第83話 月と星空の下で⑧
街灯の灯も届かない路地裏で夜の闇より昏い影が蠢き、人の形を作り上げる。
「っ、はぁ、はぁ……ッ」
ギルファーメトルはリリオンの手から逃れ人間界へと戻って来た。だが、彼とて無事ではない。荒く呼吸する度、維持できなくなった細胞が血のように地面にこぼれていく。
(あ゛ぁ゛~~~……クソッ、腹減った……)
ふらっと体勢が崩れ、咄嗟に壁に手を突いた。だが結局支えることが出来ないまま、ずりずりとその場に座り込んでしまう。
リリオンを足止めするために、彼は自身の魔力と細胞のストックのほぼすべてを注ぎ込んだ。
今の彼はそこらに居る雑魚の
だが、彼は焦ってなどいなかった。この街で今、何が起きているかは、この暗い路地裏にも十分伝わってくる。そうそう見つかりはしないだろう。
路地裏の先客であるネズミが数匹、影に捕らえられ生命力を搾り取られながらあげるか細い断末魔を耳にしながらギルファーメトルは夜空に浮かぶ輝く月を眺めた。
「……いい月だ。暴れ甲斐がある」
*****
王城の地下。
月明かりも差さない、誰の目にも触れることがないこの場で、密かに二人の騎士が戦っていた。
不条理な理想に縛られながらもなお、この国を救うために。
少女は憧れの青年に刃を向ける。
正体不明の攻撃が、彼女の機体である【
「来るぞ、ゼオ!」
「ッ!」
コックピットの中でヒューグが叫び、ゼオはそれに対処する。
ほんの数時間前、騎士学校で奇襲を受けた際に食らったのと同じ攻撃。剣や槍などの武器が届く間合いの外から放たれた鋭い斬撃を、ゼオの【ヴァングレイル】は剣で防御する。
空を斬る音がした直後、機体に衝撃を受けた。防御に成功したはずなのに、防ぎきれない攻撃があったのか装甲に軽微な傷が走る。それを気にも留めず、【ヴァングレイル】は【暁斬】目掛け駆ける。
「ハルラさんっ!」
地下の暗闇に溶け込むような漆黒の【暁斬】の姿はしっかり捉えていた。取り押さえようと【ヴァングレイル】が手を伸ばす。だが、それはするりと虚しく空を斬った。
「クソっ!」
【暁斬】は【ヴァングレイル】の頭上へと逃れていた。地下空間を支える巨大な柱、その間にある埃が舞うだけの暗闇に、見えない足場でもあるかのようにじっと立ち、ゼオを見下ろしている。
『……どうしたんですか、ゼオさん』
通信からハルラの声が聞こえてくるのと同時に、再び【暁斬】が動きを見せる。暗闇に光が
受けるか、避けるか。
(回避────、ッ!?)
攻撃が放たれる前に既に、ゼオは【ヴァングレイル】に回避を命じていた。だが、直後に機体に違和感を覚えた。
脚の動きが鈍い。重石でも付けられているかのように。
動き出しが遅れただけでなく、体勢を崩した【ヴァングレイル】目掛け攻撃が降り注ぐ。
「チィ……ッ!」
剣での防御は間に合わないと判断し、背面から
【暁斬】の攻撃と裂空剣がぶつかり、甲高い音が地下空間に響いた。
【ヴァングレイル】に損傷はない。だが盾となった裂空剣は魔法で作り出した刃だけでなく制御装置となる柄まで切断されていた。刃だけなら魔力の供給により再生可能だが、こうなっては修復不可能だ。
既に六本ある裂空剣の内三本は彼女の攻撃により破壊されていた。今新たに二本失い、残るは一本しかない。
(強い……これが、ハルラさんの本気)
ハルラと彼女の【暁斬】の厄介な点は三つ。
一つ目は昼間の襲撃時から目撃している正体不明の攻撃。
二つ目は先ほど見せた空中に立つような予測不能な機動力。
三つ目はこの戦いが始まって度々感じる機体の違和感──重石が付けられたように重くなった脚など、ゼオが攻撃を受けるタイミングで度々機体の動きがおかしくなっていた。偶然にしては出来過ぎている。これもまた、彼女の攻撃の一つなのだろう。
彼女の戦い方自体は以前ゼオが収穫祭で戦ったディノの【イルヴァンレイ】とそう変わりはない。
射程の長さを活かし、相手を接近戦に持ち込ませない────しかし、より搦手に特化した彼女の【暁斬】は以上の三つの強みを活かし、的確にゼオを追い詰めつつあった。
「ヒューグさん、何か打開策は……?」
ゼオの問いにヒューグはぬいぐるみの首を横に振る。
「すまねえ。あんな攻撃、オレも見たことねえんだ」
三百年前、世界を救うため各地を渡り歩いたヒューグの経験は凄まじいものがある。だが、それでもハルラの攻撃への対抗策は見いだせずにいた。
(そもそもあの【暁斬】って機体は武器を持ってねえ。素手だ)
(
生前の知識だけでは太刀打ちできない。そう判断したヒューグは死後蘇った現代の知識も踏まえ再び推理を進めていく。
(あの正体不明の攻撃も、魔法って感じはしねえ。
契霊杖による攻撃のはずだが……)
思考に集中するヒューグに対し、ゼオも緊張感を緩めまいと【ヴァングレイル】の構えを取り直した。
『……本当に、どうしたんですか?』
通信からハルラの声が聞こえた。
『私なんかに苦戦してちゃ……理想の騎士になれないじゃないですか』
悲し気な声音だけが通信から聞こえ、モニターに彼女の様子は映らない。その言葉と共に、再び謎の攻撃がゼオ達を襲う。
「ッ、あなたは、勘違いをしている……!
僕はあなたの理想の騎士なんかじゃないっ!」
ゼオは声を張り上げ、降り注ぐ攻撃を剣で弾いていく。残り少ない裂空剣は温存すべきと判断したが、剣一本での防御には限界があった。モニターに次々とダメージの報告が浮かび、浅くない傷が機体の装甲に刻まれていく。
それでも、ゼオの決意は挫けない。シャルティナに頼まれた約束があるからだ。
『あなたにその気があろうとなかろうと……私にとって、あなたは……!』
ハルラの攻撃は止むことはなく、むしろ激しさを増していく。
『言いましたよねっ?ずっと憧れてたって……誇り高くて、揺るがない忠誠心を持つゼオさんにっ』
『それが私の理想……理想の騎士なんです……っ』
通信から聞こえる声音は絞り出すようなものへと変わっていった。
「ゼオさんは、記憶を失って……不安で仕方ないはずなのに、楽な道に逃げずにずっと主のことを信じ続けて……それが私の理想と、何が違うって言うんですか!?」
暗いコックピットの中で一人、ハルラは叫ぶ。その表情は、身に降りかかった理不尽に対し怒りを吐き出しているか、全てに絶望し傍観しているか、或いは────誰かに助けを求めているようにも見えた。
だがその様子はゼオには届かない。返って来るのは通信からの声だけだ。
『僕が諦めずに居られたのは、皆が居たからです。
ファンガルにレヴンに……ハルラさん、あなたも含めた皆が居てくれたから』
『僕は一人で何でもできるような騎士じゃない。皆が居てくれた、応援してくれた。だから、頑張れたんです』
「っ……」
どうして、未だに。
こんな状況で、そんなことが言えるのか。
「……めて」
『ハルラさん、機体から降りて話をしましょう。
何を命令されてるか知りませんけど、こんなことはもう……』
その言葉が、彼女の胸を
「やめてぇっ!!!」
拒絶するような叫びと共に、ハルラは通信を打ち切った。唇を噛みしめながら
涙がこぼれ、心がくしゃくしゃに潰されていく。
(主への忠義を果たしつつ、この国を守る……
私が、あなたみたいになるには、こうするしかないのに……!)
「どうして、そんなに優しく出来るの……っ?」
理想としていたゼオにそれを否定され、彼女の中の理想の騎士像が酷く
そして、未だにそれにしがみついて離れることのできない自分も、みじめに思えてしかなかった。
(何を、今更……
(だったら、もう……この場で……)
溢れる涙は止まることはない。
哀れな自らの過去を
「ハルラさん……」
通信を打ち切られ、ゼオはコックピットで言葉を失っていた。説得する言葉が悪かったのだろうか、考えを巡らせる彼にヒューグが声をかける。
「ボーッとしてんじゃねえ。ハルラちゃんのこと、助けるんだろ!?」
「ヒューグ、さん……何かいい案でも、あるんですか?」
力のなく問いかけるゼオに、ヒューグは力強い口調で答えた。
「ああ、解放してやろうぜ。あの子を縛る色んなものからな……!」
何か作戦がある。そう確信したゼオの【ヴァングレイル】は静かに剣を構えた。
機体の損傷は小さくない。
決着は、そう遠くないうちに付く────。
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