第82話 月と星空の下で⑦

 



 鮮血が飛び散る。


 


 ギルファーメトルの分身の腕が、リリオンの背後から腹部を貫いていた。


 圧倒的な強さを持つ彼女が持つ唯一の弱点ゼオ。そこを突いた一撃が成功したことにギルファーメトルはほくそ笑む。


 リリオンはプライドの高い女だ。まさか致命傷を負わされるとは思っていなかっただろう。

 一体どんな表情をしているのか。敗北と死を悟り絶望しているのか、或いは何が起きたのか理解していないのか。






 彼女の表情はそのどちらでもなかった。


 愛する騎士を愚弄された怒りをたたえたまま、真っすぐギルファーメトルに殺意を向けている。腹に風穴を開けられていることなど、まるで意に介していない。

 地を蹴り進む足も、剣を振り上げている腕も、まったく力を失ってはいない。今ここで、ギルファーメトルを討ち滅ぼすつもりでいる。


 


 隙を晒したのは、彼もまた同じであった。




(ッ、マズい……!)




 腹を貫いた分身は既に塵となり、リリオンの剣が本体に迫る。

 先の油断もありかわす余裕はなかった。必死の思いで自身の弱点である魔核コアを足元の影に逃した瞬間、リリオンの剣が彼の身体を袈裟切りに斬り裂いた。


 抜け殻の身体がべちゃりと地面に崩れ落ちる。魔核コアが逃げ込んだ影がその場から離れようと動き出す。




 リリオンはすっと片膝を突き、剣を足元に地面に突き刺した。


 決して、受けたダメージを回復しているのではない。まだ彼女の攻撃は続いている。剣を通じ地面に魔力を注ぎ込むと、大地に亀裂が走り金色の光と共に爆発が起きた。ギルファーメトルの魔核コアが逃げ込んだ影もまた、光の中へと消え去った。




 爆発が収まり、地面が修復され元の景色へと戻ってから、リリオンはゆっくりと立ち上がった。その動作にも、一切の淀みはない。唯一ダメージを受けた証と言えるのは、口の端から伝ったわずかな血程度だ。


「……」


 リリオンは静かに、腹に空けられた穴に手をかざした。痛みや不調は確かにあるが、戦いに支障が出るほどではない。


 ゼオの姿を愚弄された怒りに我を忘れ、隙を突かれてしまったのは確かな事実だ。

 魔王の娘という血統に裏付けされた肉体の強固さはギルファーメトルにとっても、彼女自身にとっても予想外のものだった。


 傷を回復しながら、リリオンは静かに強い身体をくれた父母に感謝した。



 

 そんな彼女の視界で影が蠢き盛り上がり、人の形を作り上げる。


「ハァ、ハァ……ッ」


 ギルファーメトルもまた生き残っていた。だが、無傷と言うわけではない。


 今までほぼすべてのダメージを受け流してきた彼だが、今は弱点である魔核コアに損傷を受け、人間の姿すら維持できなくなりつつあった。中性的なその顔の右半分が崩れ、黒い泥のような本来の姿が露わになっている。


「この、バケモノが……ピンピンしやがって」


 先に致命傷を負ったのはリリオンのはずなのに、今や虫の息なのはギルファーメトルの方であった。

 同じ幻魔候でありあがら、格の違いを感じずには居られない。


「本ッ当、分かんねぇなァ……

 それだけの強さがありながら、あんなガキの何がいいんだ……?」


 ギルファーメトルの疑問をリリオンは一笑に付した。




「そんなことも、分からないのですね」




「あの子の持つ勇気も、優しさも……その尊さすら理解できないとは。

 所詮は、に過ぎませんか」




 ゼオを愚弄された仕返しとばかりに、リリオンは挑発するような言葉を返す。


 その言葉は、彼女の予想以上に効果的であった。




「テ、メェっっ……!!」




 ギルファーメトルの顔が怒りに歪む。人の姿を保っている左半分の目はかっと見開かれ、右半分も黒い泥が波打つように蠢き、激しい怒りを露わにしている。

 



 見え透いた挑発に怒りを露わにするのは、その内容に自覚があるからだ。




 ギルファーメトルの模倣コピーは万能ではない。彼の細胞が模倣コピーできるのは、彼自身が理解できる範疇の物事だけという制約ルールがある。




 食事による栄養補給と無縁の彼にとっては、どんなに手の込んだ料理であろうと死肉と植物をよそった栄養素の塊でしかない。

 絵画や音楽のような芸術もまた、でたらめな落書きや耳障りな音の集合体としか思えない。


 そして、魔物には無縁な────勇気や優しさといった感情も。




 彼だってその弱点を克服しようとしたことはある。だが、紆余曲折あれど叶うことはなかった。


 だからこそ、リリオンの挑発が鋭く刺さる。




(そう……そのまま、怒りに身を任せ襲って来るがいい)


 かつての自分がそうしたように、ギルファーメトルが怒りに我を忘れ襲いかかって来るのをリリオンは静かに待った。

 そうすれば確実に、ここで倒すことが出来る。




「……やめだ」


 だが。


 そう思惑通りには動いてくれなかった。


「お前の挑発に乗るのも面白そうだが、俺にはまだやることがあるんでな」


 ギルファーメトルの足元に再び影が広がる。魔核コアに損傷を負っている今、出し惜しみをする余裕はないということか、先ほどより二回りは大きく暗い虚無の空間が口を広げている。


 そこから再び無数の魔物が姿を見せる。ぞろぞろと溢れて来た魔物の数は先ほどまでとは比べ物にならない。押し寄せる魔物を斬り払いつつ、リリオンはギルファーメトルの下へ急いだ。




(逃げられる────……!)




 ギルファーメトルはリリオンとの力量差を悟り、撤退を選んだ。元より彼は人間界で目的をこなすために来たのだ。リリオンが生み出したこの異空間に留まる理由はない。


 今、雪崩のような勢いで生み出されている魔物は全てリリオンをこの地に押し留めるためのものであろう。


(私が奴を追い人間界に戻れば、この数千を超える魔物が人間界に雪崩れ込む……それだけは、避けなければ……!)


 リリオンにとっては足止め程度にしかならない魔物でも、並みの人間からすれば一体一体が脅威になる。それが数千単位ともなれば、全力で対処しても大きな被害が出ることは避けられないだろう。

 

 ギルファーメトルを倒し、尚且つなるべく人間界への被害を抑える。




 それを成すには、この隔離した空間でギルファーメトルを倒す他ない。




 転移にはまだ数秒の猶予がある。それまでに妨害出来れば。


 全力でギルファーメトルの下を目指すリリオンだが、魔物の肉壁がそれを許さない。既に生み出された魔物の数は数万に達していた。


「あばよ」


 魔物達がなす肉壁の隙間からギルファーメトルがまるで勝者のようにほくそ笑む。




 そのまま、その姿は黒い影の中へと消えた。

 



「っ────……!」




 逃げられた。


 後悔する間もなく、リリオンは押し寄せる魔物の津波を薙ぎ払っていく。包囲するギルファーメトルが生み出した魔物の数は約十万。全力で対処に当たっても数十分は足止めされてしまう。

 

 その間、ギルファーメトルの対処は人間界に残る仲間に任せるしかない。




 あの時、ゼオの姿を利用した挑発に乗らなければ。


 負傷したギルファーメトルに挑発などせず、即座に攻撃していれば。




 脳裏をよぎった後悔を抑え込み、リリオンは仲間に想いを託した。 




(頼みましたよ。ラーボルト……)


(それに、ゼオ……どうか、無事で)




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