6

 光を失いつつあるKの瞳からはとめどなく涙が流れ続けた。未熟な咳を繰り返し、唾液に混じった血が憐れに小さな唇から垂れでた。私はそれを啜ってみたくなった。彼女の腹は恐ろしいほど赤黒く染まっていた。間も無く彼女は失禁した。ある作家が失禁を=死の前兆のように捉えていたけれど、私は真反対だと思う。彼女の尿は熱かった、それは生きているという何よりの証拠ではないのか?排泄行為こそ生に直結するものだし、死んだら決して出来ないではないか。私は自らの体液とKの尿が絡み合うのを想像して二度目の絶頂を迎えた。

 そして私を興奮させたのはKが抵抗を続けていることだ。もう動くことすら億劫そうな手を持ち上げて、必死に私の背中を叩く。私は汚れないようにコートを脱ぎ捨ててから、彼女の麗しい髪を撫でてやった。

「芸術って何が必要だと思う?暴力ってどうしたら失くせると思う?私思うんだぁ、生と死を実感することだって。これまで私の芸術が正当に評価されなかったのは、それが欠如してたからなんだよ。じゃあどうしたら皆わかってくれるかな?私は最高のペンを片手に最高の画材を探し続けた。勿論それが犯罪だって知ってた。私は罪悪感に苦しんで、死にたいって思ったけどやっぱり損なんだよ、死ぬのは。そんな時、神様から啓示を受けた。元々は無神論者な私だけど、やっぱりあの感覚を神なしで語ることは出来ないよ。んで、神様は言ったワケ。天使を地上に遣わした、彼女が君を救ってくれるって。貴方だったのね!K。貴方は私を擁護してくれるだけでなく、生と死の狭間で踠き苦しんでくれるなんてなんて素晴らしいことなんだろう!」

私はKの唇に触れようとしたが、彼女はいやいやをする子供のようにそれを拒んだ。私はとびきりの笑顔でそれを追った。高原の許、羊飼いの少年が羊を追う気分で私は彼女の唇に自らの唇を重ねた。彼女の血は甘美な味がした。

 刹那、私は鋭い痛みを感じて脳が震動するのを感じた。Kが最後の力を振り絞って転がっていたスプレー缶で私を殴ったのだ。私が蜂に纏わりつかれた熊のように怯んだ隙に彼女はスプレーを噴射した。瞬間、私の世界は赤色に染まった。闇に包まれながらも私はナイフを取り出そうとしたが、そこにはなかった。Kの悲鳴のような絶叫が起こり、私の太腿を何かが切り裂くのがわかった。

 最高に美しい!私は泥の上に身を横たえて痛みと極度の恍惚に呻いていた。私の眼前にはナイフが落ちていた。咄嗟にKの姿を探した。片眼が塗料で潰れたが、もう一方で彼女を捕らえた。彼女は立ち上がっていた。彼女は歩き続けていた。

「助けて、、ママ、、パパ、」

彼女は確かにそう連呼していたように思う。彼女は直ぐに赤ちゃんのように倒れてしまう。その度に彼女は起き上がった。私は彼女に最期トドメの一撃を喰らわすこともできた。しかし、私はそうしなかった。倒れては立ち上がり、また倒れる彼女を唯眺め続けていた。彼女の血が轍となり丘の上まで連なっている。それは月光を受けてルビーのように輝いていた。雑草に滴る血液は破裂寸前の巨星の儚さをみせていた。彼女は生き続けるだろうと漠然と信じたくなった。死に頑強に抵抗し、生を勝ち取ろうと最期まで奮闘したのは、一番身体の弱い少女だったのだ。私は泥と血に塗れたライトに照らされた聖母マリアの画を再び仰いだ。

「生きることと死ぬことだけは皆平等だからね」

 私はナイフで太腿を深く抉った。瀕死の少女の力では刺したとも言えぬほどだったが、私はある発想を実行に移す為に、警察すら恐れないで自らの退路を断ったのだ。私は噴き出る自らの血を愛おしく思った。私はそれを掬い彼女の残した血溜まりの上に垂らした。それは湯気が出るほど熱く、我々生命の讃歌を謳った。私は壁に縋りつくように立ち上がると、混ざり合って黒くなった血潮で、マリアの恥部が隠れるほど巨大な聖ヨセフの陰茎を描いた。

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The beautiful canvas 梓稔人 @Kogito

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