ジャンヌ・ダルク——聖女とは、職業でも役割でもジャンル名でもない

たけや屋

ジャンヌ・ダルク——聖女とは、職業でも役割でもジャンル名でもない

 みなさん、聖女と聞いてイメージするものは何でしょうか。


 清楚? 可憐? 博愛? 純白? おしとやか? 神聖魔法?


 現代社会では【聖女モノ】の作品があふれています(主にライトなノベルやマンガで)。それらは大抵、うら若き乙女が聖女としての役割を全うしていたりしていなかったり——という、いわゆる『存命の女子が聖女という職業や役割をこなしている』ものですよね?


 ですが本来、聖女とは死後の女性を讃える言葉でした。

 職業でも役割でもジャンル名でもないんですよ。


 キリスト教において、死後に奇跡を複数回起こした者——これがいわゆる聖人や聖女と呼ばれる人物です。つまり絶対に死んでいるんですよ。生きている女性に付けちゃダメなんですよ聖女って。

 しかし時代は下り、行いの素晴らしい女性——つまり生きている人にも『聖女のようだ』という褒め言葉が出てくるようになります。奇跡的な善人なのであんたは死後間違いなく聖人認定されるに違いない、という尊敬を込めて。


 それが徐々に俗っぽくなっていって【聖・Saint】という言葉のイメージが先行し、現代サブカル界隈では清楚可憐でなんか神聖魔法っぽい能力を持つ乙女のことを【聖女】と呼ぶようになったのでしょう。


 では、実在した聖女は、清楚で可憐で純白で、神聖っぽい魔法を使えたのでしょうか?

 たしかにドラゴンを爆殺したという伝承持ちの聖女もいますが、まあそれは置いといて。


 歴史上の人物を例に挙げてみましょう。

 おそらく一定以下の年齢層の日本人なら誰でもその名を知っているであろう、世界一有名な聖女——ジャンヌ・ダルクです。


 ◆ ◆ ◆


 ジャンヌ・ダルクは貴族でも何でもない、ただの一般人でした。

 それがある日、神や天使や聖女のお告げを受けました。純真無垢な少女はそのお告げを信じ、村を出ました。当時百年戦争で劣勢にあった、祖国フランスを救うため。


 そしてただの庶民が王太子に面会するという凄まじい精神力を発揮します(これはヘタすりゃその場で無礼打ちでもおかしくない所業です)。

 戦いにおいても、怖じ気付く兵士たちに発破をかけて自らが最前線に立ち突撃戦法あるのみ、という凄まじい度胸。そうして敵の意表を突き連戦連勝。


 ついにはオルレアンやランスなどの都市を開放し、王太子をフランス国王シャルル7世として戴冠させます。フランス国王最大の恩人ともいえる乙女です。


 しかし快進撃はそう長くは続かず、ジャンヌは志半ばでイングランド(イギリス)軍の捕虜となってしまいます。そしてこのときの裁判でジャンヌが『異端』と認定され、ついには火刑によって19歳の人生は花と散るわけですが……。


 ジャンヌの異端審問の費用はイングランドが出していたといいます。当時優勢であったイングランド軍が、小娘の指揮する軍隊に敗走させられた——という苦い記憶を象徴する人物なのです。生かしておく理由がありません。

 つまりこの(強い言葉を使うなら)魔女裁判は、最初から【死刑】という結果が決まっていたのです。


「シャルル7世は異端の魔女の手を借りて王位に就いた! こんな奴にフランス王たる資格があるものか!」

 と国際世論に突きつけるため。


 あとはその口実を見つけ出すために、少女ジャンヌを大勢の男たちで軟禁尋問していたのです。

 なぜなら、ジャンヌの行いはキリスト教の教義にも法律にも反していなかったのですから(当時の法律は、キリスト教の教義と不可分の関係でした)。そもそもが無罪なのです。なので、何としてもボロを出させる必要がありました。そのためにあらゆる手段がとられました。


 ジャンヌは最初のうち、実に理路整然と裁判官たちを問い詰めまたといいます。

「私のどこが教義に反しているのか?」

 と。


 相手の引っかけ問題に引っかかることなく、自分は教義に反していない、異端の疑いなど全くない、と真っ向からやり合ったのです。


 しかしそこは年ごろの少女。長い拘禁生活の中あらゆるストレスに晒され、肉体的にも精神的にも衰弱していきました。

 男からの性的暴行を避けるため、男装などをする必要もありました。 

 長い長い裁判生活の末に弱り切ったジャンヌは、ついに宣誓書へサインをしてしまうのです。これが決め手となり、その後間もなくジャンヌには死刑宣告が下されました。そして翌日には即執行。


 処刑方法は、キリスト教徒として最も重い罰である火刑。

 法律って素晴らしいですね。


 ◆ ◆ ◆


 さて、上記の史実を見て、ジャンヌは現代日本人が思い描くであろう【聖女】の要件を満たしていますでしょうか?


 防御も交渉もあり得ない! ただひたすら前進して敵兵は撃滅あるのみ! と鎧を着込んで戦場の最前線に立つ少女が清楚可憐?


 イギリス兵は容赦なくブチ殺せ! ガンガンいこうぜとひたすら突き進む戦乙女が博愛?


 清潔とはほど遠かったガチの中世ヨーロッパで、鎧を着込み連日男所帯の戦場で寝起きしていたジャンヌが純白?


 存命当時『片手に軍旗ぐんきを持ち、片手に剣を持つる気満々の少女』の姿で描かれたジャンヌがおしとやか?


 普通に戦場で怪我をして普通に囚われて普通に死んでいった村娘に神聖魔法?


 実在したジャンヌに、現代サブカルジャンルが標準とする【聖女要素】はありません。彼女にあったのはただ高潔な精神のみ。それだけを武器に劣勢だったフランス軍を立て直し、国の独立を守ったのです。


 ジャンヌは死の寸前まで神に祈っていたといいます。

 愛する祖国から見捨てられても、決してそれに泣き言をいわず。胸元に十字架を差してもらい、目の前に十字架をかかげてもらい、神の子と聖母の名前を叫びながら息を引き取ったのです。


 そのあまりに崇高な様子は、死刑執行官にすら衝撃を与えました。

「俺はもしかして、聖女を処刑しちまったんじゃないだろうか」と。

 己の罪深さと神の威光に、ただ崇敬の念を抱くばかりだったとか。


 聖女とは、大抵がこのように悲劇的なエピソードを持っています。

 こうして【異端】として処刑された少女が、20世紀に入ってから【聖女】の認定を受けるのですから、歴史とはわからないものです。

 ですが、ジャンヌの聖女認定が20世紀という所からも、最初からそういう扱いではなかったのがわかります。


 フランスにとってはそりゃ救国の聖少女ですが、他の国にとっちゃそこまでではなかったのです。

 特に敵国イングランドにおいては。


 さて、現代の西洋世界で教養ある人々がすらすら引用できなきゃいけないものとは何でしょうか?

 それは、聖書とシェイクスピアです。


 それくらい、シェイクスピアというのは西洋において影響力を持っています。

 で、シェイクスピアもジャンヌについての作品を残しているのですよ。ですが彼はイングランド人。敵国の女であり、自国軍を壊滅に追い込んだジャンヌに、良い感情などあろうはずがありません。

 そう——シェイクスピアの描き出すジャンヌ・ダルクは、ただの悪女や魔女という扱いでした。それが(フランス以外の)西洋世界でのスタンダートになってしまったのです。シェイクスピア万歳!


 そんな妖女ジャンヌに【聖女】というイメージを上書きした作品があります。

 フリードリヒ・フォン・シラーの【オルレアンの少女】です。

 この作者名にピンとこない方でも、あの『ベートーヴェンの第九』はこの人の詩を採用したもの、といえばおわかりでしょうか。そんな大詩人の書いた戯曲ぎきょくです。


 この作品中のジャンヌは、清楚可憐で純真無垢で、敬虔で、強く、凜々しく、美しく、敵味方を差別なく包み込むような博愛精神を持ち、愛国心にあふれ、神の威光をその身で表し、男でも女でもなく天使であり、白百合しらゆりの紋章を身につけた聖処女で、神の奇跡により鎖を引きちぎって牢獄から脱出し、王侯貴族や仲間に惜しまれながら人生を終え、旗を掲げたまま天に昇っていく最期の姿はまことに神々しく——。

 描かれているのです。


 つまり現代人が思い描く【聖女ジャンヌ】というイメージの出発点はシラーによるものであり、この作品なくしては現代日本の【聖女モノ】もあり得なかったのです。


 ◆ ◆ ◆


 素晴らしい女性のことを、

『あなたは死後、聖女として祝福されるほど立派な女性だ』

 という意味を込めて『聖女』と呼ぶのは問題ないと思うんですよ(原理主義的には問題なんでしょうが)。

 そういうイメージのある言葉ですから。それが膨らんだ結果、現代でいわゆる【聖女モノ】がぽこぽこ生まれたのは自然な成りゆきなのでしょう。


 ですが、聖女モノを読むとき書くとき、どうか思い出してください。


 聖女というのは決して軽い言葉ではないということを。

 聖女とは本来『自分の中の正しさに殉じた女性』であるということを。

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