第80話 月と星空の下で⑤

 時間は再びさかのぼり。







 

 ハルラにゼオと戦う約束を交わさせたボーガロウは、つい先ほどまで彼女が居た部屋で今度は大事な客人をもてなしていた。


 ボーガロウの注文を受けた若いメイドが、最高級の紅茶が注がれたティーカップをテーブルに置こうとする。


「いらねえ。喉渇いてねんだわ」


 そう言ってメイドの手を払い除けると、客人はドンッ、とカップが置かれるはずだったテーブルの上に乱暴に脚を乗せた。


 ボーガロウという男は、とにかく調度品を豪華なもので揃えたがる悪癖があった。このテーブルひとつにしても、若いメイドの給料では到底買うことが出来ない額である。

 以前ある失敗をした時厳しい折檻せっかんを受けたメイドは、マナーなど知ったことではないと言わんばかりの客人の態度に震え上がった。


「チッ、もういい、下がれ……!」


 ボーガロウの声にメイドはペコペコと頭を下げながら部屋を後にした。

 

「申し訳ありません。どうか、気を悪くしないでいただきたい」


 ハルラに対する態度が嘘のように、穏やかかつ丁寧な口調でボーガロウは客人に謝罪する。


 彼が普段の尊大な態度を抑えているのも当然の事である。




 今彼がもてなしているのは、幻魔候ギルファーメトルなのだから。




「別に。気にしちゃいない」


 下手に出るボーガロウに対し、ギルファーメトルの態度は冷めていた。まるで彼にまったく興味がないと言わんばかりに。

 それに何とも思わないわけではないが、怒らせるようなことだけは避けたい。


 ギルファーメトルの存在こそが、ハルラの言う無謀な計画を成功させる鍵なのだから。


「でしたら……今夜は、よろしくお願いしますぞ」


 そう言いながら、ボーガロウは頭を下げる。


「んー」


 やはり、客人の反応は味気ないものだった。ピキッ、と一瞬怒りが身体を突き動かそうとするが何とか抑えた。




(この私が頭を下げたというのに……コイツは、何様のつもりだ……!?)

(だが、まあいい。こんなバケモノに頭を下げるのも、私がこの国を手中に収めるまでのこと……)




「オイ」


 その声にふと我に返ると、ギルファーメトルがじっとボーガロウを見つめていた。

 

「あのガキに何をさせようがどうでもいいが……

 ゼオ・オークロウはオレの獲物だってこと、忘れんなよ?」


「……もちろんですとも。あんな小娘など取るに足りません」


 ソファから立ち上がり、ツカツカと歩きながらボーガロウは持論を語る。

 ……何故、部屋に居なかったはずのギルファーメトルが、ハルラとボーガロウの約束を知っているか不審にも思わずに。




「────世界は、強者の為にある。一握りの選ばれし者たちの為に。

 それ以外は全て強者に利用される者たちに過ぎません。道具か、或いは贄として」


「……御客人も、そうは思いませんか?」




 堂々とした様子でボーガロウはそう問いかけた。


「……へえ」


 すっ、とギルファーメトルも席を立った。今までの冷めた態度が嘘のように、楽しそうにニヤニヤとした笑みを浮かべている。


「分かりやすくていいじゃねえか。オレも同感だよ」


「おお……!」


 思いがけず好反応を得たことにボーガロウは喜ぶ。自分の野望達成の為に協力してくれる確証を得た、とそう思い込んでしまっている。

 

「全ては、強き者の為に」


 すっ、とギルファーメトルは手を差し出した。






 ボーガロウは警戒もせず、差し出された手をぐっと握り返した────。






*****







「……始まったか」


 煌びやかな雰囲気が満ちる舞踏会の会場でラーボルトは静かに呟いた。

 傍に居るリリオンも頷く。


「……あの子には、辛い選択をさせてしまったでしょうか」


 この場に居ないゼオが何をしているか、二人は知っている。

 一人ハルラに連れられ、王城の地下で彼女と戦わなければならなくなったことを。


 リリオンの力なら、無理やり介入して止めることも出来た。友人と戦うことになったゼオの心中を察し、リリオンは静かに呟く。


「あいつが選んだことだ。見守ってやれ。

 ヒューグの兄ちゃんも付いてることだし、心配はいらねぇだろうよ」


 ラーボルトの言葉にリリオンは静かに頷いた。


 ゼオのことは確かに心配だが、今はそれ以上に警戒すべき対象が居る。

 有事の際には、この会場に居る多くの人々を守らなければならない。


「ま、心配ならリリオンが慰めてあげればいいじゃん!ねっ?」


 ラーボルトの部下であり昼間は一緒にドレスを選んだ三姉妹の次女、リィフォンがそう告げる。

 からかわれていると分かっていながらも、リリオンはぽっと頬を赤く染め何も言わず黙ることしか出来なかった。



 


「皆様、ご静粛に願います」


 声が響き、人々の視線がそちらへ向く。

 会場の前方、ステージの上の進行役と思しき男性がマイクを片手に話を続けた。


「本日は舞踏会に参加いただき、誠にありがとうございます。

 つきましては、明日の祈機騎刃エッジオブエレメンタル発表会を前にシャルティナ様からお言葉を賜りたく……」


 その言葉と共に、豪華なドレスで着飾ったシャルティナが舞台の袖から拍手に包まれながら現れた。大勢の前だが緊張した様子はない。

 彼女はしっかりとした足取りで舞台の中央に進み、一礼してから堂々とした様子で話し始めた。




「……昨今の祈機騎刃エッジオブエレメンタルの発展は目覚ましく、我が国としても軽視できるものではありません。しかし、機体だけでは何も意味はありません。

 機体に乗り込み、動かす騎士があって初めて祈機騎刃エッジオブエレメンタルはその効果を発揮します」

「その為に騎士の皆様はたゆまぬ努力を続け、我々に忠義を尽くしてくれている。改めて、感謝申し上げます」


 すっ、とシャルティナは再び頭を下げる。




 騎士の傭兵化を進めようとするボーガロウに対抗するための、騎士たちへの感謝の言葉。そうして始まった彼女のスピーチを、会場の外の廊下でボーガロウは忌々しいと言わんばかり表情で聞いていた。


「フンッ、小娘が……!今に見ているがいい……!」


 怒りを抑え込み、獰猛なニタニタとした笑みに表情を変えつつボーガロウは呟く。

 隣には彼の頼みの綱であるギルファーメトルが緊張感なく欠伸あくびをしていた。


「御客人!頼みますぞ……!」


 間もなく彼の計画が始まる。

 ボーガロウに急かされ、ギルファーメトルははいはい、と気怠けだるそうに応えると舞踏会の会場に繋がる扉へと向かった。


 


 

「しかし忘れてはならないのは、祈機騎刃エッジオブエレメンタルの力は国防のためにあるということ。祈機騎刃エッジオブエレメンタルの管理を行う教会がうたっている通り、侵略し攻撃するために在ってはなりません」

「そこで、我が国が新たに開発した祈機騎刃エッジオブエレメンタルは拠点防衛用として……」


 スピーチを続けながら、シャルティナは何かに惹かれるようにふと、手元の台本から顔を上げた。


 彼女の正面、会場の入り口の扉が開き黒いコートを纏った人物が入って来た。

 正装が基本の舞踏会の場にはあまりに異様なその人物は、シャルティナを見つめ不気味な笑みを浮かべながら、まっすぐ舞台の上の彼女に近づいて来る。




 そう、まっすぐ。

 



 進路を妨げる人混みを、影のように黒いカギ爪で引き裂きながら。



 

 鮮血が飛び散り、床が赤く染まる。


 惨状に気付いた人々が悲鳴を上げ、護衛の騎士が取り押さえようとするが、そのいずれも影に引き裂かれ、物言わぬ肉塊に成り果てた。




「え、ぇ……?」




 煌びやかな舞踏会が一瞬で地獄へと変わってしまった。



 何が起きているのか理解できず、夢か幻かと疑ったシャルティナは目を擦り、恐る恐る再び開いた。






 ────そこには、変わらぬ舞踏会の光景が広がっていた。引き裂かれたはずの参加者や騎士たちも、何食わぬ顔で立っている。皆静かに彼女のスピーチの続きを待っていた。


 何が起きているのか、またしても理解できない。何かの幻覚を見たのだろうか。

 戸惑いながらもあの恐ろしい惨状が現実ではなかったことに安堵した彼女の瞳が、恐ろしいものを捉えた。




 会場の奥の扉が開き────あの黒いコートの人物が入って来た。

 変わらずシャルティナをじっと見つめ、不気味な笑みを浮かべながら。



 


 その瞬間、彼女は直観で理解した。


 あの映像は、幻覚ではなく────これからの数秒を予知したものなのだと。

 反射的に叫んでいた。


「衛兵ッ!!」






 戸惑っていたのは彼女だけではない。


 これから舞踏会に惨状を巻き起こすつもりだったギルファーメトルも、会場に入った瞬間に違和感を覚えていた。


(……何だ、対応が早いな?)


 会場に居た護衛の騎士たちが全てこちらに敵意を向けていた。


 。参加者たちの盾となるように立ちはだかり、ギルファーメトルを取り囲んでいる。


「貴様ッ!一体何者かッ!?」


 騎士たちは既に各々の獲物を手に取り構えていた。

 だが、ギルファーメトルは動じない。


(リリオンの仕業だな……コイツらにを見せて、オレを警戒させたか)


 この会場で大暴れするつもりだったが、先手を打たれてしまった。だが何も動じることはない。


 彼がやるべきことは、最初から最後まで変わらないのだ。




 軽く腕を振り、取り囲んだ騎士の一人を軽々と弾き飛ばす。

 何事かと会場がどよめき、異常事態の発生を知らせていた。


「何者かなんて、お前たちで決めろ。

 恐れ、畏怖し、語り継げ────それこそが幻魔候オレだ」


「取り押さえる!」


 騎士たちのリーダー格に当たる男が剣に魔力を満たし、祈機騎刃エッジオブエレメンタルを呼び出した。

 会場内では祈機騎刃エッジオブエレメンタルの全身を呼び出すことは出来ない。斬り開かれた空間の内から巨大な腕が伸び、ぐっとギルファーメトルの身体を握りしめた。

 生身の人間なら潰されていてもおかしくないが、ギルファーメトルはまったく意に介していない。


「オイオイ、もっと潰す気でかかってこいよ……!」


 挑発的な笑みを浮かべるギルファーメトルだが、一瞬とはいえ拘束されていることには変わらない。




 その瞬間を、リリオンは見逃さなかった。


「そこまでです。ギルファーメトル」


 転移魔法を使い、拘束されたギルファーメトルの傍へと飛び、彼を連れて再び転移する。何も知らない者たちの目にはリリオンの姿など幻のように一瞬しか映らなかっただろう。




 幻魔候"冥月"ギルファーメトルの相手は自分がする。


 それがこの地に来る前にリリオンが仲間たちと話し合い、決めたことであった。




 舞踏会の会場で戦うには人目が多すぎる。正体が露見する恐れがあり、犠牲者が出るのは避けられないだろう。だからこうして、一対一で戦える場を用意できる瞬間をずっと探し続けていた。






 イクシオリリオンとギルファーメトル。


 世にも珍しい、幻魔候同士での戦いが始まろうとしていた────。





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