伝いをしたかったのだが、ハルラとの激戦を終えた彼にそんな体力はなく、一人先に宿泊先のホテルで休むことになった。




 ホテルで連絡を取り、舞踏会の最中に別れたままのリリオン達が無事であることは確認できた。ハルラもそうだ。




 一先ず知り合いに被害は出ていない。安心した途端にどっと沸いて出た疲れを癒すため、せめて寝る前にと彼は湯船にやって来た。

 もちろん、ずっと一緒に居たヒューグはぬいぐるみが入ったリュックごと部屋に置いて来た。幽霊が湯船に浸かるはずもないし、ぬいぐるみごと風呂に入れるのも変な話だ。




 一人だった。


 記憶を失ってから、不安や孤独を感じたことのない日はない。だがいつもはヒューグのような理解者やファンガルのような友人が居る。


 傍に誰もいない、一人だけ時間は彼にとっては珍しいものだった。




「……」




 首が痛くなる前に、飽きつつあった夜空の景色から視線を下ろす。


 ゆっくりと、両手で湯船に張られたお湯をすくいながら、もう一度今日の出来事を振り返る。




 友人であるハルラのこと。


 託された騎士の象徴のこと。


 恩人であるリリオンのこと。


 黒騎士と謎の祈機騎刃エッジオブエレメンタルのこと。



 

 そして……未だ探し続ける、忠誠を誓った主のこと。


 


 お湯を掬った両手を、そのままぐっと握りしめた。当然、湯は指の隙間からこぼれていく。

 開いた手には、何も残らない。

 



「……もっと、強くならないと」


 口に出すつもりはなかった。だが心の内に浮かんだその言葉は、自分自身に言い聞かせるように声となって発せられていた。




 強くなれば、もっと早くハルラを助けられた。


 強くなれば、それだけ騎士の象徴に相応しいと言える。


 強くなれば、拾ってくれたリリオンやラーボルトに恩を返せる。


 強くなれば、あの黒騎士と謎の祈機騎刃エッジオブエレメンタルの正体も分かるかもしれない。




 強くなれば……


 きっと、どこかで見守っているはずの主も、認めてくれる。




「そうだ……僕は、頑張らないと……」




 そう呟く彼の瞳は暗く、口から漏れる声に覇気はない。


 そこに普段の彼の姿は居なかった。今のゼオは不安と恐怖に怯え、そこから逃れる術を探す哀れな少年でしかない。

 

 一夜にして、彼は彼を構成していた全ての記憶を失ってしまった。その不安と恐怖が今、一人になったことで心の奥底から漏れだしたのか。




 或いは……。










 ふと、気づいた。




 ちゃぷちゃぷと水音がする。




 眼に光が戻り、ゼオは露天風呂の入り口を見た。相変わらず人影はなく、ゼオの貸し切り状態だ。


「……?」


 聞き間違えにしては、確かにはっきり聞こえた気がするが……頭がはっきりしない。集中していたにしては、何を考えていたのか思い出せない。


 湯に浸かりすぎて、逆上のぼせてしまったか────そう思い、湯船から出ようと立ち上がった直後。



「やぁん♪リリオンってば、ほんっと肌キレ~~……♪」



「!!!」



 聞き馴染みのある声に、ゼオは咄嗟に腰を下ろし湯船に戻った。

 別に、何かあったわけではない。咄嗟にそうした、それだけのこと。


 声はゼオの居る男湯からのものではない。


 高い垣根で区切られた、向こう側──つまり、女湯から聞こえてきたものだった。

 声の持ち主にも覚えがある。列車の中でぬいぐるみのヒューグを抱きしめていた、褐色の肌に黒髪を二つ結びにまとめた少女リィフォン。

 彼女の明るく活発な声は静かな夜によく響く。




 しかもどうやらリリオンも一緒らしい。


 入浴に来たということは、今の彼女の姿について想像はつく。

 披露宴では普段より露出の増えた彼女の姿に思わず見惚れてしまったが今、垣根を超えた向こうにいる彼女はその美しい肌を全て晒しているのだろう。

 



 考えてはいけない、と思いつつも想像するのは止められない。



 

 これは彼がムッツリだとか、いやらしいとかではなく……男として、思春期の少年として、至極当然のことだった。




 披露宴で着ていた黒のドレスで隠されていた彼女の白くきめ細かい肌の全てが。


 ほんの少しだけ谷間が見えるだけだった、細身な身体には不釣り合いな大きさながら、絶妙な気品と美しさと包容力を感じさせる豊かな胸が。




 ゼオに気にならないはずがなかった。


 ───というか舞踏会の時点で我慢できず肌や胸元をチラチラと見てたのだから、今更どうしようもない。

 



 茶化してくれる友人もからかってくれる理解者もおらず、一人必死に己の欲望と戦い悶え続けるゼオに、救いの手を差し出すように……




 トドメが刺された。




「胸もこんなにおおきくて、カタチもよくてさあ……ウラヤマし~っ!」




 リィフォンの言葉にゼオの脳内の、妄想のリリオンの姿が鮮明になっていき……。




 ぷつん、と。




 限界を迎えたゼオはざあっと立ち上がり、何も言わず脱兎の如くその場を後にした。




 部屋に戻ってからヒューグが何があったのか聞いても、ベッドにうつぶせになったまま答えることはなかったという。




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