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「僕はこの世界の人類という住人は皆潔癖症だと思うんです。勿論、比喩的な意味で。
例えば平和主義者は正確に言うなら戦争を憎んでいるんじゃない。流される血で種族が穢れるのが嫌なんです。だからあらゆる暴力、正確には流血を根絶しようとします。僕はこれを行動派の愚者だと呼んでいます。行動派というのは、そうじゃない派閥もあるからです、、そうですね、便宜上穏健派とでも言いましょうか。行動派は暴力反対という大義名分を叫びたてて自らの趣味嗜好に問わないものを排除し続けるでしょう。穏健派は大義名分があるから強いてそれに反対しようとしない。そして暴力禁止法案が可決され、街からは暴力は廃絶される。でも、僕たちは暴力を完全に排除できるほど高等な生物でしょうか。僕は違うと思います。何故なら暴力は感情から起こるものだからです。暴力は物理的に可視化されますよね、例えば血であったり、器物破損だったり。僕たちは物理的なものは排除できます。しかし暴力は水面下に感情を持っています。だから、本当に暴力を根絶したいなら、人間の持ちうる全ての不の感情を排除せねばならない。そんな事が万一出来たとしても、僕はそれはしたくない。勿論僕はヒューマニズムを否定する訳ではないし、暴力を肯定している訳でもない。けれど、人間を成長させるような功績が不の感情なしで創造された訳じゃないと僕は思うんです。そして僕が彼ら、行動派も穏健派も愚者だというのは、問題をみてみぬふりをするからです。彼らは前に言ったように、自らの趣味嗜好が一番優先されます。血を流すのが見たくないから、話し合えば全て解決できるんだと無謀な提案ばかりする。ヴィジョンが無いんです。基準は自分の周辺だけ。自分が住む島国の外でどれだけ紛争や戦争が起きてようが、自分の居住している市で殺人事件が起きなければ平和なんですよ。それは規模の違いです。市が国で、国が世界に置き換わっても、自分が誰かの殺人を知らなければ平和が達成されたんだ、そう思い込むのが愚者なんです。
こんな風に偉そうに語ってますけど、僕も愚者の側面を持っていますし、Aさんもあるかと思います。それは仕方ないことなんです。人は必ず死ぬ生き物で、もうすぐ百億人が世界の住人になります。避けられない殺人が偶発的に起こって、それに気づくことが出来ないまま、今日は平和だと思うことは仕方ない。寧ろ、全てを気にしてたら脳がパンクしますからね。でも、気づかないふりと気づけないは違う。暴力に代表される人間の不の側面はウイルスのように、根絶する直前で手を抜くのが一番危険なんです。その点でいうならば暴力は無くそうとすればする程潜在的に強くなっていく。
残念ながら社会は行動派の愚者とそれに従う穏健派の愚者で回っています。暴力反対と同じ調子であらゆる少数派は弾圧されます。ホームレスもそう。僕はそれに断固として抵抗するんです。少しでも社会の人々が免疫をつけられるように。私はいつも股を広げるマリアを描いてから、これを書きます(そう言ってKはThe virgin...のくだりを指差した。処女マリアはキリストを産む時、ペニスを必要とした、、)。この言葉が僕の活動を象徴しています」
Kの瞳は輝いていた。私という理解者の許で自分の意見をいうのがよほど嬉しかったのだろう。長ったらしい演説のあとに彼女は最高に美味しそうに缶コーヒーを飲み干した。だが生憎私は理解者じゃなくなったからね。さてどう反論しようか。Kには生半可な議論は通用しないだろう。ましてや屁理屈で煙に撒くことは出来ない。しかし完璧に見える彼女の弁論も中学生らしい穴がある。私はそこから彼女の牙城を崩す算段だ。
「確かに私も暴力についての意見はKに賛成よ。でも、落描きはそこが他人の所有物である以上、犯罪なの、少なくともこの国ではね。少数派の意見を代弁するのに態々犯罪なんてしなくても良いんじゃないの?」
Kは理解者を失ったような憐れな表情を浮かべてから、俄かに頰を紅潮するのがわかった。ブルータスに裏切られたカエサルもこんな風だったんじゃないかと思う。存在意義を否定されたんだからね、理解者に。ともすれば彼女は手にした缶コーヒーを叩きつけたかったんじゃないか。でもそこは中学生。大人に奢ってもらったという厳然たる事実に叛くことは出来ない。
「僕の相手は社会や政府です。この国が弱者を弾圧する限り僕は抵抗します。たとえその行為が犯罪であっても。何故なら僕は芸術家だからです。芸術家は、、創作者は(Kはこの先醜く鼻を啜って涙した)唯一自由な個人なんだから。僕は弱者を護り、自由へと導かねばならないんだ!」
私は興奮で声が震えるのを必死に抑えながら王手をかけた。Kは稀にみる大魚だったが、私に釣られる運命にあるのだ。しかも、壁に稚拙な絵を塗りたくることしか出来ないまま。私の左手は既にポッケを弄っていた。だめだよ、私、勘づかれちゃうじゃない。私は恥部が濡れているのを感じた。
「その弱者はたとえ犯罪者でも、芸術家は護らねばならないの?目的が芸術なら、犯罪は赦されるの?」
Kは初めて逡巡していた。私にはどーでも良いけどね。私はKの服装を改めて点検した。両親の関与は無さげだった。むしろ虐待を受けてるのではないかと思うほど貧相な身体をしている。これなら、あの人たちと同じようね。数ヶ月前から警察は警戒態勢を敷いているようだけど、この時間帯は当分巡回しないのは統計的に知っていた。
「、、うん」
Kはやはり中学生であった。
「そっか」
私はポッケから取り出したナイフでKの柔らかい腹を三度抉るように突き刺さした。Kが手にした缶コーヒーが落ちる音がした。後を追うように崩れ落ちる彼女の瞳には涙が溜まっていた。私は彼女に馬乗りになってその質感を堪能しようと思った。
「Kちゃん、貴方だけだよ。私を肯定してくれたの。貴方は、、貴方は私にとって最高のカンバスよ!」
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