第6話
空は雲に覆われ、灰のような色を帯びていた――
そろそろ白石さんがここを通過する頃だろうと思っていると、目の前を女性が通り過ぎていった。ふわっといい香りが漂ったので、すぐにそれが白石さんだとわかった。
ついでしばらくの間の後、昨日の俺。9月15日から来た俺が通過した。
——それから2分、灰色のパーカーを着た女性が通り過ぎた。
白石さんを殺した犯人だ——そう考えると、一瞬にして怒りが込み上げてくる。
俺はできる限り足音を鳴らさないよう、慎重に歩き、犯人の背後についた。
犯人と、その先にいる過去の俺との間にはまだ距離がある。
と、そのとき——
カッカラッ と自分から音が鳴った。思わず周囲を見渡すと、魔法石が落ちていた。どうやらコートのポケットから落ちてしまったようだ。
魔法石を失くしてしまうと大変なことになるのだが……
そんなことよりも犯人に気づかれてしまったかもしれない! そう思って慌てて犯人の方を見るが…… 犯人はなんの反応もなくただ歩き続けていた。
そんなようすを見て、俺は少し違和感を覚えた。今から人を殺害するにしては、あまりにも緊張感がなさすぎるからだ。対して俺は極度の緊張状態にある。
魔法石を次は安全なズボンのポケットへとしまうと、早々に歩き出した。
まだまだ犯人と過去の俺、白石さんとはまだ距離はあったが、少し急ぎめで再び犯人の背後へついた。
できる限り早く犯人を殺した方が、過去の俺や白石さんに気づかれにくく良いだろう——
……俺はコートの内に隠していた右手。包丁を持っていた右手をコートからそっと出した。そして銀鼠色の
————殺さなければ————
突然、今までにないほどの怒りが底からこみ上げるのがわかった。そして、俺は迷わず犯人へ向かって走り出した————
スローモーション映像かのごとく、時間がものすごく遅く感じる。
1歩、2歩、3歩。と、アスファルトを足裏で握るようにして確実に地面を蹴り飛ばす。
少しずつ、犯人の背中へと
——だが何かがおかしい。ふと自分の心の中で微かな違和感が生まれた。
まだ相手はこちらに振り向かない。これほどかというほど地面を蹴飛ばしているにも関わらず。小石とアスファルトが擦れる音がこの通りに鳴り響いているにも関わらず……
犯人との距離もあと2メートル。まだ相手はこちらに気づかない。いや、とうに気づいているのだろうか。まるで住んでいる時空が異なるかのように、こちらに見向きもしない。
気づけば、もう取り戻しのつかないところまで迫っていた。今にも
グッ————
包丁を強く握りしめ、犯人へ突き刺した!
思わず目を閉じてしまったが、からだ全体がドッと大きな衝撃を受けたことは分かった。そして、なぜか地面に立っている感覚はある。走りながら包丁を突き刺したのだから、犯人に覆い被さるようにして前へ倒れていてもおかしくない。
俺はおかしく思い、ゆっくりと目を開けた――
だが、目の前には犯人はいなかった。いや、いる。しかし、距離がある。犯人は5メートルほど先を歩いている。血を流しているわけでもなく、ただ平然としている。俺は思わず手元を見たが、右手に光沢を帯びた銀鼠色の包丁が握られているだけで、血などは一切付着していない。まるで5秒前の世界に戻ったかのようだ……
では、さきほどまでの出来事はどうなったのだろうか。犯人へ向かって走り出したのは幻覚だったのだろうか。人を殺す直前には誰しも心理状態が不安定になるのだろう。幻覚のひとつやふたつ、見てもおかしくはないのかもしれない。
俺は軽い混乱状態に陥った。が、白石さんの方向へと歩く犯人を見ると、こうしている間にも白石さんの死が刻一刻と迫っていることだけはわかった。またあの感情が引き起こされる。犯人へ対する強い怒りだ。
さっきまでの出来事が幻覚だとしたら、今すぐにでも犯人を殺さなくては。気付けば俺は、包丁を腰に構え、犯人へと走り出していた――
少しずつ犯人の背中が迫る。俺はもう一度手に力を込め、包丁を強く握りなおした、が……
ここで犯人がこちらに振り返り――
「お父さん。邪魔しないで」
と、言葉を放った。顔をよく見ると、小柄な女性だと思っていた犯人は中学生くらいの少女だった。そして、とうとう包丁が彼女へと突き刺さったかと思えば――
視界が一瞬にして真っ白になり、気づけば彼女の5メートル手前にいた。
——空が黒くなり、急に雨が降り出す中、俺はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
朴(わたし)とパラドックス ふわふわダービー @abcwmdMCD
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