第81話 月と星空の下で⑥




 暖かな風が草原を駆け、野に咲いた花を優しく揺する。




 そんな穏やかな景色に不釣り合いな闇のように真っ暗な手が、周囲の地面ごと花を抉り吹き飛ばした。

 だが数秒後には傷が塞がるように抉れた地面は盛り上がり、また花が咲く。




 そんな破壊と再生の光景がこの空間の一帯で幾度となく繰り広げられている。


 リリオンとギルファーメトル、二人の幻魔候の戦いによって。


 


 ここはかつて、彼女がヒューグに自らとゼオの関係を明かした際に案内した異空間である。ゼオと過ごすために用意したこの場所に、彼女はもちろん愛着はある。

 だが幻魔候同士の戦いで独立相互都市連盟シュタルクラムや他の国の領土に被害を出すわけにはいかない。




 それに、リリオン自身が生み出したこの空間ならギルファーメトルの持つにもある程度対抗出来る。




 そうして彼女は、自らの土俵とも言えるこの空間でギルファーメトルと戦いを繰り広げていた。


 二人の攻防は一見するとリリオンが押されているようにも見えた。


 だがそれは、リリオンの攻撃が少なく、ギルファーメトルの攻撃が多いからだ。有効打の数で見れば、ギルファーメトルはリリオンの足元にも及ばない。

 彼女は舞踏会でゼオに見せた黒のドレスを着たまま、金の縁取りが施された細身の剣ひとつを得物に、ギルファーメトルの繰り出す無数の攻撃をいなしていた。


 そのうえで、明確な隙には攻撃を叩き込んでいく。


 ギルファーメトルが攻撃に使う黒い腕。大きく横薙ぎに振るわれたその攻撃を短距離転移で躱し懐に潜り込むと、無防備なその身体に深く剣を突き刺した。




(……手応えなし。魔核コアを捉えたつもりだったが)


 血も何も流れてこない刃の突き立てられた傷口から目線を上げると、効いていないことをアピールするかのようにわらうギルファーメトルと目が合った。

 その直後、彼女の背筋にぞわっと不快感が走った。


 


 足元から伸びる黒い腕が、ドレスの裾を掴んでいた。




 リリオンはドレスを脱ぎ捨て、即座に距離を取る。


 沈み込むような深い黒のドレスはより深い闇に侵食された後、ボロボロに崩れてしまった。


「チッ、何だよ。裸にひん剥いてやろうと思ったのによォ」


 辱めるつもりだったのか、下卑げひた笑みを浮かべながらギルファーメトルは呟く。

 ドレスを脱ぎ捨てたリリオンは普段着用している学園の制服に身を包んでいた。こんなところで肌を晒すわけがない。

 品性の感じられないギルファーメトルの態度に静かに目を閉じ、嫌悪感を露わにする。


「……強さと、それがもたらす破壊と快楽にしか興味がない。

 相変わらず、成長が感じられませんね」


 リリオンは普段まったく皮肉を言わない。なんと言われようと、彼女は慣れ切ってしまっているからだ。

 

「それが魔物だろう?

 殺し壊してアドレナリン出るように出来てんだ。何が悪い」


 ニタニタと、下卑た笑みを浮かべながらギルファーメトルは呟く。






 彼の言葉は間違ってはいない。魔物にとっては弱肉強食こそ正義なのだ。

 

 魔物の最上位に位置する幻魔候も、大小の差はあれどその思想に異を唱えるものはいないだろう。


 その中でもギルファーメトルは、破壊と混乱、そして強さを絶対のものとして捉える、もっとも魔物らしい幻魔候であった。




 だからこそ危険であり、止めなければならない。




「そう言う意味じゃ、のお前には期待してたんだがなァ……

 人間のガキなんかにほだされやがって」


 品の無い笑みがふっと消え、彼の金色の瞳が失望を映す。

 

 その直後。




 ギルファーメトルの足元から影が波紋のように辺りへと広がった。大きさにして半径数メートルほどはあるだろうか。

 足元だけではない。ギルファーメトルの周囲の雰囲気が暗く冷たいものに変わる。




 暖かな風は冷たい夜風へ。


 花はこうべを垂らし朝日を待つ間にしぼみ、枯れていく。




 ギルファーメトルが抑えていた魔力を解放した証であった。


 彼の付近は夜の帳に包まれたように暗く、背後に遠く見えていた山々の景色も闇に飲まれ見えない。




 そんなただの空間であるはずの宵闇から、音が聞こえる。




 ぐるる、と言う獣の唸り声から。



 ひゅうるるるる、と言う得体の知れない呼吸音。



 ずしん、ずしんと、それらが歩を進める足音まで。




 "音"は暗闇の奥に実体があるかのように、生々しさを伴いながら……さも当然のように、その姿を見せる。

 挑発的な笑みを浮かべるギルファーメトルの横を通り、暗闇から数多の魔物が顕れた。

 巨狼フェンリル暴竜タラスク鈍鬼トロール……。


 無数の魑魅魍魎が百鬼夜行を成す。しかも、這い出て来る魔物は留まることを知らない。




 怪物を生み続ける夜の闇。

 その中心に君臨するギルファーメトルはまるで闇を統べる"月"のようだ。


 


「こんなに明るいんじゃ、門の大きさもこれが限界か……まあいい。

 お前のために。光栄に思いやがれ」


 周囲の魔物達に負けないほど獰猛に、飢えた表情でギルファーメトルは叫ぶ。


「さあ、食い散らかせッ!」


 主の命令に従い、生み出された魔物たちが一斉にリリオンに向け襲い掛かる。三十ほどの魔獣が彼女の視界を埋め尽くし、津波のように呑み込もうとする。

 例えそれを捌けたとしても魔物はまだまだ這い出して来る。数にすれば数百を優に超える勢いだ。




 その全てを、リリオンは相手しなければならない。




 ……だからと言って、なんてことはないのだが。




 流石に今までと同じく剣一本で、と言うわけにはいかない。右手には剣を持ったまま左手で魔法を操り迫る魔物を薙ぎ払っていく。

 

 驚くようなことではない。


 幻魔候相手では、ただの魔物など物の数ではない。十が百に、千になろうと、倒すことは出来ない。

 だがそれでも、十分な数さえあれば足止めされてしまう。




 一度に複数の魔物を剣で斬り裂き、魔法で撃ち抜く。斬撃と弾幕により、リリオンは迫る魔物をまったく寄せ付けない。

 撃破した魔物の数は彼女の中で三百を超えていた。



 今もまた、複数の竜の首を横薙ぎに斬り飛ばす。

 即死した竜の肉体は急速にその形を失い、黒い泥のような塊へと変わり蒸発するように消えてしまった。




(ただの魔物ではない。

 これが、ギルファーメトル……"冥月"の能力)




 ギルファーメトルが闇から生み出す魔物は、どこか別の空間から闇を介して召喚されているわけではない。

 ギルファーメトル自身を構築する特殊な黒い泥のような細胞。その細胞が魔物の肉体を模倣コピーし生み出した……謂わば、分身のようなものだ。


 この場に居る数百、あるいは千を超える魔物。その全てが、である。




 コートを纏った中性的な若者と言う彼の外見もまた仮初の姿に過ぎない。

 魔物を生み出すのと同じ原理で細胞を変異させたものであり、彼の本体は肉体を構築する黒い泥のような細胞なのだ。

 今の姿は飽く迄気に入っているから使っているに過ぎない。




 そして、彼が模倣コピー出来るのは魔物だけではない。




 むしろ、幻魔候ともあろうものが魔物しか模倣コピー出来ないはずがあろうか。




 魔法で全身を焼かれた鈍鬼トロールの肉体が蒸発し消えた瞬間、の存在がリリオンの視界に入る。




「リリオンさま」




 激戦が繰り広げられているこの場で、穏やかな笑みを浮かべ彼は主の名を呼ぶ。

 

 この場に居るはずのない……ゼオの姿を見て、リリオンは思わず構えをほんの少しだけ緩めてしまった。




「っっ……!」




 がギルファーメトルの生み出した模倣コピーだと言うことは分かっている。恐らくは昼間、騎士学校でゼオの前に現れた際に模倣コピーしたのだろう。


 ただ外見が同じだけの偽物。

 そうと知りつつも、愛する相手と同じ姿をしていれば剣を向けるのにも抵抗感が生まれる。




「リリオンさま」




 偽物のゼオは相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままゆっくりとリリオンに近づいていく。


 偽物と知り、罠を警戒しつつ……リリオンは偽物に攻撃できないでいた。

 周囲の魔物も、ギルファーメトルも動かない。




 偽物のゼオはゆっくりとリリオンに近づき続け……


 彼女の手が届く距離で、内側から弾けるように破裂し消えた。




「パァーンッ……てな!

 ハハハハハハハッ!」




 消えてしまったゼオの姿が、リリオンの脳裏のトラウマを刺激する。


 そんな彼女の耳に、ギルファーメトルの品の無いわらい声が響く。




「お前……ッッ!!」




 唸るような声が漏れ、血が沸騰するように全身を怒りが駆け巡る。

 衝動に駆られるがまま、リリオンは剣を構えギルファーメトルへと迫る。ほぼ同時に迎撃の為動き出した魔物たちは瞬く間に彼女の魔法で薙ぎ払われた。




(かかったッッ……!)




 迫るリリオンにも動じず、ギルファーメトルは口角を歪めわらう。

 



 足元に生じた影を通じ、自らの分身をリリオンの背後に生み出す。

 怒りに我を忘れた彼女はそれに気づかない。




 そのまま、無防備なリリオンの背中を。


 ギルファーメトルの腕が貫いた────。







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