第34話 学園都市

 人、人、人───。




 出かける準備を終え、学園の正門から出たゼオの目に飛び込んできたのは大通りを埋め尽くす人の山だった。

 通りの左右には出店が並び、お祭りでもやっているかと思うほどにぎやかだ。


 記憶を失ってから学園の外に出たことのないゼオはもちろん、三百年前に各地を旅したヒューグもこれだけ人が集まっているのは初めて見た。

 

「いやあ、すごいなこれは」


 背中に背負ったリュックの中から、ヒューグが思わず声を漏らした。ゼオも頷く。

 



 この街、学園都市『アストレリオ』は地図の中心に位置し、三大国家の全てに接している。その立地から交通の要衝、情報の集積地として古くから栄えてきたそうだ。

 その歴史の中で、この街は三大国家のいずれとも親しく、しかし然るべき距離を保ちながら政治的な独立を続けてきた。


 そうして中立を保ち続けたこの街の集大成こそ、ゼオを始め三大国家の姫たちも通う『アストレリオ学園』であった。



 そんな街の様子は記憶喪失のゼオにとっては新鮮そのものだった。並ぶ建物、行き交う人々、出店の商品──。

 

「ゼオ、あまりキョロキョロすんなよ」


「え?なんでですか?」


 ヒューグの言葉の意味をゼオは読み取れなかった。そんなゼオに向けて、出店の店主たちがわっと声を浴びせていく。


「兄ちゃん!このリンゴどうだい!?人魔共同主義連邦デモニガイズから今朝一で運ばれて来た採れ立てだよォ!」

「いやいや、将来騎士になる方でしょうしこの聖領守護騎士団リッターヘイムで打ち鍛えられた長剣をどうぞ!!」

「働き口を探してはいませんか?独立相互都市連盟シュタルクラムでは都市専属の騎士を募集して……」


「えっ?え、えっっ!?」


 いつの間にか出店の店主だけじゃなく手にチラシを持った怪しい勧誘まで寄ってきていた。何も知らない田舎者が職を探して都会に出てきたのだと思われたのだろうが、ゼオの様子はそう思われても仕方ないものだった。


 もっと早めに注意するべきだったと後悔しながら、ヒューグは慌てているゼオに声をかけた。


「ゼオ、こんな連中とにかく無視だ無視!さっさと逃げるぞ」


「っ、ご、ごめんなさいっ!」


 引き留めようとするあれこれの言葉に背を向けながら、ゼオは人混みに紛れるように姿を消した。




「はあ、はあ、はあ……ふうっ」


 建物の間まで逃げ込んだゼオはゆっくり深呼吸し切れた息を整えていた。

 学園で散々生徒に注目され、人の視線を集めるのには慣れていたと思ったが、まさか街中でも同じ目に遭うとは。


「不用心だぞ、まったく」


 そう話すヒューグのほうを向くと、何やら口をもぐもぐ動かしている。


「……何食べてるんですか」


「肉。試食どうぞって言ってたやつがいたから、貰っておいた」


 いつの間に。


 盗んだものなら代金を払わなければならないと考えていたが、試食なら……。 

 まあ、いいか。


 ……それにしても。

 

「お腹空いた……」


 朝の鍛錬を終えた時点で腹が空いていたのに、急に走ったものだからますます腹が空いてきた。出店で売られている料理の匂いに胃袋も刺激されぐうぐうと音を立てている。

 とはいえ、あんなことがあった後で大通りに戻る気にもなれなかった。


 幸い、今いる建物の間も細いながらも奥まで続いていた。この先に進めば、別の通りに出られるかもしれない。


 そう思い、ゼオは足を進めた。壁に手を付きながら奥へ向かい、曲がり角を覗き込む。




 周囲を壁に囲まれた空間に、ぽつんと建物が立っていた。小さな空間に相応しい、こじんまりとした絵本から出てきたような可愛らしい建物だった。


 何の建物か、近づいていくとドアには『OPEN』の文字が掛けられていた。


(お店……?)


 近くに置いてある立て看板にはさらに『Café de la Paix』──安らぎのカフェ、と書かれていた。


「カフェ・ドゥ・ラ・ペ……カフェ?」


「へえ、こんなところにカフェとはな。雰囲気いいじゃん」


 確かに、人目に付かない路地の奥にあるこのカフェは大通りの騒がしさとは無縁だ。安らぎのカフェという名前に相応しい。


「ヒューグさん、入ってもいいですか?」


 ゼオがその気なら、もちろんヒューグに止める気はない。

 

 カランカランとベルの音を響かせ中に入る。

 こじんまりした外見通り店内は狭く、テーブル席が2つとカウンター席があるだけだった。


 他に客はいない。ゼオ一人らしい。


「いらっしゃいませ」


 声をした方へ向くと、カウンターの向こうにエプロンをかけた若い女性が立っていた。


「さあ、どうぞ」


 穏やかな声に導かれ、ゼオは彼女の前のカウンター席へと座った。


「ようこそ、来てくれてありがとう」


 彼女はそう言いながらにこっと微笑んだ。


 綺麗な人だ。と、ゼオは思った。

 だが同時に、それ以上に彼女の持つ暖かくて優しい雰囲気に浸っていた。こんなに綺麗な人と近くで話をしているのに全く緊張していない。

 

 その理由を、彼は覚えていない。




 ヒューグは知っている。


 ゼオを出迎えた女性は彼が生涯最後に戦った相手であり───先日、三百年の時を経て再び相まみえた、幻魔候ヴァーミリアその人だったからだ。








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