第37話 【王女】セナリス・レーヴェラルト

「……ゼオ、大丈夫かしら」


 ゼオがセナリスに強引に連れ出された後、カフェに残ったヴァーミリアはぽつりとつぶやいた。


「確かに、セナリス様は何かと噂をされる方ではあります」

「ゼオも少し振り回されることになるでしょうが……心配はいらないでしょう」


 彼女のつぶやきに、キッチンの奥で皿を洗っていた女性が答える。

 ゼオとセナリスが使った皿を洗い終え、声の主───リリオンは濡れた手をエプロンで拭きながらヴァーミリアの方へ向き直った。


「そうね。それにしても……ふふふっ」


 思わず笑みをこぼしたヴァーミリアにリリオンは不思議そうに首をかしげた。ごめんなさいと謝り、息を整える。

 あのリリオンが、キッチンに立って皿を洗っている。仕事をする以外は、ほとんど一人で本を読むのを好んでいた彼女が。彼女が生まれて百年近くの間、ずっと傍に居るがこんな光景は初めてだ。


 これもゼオと一緒に過ごした影響だろう。

 ゼオと会ってから、彼女は本当に変わった。


「ヴァーミリア」


 リリオンに呼ばれ、ヴァーミリアは何?と返す。


「ゼオが食べていたあの料理の作り方を……その、教えてはもらえませんか」


 リリオンの様子はややぎこちない。いつも泰然たいぜんとしている彼女には珍しい。


 だが、ヴァーミリアは知っている。

 彼女は誰かに頼みごとをするのに慣れていないのだ。十数年前、赤ん坊だったゼオの世話を手伝うよう頼まれた時もそうだった。


「ええ、もちろんっ」


 満面の笑みでヴァーミリアが応えると、リリオンもふっと頬を緩めた。

 きっとゼオが幸せそうに食べるのを見て、自分も作ってみたくなったのだろう。

 幸い、客が来る気配はない。善は急げと、ヴァーミリアはフライパンを温め始めた。


「リリオンは器用だもの、きっとすぐに上手く作れるようになるわ」


「……そうでしょうか」


「ええ、そうよ。次にゼオが来たときは、あなたが接客から調理までやってみる?」


「……それは、その」


 彼女は言葉を詰まらせ、押し黙った。今日だって、厨房の奥に居ながらもゼオの前に顔を見せようとはしなかった。自ら立てた『姿を見せない』という誓いを、愚直に守ろうとしている。

 リリオン自身、その誓いが正しいのかどうか迷い続けている。だが、迷い続けた果てに辿り着いた結果はきっと正しいはずだ。

 だから、ヴァーミリアは少なくとも見守ることにしている。彼女の仲間として、その決断を。




*****




 一方、リリオンの予想通りゼオはセナリスに大通りを連れ回されていた。


 彼女の買い物に付き合わされ、王女らしい豪快な買い物の荷物持ちをさせられている───かと思ったが、そんなことはない。


「ここ、人魔共同主義連邦ウチの果物が使われてるの。オススメするから、一つどう?」

「この店は人魔共同主義連邦ウチと関係ないけど、美味しいのよねぇ。ねえ、どうかな?」


 ゼオが何か言う前に、彼女は勝手に店員に注文していく。ゼオの分の代金も払い、金を渡そうとしても受け取ってくれない。

 しかも、さっきのカフェで甘いものが好きと見抜かれたのか、甘いスイーツの店ばかり巡っている。これで三件目だ。


「せ、セナリス様……もう勘弁してください」


 いくら食べ盛りの年頃とはいえ、ゼオの胃袋にも限界がある。味はオススメされただけあって極上で、始めは夢中になって食べていたのだが、甘いものばかりですっかり胃もたれしていた。

 一方、殆ど同じ量を食べているはずなのに、セナリスは全く苦しそうにしていない。それどころかゼオの苦し気な様子を見ていつものように愛嬌のある笑みを浮かべている。


「男の子と二人で食べたのは初めてだけど……ふふっ、なかなか新鮮でいいね」


「……そうですか」


 からかうような彼女の言葉にも、ゼオはそっけなく返すしかできなかった。


 腹をさすりゆっくり深呼吸を繰り返すと少しは楽になった。そんなゼオの様子を眺めながら、セナリスは問いかけた。


「ねえ、ゼオくん。君はまだ、自分のお姫様探しを続けているの?」


 顔を上げ、セナリスの方を向いた。いつも通りのからかうような笑顔。それだけでは彼女の真意はわからない。

 ただ彼女はゼオを部下にしたいとはっきり口にしている。諦めるよう言ってくるかもしれない。


「……僕は、自分には仕える主がいると信じています。ですから、あなたの部下にはなれません」


「うん、それでいいよ。諦めていないようでよかった」


 ゼオの返答に対する彼女の反応は意外なものだった。ゼオのお姫様探しを否定するのではなく、肯定している。

 意味が分からず困惑するゼオに対し、彼女は笑みを浮かべ続けている。


「君の魅力は強さそのものより、呆れるほどの忠犬振りだからね」

「早々に諦めてランシアに尻尾を振るような半端者じゃなくて、本当によかった」


 言い方こそ問題はあるが、セナリスはゼオの忠誠心の高さを評価してくれているようだ。

 だが、それならば何故。


「……あなたは僕を部下にしたいはずでは」


「うん、するよ」


 即答する。ゼオを見つめる彼女の瞳から愛嬌が消え失せ、冷酷さが宿る。

 

「君の主が誰かは知らないけど……どこかの地主というなら、土地ごと私が貰う」

「どこかの爵位ある貴族というなら、大臣の地位で迎えよう」

「そうすれば、君は君の主人ごと私の部下になる。そうよね?」


「……それは」


 彼女の言っていることは、正しい。


 だが、王女の発言としてみればあまりに過激で、傲慢で、強欲なものだ。なにせ、彼女の発言は───。


「……強欲さも王族に必要な資質だよ」

聖領守護騎士団リッターヘイム独立相互都市連盟シュタルクラムもいずれ私の下につく。私が世界を統べてみせる」

「去年、私が世界中に発したこの宣言……ゼオくんは記憶喪失だから知らないんだよね?」


 事実上の統一宣言。 


 直接的な宣戦布告よりはマシなものの、一国の王女がするには余りにも馬鹿げた、王位を剥奪されてもおかしくないような発言だった。

 だが、彼女の纏う雰囲気にはそれが出来るという説得力があった。決して荒唐無稽こうとうむけいな話ではない。そう思わせるだけのカリスマが彼女には備わっていた。


 改めて、ランシアやシャルティナが同じ三大国家の王女であるセナリスを警戒する理由が十分に分かった。


「……」


 何といっていいか迷い立ち尽くすゼオに、ふっと彼女は雰囲気を緩めた。


「まあ、流石に表立って戦争をしかけたりはしないから安心してよ。ゼオくんの主探しについては、私も協力するからさ」


 取り繕うような発言をしても場の雰囲気は戻らない。賑やかな大通りの一角で、空気が張り詰めていた。

 流石に、こんな気まずい空気はセナリスとしても御免だった。


「えっと……もうお腹いっぱいなんだよね?じゃあ、次は観光でもしようか」


 そう言いながら、彼女はゼオの手を取り歩みを進めた。






 そんな二人の背を見つめる者がいた。


「先生、見つけました」


 小麦色の肌をしたゼオよりも若い少年はそう話す。会話の対象である『先生』は通信魔法で遠く離れた場所から少年に指示を下していた。


「……はい。では、場合によってはこの街ごと」


 そう言って、通信は終わった。


 少年は人混みに紛れ姿を消し、しかしはっきりとゼオとセナリスの後を追った。




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