姫と騎士

第2話 機神来たりて

 その日は朝から嫌な予感がしていた。

 魔法とか予知とか抜きにしても、そういう感覚は大事にするよう教わっていたこともあり、彼はその日の重大な任務に一層気合を入れていた。




 ひときわ高い瓦礫の上に立ち、周囲を見回す。

 あたりは岩と瓦礫ばかりで草木はまったく生えていない。空には重くのしかかるような雲が立ち込め夜のように暗い。三百六十度変わり映えのない景色には何の異常もない。だが嫌な予感は胸にずっと残っている。

 いつでも準備は出来ていると、彼は腰に帯びた剣の位置を正した。


「ゼオ!」


 ゼオと呼ばれた青年は声のしたほうへ顔を向けた。

 彼のいる瓦礫の下で、男が腕を振っている。彼はファンガルといい、その身体は毛むくじゃらで、口から覗く牙は鋭く耳は頭の上に二つピンと立っている。

 平たく言えば彼は狼の獣人だった。昔は魔物として扱われていた種族である。

 

「お姫様が呼んでるぞ。見張りは代わるから、行って来な」


 おうと返事をし、瓦礫から飛び降り着地する。見張りをしている間保ち続けていた緊張感が途切れ、ふうと息が漏れた。


「おいおい、気ィ張りすぎだぜ。気合が入んのもわかるけど、ほどほどにな」


 そういいながらバンバンと背中を叩いてくる。

 ゼオが小柄なわけではないが、ファンガルと二人並ぶと親子ほどの対格差がある。


 だが短い付き合いでも、彼が見てくれとは違う気さくでいいやつだということをゼオは知っていた。むしろマイペースすぎて呆れるくらいで、嫌な予感に気が気でないゼオと違ってこの状況を楽しんでいるようだった。


「お前が気楽すぎるんだよ。欠伸あくびしてるとこ見られたりするなよ?」


 ファンガルの返事ははいはいと気楽なもので、呆れてため息が出た。


(まあ、気持ちはわかるけど……)


 そのままゼオはファンガルの言うお姫様の居る場所へ向かった。




 瓦礫に囲まれ開けた空間、そこに小さなテントが立てられていた。

 ここに来た際、説明を受けた場所であり、拠点と言える場所である。


「ランシア様、お呼びでしょうか」


「……ええ。どうぞ中へ」


 澄んだ声に従い中へと入る。小さな机と椅子、それに座った少女と後方に立つ護衛の騎士が一人。

 少女はその外見、纏う雰囲気からして常人とは別なものを感じる。住む世界が違いすぎて、目の錯覚か艶やかな金髪がキラキラと輝いて見えた。


 実際、彼女は世界を三分する大国の王女である。


 一方で騎士もまた女性ながら、並々ならぬ重圧を放っていた。後ろ手に立ち数メートルは離れても、妙なことはするなと無言で圧をかけられている。そしてもし何かしようとしても、瞬時に制されるであろうことも。


「オレイア、ダメですよ。そんなに威嚇しては」


 その言葉にふっと騎士が頬を緩めた。彼女が姿勢を崩すと、重圧からも解放される。


「すまなかったね。君たちはわざわざ志願して来てくれたというのに」


「そうですよ。貴重な休日にわざわざ……」

 

 オレイアと呼ばれた騎士に、主である少女、ランシアが続ける。だが、彼女の言葉は訂正しておきたかった。


「気にしないでください、ランシア様。普段のことを考えれば、こうして話ができるだけで光栄ですから」


「……そう。それなんですよね」


 彼女の発言の意図が汲み取れず、ゼオの頭にハテナが浮かぶ。


「私と貴方たちは同じ学園に通う同級生……ですが、学科が違うと話す機会もないでしょう?

 将来のために、騎士科の生徒とは交流しておかないと」


 ランシアの言う通り、彼女たちの所属する学園は少々特殊で、王族や貴族のような上流階級の子供と一般階級の子供が共に学ぶことができる場所だった。ただ学科という形で隔てられ交流する機会はめったにない。

 だが彼女たちは卒業の際、同級生である騎士科の生徒から、自らの護衛を務める親衛騎士ロイヤル・ナイトを選ばなければならない決まりがある。

 彼女の傍に立つオレイアがまさにその親衛騎士ロイヤル・ナイトであろう。


「……では今日のことも、我々との交流を図ったものなのですね?」


 彼女は満面の笑みでええ、と答えた。


「もっとも、ほかにも理由はありますが……」


 付け加えた彼女の言葉は、ゼオには関係なかった。


 なるほど。そういうことなら願ってもない。

 これは好機だ。朝からしていた嫌な予感を吹き飛ばすほどのチャンスだ。


「……例えそうだとしても、自分のやることは変わりません」

「ランシア様の護衛を任された以上、何があろうと任務を果たす所存です」


 忠誠を誓うように片膝をつき、そう口にしたゼオにランシアはきょとんと固まった。

 一方、護衛のオレイアはふっと笑い、ゆっくりとゼオに近づいて来る。


「心掛けは見事。騎士として正しい姿と言える……」

「だがその言葉、軽々しく口にしていいものではないと分かっているのか?」


 口元は緩んだままだが見下ろす瞳は冷たく、心の底を見透かそうとしている。だがゼオは一寸の迷いもなく、はいと答えた。


「命に代えても、お守りします。必ず」


 見下ろすオレイアに対してゼオはまっすぐ見上げる。目をそらすことなく、ただただまっすぐ。彼女もまた、笑ったままじっとこちらを見下ろしている。

 静寂を破ったのは、一人放っておかれたランシアだった。


「オレイア!」


 主人の叱責に、彼女は冷たい瞳をふっと閉じ優しくほほえんだ。


「いや、何度もすまないね。また試すようなことをしてしまった」


 再び瞳が開く。ゼオに向けられたそれは前と変わらず冷たいままだった。


「……いえ、お気になさらずに」


 彼女の冷たく厳しい態度もゼオには納得ができた。

 騎士の使命はそれだけ重いのものなのだ。

 『命を賭けて仕える主を守らなければならない』、その誓いは軽々しく口にしていいものではない。

 ゼオからしてみれば彼女は学生を脅して意地悪をしているのではなく、むしろ正しく騎士としてあろうとしているように思えた。

 尊敬に値する人物だ。


「はあ、本当にごめんなさい。オレイア、お茶を淹れて差し上げて」


 オレイアは目を閉じ軽く返事をした。そのまま手際よく、繊細な装飾が施されたティーセットに茶を淹れていく。ゼオも客人として席に着き、出されたものをいただく。もちろん、文句のつけようがないくらい美味い。

 一口含み、喉を潤したところでテーブルを挟んだ向かいにいるランシアが口を開いた。


「それで、あなたは何故今日、ここに来てくれたのですか?」


 当たり障りのない質問だ。


「それはもちろん、ランシア様の手助けをするためです。

 学生の護衛など、形だけに過ぎないとは分かっていますが」


「ふふ、嬉しいですね」


 彼女はくすくすと笑う。こちらから何か聞いても良さそうだ。


「ランシア様、私からも聞きたいことがあるのですが……よろしいでしょうか」


 予想通りええ、とほがらかに彼女は笑う。


「……先ほど、我々との交流以外に他にも目的があると聞きました。ランシア様はここで一体何をしているのですか?」

「ここは……不吉な土地です。かつて、魔物たちの王の城があり今もなお、警戒地域とされています」

「そんな土地で、何を……」


 想像しただけで身震いするような、魔物たちの王が住む城。

 御伽噺おとぎばなしのようなものだが、恨み憎み集まった怨念は、崩れて瓦礫の山となった今でも残り続けるものだろうか。


 或いは、それが今朝から続く嫌な予感の元凶なのかもしれない。


 いずれにせよ王族とは無関係な土地なはずだ。


 彼女は目を閉じ、静かに口を開いた。


「……ここには、私の祖先がお世話になった人物が眠っているんです。かつて、共に魔王に挑み、共に帰ること叶わず倒れた者が」

「いつかこの地にて彼が眠る棺を見つけ、弔いを果たすよう……代々言い伝えられているのです」


 彼女の祖先が魔王討伐のために戦ったというのは、誰でも知る有名な話だ。

 だが、その仲間に戦死者が出ていたとは聞いたことがない。一人敵地に散り帰ることもできず、弔いもされないというのはどんな気分なのだろう。主を守る使命は果たせただけでも、満足だったのだろうか。


 もし、自分なら───。


 そう考えたところで、オレイアが姫様と話に割って入った。


「調査隊から連絡がありました。それらしき棺を見つけたそうです」


「……そうですか」


 見つかったことに喜んでいるというより、言い伝えにあった棺が本当にあったことに彼女は驚いているようだった。


「早速確認をしに行きましょう。

 ゼオさん、あなたも。ファンガルさんも呼びましょう」


 学生を含めた全員を集め、棺の確認をしようとランシアがテントの出口に向かう。そして外に出ようとしたところで、すっとオレイアが彼女を制した。


「お待ちを……問題が起きたようです」


 すでにオレイアの手は剣に伸びていた。それはゼオも変わらない。

 彼もまた、ただならぬ状況であることを感じ取っていた。今まで漠然と感じていた不安の元凶がいる。緊張感が肌にびりびりと来る、この感じ。

 

「……君」


 オレイアが呼ぶ。ハッ、と短く返す。この場では彼女は上官に当たると言っていい。


「ここから北に馬車を停めている。そこまで姫様を避難させろ」


「普段なら学生に無茶はさせないが、非常事態だ。

 自分で言ったことなら、やり遂げてみせろ」


 オレイアの瞳には信頼の色があった。冷たく試すようなものとは違う。

 信頼し任せてくれた。ならば、それに応えなければならない。


「自衛の範囲なら、剣を抜くのは許す。それ以上は許さん。いいな?」


 了解、と答えるとオレイアはふっと笑った。頼もしく思ってくれたのか、一丁前にやって見せているのが面白かったのか、ゼオには定かではない。

 すぐに彼女はランシアに向き直った。


「姫様、調査隊の様子を見て参ります。すぐに戻りますが、念のため避難を」


「分かっています。私は皆の無事を祈っていますから……もちろん、あなたもですよ。オレイア」


「ははは……無事に戻ってきますよ。今回も」


 短いやり取りからも、彼女たちの間には確かな信頼があることが分かった。

 先にオレイアがテントから出た。

 後に続くと、彼女の姿は遠く、真っ赤なマントが小さく揺れているだけだった。彼女の向かう先、棺の見つかったであろう場所から一段と嫌な気配を感じる。目を背けたくなるような嫌悪感に、却ってそちらを睨みつけてしまう。

 だが、今は彼女に任されたランシアのことを守らねばならない。


「ランシア様、オレイア様に言われた通り避難しなければなりません。御身おんみは命に代えても守りますから、どうかご安心を」


「……ええ、先導を頼みます。足手まといにはなりません」


 ランシアは落ち着いた声音で答えた。不安な様子はかけらも見せない。自分が揺れては部下も不安になることを知っているのだろう。若くしてすでに王の器にあると言っていい。


(仕え甲斐のある方だ……必ず、必ず守らなければ……)


 一層気を引き締めると、ゼオはオレイアの命令通り馬車へ向かうためランシアを連れ北へ向かった。




*****




 何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。


 死後の世界が楽園であると信じていたわけではないが、こんなにもただ『無』があるだけだとは。

 体の感覚はある。腕も脚も指先まできっちり残っている。

 だがそれも気を抜くとポロッと欠けて崩れていきそうだ。そして恐らく、そうなれば戻ることはない。闇夜の海で、波に大きく揺られる板切れにしがみついている気分だった。心が虚無に支配されれば、あっという間に消えてしまう。


 そんな虚空に帰れなかった騎士、ヒューグはいた。


(……姫様は、どうなったんだ)


 何か別のことを考えようとしても、浮かぶのは仕える主、ランメアのことだけだった。魔王城に辿り着きながら、最後まで傍にいることはできなかった。

 あの後彼女は、仲間たちはどうなったのだろう。例え魔王を倒す本懐を果たしてくれてなくてもいい。ただ、無事でさえいてくれれば。


 何故、俺は死んだんだ。どうして最後まで戦わせてくれなかった。

 死人が必要だとしても、俺である必要はないはずだ。

 何故、何故、何故……。

 こんなことならば、いっそ……。


 虚無に囚われ、彼の主に対して抱く純粋な願いは次第に淀み、濁っていく。それが良くないことは彼自身も分かっている。引き戻してくれる相手を求め手を伸ばす。いつもは姫様が止めてくれた。だが今はもう、手を掴み引き戻してくれる相手はいない。その事実がますます彼を絶望に落とす。


 暗闇の中、彼はもがき、苦しみ、諦め、そして。

 光が差し込んだ。


「姫様……っ」


 彼にとって、それは長年望み続けたものだった。救済、希望、居場所。

 どす黒い泥に塗れた手を伸ばし、そして彼は蘇った。夥しい数の怨霊と共に。




*****




「これは……っ」


 調査隊の居場所、棺の発見現場に到着したオレイアは息を呑んだ。調査隊とその護衛の騎士を襲う、数えきれない数の黒い影。背筋を走る不快感はその怨霊の壁の向こうに、まだ何かいることを告げていた。

 

「騎士さん!」


 もう一人の学生、獣人のファンガルは既に剣を抜いていた。大柄な体格に相応しい、無骨な大剣。緊急事態故に咎めるつもりはない。


「お前は調査隊を連れて引け!ここは私と部下でやる!」


「応!!」


 幸い、周囲の怨霊は大したことはなさそうだ。剣で斬ればそれだけで倒せる。油断はしない。部下に召集をかけ、陣を組み対処しようとしたその瞬間、不快感の正体が動き出したのを感じた。北へと動き出している。


(マズい……!)


 怨霊の壁から、泥か霧か定かではない黒い塊が這い出た。

 それがよくないものだと直感でわかる。世を呪い、生を嘲笑あざわらう、ただそのためだけにある救い難き淀み。

 そしてそれは意思を示すかのように人の輪郭を取り、身をかがめ北へと向かった。


 追わなければ。あれの相手を学生にさせるわけにはいかない。姫様の元に行かせるわけにはいかない。


 そんな思考を引き裂くように、耳をつんざく甲高い警告音が響いた。思わず舌打ちする。タイミングは最悪だ。


「オレイア様!」


 部下が叫ぶ。


「魔龍が来ます!!」








「……ランシア様っ!!」


 背中にぞくりと走った悪寒に、ゼオは即座に剣を抜き振り向いた。そのまま後ろにいたランシアの手を引き、その場から逃がすように突き飛ばす。丁重に扱っている暇はない。

 直後に、黒い人影が突進してきた。

 

 ギィン、と鈍い金属音が響く。ギリギリで防御に成功し、人影をはじいた。


 剣を構えた両腕にびりびりと衝撃が残る。人影は霧のような見た目と裏腹に、とにかく重かった。猛獣の突進を受け流したかのようだ。何とか腕は動くが、一歩間違えれば折れていたかもしれない。


「ゼオさん!」


「お逃げください!奴の狙いはランシア様です!」


 ランシアに逃げるよう促しながら、改めて剣を構え直し人影を睨みつける。

 身に纏う黒い影は全て怨霊だろう。これが、話に聞いていた魔王城に一人倒れた騎士か。輪郭は黒い影でボヤけているが、鎧を身に着け両手に剣を持っているように見えた。

 かつて魔王に挑んだという英雄の一人。生前は相当の手練れだったのだろう。疑うことのない強敵だ。こんな形でなければ、師事したかったところなのに。


 握った剣の柄に力を込めると、剣が淡く光を放ち応えてくれる。


 一方、黒い人影はじっと動かない。現状の認識に時間がかかっているのか、一つの身体を共有する無数の怨霊を従え切れていないのか。ただ、首にあたる部位がわずかに動き、障害と、それが守る女を見据えた。

 

「……!」


 ずおおっと、怨霊たちがおぞましく蠢いた。黒い影に覆われボヤけて見えていたその姿が、ピントが合ったように鮮明になっていく。それに合わせて、人影が放つ重圧が増す。有象無象の怨霊の魔力を吸い取り、力としているのだ。

 煤けたように汚れた騎士が、一歩足を踏み出しその足元がズシンと沈んだ。怨霊の魔力を取り込みその質量は変わらないまま、生前の剣速と同等のスピードで騎士はゼオに斬りかかった。


(っ、重いっっ!!)


 踏み込んだ右手の初撃を剣で受け止め、即座に間違いだったと悟る。腕ごと持っていかれそうな衝撃に立て直す暇がないまま、即座に左手の剣が迫る。飛び退き躱すと距離を詰めてくる。そこから下がれば更に詰める。

 間合いを取り息をつく暇を与えない、怒涛の連撃。太刀筋の観察と回避に専念していても避け切れるものではない。鋭い剣先が、ゼオの額に切り傷を作った。

 

「っ……!」


 血が伝い、ゼオの右目に入った。反射的に目を閉じ、そうして生まれた死角に左手の剣が迫る。必殺の間合い、飛び退いては避け切れない。


 勝利を確信した騎士の左手は手応えなく空を切った。


 ゼオが居たのは、間合いの内側。今まで退き続けてきたのとは逆に、懐に飛び込む。そしてがら空きの胴へと横なぎに一閃。


 ただの刃なら、怨霊の質量と悪意が凝縮された鎧に阻まれ弾かれていただろう。だがゼオの剣は輝きを増し、眩い光を放っていた。

 煤汚れた鎧を無視し、ゼオの剣は騎士の胴を豆腐を斬るかのように抵抗なく振り切った。




その切っ先は空を斬った───比喩ではない。騎士の胴のあたりが、剣の切っ先に合わせて真一文字に切り開かれいる。




 なんだ、これは。




 蘇ってから憎悪に動かされていた彼が初めて疑問を抱いた瞬間だった。だがそれに思考を巡らす間もなく、懐にいるゼオが斬り開かれた空間に掌を向けた。その瞬間、莫大な魔力が溢れ出した。


龍壊起嵐リュウカイキランッッ!!」


 突風が吹いた。鋭く切りつけるような疾風と、穿ち抉り飛ばす突風が至近距離から騎士の腹に放たれる。風の勢いに全身が動かない。硬く重い騎士の身体が風の威力に打ち上げられ、鈍い音を立てて落下した。


「……っ、はあ、はあっ」


 緊張が解け、呼吸が乱れる。油断したわけではなく、集中力の限界だった。

 目に入った額の血を拭い、急いで呼吸を整える。相手は落下したまま動かない。得意とする魔法を至近距離から喰らわせてやった、上手くいけば倒せているはず。


 しかし同時に倒せていなかった場合の想像も浮かぶ。カウンターを決めることができたのは運が良かったからだ。もう一度同じことができる保証はない。

 剣に目を落とす。

 大技を使って残る魔力は六割ほど。持久戦になれば勝ち目はない。


「ゼオさん!」


 声のしたほうへ向くと、ランシアがこちらへ駆け寄ってきていた。一応離れてくれてはいたようだが、まだ危険なことに変わりはない。危ない、と追い返そうとした瞬間、声に反応して落下した騎士が動き始めた。

 ゆらりと不気味に立ち上がり、ゼオが駆け寄るよりもずっと早く、騎士はランシアの前に立ち塞がった。


「っ……!」


「ランシア様!!」


 怨霊を纏い憎悪に満ちた騎士を前に、ランシアは一瞬たじろいだものの怯えた様子を見せず毅然としていた。瞳のない、暗闇があるだけの彼の目をじっと見つめ返し続けた。


(……違う)

(違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……!!)


 間近に見て、騎士はようやく彼女が自らの主でないことを悟った。


 確かに似てはいる。雰囲気もそっくりだ。初めて会った日のこと、拘束され馬車の中で騎士になるよう言われた時のことが記憶に浮かぶ。

 だからこそ、違う部分が目に付いて仕方がない。


(……姫様、俺を救いに来てくれたんじゃなかったのか)


 落胆と絶望が、彼を包んだ。

 黒い影となった今の彼がそれを表現する方法はない。


 だが、目の前の少女には確かにそれが伝わっていた。彼女はそっと手を伸ばし、彼に優しく触れた。


「……あなたのかつての主に代わって、この言葉を伝えます」

「遅くなってしまって、ごめんなさい。あなたのしてくれたことは忘れません……ありがとう」


 それは、彼が長年欲して止まなかったものだった。

 いつの間にかそのことすら忘れてしまったらしい。心を満たしていた暗い気持ちが、簡単に消えてなくなっていった。怒りも絶望も馬鹿らしく思えるほど、彼は満たされていた。

 死して怨霊に囚われ、永く絶望に包まれていたヒューグは時を経てようやく救われた。

 

(姫様……)


 突然、騎士の右腕が上がった。

 ヒューグの意思ではない。いつの間にか、全身が動かない。自分の身体のはずなのに、まるで言うことを聞かない。


(なんで……っ、コイツらか!!)


 身に纏う怨霊が口々に囁く声が聞こえる。斬れ、殺せ、血を見せろ。


 救われたのはヒューグだけで、彼に付きまとう怨霊たちは未だ世を呪ったままだった。そんな有象無象が集まり、片腕を動かしていた。

 逃げてくれ、と声を出すこともできない。目の前の彼女は、呆気に取られ立ち尽くすばかりだった。無防備な身体に、薄汚れた剣が振り下ろされた。


「ランシア様!!」


 横からさっきまで戦っていた青年が割込み、少女を突き飛ばした。剣は少女の代わりに、青年の身体を斬り裂いた。


「ゼオさんっっ!」


 鮮血が飛び散る。


 確かな手ごたえに怨霊たちが身を捩じらせ喜ぶ。袈裟切りに上半身を斬りつけられ、青年の身体が揺らぐ。だが、彼は両足に力を込めしっかりと踏ん張り倒れはしない。怨霊たちは浮かれ、油断しきっていた。

 とん、と彼の剣の切っ先が騎士の腹に当たった。先ほど魔法の直撃を受け、鎧は大きくひしゃげ抉れている。硬い鎧ではなく、無防備な本体へ、光り輝く魔法が放たれた。


煌破残光コウハザンコウ……」


 眩い光が騎士の腹から迸った。そのまま騎士の身体が煤汚れた黒から穢れのない白に染まっていく。痛みや恐れはなかった。ぬくもりに包まれているかのようだった。そのまま騎士の身体は音もなく頭からボロボロと崩れていった。身体の欠片が風に煽られキラキラと散っていく。


 彼が何者なのか詳しくは知らない。

 だが、彼もゼオも主に尽くすという使命を持つ騎士だ。それだけで、敬意を抱くには十分だった。

 すべて消えてなくなるまで、ゼオは何も言わず立ち続けた。




「……あ」


 その全てが風に運ばれ消えたと同時に、ゼオの身体は大きく傾いた。集中が途切れた途端、上半身の激痛が現実に引き戻してくる。脚の力が抜け、後ろ向きに倒れたゼオを、ランシアが受け止めてくれた。


「と……ランシア様、申し訳ありません。お手を煩わせて……ありがとうございます」


 受け止めてくれたことに感謝すると、ランシアはきょとんとした後数拍置いてゼオを怒鳴りつけた。


「お手を煩わせて、じゃない!無茶しすぎです!こんな大怪我までしてっ!!」


 予想だにせず怒られたことで、ゼオは慌てて取り繕うように言った。


「いや、これはその……じ、自分で治しますんで」


 そういいながら、剣を持ち上げる。それをランシアが制す。


「いいから、私がやります!大人しくしなさいっ!」


 猛獣のように唸るランシアの剣幕にゼオは汗を垂らし黙って従うしかなかった。おとなしく横になり、呼吸を整え回復に集中する。ランシアは膝立ちになり、ゼオの傷口に両手を向けた。血も傷も、普段の暮らしとは遠いものであるはずだ。それでも彼女は必死に魔力を集め、治癒魔法をかけてくれている。

 申し訳なく思いつつも、今は傷が塞がるのを待つしかない。


(そういえば、オレイアさん達は……?)


 ようやく痛みが治まってきた頃、ゼオはふとオレイアのことを思い出した。主を任せ、調査班の救援に向かった彼女はどうしたのだろう。元凶と思しき怨霊に塗れた騎士は倒した。

 まだ何か、別の問題があるのだろうか。




 その時突然、地面が大きく揺れた。立っていられないほどの揺れに瓦礫が崩れ、荒地に割れ目が広がっていく。


「な、何……?」


 ランシアも治療の手を止め、不安そうな声を漏らした。流石に寝ていられなくなり、ゼオも半身を起こし剣を持ち直した。周囲の様子を伺うと、瓦礫や地面のところどころに黒い泥がへばりついているのが目に付いた。


(っ、まさか……!)


 あの騎士を倒した時に、僅かに怨霊が消え切らず残っていたのか。数はわずかながら、油断はできない。剣を持ち立ち上がろうとした瞬間、先手を打って泥は一斉にゼオとランシアに襲い掛かってきた。


 ランシア様、と叫ぶよりも早く一陣の風が吹いた。

 風はゼオとランシアを中心に竜巻を起こし、泥を細切れに引き裂き吹き飛ばした。


「……今のは?」


 地揺れに続き起きた不自然な竜巻に、ランシアは呆気に取られていた。ゼオも不自然には思うものの、今は避難するしかない。その旨をランシアに伝え、彼女もしぶしぶ頷いた。

 治療は最低限にしか済ませていないが、それでも先にこの場から離れるべきということで彼女も納得してくれた。


「肩を貸しますから、掴まって」


 なるべく体重をかけないように掴まると、ぐいっと引っ張られてしまった。初めに抱いていたイメージと違い、強引なところもあるようだ。

 もちろん、それを悪いこととは思わない。


 そんなふっと緊張が緩んだ隙を突くように、再び地揺れが起きた。

 今度は先ほどより大きい。立っていられないほどの揺れに、ゼオを支えていたランシアが逆に支えられるほどだった。

 揺れは更に、どんどん大きさを増す。まるで何かが近づいているかのように。 



 

 そして揺れの正体が姿を現した。

 地中から現れたそれは、山々を思わせる巨体に邪悪な気配を纏わせ、目も鼻もなく剥き出しの歯をぎしぎしと鳴らしていた。


「魔龍……」


 その姿は龍とは似ても似つかない。ただ厄介さを龍になぞらえただけである。

 ただ食欲の赴くまま大地を抉り喰らい、地中の魔力の流れすら断ち切り破壊する。単為生殖でいくらでも増え、世界そのものを食い尽くそうとする、この世界全ての生命の敵。

 目の前に現れた魔龍はその外見から芋虫ワームと呼ばれる種であった。


(オレイアさん達はこれの相手にしていたのか……!)


 一体だけのはずがない。他に少なくとも十体以上はいる。オレイアと彼女の部下たちはその相手をしているはずだ。

 この一体さえ凌げば、後はなんとでもなる。芋虫ワームはぬうっと、文字通り表情のない顔をこちらへ向けた。息を呑むランシアを庇い、ゼオはすっと前に立った。巨大な口ががばっと開き、二人を飲み込もうと近づいてきた。




 その時、ゴオッと、何かが風を巻き起こしながら近づいてきた。


 それは凄まじい勢いで芋虫ワームの巨体にぶつかり、その場から弾き飛ばした。


 巻き上げられた土煙の向こうにいたのは、深紅の鎧に身を包む重装の騎士。金色の装飾が施され、眩く光を反射するその装甲にはさっきの衝突が嘘のように傷一つない。


 だが騎士には異様な点があった。


 サイズがおかしい。魔龍に引けをとらないその巨体は20メートル近くあり、明らかに人間のものではない。


「レプテンツァール……オレイア!!」


 ランシアが嬉しそうに自らの騎士の名を呼ぶ。それを聞いてゼオもその【レプテンツァール】に乗っているのがあの女性騎士、オレイアだと悟る。

 頭部がすっと二人のほうへ向くと、周囲にオレイアの声が響いた。


『姫様!ご無事でしたか!』


 声音から彼女にも余裕がないことが伝わってくる。


「ええ、ゼオさんが守ってくれたんです」


『そうか……有言実行だな。素晴らしい』

『だが、その負傷だ。後は我々に任せろ。これ以上戦うことは許さん』


 しかし、と反論しようとしたとことで、ずしん、ずしんという地響きと共に芋虫ワームが近づいてきた。体当たり程度でダメージを負った様子はない。オレイアがゼオたちを庇うように機体を前に出す。


『ゼオ。全て終わった後に、姫様を守ってくれたことに礼を言わせてくれ。今はとにかく姫様を連れてここから離れるように』

『姫様も、いま少しご辛抱ください。国を喰われる前に、奴らを根絶やしにして参ります』


 すらり、と【レプテンツァール】は剣を抜き構えた。その動きは達人のものと何一つ変わらない。彼女なら心配はいらない。それはランシアもゼオも察していた。


「ランシア様……オレイア殿の言う通りここを離れましょう」


 彼女も何も言わず頷く。表情に出てはいないが、彼女の不安も相当なはずだ。背後から聞こえる轟音に気を引かれながら、二人はその場から離れようとした。


 だが、再び地が揺れる。次第に大きく、激しく、先ほどと同じように。

 最悪の予感がよぎった。


「まさか……!」


 その予感を裏切らず、地表を割り押し上げ二体目の芋虫ワームが二人のすぐ傍に現れた。


「そんな、もう一体現れるなんて……」


 必死に抑えていた不安がランシアの口から弱音となって溢れた。オレイアは先ほどの芋虫ワームと交戦中で、他の騎士が来てくれる期待も薄い。 

 一方ゼオは何も言わず、剣を抜いていた。


「ランシア様」

「ここは自分に任せ、お逃げください」


「そんな……出来ませんっ!オレイアにも止められたでしょう!?」

「まだ傷も塞がりきっていないのに、本当に死んでしまいますよっ!?」  


 彼は死ぬのが怖くないわけではない。死を遠いものだと思っているわけでもない。

 ただ、誓いを立てたからには果たさねばならないと思っているだけだ。


「あの時、ランシア様の前で誓いを立てた時から自分のやることは変わりません。

 必ずお守りします……何があろうとも」


 彼の覚悟は、あの時既に決まっていた。


 その顔を見て、ランシアは己を恥じた。彼の言葉を信じきらずに、学生の護衛だと侮ったことを。

 だがそのことを謝るのはすべてが終わってからにすると決めた。彼が生き残ることを信じて。


「……私も生き残りますから、あなたも必ず生き残ってくださいね。死ぬことは許しませんから」


 そういうと、ランシアは背を向け急いで離れていった。

 その背を見つめ、ゆっくりとゼオは目の前の芋虫ワームへと向き直った。芋虫ワームは既にこちらに顔を向け、ぎしぎしと歯を鳴らしていた。


 ランシアを逃がし、今この場にはゼオしかいない。

 孤独は様々な感情を呼び込む。恐怖、不安、後悔。

 

 その全てを覚悟で飲み下し、ゼオは芋虫ワームへと剣を向けた。


「たとえ一人でも、オレは……!」


「一人じゃないさ」


 不意に聞こえた声に、ゼオは驚き周囲を見回した。声の主は見えない。聞いたことのない男の声だった。幻聴を疑った瞬間、黒い影がふっとゼオの前に現れた。


「さっきは助かった。お前が助けてくれなかったら、俺は……」


 そう話す黒い影には見覚えがあった。あの時、ゼオたちに襲い掛かってきた怨霊を纏った騎士。今の彼からは邪悪な気配は感じられず、身体も生身のものに戻っていた。だがやはり幽霊ではあるのか、うっすらと向こう側が透けて見えた。


「あんたは……」


「ヒューグだ。ひとまず、あいつを何とかするんだろ?骨が折れそうだが、何とかなるのか?」


「……やりようはありますよ」


 そうか、とヒューグは返した。聞きたいことは山ほどあるが、先に現状をなんとかしなければならない。芋虫ワームは既に大口を開いて二人を飲み込もうとしていた。

 迫る巨体へヒューグは魔法を放つ。生前の彼が愛用していたものと同じ風の魔法。魔物相手なら十分通用したそれは、芋虫ワームが相手では表皮を傷つけることしかできない。地を抉り飲み込みながら、大口を開いた芋虫ワームが迫ってくる。


「チッ……おいっ、どうするんだ?」


 ゼオは祈るように目を閉じ、剣を胸元に構えまっすぐ上に向けていた。魔力が剣に流れ込んでいくのをヒューグは感じた。


(あの剣は……)


 あの剣は普通の武器ではない。

 魔力を込めた剣ならヒューグもいくつか知っている。火が出るとか水が出るとか、その程度のものだ。だが、この青年の持つ剣に覚える感覚はまったく違う。何せ、あの剣は空間さえ斬り裂いてみせたのだ。

 剣が、ゼオの目の前で今日一番の輝きを見せた。残る魔力は少なく、その全てを出し切る覚悟だった。


「来い!」


 目を見開き、を呼ぶ。眩く光を放つ剣が、ぱあっと光の粒となって形を失った。





 ピシッ、と氷がきしんで割れるような音がした。





 ゼオの背後の空間が、縦に大きく斬り開かれている。その空間の前に光の粒が集まり、剣の形を取り戻した。だが、大きさが違う。元のサイズから10倍近く大きい。

 

 迫る芋虫ワームへ向け、ゼオは宙に十字を切った。

 その動きを真似るように、宙に浮かぶ剣が動く。芋虫ワームの頭が縦横に切り裂かれ、痛みに唸りをあげ転がった。

 

「これは……!?」


 ヒューグは見た。


 剣は宙に浮いているのではない。


 腕が、巨大な腕が剣を掴んでいる。


 斬り開かれた空間の内から、腕の主が更にその姿を現す。


 オレイアが乗っていた【レプテンツァール】、それとよく似た、白い鎧を着た巨人の騎士。


「お前も、この巨人を操れるのか……?」


祈機騎刃エッジオブエレメンタル、ヴァンドノート……まだ、見習いですがね」


 【ヴァンドノート】と呼ばれた機体がずん、と膝をつき掌を地面に下ろした。ゼオは掌から腰へと移り、腹部に開いたハッチから中に乗り込んだ。ヒューグも恐る恐る後へと続く。

 中の空間には周囲の光景が映し出され、中央にシートが一つ置いてあった。ゼオはシートに座り、目を閉じ意識を集中させた。


「動く……!」


 祈機騎刃エッジオブエレメンタルには操縦桿もペダルも必要ない。搭乗者である騎士が念じればその通りに動く。【ヴァンドノート】は緩やかに立ち上がり、滑らかに剣を構えた。

 芋虫ワームは既に立ち上がり、こちらの様子を伺っていた。先ほど斬りつけた傷は既に塞がっている。再生能力を上回る破壊力を与えなければ、倒すことはできないだろう。


「行きます、しっかり掴まってください!」


 シートの横に立ち、ヒューグは応と答えた。

 大地を蹴り踏み出す。20メートル近い巨人は確かな足取りで芋虫ワームへと向かい駆けていく。接近してくる相手を前に、芋虫ワームもまた咆哮し突進を仕掛けてきた。


 ゼオの祈機騎刃エッジオブエレメンタルは、オレイアの機体レプテンツァールとは違う。どちらかというと細身で装甲も薄く、恐らく出力パワーも劣っている。

 【レプテンツァール】は体当たりで魔龍を弾き飛ばしたが、【ヴァンドノート】にそれは難しいだろう。


 激突の寸前、風に舞う木の葉のようにひらりと【ヴァンドノート】は突進を躱した。人間でも難しいような曲芸じみた動きで、勢いのままに芋虫ワームの左側に剣を突き立てる。


「うおおおォォォッ!!」


 そのまま剣を振り抜き、芋虫ワームの身体を抉り裂く。

 普通なら致命傷に近い傷だが、大きく抉れた傷口もすぐに内側から塞がっていく。驚き固まった【ヴァンドノート】に、芋虫ワームは体当たりを見舞った。


「ぐっ……!」


 質量差が響き、【ヴァンドノート】は大きく弾き飛ばされた。宙を舞い、地面に激しく叩きつけられ内部も大きく揺れる。

 機体そのものに大したダメージはないようだがゼオに異変が生じていた。


「っ、はあ、はあ……っ」


 息が荒く、顔色が悪い。


「どうした……?お前、傷が開いたのか……!?」


 ゼオの上半身につけられた傷跡から、真っ赤な鮮血が溢れ出していた。先ほどの衝撃で血が止まっただけの傷口が開いたのだ。だが、ゼオは引かない。


「奴を倒すまでは、保つはずです……先に、奴をなんとかしなければ……」


「何とかって、剣はダメだっただろ!?すぐ再生される!」


「魔法なら、行けます」


 そう言うと、ゼオはまた剣を構えた。剣が再び輝きを宿す。その光はヒューグと対峙した時や【ヴァンドノート】を召喚した時と比べ鈍く弱弱しい。


「お前……なんでそこまで……」


 ヒューグには、まだ怨念に囚われていた時の記憶が残っている。

 死への忌避感、恐怖、嫌悪。目の前で命を賭している青年が何故死へ進むような道を選ぶのか、疑問だった。


「オレが騎士だからですよ……アンタも、そうでしょう?」


 ふっと、青年は笑って見せた。

 その言葉を聞き、ヒューグもかつての主のことを思い出した。主であるランメアのためなら、彼も命は惜しくなかった。

 二人の間には、その言葉だけで十分だった。


(……コイツを、俺と同じ目に遭わすわけにはいかん)


 怨念から解き放ってくれた恩人であり、騎士という同じ志を持つ仲間である青年を、ヒューグは守りたいと思った。

 霊体の掌を、そっとゼオの手に乗せた。魔力が溢れ、流れ込んでくるのをゼオは感じた。ゼオ自身の魔力を上回る、膨大と言っていい量だった。


「これは……!?」


「いいから、俺の分も使ってくれ」


 来るぞ、とヒューグが告げた。


 芋虫ワームは身を屈め突進の体制に入っている。ヒューグから流れてくる魔力を制御するべく、ゼオは目を閉じ意識を集中させた。目に見えない魔力の流れを、イメージで制御する。少しずつ少しずつ、魔力を流し込むようなイメージで、剣に溜める魔力の量を増やしていく。


 芋虫ワームが突進を始めた。距離はどんどん縮まる。


 魔力の流れは水滴がぽつぽつと流れるだけだったのが、絶え間ない流れになり、激しい奔流となった。


 剣が、陽の如く眩しく輝く。


 すっ、と剣を横に払った。空間が斬り裂かれ、魔力の飽和している異空間が開く。その空間へと、ゼオは剣の溜まった魔力のすべてを注ぎこんだ。


龍壊起嵐リュウカイキランッッッ!!!」


 切り裂かれた空間の反対側、芋虫ワームに面した側から凄まじい烈風が放たれた。瞬時に芋虫ワームの頭部がズタズタに引き裂かれ、次の瞬間には細切れになり、再生する間もなくバラバラに分解されていく。その欠片の一つ一つもまた、竜巻の中で塵も残さず消えていく。唸り声すら風切り音に巻かれ消えていく。


 ものの数秒でそこにあったという痕跡すら残さず芋虫ワームは消えてしまった。


(……なんて威力だ)


 ヒューグはその威力に笑うしかなかった。

 あんな巨大な怪物が、一瞬で消えてしまった。使った魔法は覚えている。何せ自分も喰らったものだからだ。だが生身の時とは威力が違いすぎる。


「すげェな、コイツは……なあ、おい。やったぜ」

「……おい?」


 ゼオは返事をしない。呼吸は浅く、傷跡からは出血が続いていた。既に血は足元まで伝っている。


「おいっ!死ぬなよ、こんなところで……せっかく生き延びたんだろうが!!」


 ヒューグは必死で声をかけるが、ゼオはうなだれたまま動かない。


 助けを呼ぶか、或いは……人の居るところまでコイツで行ければ。

 ヒューグはそう思ったが、生憎動かし方がさっぱりわからない。それどころか、コックピットの開き方さえわからないのだ。

 この場で治癒魔法で手当てするしかない。そう考えた瞬間、コックピット内に警戒音が響いた。モニターに映し出された光景に、ヒューグは息を呑んだ。


「嘘だろ……」


 芋虫ワームの群れだった。一体や二体ではない。少なくとも十体以上はいる。それらが群れとなってこちらに迫ってきている。

 この機体の防御力がどれ程のものかは知らないが、あれだけの数に襲われれば長くは保たないだろう。


 急いで、この場から離れなければならない。

 ヒューグがゼオを抱え、動かそうとした瞬間だった。






 何かが、芋虫ワームの群れの目前に突っ込んだ。






 上空から飛来した隕石を思わせるそれは、着地の衝撃で芋虫ワームの二、三体を軽々と吹き飛ばされた。

 土煙が納まり、その姿が露わになる。


「……悪魔」


 オレイアの【レプテンツァール】も、ゼオの【ヴァンドノート】も、鎧を身に着けた騎士を思わせる外見をしていた。だが、あれは違う。曲面が多く、生物的で禍々しい悪魔としか表現できないような、そんな外見をしていた。

 あれも祈機騎刃エッジオブエレメンタルなのか。得物を探すが見当たらない。正体不明の乱入機は、襲い掛かってきた芋虫ワームに素手で反撃した。


「っ……」


 素手であることに心配する必要はなかった。


 拳の一撃が芋虫ワームを地面に沈め、そのまま動かなくなる。手刀が軽々と首を斬り飛ばし、身体を引き裂く。芋虫ワームの全力の体当たりでも、その機体はびくともしない。


 まさに、圧倒的だった。


 終わってみれば、無傷で立つ乱入機とその周りに芋虫ワームの残骸が転がるだけだった。

 あの機体は何なんだ。助けてくれたのか、味方なのか……頭に浮かんだ疑問をどうにか伝える手段を考えるより早く、その機体は翼を広げ飛び去った。あっという間に豆粒のような大きさになり、すぐに見えなくなる。


「……」


 怒涛の展開の連続に、ヒューグは何も言えず立ち尽くした。

 蘇ってからというもの、彼の周りの状況は変わり過ぎている。


 あの魔龍も、祈機騎刃エッジオブエレメンタルという存在も、ゼオの持つ剣も、彼は何も知らない。

 そして、彼が知っていたものは何も残っていない。

 

「一体なんなんだ……この世界は」




*****




「……ん、ん」


 うめき声をあげながら、ゼオは目を閉じながらも眩しさを感じた。

 ゆっくり目を開くと、天井とそこに吊るされたランプが見えた。状況を読み込めず身体を起こすと、そこが医務室で自分はベッドに寝かされていることが分かった。

 他にもベッドはあるがどれも空で、部屋には自分しかいない。


「……助かったのか」


 ふう、と一息ついた時、違和感を覚えた。シャツの下を覗くと、真っ白な包帯が巻かれていた。袈裟斬りに負った深い傷は癒え、触っても違和感がない。傷自体が消えてしまったようだ。


 ガチャ、と扉が開く音がしてそちらを向く。そこにいたのは命がけで守った少女、ランシアだった。彼女は起き上がったゼオを見て目を見開き、喜びの声を上げた。


「~~~~っっっ、ゼオさんっ!!」


 駆け寄ってきた勢いのまま、彼女はゼオの手を取りぎゅっと握る。戸惑うゼオに構わず、ランシアは言葉を浴びせていく。


「無事でよかった……!出血多量と魔力枯渇で、本当に死ぬところだったんですよ!?」

「オレイアが止めたのに、無理して戦うから……いえ、私のために戦ってくれたんですよね。もちろん、感謝していますっ」


 いやあの、とゼオが何か言い返すより早く、彼女の護衛のオレイアが部屋に入ってきた。彼女もまた、ゼオを見て安心したようにふっと一息吐いた。そして、抱きしめんばかりの勢いの主人の肩を掴み優しくいさめた。


「姫様、怪我人に無理をさせてはいけません。自重してください」


「オレイア……そうね」


 すっと手を離し、ランシアはベッドの横に置いてあった椅子に座った。その横に立つオレイアは、主が落ち着いたのを見てゆっくりと話し始めた。


「ゼオ……君は自分の祈機騎刃EOEの中で気絶していたんだ。あの後部隊を率いてあの場を捜索し、魔龍が全滅したことも確認した」

「結果として、君以外に負傷者はいない。無論、姫様も無事だ」


 オレイアの報告に続けて、ランシアが話し始めた。その表情は真剣で、ゼオをまっすぐ見据えていた。


「命を賭して、私を守ってくれたこと……礼を言います。ありがとう」

「それと、あなたが学生だと侮ったことを謝罪します。本当に、命がけの覚悟だったなんて」


「私からも、礼と謝罪を。姫様を守ってくれたことに感謝を。そして、君の覚悟を試したことを詫びよう」


 そういうと、二人はタイミングを合わせ頭を下げた。まさかそんなことをされると思っていなかったゼオは、慌てて顔を上げるよう伝える。


「そんな、顔を上げてくださいっ」

「自分は、当然のことをしたまでですから……」


 そんなことありません、とランシアは返す。

 

「自分の身すら危うい状況で、私を逃がしてくれたこと……並みの学生にできることじゃありませんよ」

「本当に、嬉しかったし……心配だったんです。もしあなたに何かあったら、私は……」


「君がやったことは、褒められて当然のことだ。謙遜はいらない、受け取っておけ」


 ゼオはふと、遠慮しがちなのは悪い癖だと言われていたことを思いだした。いろいろ引っかかるところは残っているが、受け取っておかないと締まらないか。


「ど……どういたしまして……」


 ぎこちないゼオの言葉に、ランシアもオレイアも頬を緩めた。さて、とランシアが前置きをして、話を更に進めた。


「今回の件で、報酬とは別に個人的にお礼をしたいのですが……知っての通り金銭を送るのは校則違反になるんです」

「一応、あなたの祈機騎刃EOEの修理費用は我々が出しました。大した金額ではないのですが……」


 礼はいらない、と言えばまたランシアにいろいろ言われそうで、ゼオは一旦言いかけた言葉を飲み込んだ。大人しく聞いてくれていることにランシアは嬉しそうに微笑み、話を続けた。


「……考えた結果、私の用意できる報酬は一つしかないと分かったんです」


 すっと彼女が真剣な眼差しをゼオに向けた。


「ゼオさん、私の騎士になってはもらえませんか……?」


 え、と声が漏れた。ランシアの隣で話を聞いていたオレイアも驚いている。


「姫様、それは……急すぎます!親衛騎士ロイヤル・ナイトの任命は卒業時のはずでしょう!?」


「あら、有望株には早めに目を付けておくよう言ったのはオレイアじゃない」

「それに、さっきもゼオさんを部下として迎えたいって……」


 オレイアは額に手を当て、深いため息を吐いた。


「だからって、今すぐになんて……」


「……あのー」


 恐る恐る手を挙げると、ランシアは怖いぐらいニコニコしながらなんでしょう、と答えた。


「自分は、緊急時とはいえ無許可で祈機騎刃EOEを使いました。オレイア殿に止められていたにも拘らず、です。これも校則違反だと思うのですが……」


「ふふっ……ではあなたは校則違反と知りながら、私を守るためにあえて破ってくれたんですね!」

 

「いや、それは……」


 慌てて訂正しようとすると、オレイアが口を開いた。


「君も言う通り、緊急事態故にお咎めなしということで決まったよ。学園側には処罰すべきという者もいたが、姫様が強引に捻じ伏せた」


「規則は、それを守ろうとする気持ちと同じくらい、それを破ろうとする勇気も必要だと私は考えています。あなたは、何も間違ったことはしていませんよ」


 まっすぐ見つめられ、ゼオは思わず照れて目を逸らしてしまった。ふふ、と笑いながら彼女はゼオに回答を迫った。


「ゼオさん……どうですか?私の騎士になって頂けませんか?」


 ゼオは考える。


 王族直属の親衛騎士ロイヤル・ナイトともなれば、その立場はもはや貴族に等しい。将来的には土地が与えられ、名実共に貴族として扱われることも珍しくない。

 何より、学園の生徒にとって親衛騎士ロイヤル・ナイトに選ばれることはこの上ない名誉だ。


 ゼオの心は、決まっていた───。

 



「身に余る光栄にございます、ランシア様……」

「しかし、申し訳ありません。私は、貴女の騎士となることはできません」


 そう話し、ゼオは深く頭を下げた。ランシアは目を見開いて驚いてる。断られるとは思っていなかったのだろう。


「……いますぐ、騎士となれと言うわけではないのですよ?今は保留しておいて、卒業の際にどうするか決めてくれても、私は……」


 そうではないんです、とゼオは首を横に振った。


「自分には既に、剣を捧げると決め、忠誠を誓った方がいるのです。故に、ランシア様にお仕えることはできません」


 申し訳ありません、と再びゼオは頭を下げた。


 王族の誘いともなれば、一定の強制力もある。それも滅多にない誘いを断れば、無礼と受け取られても仕方がない。ゼオは頭を上げることができなかった。

 ランシアはしばらく黙った後、はあとため息を吐いた。


「顔を上げてください、ゼオさん……先に仕えている方がいるのなら、仕方ありませんね」


 ゼオの目に映ったランシアは少し残念そうながらも、優しく微笑んでいた。ゼオの胸が少し痛んだ。


「あなたのご主人様、気になりますね。どんな人なのですか?」


「残念ですが、今は何も話せません……申し訳ありません。時が来れば、主の方から挨拶に伺うかと思います」


「では、それを楽しみに待ちましょうか。あなたのご主人様なんですから、きっと素敵な方なんでしょうね」


 罪悪感がゼオの心をキリキリと締め付けた。主に恥をかかせてしまったことを、オレイアにも謝らなければならない。そう思いゼオは彼女のほうを向いたが、彼女は何も言わず笑ってゼオを制した。謝らないでいい、という気遣いが申し訳ない。


「では、私たちはこれで……ゼオさん、本当にありがとうございました」

「騎士の件は断られてしまいましたが……この御恩、我が王家は一生忘れません」


 ぺこりと頭を下げ、二人は部屋から出ていった。






 しばらく廊下を歩き、十分に距離を取ってからオレイアが目に見えて落胆している主人に声をかけた。


「姫様、そう落ち込まないでください。告白してフラれたわけじゃないんですから」


「私にとっては、似たようなものですよ……」


 彼女は決して強欲ではないが、それでも王族として望むものは大抵与えられてきた。だからこそ、手に入らなかったことが悔しい。

 ましてや、親衛騎士ロイヤル・ナイトという特大のカードを切ったうえで、断られてしまった。


「あんなに命がけで守ってくれたら、騎士になってくれるって思うじゃない……ねえ、オレイア?」


 同意を求められ、オレイアはそうですねーと適当に返した。彼女の中でも、ゼオという青年の特異性はひっかかっていた。


(仕える相手がいながら、任務とあらば他人のために自分の命を賭けるか……)

(忠犬かと思ったが、とんだ狂犬かもしれんな)


 オレイア、と強く声を掛けられ彼女は思考を中断しハッ、と返した。


「順序が逆になりましたが、彼のことを調べてください。刃隠陣衆を使うことも許します」


「……姫様、断られたからってそんなストーカーみたいな真似は」


「なっ、ち、違いますっ!!」


 珍しく顔を真っ赤にしてランシアは怒った。こほん、と咳払いしてから落ち着いた口調で続けた。


「私が彼を勧誘し、断られたことはすぐに校内に広がるでしょう。ゼオさんの主というのが私以外の二大国の王女とは考えられませんが……少なくとも校内の注目の的にはなります」

「台風の目になりますよ、あの人は……情報は集めておかないと」


「なるほど……そういうことなら、手配しておきましょう」






「……本当によかったのか?」


 部屋でゼオが罪悪感にうなだれていると、誰のいないはずの部屋の中で声がした。声の主を探して部屋を見回すと、ぬっとベッドの真ん中を貫通して男がすっと現れた。


「ヒューグ、さん……いたんですね」


「まあな。夢かと思ったか?」


 ええ、まあ、とゼオは答える。正直、目を覚ましてからランシアに勧誘されて、姿を見せるまですっかり忘れていた。あのまま姿を見せなければ、傷を負って見た幻覚だったと解釈していたかもしれない。

 なあ、とヒューグが声をかけた。


「あの子は……俺の姫様の、娘か、孫か何かか?」


 それは、今のヒューグにとって最も重要な質問だった。蘇って正気を取り戻してから、すぐにでも確かめたかった。落ち着いた今なら、やっと聞くことができる。

 ゼオは少し間を置いてから、首を横に振って答えた。


「彼女は、ランシア・スティンバル……あなたの主であるランメア・スティンバルから数えて十八代目に当たります」

「今は改皇歴ちょうど三百年で……あなたが魔王城で亡くなって、三百年近く経っています」


 三百年。過ぎ去り流れた時間の量に眩暈がした。

 世界が変わり過ぎているのにも納得だ。むしろ、異物となり果てているのは自分のほうだ。


 だがそれでも、志の同じ人間がいると安心する。


「あなたのこと、姫様に相談しないといけませんね……」


 悪いな、と返しつつヒューグはまだ見ぬゼオの主に興味が湧いていた。姫、ということは女性だろう。


「なあ、お前の姫さんってさ、美人か?」


 身を乗り出しニヤニヤと笑いながら聞いてきたヒューグにゼオは呆れて笑いながら返した。


「美しい方ですが……それ以上に、優しい方ですよ」


 そうか、美人かと満足げに頷いたヒューグはそのままふわふわと窓辺に向かった。どこにいくのかゼオが聞いた。


「その辺見て回って来るよ。今日はもう遅いし、姫さんと話すのは明日でいいや」


 そういうと、ヒューグは窓を通り抜け外へと出た。夜遅く、月明かりにも負けないくらい街には明かりが溢れていた。

 一際高い塔の上に座り、目下の夜景を味わいながらヒューグは一人感慨に浸った。


 綺麗だ。素直にそう思った。

 三百年前、人々は夜になると魔物に怯え、灯りを点けることなくただただじっと過ごすしかなかった。この時代の人々は灯りに囲まれ、安心して眠ることが出来ている。


 これも、自分たちが頑張ったおかげなら。彼は少し、この世界のことが好きになった。


 いつになっても眠気が訪れないこともあり、ヒューグは一晩中夜景を眺め続けていた。

 彼は気づかなかった。医務室、ゼオが居た部屋から怪しげな光が漏れていたことに。




*****




「おい、起きてるか?」


 夜が明け、日が昇ると共に街と人々が起き出す中で、ヒューグも再びゼオがいる部屋を訪れた。起きるには少し早いと思ったが、彼は既にベッドに上半身を起こしていた。

 窓越しに声をかけてからするりと窓を通り抜け、ヒューグはゼオに声をかけた。


「おはよう。怪我してるんだから、もう少し寝てていいんじゃないか?」


 ゼオは空中を漂うヒューグを目で追いながら、はっきりしない口調で話した。


「……あなたは」


「ん?一晩経って忘れたのか?ヒューグだよ、ヒューグ」


 ヒューグ、さんとゆっくり言葉を咀嚼するようにゼオは繰り返す。明らかに様子がおかしい。どうした、と問いかける前にゼオの方から質問してきた。


「では、僕は誰で……ここはどこなんでしょうか?」










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