第85話 月と星空の下で⑩

 地上へと飛び出したゼオと【ヴァングレイル】が着地した先は無人の庭園であった。

 王城は舞踏会が行われていたとは思えないほど不気味なほど静まり返っている。




 月明かりと星空が照らす下で周囲の様子を伺おうとしたゼオの耳に、爆発音が響いた。


「爆発……!?」


 正体を確かめようと立ち上がった【ヴァングレイル】の白亜の装甲に、赤い光が突き刺さる。



 

 王城のあるケンギュラの地のあちこちで、火の手が上がっていた。燃え盛る炎を影に、いくつもの巨大な機影が動き回っていた。




祈機騎刃EOEがあんなに……一体、何が起きて」




 ゼオの思考を妨げるようにけたたましい警告音アラートが響く。機体を急反転させると、そこには昼間騎士学校で戦った独立相互都市連盟シュタルクラムの正式機【エドワイユ】が二機、急接近していた。


 機体越しに感じる明確な敵意に、ゼオは咄嗟に剣を構えた。相手の狙いは間違いなくこちらだ。

 装甲、武装ともに消耗は大きく、相手は二機。劣勢は避けられない。




 ゼオが覚悟を決めた直後、背面から放たれた細く鋭い魔力の奔流が、迫る二機の【エドワイユ】の頭部と脚部を撃ち抜いた。視覚情報と支えを失った機体は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。


『ゼオ、無事!?』


 聞きなれた声と共に、【ヴァングレイル】によく似た機体が駆けつけた。


 ゼオ専用に改造された【ヴァングレイル】の前身に当たる量産機【ヴァンドノート】。それをさらに個人用に調整したと思しきその機体の両手には鋭い刃を備えた拳銃リボルバーを握っていた。


「サクラシア様!この状況は一体……」


 味方の登場に安堵する間もなく、ゼオは現状の説明を求めた。

 地下でハルラと戦っていた時間はそう長くないにも関わらず、状況に追いつけず取り残されてしまっていた。




 炎上する街、無数の祈機騎刃エッジオブエレメンタル、そしてまたもや狙われてしまったこと。




 今までの説明を踏まえれば、あらかた予想は付く。だが、その予想は即ち最悪の事態の発生を意味していた。




『クーデター……ボーガロウがやりやがったのよ。

 街は奴の傭兵と国軍で戦場になってしまったわ』


 サクラシアは静かにゼオの予想する"最悪"の発生を告げる。


「っ……!」


 昼間、あれだけ活気のあった街並みが戦場になっている。この地に来てまだ半日と経っていないが、それでも嫌悪感を抱かずにはいられない。

 外様のゼオでさえこれなのだ。この地で生き、この地を守ることを誓った騎士たちの怒りと無念はどれほどだろうか。


 クーデターに加担した傭兵たちは、それを是としたのか。首謀者であるボーガロウは、この地で暮らす人々のことを少しでも考えたのだろうか。




 操縦桿を握る手に力がこもる。

 

 すると、再び通信から聞きなれた声が聞こえた。


『ゼオ・オークロウ!良かった、無事なのね!?』


「シャルティナ様……ご無事で、何よりです」


 サクラシアが繋いでくれたのだろうか。通信から聞こえて来たシャルティナの声にゼオは一気に冷静になった。


『私は平気。ただ、街の様子は見ての通り……レヴンとファンガルには民間人の避難誘導をしてもらってる。今のところは無事よ』

『何があったか知らないけど、これ以上ウチの厄介ごとにアンタに迷惑はかけられないわ。

 今すぐ離れなさい!』


 彼女の言うことは最もだ。もはや一介の学生が参戦したところでどうにかできる事態ではない。


 だが。




「……申し訳ありません。それは、出来ません」




『出来ないって……まさか』


 ゼオが断った理由を、彼女も察したのだろう。ゼオが戦う理由の一端は、他ならぬシャルティナに頼まれたからだ。


『……アレが、だってことね』

 

 サクラシアの【ヴァンドノート】がゼオの【ヴァングレイル】の背後を指す。




 そこには、ゼオを追い地上に飛び出してきたハルラの【暁斬アカツキ】が居た。

 





 状況が呑み込めなかったのは、彼女ハルラも同じだった。




「なん、で……どうして……」




 祈機騎刃エッジオブエレメンタル同士が戦い、街が燃え、戦場になっている。




 彼女はこのクーデターを知っていた。知ったうえで、回避する為に動いていた。


 主であるボーガロウの立てたクーデターの計画は戦力も時間も準備も足りない無謀なものであり、ただいたずらに街を戦火に巻き込むだけになる。

 それを避ける為に、彼女は進言し、そしてゼオと戦うことになった。




 自分が全力で戦い、そして負けるようなことがあれば、計画は白紙になる。そういう約束だった。




 だが勝敗が付く前に、既に事態は動き出していた。交わした約束など、何も意味も持たない。




 辛い思い出もあるとはいえ、この地は彼女にとって唯一の故郷だった。


 生まれ育ったこの地とここに住む人々を、彼女はただ守りたかった。

 



 ただそれだけなのに。




「……ッ」




 腹の底に怒りが渦巻く。

 それは約束を破った、主と誓わされた男には対してではなかった。元より、仕える価値などない最低な男であることなど分かっている。


 許せないのはそんな男の口約束を容易に信じてしまった自分自身だ。

 滅多にない譲歩に舞い上がり、約束を破る可能性など微塵も考えなかった考えの至らなさが情けなくて仕方がなかった。




(私……なんてみじめで、馬鹿だったんだろう……)


 


 幼い日、私を拾ったあの男は言った。


 "使われる側ではなく、使う側になれ"と。



 

 "使う側"になれなかったから、こうもいいように利用されたのか。


 


 いずれにせよ、自分は最後まで"使う側"にはなれないし、なるつもりもない。


 こうなってしまった責任を、取らなければ。


 




 たった一機の祈機騎刃エッジオブエレメンタルで、起こってしまったこのクーデターを終わらせる────そんな冴えたやり方が彼女の頭にはあった。






 呼吸を落ち着け、ハルラは機体を反転させゼオの【ヴァングレイル】と正面から向かい合った。傍らにはサクラシアの【ヴァンドノート】も居る。


『邪魔者の相手は任せて、あんたはあいつに集中しなさい』


 そう告げ、【ヴァンドノート】が離脱する。


 地下に居た時と同じ、一対一で【ヴァングレイル】と対峙する。




『ハルラ!!』




 敬愛する本当の主の声が通信から聞こえてくる。クーデターが起きたことで、彼女を深く傷つけてしまっただろう。

 罪悪感に胸が強く締め付けられる。




『もうこんなことは止めて!アンタとゼオが戦って何になるの!?

 まだ遅くないわ、ボーガロウなんかの言いなりになんかならないで!』




 コックピットに響くシャルティナの声にハルラは虚空に向け呟く。




「……もう遅いんです、何もかも」




 すうっ、と息を吸い彼女は通信を開いた。


 シャルティナへの通信に対してではない。使える限りの全てのチャンネルを開き、そして叫んだ。




『フフッ……ハハハハハッ!

 まだ、そんなことを言ってるんですかシャルティナ様!いい加減、現実を見たらどうです!?

 私は、クーデターに参加した反逆者なんですよ!』




 彼女の叫びは通信魔法に乗って街中に響いた。


 争っている国軍と傭兵の祈機騎刃エッジオブエレメンタル。その両者のコックピットにも彼女の声が割り込み、パイロットの意識を妨げる。

 突如響いた少女の叫びに、少なくない数の騎士がその発生源へと意識を向けた。


「ハルラ……!?」


 ゼオにハルラを任せその場を離れたサクラシアも。




 騎士だけではない。


 受信した祈機騎刃エッジオブエレメンタル自体がスピーカーとなり、その声は多くの民間人にも届く。


「ハルラちゃん……!?」


「一体、何がどうなって……」


 民間人の避難誘導を行っていたファンガルとレヴンも、聞きなれた少女の声に周囲の人々と同じく思わず足を止めた。


 




 かくして、多くの人々が知ることとなった。


 王女の信頼を裏切った騎士が、そこに居ると。






 当然、その声はシャルティナにも届く。


 安全が確保された後方で、配下のレジェールと共にハルラの駆る【暁斬】が映し出されたモニターを彼女は困惑した様子で見つめていた。

 

「ハルラ……?」


 裏切りを肯定した彼女の言葉そのものもショックだったが、何故通信を全開にしたのか。その意図を汲み切れず、思考が止まった彼女の口から諦めるような言葉が漏れ出た。


「……本当に、遅かったっていうの……?」




『そんなことはありませんっ!』




 通信から聞こえた力強い声に、シャルティナは顔を上げた。

 昼間、ハルラのことを救うように頼んだゼオ・オークロウが、モニター越しにまっすぐシャルティナを見つめていた。


『僕は、彼女のことを信じています。

 シャルティナ様もどうか、信じてあげてくださいっ!』


「ゼオ……、っ」


 ゼオの励ましに、彼女は目尻に浮かんだ涙を拭った。

 そして、いつもの彼女に相応しい不敵な笑みを浮かべて返す。




「当然っっ!ハルラのこと、頼んだわよっ!」




『ハッ、万事お任せを!』




 そう答えたゼオの表情に、シャルティナは長年に渡り仕えて来た騎士に感じるような強い信頼感を抱いていた。

 彼なら、きっと何とかしてくれる。ああだこうだと理屈で説明するまでもない。


 今までの彼を思えば、きっとやってくれる。






 街中に響いたハルラの叫びにより多くの人々の注意が集まる中で、ゼオとハルラは対峙する。


『ハルラさん』


 ゼオから通信が届く。もちろん彼とハルラ、二人の間にしか聞こえない。




『あなたに何があったのか、どうしてこんなことになったのか僕には分かりません。

 でも……シャルティナ様に言った通り、僕は信じてますから』


『もう何かに縛られる必要はないんです。

 今、全部、終わらせますから……!』




 そう告げると、【ヴァングレイル】はゆっくりと剣を構えた。

 

 ハルラはそれに応えない。通信を閉じたまま、周囲を見回し────多くの人々の注目が集まっていることを確かめてからゆっくりと一人呟いた。




「私も、信じてます」


「ゼオさんは、最後まで……私の憧れた、ゼオさんのままでしたから」




 最後まで自分を信じ通してくれた優しい人を想い、感謝しながら。


 彼女は決意を固めた。




「私の持てる、最大の技……受けてくださいっっ!!」




 【暁斬】が動く。




 鋼線ワイヤーによる無数の罠が張り巡らされた地下と違い、開けた明るい地上ではその効果は数段劣るとゼオは予想していた。

 鋼線を張る障害物も、鋼線を隠す暗闇もこの地上には少ない。


 鞭のように振るわれ放たれた一撃も、地下と比べれば随分と目立って見える。


「これなら!」


 ゼオは容易くそれを斬り払う。




 だが、直後。




 ガクン、と【ヴァングレイル】の動きが止まる。


 剣を持たない左腕が何かに引っ張られていると把握した直後、操り人形のようにくるりと機体を回転させられ、抵抗する間もなく胴と両腕に鋼線を巻き付けられてしまった。


「そんなっ、一体どうやって……!?」


「ゼオ、見ろ!」


 ヒューグに促され確認すると、胴に巻き付いている鋼線は今までのような光を弾く眩しい銀色ではない、闇に溶け込むような黒に塗られていた。

 鋼線は銀色のみ。そう相手に思い込ませることで、とっておきの黒の鋼線から意識を逸らす。


 鋼線による罠を見破られたハルラにとっては、最後の賭けとも言える手段だった。




 両腕を抑えられ身動きの取れない【ヴァングレイル】へ向け【暁斬】は鋼線のつながった腕をまっすぐと伸ばす。




 【暁斬】の周りに何かが現れる。

 機体の周囲をゆっくりと旋回するそれは【辰影ホシカゲ】から【暁斬アカツキ】へと正体を明かす過程で脱ぎ捨てた、分厚い装甲だった。


「まさか……」




 ゼオの脳裏にある予想が浮かぶ。




 【辰影】最大の武器は、重装甲の内に隠した大量の魔法誘導弾マジック・ミサイルだった。

 細身の【暁斬】に魔法誘導弾マジック・ミサイルの発射機構は備わっているとは思えない。恐らく、脱ぎ捨てた分厚く重い装甲にこそその機構は組み込まれているのだろう。


 


 ここでその装甲を呼び出した、それが意味するところは。




 機体を締め付ける鋼線は緩む気配はなく、徐々に装甲を削り、えぐりつつある。逃れることは難しい。




「これが、私の全力……!

 これを受けて、どうか……ゼオさんっっ!」




 もはや自分の理想の騎士になってくれ、なんて図々しいことは言えなかった。




 敵味方、国軍と傭兵、そして民間人問わず、大勢の人がこの戦いから目を離せないでいる。

 

 おあつらえ向きに、国と王女に背いた、悪い悪い反逆者も居る。




 そんな裏切者に追い詰められ、窮地に陥った若く気高い騎士が────見事、勝利を収めることが出来たら。






 ────彼は、正真正銘の英雄になる。






 騎士たちは結束を固め、士気の下がった傭兵たちは戦う間もなく瓦解する。


 そうすれば、無謀なクーデターなんて、すぐに収まるはずだ。




「ゼオさん……っっ!」




 期待に高揚する感覚と、地の底へ落ちていくような罪悪感。


 その二つの狭間で揺れる彼女は、震える手で操縦桿のトリガーを引いた。




 周囲を旋回していた装甲が開き、無数の光弾が身動きできないゼオの【ヴァングレイル】目掛け放たれる。

 回避しようとしたのかすら確認できないまま、炸裂した光の波と爆風により【ヴァングレイル】の姿は真っ白な光の中に消え去った。




「……ゼオ?」




「ゼオ、おいっ……嘘だよなッ!?」




「そんな……」




 彼の名を知る者は口々にその身を案じて名前を呼ぶ。そうでないものも名も知らぬ騎士の無事を祈った。

 



 舞い上がった土煙は濃く、未だ晴れない。




 建物を盾に睨み合う傍らで二機の戦いの行く末を見守っていた国軍と傭兵の祈機騎刃エッジオブエレメンタルのカメラにも【ヴァングレイル】の姿は捉えられない。




 最も近くにいる、ハルラですらも。




「……」




 これが、自分の打てる最善の手。クーデターを早期終結させる最短経路。


 戦場とは思えないほど静まり返った空気が、その手が正しかったことを告げていた。




 あとは────英雄が現れ、裏切者を倒してくれれば────。


 全て丸く収まる。




(それでもせめて、最後に……謝りたかった。

 騙していたことも、私の理想を押し付けてしまったことも、こんな無茶に付き合わせてしまったことも、全部……全部、全部……)




 そんな思考を巡らせて、一体何秒経ったのだろうか。




 煙は未だ晴れない。




 だが。


 【ヴァングレイル】を縛り付けていた鋼線が、微かに動いた。





 風が巻き起こる。


 その風が砂煙を吹き飛ばす前に────煙の中から【ヴァングレイル】が飛び出してきた。


「! ゼオさんっ……!」


 【ヴァングレイル】は無事とは言い難い。全身の白亜の装甲は土煙に汚れ、左腕は全て失い、巻き付いたままの鋼線は機体を深くえぐっていた。




 それでも、輝く剣を手に騎士は死の淵から蘇った。


 その姿を目の当たりにした人々は感嘆の声を上げる。






 まさに、一人の英雄が誕生した瞬間であった。






「ハルラさんっっ!!」




 当の本人は、そんなことを知る由もない。彼の頭には、目の前の少女一人を救う以外になかった。

 


 【ヴァングレイル】が剣を振り上げる。


 ハルラは抵抗しない。裏切者に裁きが下るのを受け入れ、その剣がコックピットを斬り裂くのを静かに待った。


 だが。




「これで、断ち切るッッ!!」




 振り上げた剣は【暁斬】の頭部に突き立てられ────胴体には傷一つ付けず、そこで止まった。


 衝撃を受けた【暁斬】はその勢いのまま糸の切れた人形のようにぐらっと仰向けに倒れ、動かなくなる。







 歓声が上がる。




 舞台のような劇的勝利を目にし、人々は勝利を掴んだ若き英雄を称えた。






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