第7話 護るものと護られるもの③
「あんたは……」
轟音が過ぎ去り、静寂が訪れた。
舞い上がったホコリがスローモーションのようにゆっくりと沈んでいく。
ゼオの身体に憑依したヒューグは、乱入機の中から姿を見せた女を見上げていた。
女もまた、天窓から差し込む陽光を背に彼を見下ろす。
そしてヒューグは気づき、戦慄した。
(オイ……オイオイオイ、オイっ!)
(なんだよ、これは……!?)
彼の感覚が、女の異常さを訴えていた。端的に言って、強すぎる。
その場の魔力が、全て女に引き寄せられていた。強大な重力を放つブラックホールのように、宙に漂う魔力が全て彼女の支配下にあるのを感じる。
『魔力を支配することは、場を支配することに等しい』。
姫様がよく言っていた言葉を思い出す。
あの女の前では、この倉庫の全てが掌の上にあると言っても過言ではない。魔法とは、突き詰めればそこまで行けるものなのだ。
だが、そんなことが出来るのは少なくとも人間ではない。かつての仲間たちの内、最も魔法に精通していたユーセトラさえも、その域にははるか遠く及ばない。
だからと言って、魔物の中にもそうはいないだろう。
思い浮かぶのは、魔物の最精鋭たる幻魔候……三百年前、人類の脅威として君臨したそれのことが浮かぶ。
だがヒューグがその生涯で最後に戦ったあの姉妹ですらこの女の前では霞む。
それほどまでに、彼女は圧倒的だった。
実力差に驚き、固まったままのヒューグと、表情を変えず見下ろし続ける女。
静寂を破ったのは、吹き飛ばされ壁面に叩きつけられた【ヴァンドノート】だった。
『クッ、クフッ、ハハハハ……!』
『ようやく!ようやく姿を見せてくれましたなァッ!!』
それに乗る何者かの声が響く。もはや口調も声音もファンガルのものではない。
『お久しぶりですねぇ……こんなところに、隠れていt』
女が振り向き、すっと腕を払った。
その瞬間、ピタッと声が止まった。
女に向けて手を伸ばしていた【ヴァンドノート】の動きも止まる。
まるで、時が止まったかのように……いや。
機体の肩から滑り落ちるガレキが、空中で止まっていた。
本当に、時が止まっている。
「時間停止魔法……」
もはや笑えてきた。最高難易度を誇る魔法だ。
幻魔候の討伐で一度だけ使われたことを見たことがある。
魔術師結社の精鋭十人が三日かけて精神統一し、全員の魔力が空になるまで注ぎ込んでようやく五秒だけ止められた、恐ろしく
それをこの女は呪文も杖もなく、軽い動作だけで発動した。しかも、とっくに五秒以上経過している。
「……耳障りな声を」
吐き捨てるようにつぶやいた後、女は再びヒューグの方へ向き直った。
そして深いため息を吐いた後、彼に対して口を開いた。
「ヒューグさん。私はアレを止めなくてはなりません。協力してもらえませんか?」
名前を呼ばれ、ヒューグは固まってしまった。
「なんで、俺の名を……」
「あなたのことは知っています。魔王討伐隊、ランメア・スティンバルの騎士ヒューグ」
なぜそれを。人間界に俺の記録は残っていなかったのに。
だがその疑問も、彼女の想定内なのだろう。
「……全ては、終わった時に話すと約束します。どうか、力を貸してください」
疑いが消えたわけではなかった。あれ程の強さを見せられ、自分にやれることなんてあるのだろうか。
だが、こうまで頼まれては断ることは出来なかった。
「チッ……わかったよ。力を貸そう、どうすればいい!?」
では、と彼女が腕を動かした。
その瞬間、ヒューグの身体はシートに収まっていた。慌てて周囲を見回す。
ゼオの【ヴァンドノート】のコクピットの中とよく似ていた。
「あの機体の中、なのか?」
ええ、と後ろから声がした。振り向くとちょうど真後ろ、やや高くなった位置にもう一席シートが備えられている。そこに、あの女が座っていた。
「あなたは操縦を頼みます。熟達した剣士であれば、訓練は必要ありません」
「ただ念じればその通りに動く。そういう風に出来ているのです」
念じる、ヒューグは自らの中で彼女の言葉を繰り返した。
操縦桿を握る手に力がこもる。
「あなたも予想しているかと思いますが、奴は学園の生徒に憑依しています」
「名はバレオス。奴を倒し生徒を救出、
了解、とヒューグは力強く応えた。
「
「その力を、今ここに……!」
機体が目覚める。凄まじい量の魔力が迸るのを感じる。大渦の中、台風の目にいるような感覚だった。
意識を集中させ目を閉じると、脳裏に周囲の光景が浮かんだ。まるで自分がその機体、【ヴァルガテール】そのものになったかのようだ。
膝を付いた姿勢から立ち上がり、【ヴァンドノート】のほうへ頭を向ける。
ほぼ同時に、時間停止魔法も解けバレオスもまた動き出していた。
『むっ……?ははぁ、これはこれは』
『いささか、厄介なことになりましたなぁ』
ヒューグがそれに乗り込んだことを察したのだろう。
だが嘲笑うような奴の声音は変わらない。
「その機体も、生徒も、返してもらいます」
女が冷静な口調で告げる。彼女の実力を理解していれば、即座に降伏してもおかしくない。
だが、バレオスは余裕そうな態度を崩さなかった。神経を逆なでする、
『流石、自信がおありのようで……ですが、私も知ってるんですよ?』
『貴女が余計なことをしたせいで、その機体は本調子じゃない』
思わず振り向き、本当かと尋ねた。
彼女は目を閉じ冷静に、ええ、と返した。
「あの程度の相手なら十分です。むしろ、いい練習になるでしょう」
『ッ……!調子に乗るなよ、クソ女がァァァッ!!』
余裕そうにそう返したのがよほど勘に触ったのか、敬語が崩れ元の乱暴な口調に戻った。
それと同時に、【ヴァンドノート】の白亜の装甲の隙間から禍々しい魔力が溢れ出す。
『クフフ……ハッハッハッハッハ!』
『この力!素晴らしい、俺の思った通りに動く!全てを支配できる!!』
ぞああっ、と【ヴァンドノート】から邪悪な魔力が迸った。
その場の魔力のコントロールが【ヴァンドノート】に近い場所から奪われていくのを感じる。
「……力に溺れて、そんなことだから」
目を閉じ呆れたように女は呟いた。
『おおおおォォォォッッ!!』
雄たけびを上げながら、【ヴァンドノート】が接近してくる。
大剣を振り上げ、既に攻撃の体勢に入っていた。
「止めてください」
「応ッ!」
女の指示に従い、自分の身体を動かすように機体に動きをトレースさせる。
想像よりずっと早く……或いは生身以上のスピードで、【ヴァルガテール】の腕が大剣を振り上げた腕を掴んだ。
『ぐっ……!?』
彼は掴まれた腕を力づくで振りほどこうとした。だがそれはヒューグからすれば、呆気ないほど弱弱しい抵抗だった。
駄々をこねる子供の手を引く大人のように、力の差が大きすぎる。
そのまま、左手で左腕を掴み、完全に拘束した。
「次はどうする!?」
「場所を移します」
冷静に返した女の言葉に、ヒューグの思考が止まる。
場所を移すって……?
次の瞬間、ヒューグはその意味を理解した。頭に情報が流れ込んでくる。
そうだ、こいつには翼がある。
「ストームバーン・ウィング」
漂うホコリを吹き飛ばしながら、背中に蝙蝠を思わせる翼が出現した。一見すればただの薄い膜にしか見えないそれが、機体を両側から保護するように形を変える。
次の瞬間、【ヴァルガテール】は飛翔した。
【ヴァンドノート】を掴んだまま天窓をぶち破り、学園の上空で一瞬止まった。
その直後、流星と見紛うほどのスピードでその場から飛び去った。
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