祈りの機神と騎士の刃

日鷹久津

始まりの終わり

第1話 或る騎士の記録

 姫様が言うには、昔の世界はこうじゃなかったらしい。


 学のない俺を見かねて旅の途中、野宿の準備を終えて焚き火を囲み、食事を済ませて寝る。

 そんな日々の中の僅かな時間に、姫様はこの世界について教えてくれた。


 曰く、俺の爺さんあたりが子供だった頃、どこからともなく現れた魔物たちと人類の戦争が始まり───約50年、それが俺の知るこの世界だそうだ。

 戦況は良くない。50年近く戦いが続けばどんな強大な国もガタが来る。戦える大人は戦地に駆り出され、産業も教育も成り立たなくなっていく。

 かつて大陸の文化と政治の中心地だった王都も、難民と孤児と戦傷者でぐちゃぐちゃになっていた。


 そんな腐っていくだけの吹き溜まりから俺が拾い上げられたのは、身体に宿る魔力のおかげだった。

 魔物は魔法を使い、人間の兵士を軽々と吹き飛ばす。対抗するには魔法を使うしかない。だが姫様が言うには、魔法を使えるだけの魔力を持つ人間は極めて珍しいそうだ。昔は隊を組めるだけの数も居たそうだが、今は殆どいない。


 とにかく、王都の大通りを通る馬車の中から、食料を巡って喧嘩してる俺を見留めた姫様は、一目で俺の持つ魔力に気付いたそうだ。そして護衛に命じ、俺を野良犬のようにつまみ上げると枷を付け馬車に放り込ませた。


「あなたは私の騎士となるのです。以後、励むように」


 自らがこの国の姫であると名乗り、そう告げた姫様は悪魔のような笑みを浮かべていた。俺はめちゃくちゃに喚き、罵ったが、王城に着き馬車から降りるまで姫様は笑みを浮かべたままだった。


 それから俺は風呂で身体を洗われ堅苦しい服に着替えさせられ、王城らしい豪華な一室に通され姫様を待つよう言われた。何が何だか分からないまま、目についたのはテーブルいっぱいに並べられていた豪勢な料理だった。

 どんな料理で、どう調理したのか、何が材料なのかもわからない。だが、美味そうなことだけは分かる。そんな視覚だけでも十分なのに、胃袋を刺激する香りにふらふらと吸い寄せられていく。

 半年近く満腹になってなかった俺は目についたものから手あたり次第食い漁った。食べたことのない味に味覚が刺激され、手が止まらなかったのを覚えている。とにかく、美味かった。


「美味しいですか?」


 いつの間にか、姫様がすぐそこに立っていた。驚き、面食らった俺は、頬張った料理を飲み込んでようやく自分が何をしでかしたか理解した。

 今自分が食い散らかしたのは、普通では手の届かないであろう食事だ。具体的な金額は想像できないが、例え奴隷に身売りしたとしても払えないだろう。無理やり連れて来られたとはいえ、それで自分は悪くないと言い張れるほど俺も図太くはなかった。

 かといって美味いとも言えず、黙ったままの俺に彼女は続けた。


「そのアップルパイ、私の好物なんです。あなたも、気に入ってくれたみたいですね」


 テーブルの端、デザートとして用意されていたアップルパイはもう一切れしか残っていなかった。味は覚えていないが、たぶん美味かったと思う。


「料理人はよく頑張ってくれました。食材を調達するのも難しいでしょうに」


 姫様に咎める意図がないことに気付いた俺は、恐る恐る聞いた。

 いつもこんなに食べてるんじゃないのか。

 彼女は首を横に振る。


「覚えている限り、こんなに豪華な食事は初めてですね。お祝いの日でも、ここにある料理の一品並べばいい方ですから」


 意味が分からなかった。頭には疑問符が浮かぶばかりで、彼女の発言と今の状況が結びつかない。

 戸惑うままになんで……?と聞いた彼女の答えは、俺の望んだものではなかった。


「今日は、私の出発日なんです。魔物たちを指揮する総大将、魔王を討伐する旅路の」


 魔王を、討伐する?王族が、どうして。


「それが魔物と戦う力を持つ我が王族の使命なのです。父は旅に出るには老い、私は国を継ぐには若い。長らく鍛錬を続けていますから、先に旅に出た妹や弟よりは、勝算があるでしょう」


「既に国軍の指揮系統は崩壊しています。各地で抵抗を続けてくれてはいますが、組織的に行動するのは難しいでしょうね」


 つまり、少数精鋭による一点突破しかない、と。そこでようやく俺の思考も回り出した。嫌な想像に冷や汗が出てくる。

 つまり、美味いもの食わせたんだから、働けってことか?


「意外と義理堅いのですね。ふふふっ」


 他人事のように笑う彼女は、ふっと穏やかに優しい口調で続けた。


「嫌なら、王都を出てすぐ分かれましょう。この辺りはまだ安全ですし、装備を売れば……まあ、数日は何とかなるでしょう」


「あなたを騎士にしたのは、父を心配させないためです。父は王都の騎士を同行させる気だったようですが、王都の備えは万全にしておきたいですから」


 想像が外れて、ほっと一息つこうとした。だが、相変わらず体は強張ったままだった。嫌な感覚、腹の底で何かが這いまわるような不快感が消えない。


 俺が居なくても、この女は魔王討伐へと向かう。魔物の強さがどんなものなのかは知らないし、この女の強さも知らない。口の中の料理の味の余韻が、塗り潰されるように消えていく。


 彼女は話を続ける。


「その料理、もう一度食べたくありませんか?」


「魔王を討ち、魔物を各地から撃退できれば……きっとまた食べられるでしょう。世界中の美味しいものを食べられるようになりますよ」


 彼女の声はどんどん大きく、話し方も盛り上がっていく。


「それだけじゃありません。我が騎士として、私の与えられるものなら何でもあげましょう。金でも領地でも、或いは女でも……」


 ふっ、と。彼女の声が途絶えた。


「え?」


 皿ごと差し出されたアップルパイと俺とで、彼女の視線がちらちらと切り替わる。初めて会った時から一貫して余裕を持った態度だった彼女が初めて見せた困惑の表情だった。


「好きなんだろ?一個残ってるから、食えよ」


 一瞬の逡巡の後、ええ、と彼女は皿を受け取りアップルパイを掴み、かじりついた。好物なのは嘘ではないらしい。食べ方こそ上品だが、目の輝きやぱくぱくと勢いよく食べる様子から余程好きなのが伝わってくる。

 そういう子供らしいところを見ると、印象も変わってきた。多分、歳も自分とそう変わらない。16、7辺りだろう。

 観察されていることに気付いていないのか、彼女は残った一口を放り込み、少し寂し気にうつむいた。


「さっきの言葉、忘れんなよ。魔王を討伐出来たら、もう一度アップルパイを作ってもらうからな」


 俺の言葉で彼女は顔をあげた。きょとんとした表情が、すぐさっきまでの凛としたものに戻った。ただ、俺に向けるその視線は穏やかで優しいものに感じた。少なくとも、俺はそう感じた。


「……そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね」


 ああ、と頷きそういえば自分も目の前の姫の名前を知らないことを思い出した。そのことを説明すると、彼女は口元を抑えて笑った。


「私はランメア。ランメア・スティンバル。この王国の第一王女です」


「俺は……」


 名乗ろうとしたところで、彼女が遮る。手で椅子から立つよう促され、彼女の目の前まで行き、跪かせられた。俺は黙ってそれに従う。満足げにうなずいた後、彼女はふっと軽く息を吸い込んだ。


「第一王女、ランメア・スティンバルの名において、あなたを我が騎士に叙任します」


 腰に帯びた剣を抜き、俺の肩を軽く打った。詳しいことは知らないが、これも騎士となるために必要なことなのだろう。座ったまま済まさせなかったのもそうだ。

 この姫は、本気で俺を騎士として認めてくれている。期待されている。それが言いようもなく嬉しい。貧民街では感じたことのない感覚に、握った拳に力が入った。


「我が騎士よ。名は?」


 すっと顔を上げる。貧民街の住人と姫と、文字通り見上げるほどの身分の差を、彼女の瞳は感じさせない。今まで味わってきた侮辱と軽蔑の混ざったものとは違う。

 期待と信頼───それに応えたかった。それしかなかった。


「ヒューグ……まあ、呼びたければ野良犬でも何とでも。慣れてますんで」


「では、我が騎士ヒューグ。我が命に従い、我と共に死地へと旅立つ覚悟はありますか?」


 答えは決まっていた。


「あなたが望むなら、どこまでも」

 

 ふっ、と彼女が微笑む。よろしい、と剣を納め手を差し出してきた。その手をぐっと握り、立ち上がる。


「早速で悪いですが、すぐに出発しますよ。荷物は準備してありますから」


 今すぐにか、と聞き返すと今すぐです、と返ってきた。一度部屋から出て、二人分の荷物を持って戻った姫様はごとんとそれを床に置いた。それから壁に立てかけてあった大層立派な装飾の剣を手に取り、柄をこちらに向ける。


「剣の握り方も、魔法の使い方も……旅してるうちに覚えさせますから。安心してくださいね」


 そう笑う姫様の笑顔は、あの時と同じで悪魔のようだった。

 もしかしたらこのまま彼女に、地獄まで魂を連れていかれることになるかもしれない。そう笑いながら、俺は剣を受け取った。




*****




 こうして始まった俺と姫様の旅路は、思った通り簡単なものではなかった。


 姫様に教わった剣術と魔法があっても、魔物との戦いは楽ではなかった。

 

 常に死を覚悟し、頭を働かせなくては勝つことはできない。夜は殆ど野宿で済ませ、屋根の下で休めたことは殆どなかった。貧民街での喧嘩と、魔物との命を懸けた戦いは違う。何度戦っても恐怖に慣れはすれど、消えることはなかった。


 それでも折れなかったのは、姫様が折れなかったからだ。


 姫様はいつも俺の前に立ち、俺の数倍の数の魔物を相手取っていた。戦いが終わると、傷の深さも数も俺より酷いのに真っ先に俺を気遣ってくれた。


 騎士でありながら、守るべきはずの姫様に守られる。


 それが情けなくて仕方なかった俺は、強くなろうと決め自ら進んで敵に立ち向かった。姫様に教わった剣では、姫様を超えることはできない。実戦の中で、我流で極めていくしかないのだと悟った。当然ながら傷を負う回数も増え、死に掛けたことも何度もあった。無茶はするなと姫様に怒られながらも、止めはしなかった。

 

 そんな俺と姫様の旅は、少しずつではあるが人類に希望を与えていたようだ。崩壊した各地の国軍も、自国の王女が直接戦っていることを知り士気をあげていた。そうした軍勢をまとめ上げ、人類滅亡までの時間を僅かに、だが確実に引き伸ばしていく。 


 そして何より嬉しかったのは旅路を共にする仲間が増えたことだ。

 姫様の王国とはまた別の国の王族であり、若くして指揮官として活躍してきたエルジラン。

 真魂教会にて負傷した戦士たちに祈りを捧げ続け、聖女と呼ばれた少女ユーセトラ。

 俺たち四人は歳もそう変わらず、死線を共にし背中を預けあったことですぐに心を許しあった……まあ、俺とエルジランはしょっちゅう喧嘩になった。奴が野良犬と呼べば俺がお坊ちゃまと返し、すぐ睨みあいになる。大抵は姫様が仲裁し、ユーセトラはそれを見て楽しそうに微笑んでいた。




 実際、二人はすごかった。エルジランの剣はその冴えが閃く度に敵を斬り裂き、魔物の鎧や甲殻を紙のように切断した。奴の国に古くから伝わるらしい剣技を幼少期から叩き込まれた上に、奴自身の才能がその全てを進化させている。俺自身が試行錯誤の末辿り着いた二刀流の手数によって圧倒する剣撃を、奴は剣一本で捌いて見せたことがある。


 一方ユーセトラもまた、大陸中に信徒を持つ真魂教会が幼少期から育て、秘蔵していた至聖天の称号を持つ唯一の女性らしい。それがどういう意味を持つのか俺には分からなかったが、彼女が魔法を使えば一瞬で骨が繋がり傷が塞がり臓器が元通りになった。

 俺や姫様でも治癒魔法は使えるが、時間はかかるし痕も残る。彼女が言うには、治癒力を促進して傷を癒しているのではなく、時間を巻き戻すことで傷事態をなかったことにしているのだという。


 即死さえしなければ、どんな重傷者でも重病人でも癒してしまう彼女の力は聖女と呼ぶに相応しかった。その上、攻撃や防御といった魔法にも人並み以上精通していたのだから姫様からかじった程度の魔法しか使えない俺では比較にすらならなかった。

 



 ともかく、四人揃っての旅は悪くなかった。魔王の居場所の手がかりを求め各地を転々とし、強敵に次ぐ強敵との連戦には気が休まることが殆どなかった。魔物に加担した人々に裏切られ、追われたこともあった。何より、自分たちが遅すぎたことを痛感することが多すぎた。

 だが、もちろん辛いことだけじゃなかった。協力し難敵を討ち果たした時の達成感。喜ぶ人々の表情を見て噛み締める幸せの尊さ。そして、満足げに微笑む姫様の表情。そして、俺の視線に気付いた姫様の言葉……。


「ヒューグ、よくやりましたね」


 それからの旅はそう長くなかった。魔王の居場所を突き止めた俺たちは、旅の終着点である魔王城へと至った。人気もなく緑の無い、岩ばかりの荒地に魔法により隠されていたその巨城は、黒雲を突き破り、静かに堂々とそびえていた。

 

 中に踏み入った俺たちを待っていたのは、文字通りの死闘だった。




*****




「おおおぉぉッッ!!」


 全身に神経を張り巡らせ、魔力をかき集め放つ。放たれた魔法は俺のイメージ通り鋭い風の刃となり、列を成す大柄な魔物へと向かう。岩を砕き鋼鉄を抉り裂く風の渦が魔物の頭部を消し飛ばす。だが、そんなものでは魔物の隊列は崩れない。十や二十、それ以上の数の魔物が周囲を包囲していた。


「数が多すぎる……!」


「ヒューグ!!」


 じりじりと包囲を狭めていく魔物を睨みつけていると、姫様から注意が飛んできた。

 慌ててその場から飛び退くと俺の居た床に霜が走り、一瞬で凍り付いてしまった。包囲していた魔物も何体か巻き込まれ、瞬時に足元から凍りつき全身氷の彫刻となってしまった。俺たちの中で最も魔法に通じているユーセトラですら、ここまでの魔法は使えない。


 冷気を放った相手は、包囲される俺たちを見下ろすかのように悠々と宙に浮かんでいた。その傍らには似た姿をした魔物がもう一体。

 二体の姿は他の魔物たちとは違い、人間の、それも女によく似ている。姉妹なのだろうか。目を閉じ表情の読めないもう一人に対して、冷気を操る女のバカにしたような冷たい笑みが俺には我慢ならなかった。

 先ほどのように魔力を集め、風の刃を放つ。空を裂き飛ぶその威力は先ほどと変わらない。

 だが女は悠然と笑みを受かべたまま、防御することも回避することもせず、それを羽虫を払うかのように軽く素手で消してしまった。

 実力の差がありすぎる。その事実に思わず舌打ちをする。


「女だからって舐めてかかると碌な目に合わんぞ、野良犬」


 あぁんと唸りエルジランを睨みつけたが、すぐに姫様に制された。確かに集中と協力を欠いて勝てる相手ではない。ユーセトラと姫様を庇うように俺とエルジランが前に立つ。四人固まっていなければ危険だ。


 あの姉妹は恐らく魔王に次ぐ実力を持つ幻魔候と呼ばれる精鋭。表立って姿を見せず、こうして旅に出て探す必要のあった魔王とは違う。50年に渡り人類に恐怖を与え続けてきた存在。

 旅路を続けるうえで避けては通れない相手である以上、今まで何度か戦った相手ではある。だが情報を得て策を練り、罠を張って隙を突き、それでも楽勝とは言えない戦いばかり、そんな相手だ。


 ここは敵地で、罠を張ることも対策を練る時間もない。周囲を魔物に包囲されている状況で、そんな相手が二体。内一方、冷気を操る方ではない女が目を開いた。すっと腕を伸ばし、掌をこちらに向ける。


「散会させる気でしょう。防ぎます」


 ユーセトラが淡々と告げる。女の掌に魔法陣が表れ、目が眩むほど明るい火炎が迸った。

 直撃すれば骨まで塵と化すであろうそれは、俺たちの目の前で壁に阻まれたかのように止まった。強い日差しを浴びたような熱が肌を焼くちりちりとした感覚はある。だがそれだけだ。

 火炎放射が止むと、俺たちの周囲の地面には霜が張っていた。散会すればああして捕らえられ、そのままやられていただろう。また何体か巻き込まれたのか、周囲の魔物たちの包囲が広がっていた。霜にやられ凍結したあとに炎で蒸発したのか、凍結する間もなく燃え尽きたのか、今となってはどうでもいい。


「ユーセトラ、ありがとう」


 姫様の言葉に彼女は軽く会釈をした。いつもの薄く微笑んだ表情はそのままだが、消耗しているのか息が荒い。そう何度も受けられるものではないだろう。

 冷や汗が浮かぶ。相手は遥か格上、弱点も思いつかず。防御はできるがそれでは消耗していくばかり。未だ包囲は続いている。


「……地力を試されることになりましたね」


「ですが、私たちなら必ず倒せます」


 姫様の力強い言葉に俺たち三人は互いに目を合わせ、頷く。姫様の言葉からはいつも自信と力が湧いてくる。闘志を燃やし、宙を舞う敵を睨みつけると冷気を操る女がけたけたと笑いだした。


「姉様、ああ姉様……あの人間達、やる気のようですよ?」


 口元を隠し小馬鹿にしたように見下ろすほうは妹らしい。対して姉のほうは冷静ながら、しかしどこか不透明な表情でこちらを見下ろしていた。はあ、と一息ついてから姉が姫様に問いかけてきた。


「貴嬢。その一団の指揮官かとお見受けします。この戦い、退かないのですか?」


「退けませんね。退いたとして、状況が好転する余地はないでしょう」


 元より奇襲を仕掛けているのはこちら側だ。退いて立て直す時間を与えれば、敵地であるこの地の守りはより固くなることは分かっていた。それが分からないわけではないだろう。


「バカな人間達……姉様はお優しいことに、あなた達を無駄死にさせまいと心配してくれているのですよ?」


 妹がけたけたと笑いながら告げる。姉の考えは理解はできる。だが同意はできない。言っておかねば気が済まなかった。


「バカはお前だ。ここで退けば人類を襲うのを止めると約束でもしてくれるのか?そういうのを偽善って言うんだよ」


 そう吐き捨てるように言うと、妹の冷たい瞳が俺を捉えた。あの女の使う冷気の魔法を思わせる、視線だけで人を殺せそうな冷酷な瞳。だが、姉がそれを制した。


「……確かに、あなたの言う通りですね」


「自らの手を汚したくないばかりに、あなたがたの戦いに水を差したこと、お詫びします」


 そういうと彼女はすっと頭を下げた。横で妹は間抜けにぽかんと口をあけていた。俺たちもまさか謝られるとは思っていなかったが、緊張の糸は絶やさなかった。そしてすぐにその判断が正しかったことを知った。


「善人の振りはやめにしましょう。後悔しないというのなら……その覚悟もまた、私の全力の炎で蒸発さるだけ」


 風を送られた焚き火のように、姉の魔力が爆発的に増した。空気中の水分が蒸発し、乾燥していくのを肌で感じる。これが幻魔候の本気。


「あの飛行能力では、私やユーセトラの魔法は当たらないでしょう。牽制に回りますから、剣による攻撃に賭けます」


「エルジラン、ヒューグ……頼みます」


 姫様の下した指示にエルジランも俺もはっ、と短く返す。ざっくりとした指示ではあるが、細かく詰めている時間はない。それに、今までもこんな具合でやってきたのだ。それだけの信頼関係がこの四人にはあった。

 先ほどのように、姉妹の姉が腕を伸ばし掌をこちらに向けた。魔法陣の中にちらちらとした火が見えた。


「散れっ!!」


 炎が四人を飲み込む直前、ユーセトラを除く三人で別方向に散る。やはり地面には冷気が這っているが、凍り付いて動けなくなるほどではない。背中から感じる炎の威力は先のものを上回っていた。だが、止まらず包囲する魔物の隊列に突っ込む。勢いに任せ魔物の軍勢を斬り開き、そのまま紛れ込んでいく。

 先とは違う散会の動きを見せた相手に対し、姉の火炎放射が止む。彼女の目に映る相手の動きは迷いなく決断的であった。何かする気であり、すぐに対応しなければまずい。

 彼女がその思考へと至る一瞬の間に、一人散会せず猛火に飲み込まれユーセトラが杖を振り払い炎の内から現れた。一人分の壁を張るので済んだおかげか、先ほどより消耗も少ないようだ。攻撃に回す分の魔力は残っている。姫様の指示では牽制であったが、もちろん必殺の意思を込めて放つ。


煌破刃残光コウハハザンコウ……」


 杖に収縮された金色に煌く魔力がいくつにも分かれ、ユーセトラの周りをぐるりと囲みその輪郭が巨大な剣となった。魔族の身体を浄化し祓う、真魂教会の魔法の中でも最上級の威力のそれが放たれる。


「姉様っ!!」


 気を取られている姉にユーセトラの魔法が命中する直前、姉妹の妹がそれに気づき庇った。輝く剣は止まることなくその先端が妹の腹部に突き刺さった、ように見えた。剣が突き刺さっているのは、彼女が生み出した氷の塊だった。この魔法は物理的な破壊力に乏しく、氷を砕くだけの威力はない。しかし、それが間一髪で成功した防御なのは、不敵に笑いながらも冷や汗を浮かべたその表情から分かる。

 ペースが崩れたのは確かだった。


「そこッ!!」


 立て直す暇を与えず、魔物の隊列に身を隠しながら姫様が攻め立てる。愛用の細身の剣で周囲を斬りつけながら、氷柱が姫様の周囲に浮かべる。一点集中の威力に特化したユーセトラに対し、数で押しきるつもりだ。その数は十や二十どころではない。そしてそれを数秒に渡って撃ち込み続け、圧倒的な魔法の弾幕が形成された。だがそれも、撃ち込むたびに全て姉の炎に巻かれ蒸発してしまう。


「……!」


 姫様は構わず氷柱を生み出し、撃ち込む。周囲の魔物を寄せ付けないよう剣を振り、足を動かし撃ち込む角度を変えながら、姉妹の防御の隙間を探すように。だが。


「無駄と知りなさい……」


 そのことごとくが姉妹に届く前に炎によって霧散し消える。魔力の流れを感知しているのか、死角から撃ち込んだ一撃すらも。


「ならば……ッ!」


 数を捨て、魔力を込めた巨大な氷塊を生み出す。姫様が全身全霊を込め生み出そうとする一撃を、姉は冷静に見下ろす。彼女の炎は妹の全力の冷気すら上回る威力をもつ。妹に及ばない相手がどんなに巨大で冷たい氷を生み出そうと、彼女には蒸発させる自信があった。


銀骸氷牙ギンガイヒョウガッ!!」


 巨大氷塊が放たれる。並みの魔物なら一瞬で凍らせ砕き、突き進む破壊力を持つ魔法。だが、姉は動じず軽く手を振ると氷塊は猛火に飲み込まれた。人の身長を軽く上回る大きさの氷塊であっても、猛火の前では触れた途端に蒸発してしまう。音がする間もなく消える。時間にして一秒もない。

 だが、俺にはそれだけで十分だった。炎の幕の向こうにいる姉へ飛び掛かり、超高温の炎の幕に斬撃が走らせる。風の魔法を纏った剣が、空を裂き炎を切り開く。そのわずかな隙間の向こうに、姉の姿が見えた。

 炎で姉の視界が奪われた一瞬の隙を突いた奇襲。土壇場で組み立てたにしてはこれ以上なく決まった手ごたえがあった。


「姉様!!」


 妹が声を上げる。だが、向こうもまたエルジランに斬りかかられている。奴もまた隠れて隙を伺っていたらしい。俺とエルジランでこの姉妹を仕留められれば、いよいよ魔王と戦うことができる。


「もらった…っ!」


 勝利を確信し振り下ろす。


 だが、手応えはない。

 剣はあっさりと姉に止められていた。指二本で挟まれただけだがビクともしない。左手を柄から離し、腰に下げていた二本目の剣を抜き斬りかかるが、そちらもまた止められてしまった。


「……いい奇襲でした。ですが、私たちとは地力が違います」


 剣を捨て距離を取るか、そんなことを迷ってられる相手ではなかった。剣から離れた彼女の手に魔法陣が浮かぶ。まずい、と思考が浮かぶより早く、俺の全身を炎の渦が包んだ。


「ヒューグ!」


 エルジランが叫ぶ。姉を止めようとそちらへ向かい斬りかかるが、妹に阻まれてしまった。退け、と叫び剣撃を繰り出すも、その全てが妹の氷の剣に阻まれる。ユーセトラも姫様も、周りの魔物に足止めされ手出しできない。自分の炎の威力がどれほどのものか、彼女が最も理解していた。だから、炎の渦に呑まれたあの男はもう助からない。もう間もなく塵一つ残さず燃え尽きることになる。


 今度こそ、間違いなく油断していた。再び斬撃が炎を切り裂く。


「え……?」


 左手の剣で炎の渦を斬り裂き、油断している奴の前へと進む。そのまま無防備な体に、右手の剣を振り下ろした。


「……っ!」


 鮮血が飛ぶ。振り下ろした剣は彼女の身体に決して軽くはない傷を負わせていた。まだ、足りない。もう一撃、あと一撃加えれば、それで勝てる。そのはずなのに俺の身体は動かなかった。宙に浮かぶ奴と俺は同時に崩れ落ち、落下していく。


「姉様、そんなっ!!」


 姉のほうは、妹に空中で受け止められた。俺は地面に叩きつけられ、うめき声を出すこともできない。


 炎の渦に包まれた瞬間、俺は剣に纏わせていた風の魔法を全身に広げ超高温に耐えていた。風の鎧で空気を循環させ熱を遮断する防御方法が上手くいったのは最初の数秒間だけ。

 直接炎に身を焼かれなくても高温の熱は俺の身体を焦がしてくる。息を吸えば肺がやられるため呼吸もできない。次第に弱まる風の鎧を必死で維持しながら折れそうになる心を必死で支えた。

 そして炎の勢いがわずかに弱まった瞬間、決死の覚悟で剣を振るった。剣を振れる自信があったのは一回だけ、二回振れたのは運がよかった。だが、もう一度だけ振ることができたなら……。


「ちくしょう……っ」


 あの女は妹に抱えられたままだ。妹は青ざめて姉様と呼び掛けているが、幻魔候があの程度で死ぬはずがない。気絶してるだけだ。トドメを刺さなければ。激昂して冷静さを欠けば、姫様たち三人で妹のほうも倒せるはずだ。だから行くな。俺に向かって来い。

 俺の殺気を感じ取ったのか、妹が首をこちらへ向けた。目には涙と憎悪が浮かんでいた。


「よくも姉様を……っ!」


 いいぞ。怒れ。そのまま俺を殺しに来い。

 だが、あの女は勝ち誇るように笑って見せた。


「……お前なんて、わざわざ殺すまでもない。どうせすぐに死ぬ。今は姉様のお身体のほうが大事よ」

「そのまま無駄死にしてなさい……!」


 待て、と声を出すこともできず、奴は姉の身体を抱えどこかへ飛び去っていった。小さくなっていく背中を、俺は何もできずに見ることしかできない。そして、奴の言葉が急に心を支配してくる。

 

 無駄死に、つまり、俺は何もできず死ぬ。決死の覚悟は嘘ではない。だが、無駄死には嫌だ。死ぬのなら、何かを為してからでなければ。


「ヒューグ!」


 姫様の声が聞こえる。周りの魔物は撤退したのだろうか、エルジランとユーセトラもいる。姫様の表情は青ざめていた。


「ユーセトラ、回復魔法を!」


「すみません。魔力が、まだ……っ」


 急いで、と姫様が声を荒げた。仲間にこんなに激しく当たるところを俺は初めて見た。姫様が俺の顔を覗き込み、笑みを浮かべた。無理やりで、くしゃくしゃな笑顔だった。


「大丈夫……大丈夫、大丈夫よ……必ず、助かるから……」


 姫様の目から涙がこぼれた。姫様自身も回復魔法をかけようとするが、上手くいかない。姫様だって限界なのだろう。

 つまり、俺は本当にここまでらしい。仲間たちがいるおかげか。さっきとは違って妙に冷静になれた。姫様とユーセトラは必死で魔力を集めている。まだ何とかなると思ってくれているらしい。それはありがたいが、無駄なことはしなくていい。二人を止めたいが、身体は言うことを聞かない。


「姫様……ヒューグが伝えたいことがあるようです」


 代わりに止めてくれたのはエルジランだった。

 奴だけは、俺と同じく冷静だった。少なくとも、そう見える。こういうことは、旅の途中でもたまにあった。姫様は魔力を集めるのをやめ、静かに俺の言葉を待ってくれた。残る力を振り絞り、俺は口を動かす。


「……姫、様」

「最後まで、お付き合いすることができず……申し訳、ありません……」


「そんなこと言わないで!死ぬことは許しません、諦めないで……!」


 姫様、と再びエルジランが止める。姫様も口を閉じ、俺の言葉を待ってくれる。言いたいこともたくさんあるだろうに、申し訳なく思う。


「俺は……姫様の騎士になれて、幸せでした……ここで死ぬことになっても、後悔はありませんから……」

「姫様も俺のことは……気にしないで……」


 姫様は涙を流し、俺の手をぎゅっと握りしめてくれていた。手に残るぬくもりに安心感を覚える。

 ユーセトラは茫然と杖を握りしめていた。いつも悠然としている彼女らしからぬ姿に少しだけ驚く。

 エルジランはいつもと変わらず、冷静にこちらを見つめていた。俺が死んでもこいつはこんな調子だろうなと思ったが、予想通りで少し笑えた。


「二人とも……姫様を、守ってくれよ……」


 ユーセトラは何も言わない。代わりにエルジランが応、と答え続けてユーセトラも頷く。この二人なら、頼りになる。


「姫、様……」


 安心した途端、ふっと力が抜けていった。姫様の手を握り返していた手にも力が込められなくなり、瞼が重くなっていく。

 ヒューグ、と姫様の声が聞こえる。身を乗り出し、俺の顔を覗き込む。声が遠くなっていく。


「……どうか、笑顔でいてください……」


 涙を流し泣き叫ぶ姫様の顔を最後に、俺の視界は閉じた。死ぬのを泣いて惜しまれるのは悪くない死に方だと思う。だが、姫様には笑顔でいてほしかった。僅かな無念とともに、俺の意識は途絶えた。


 

 

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