垣間(かいま)見る ある歴史の情景

繚乱

 異聞 賤ケ岳の戦い 滝川一益と前田慶次郎

 京都大徳寺の境内に入り、いつも感心させられるのは参道の美しさである。


 参道の中央部分に幾何学的模様に大きめな石が敷き詰めてありその両脇を石板が挟むように構築されており、参拝者を誘うように道筋を示している・・・


 春の本格的な訪れがまだ先の三月初旬、私は一人早朝の大徳寺を堪能していたのであった・・・


 夜明けとともに降り出した小雨の名残が、参道中央部に敷き詰めてある石に打ち水のようないろどりを与え、表情を変えない白色の石板とのコントラストが何とも風情を感じさせてくれるのだ・・・


 人通りもまばらな参道を進み、大徳寺の塔頭たっちゅうの一つである高桐院こうとういんの門を潜ると、ここでも美しい参道が目に飛び込んでくる。


(いやぁ・・・本当に美しい・・・)


 竹で作られた手すりのような柵が参道の両脇を挟み、真っすぐに奥に伸びる眺めに暫し心を奪われる・・・


 参道から周りの景色を眺め、歩みを進め目的地の前に着く。小さな門の開け放たれた扉には細川家の家紋が彫られており、ここ高桐院が細川家の菩提寺であることがわかる。


 門を潜り、苔が目立つ手水櫃ちょうずびつの杓で水をすくい、石の柵に囲まれて中央に立つ燈篭に水をかけ、語り掛ける・・・


(お久しぶりです、ガラシャ殿・・・)


 そう、この燈篭は細川ガラシャの墓なのだ・・・


(そちらの世界では、穏やかに過ごされておられるのでしょうか?)


 と、その時燈篭の傍らに植えてあった千両の赤い実が風もないのに揺れた・・・


 まるで、彼女が返事をしたように・・・




 高桐院でガラシャ殿との邂逅? を楽しんだ私は次なる目的地へ足を進める。


 誠に恐縮であるが実を言うと、これから私が描こうとする物語には細川ガラシャ殿は全く関係が無いのだ、偶々たまたま高桐院を訪れてしまったのは全くの私の気まぐれであり、彼女は登場しないことを事前にお知らせさせていただく。


 次の目的地こそが今回大徳寺の訪問の一番の目的地なのだ・・・途中、無料休憩所の壁に著名人達が一筆したためた色紙が張り出されており、私は見るともなく見ながら足を進めていると、何やら見知った顔が描かれていた色紙が目に留まる・・・


(ケン⁉ じゃないか・・・)

 

 この顔の主は『信長のシェ○』というある漫画の主人公で、作者がこの地を訪れてた折に記念に描かれていたことがわかった。


(ふ~ん・・・あの作者さんもここにねえ・・・また読み返してみるかな・・・)


 私は、妙に親近感を覚え、その場を後にした。



(総見院・・・信長の戒名だったな・・・)


 今回の旅の目的がこの大徳寺塔頭の総見院を訪れる事にあったのだ・・・


 入口正面の門前には信長公廟所と彫られた石碑が立っている・・・


 私は、足を止めその場にたたずむと門塀に掲げられた総見院と書かれた門札を見つめ続ける・・・


(総見とは、総てを見通す・・・という意味だったかな?)


 信長を弔うために秀吉は信長の死後一年後にこの塔頭を創建したという。


(総てを見通すか・・・実に信長を言い得て妙な戒名ではないか・・・)


 だが、彼は自分の【死】だけは見通せなかった・・・


 その彼の【死】を己の権勢欲のために利用した男がいた・・・秀吉である。


 さて前置きが長くなってしまったが、どうやら物語の始まる刻限となったようだ


 時はさかのぼり、天正十年十月(1582年)、今から約440年ほど前に ここ大徳寺で秀吉が主宰する信長の葬儀の最中に、秀吉の怒号が周りの喧噪を静まりかえさせた事態が生じた場面から始まる・・・


 


  


        ~~~~~~☆ ★ ☆~~~~~~






『一益、おぬしなんぞ呼んではおらん! おぬしの席なんぞ、どこにも無いわ!!! とっとと帰れ!!!』


『ほおぉ・・・』


 男は不敵な笑みを浮かべ周りを睥睨へいげいする・・・


 この男の名は滝川一益。一益がこの場所に案内も乞わずに乱入するやいなやあれほど人々の喧騒に満ちていたのが徐々に静かになってゆく・・・


『筑前よ・・・いきなりの挨拶じゃのう・・・』


 一益は笑みを浮かべたまま主賓の席に派手な装束を身に着けて座している小男を睨みつけながら答える・・・


 筑前と呼ばれた男の名は羽柴秀吉である。秀吉は男の鋭い眼光にひるみながらもあらん限りの大声で叫ぶ!


『一益!! 何しに来た!! 何度も言うがおぬしなんぞ呼んでおらぬわ!!!』


 一益は、鼻先で フッ と笑うと秀吉に応じる・・・


『何しに来ただと? おかしなことを言うのう、俺はここで信長様の葬儀があると聞いて御焼香をしようとわざわざ伊勢長島よりはるばる参ったのだが・・・違ったのか、筑前?』


『クッ! おぬしには関係ないわ!!』


『フッ・・・クックック・・・ハッハッハ・・・!!!』


 一益は満座のもと皆の耳目を集め注視されている中でおかまいなく大きく口を開け哄笑する・・・


『カッカッカ・・・悪い、悪いのう秀吉よ。突然大声で笑われればおどろくのも無理はない。しかしじゃ、わしには関係ないか、そうか・・そうか、わしには関係ない事か、ハッハッハ・・・』


 筑前から秀吉と呼び名が変えられ小男は、この男が何を言い出すのかと不気味そうに注視する・・・


『ここ大徳寺での信長様の御葬儀を主催したおぬしにしてみれば何も協力をしなかったわしには関係ないということじゃな。せめて、せっかくの信長様の御葬儀に参ったからには御焼香でもと思ったが・・・それも叶わぬか・・・』


『滝川様! お待ちを!!』


 二人の間に険悪な雰囲気が漂い始めてるのを見てその間を取り持つように動く人間が二人・・・


『ん? おう、これは助兵衛殿・・・』


『久しぶりにござるな、一益殿』


『おお、こりゃ坂井殿まで! 久しぶりだの』


 助兵衛殿、坂井殿と一益より敬称された人物達は若狭一国の国持大名である丹羽長秀家臣であり、それぞれの名を青山宗勝、坂井直政という。付け加えると直政は丹羽家の兵の差配を任せられている侍大将でもあったのだ。直政は、元々足利義輝、義昭といった将軍家に仕えていた幕臣であったが長秀に登用され今日に至る。更に付け加えれば直政の戦歴は古く華麗な武勲の数々は他家からの垂涎すいぜんの的であったのだ。その武勲の中でも特筆すべき武勲が永禄の時代のに頃起きた三好勢が義昭を攻めた本圀寺の戦い(六条合戦)においての戦いぶりであった。後日直政の武者振りの良さを当時その場に居合わせた人々から「六条表の花槍」と称賛されたその直政と一益は強者同士の共感からか妙に馬が合い直政が丹羽家に出仕してからも昵懇じっこんの間柄であった。


『積もる話はまたにして、今はこちらに。席を設ける故に。さっ、こちらに。助兵衛、案内してさしあげろ!』


『はっ』


『かたじけないが、一つ伺ってもよいか? ・・・貴殿達がこの場におるのであれば、丹羽殿も参っておられるのか?』


『・・・いや、それがしと青山は殿の名代として来ており、殿はここには参っておらぬ』


 少し表情を曇らせた坂井の態度に気づいたように男は周りに目を配る・・・


 と、その時


『余計な真似を、せんでもらおうか二人とも!!』


 秀吉が、一喝する。


『さりながら、筑前殿。滝川殿をこのままでは・・・』


『無用の事と、申しておる!』


 抗議する坂井に重ねて命じる秀吉である。


 この言いように、坂井直政はさすがにムッとしたようで更に抗弁しようとするが、


『与右衛門殿・・・』


 一益は、直政の名を小声で呼ぶや、もういいですよとばかりに首を振る・・・


 直政は一益の意を酌み、少しその場を下がる・・・


『お気遣い、感謝致す。どうやらわしは奴にとって招かねざる客であったようだ、フフフ、丹羽殿に宜しくお伝えくだされ、若狭での酒を楽しみにしておると・・・』


『承知致しましたぞ、一益殿。必ずや主、長秀にお伝え申す』


 一益は改めてまわりを見渡すと秀吉に視線を向け口を開く・・・


『筑前よ、ひとこと言わさせてもらうがお前の口のきき方はなっておらん。坂井殿や青山殿は丹羽殿の名代であろうが、おぬしの家来でもなく家臣でもないぞ。二人は丹羽五郎左長秀殿の家臣ではないか。違うか!?』


『ウッ、クッ・・・』


 痛い事実を指摘され、秀吉は反論しようにも言い出せないでいる・・・


『更にはだ、口のきき方といえばだ、おぬしとは織田家中において全くの同僚。その対等な関係は俺も理解するがこのような万人が注視する場で一回り近い年下のお前から一益と呼び捨てされて黙っておれるほど、俺は出来た人間ではないぞ・・・』


 ずいっと、剣呑な気配を漂わせながら秀吉のもとに向かおうとする一益である。


『むっ!? ここでやる気か? 本気か一益!! 誰か、その慮外者を取り押さえよ!!』


 大徳寺において信長の葬儀の最中、一益の登場によって静かになった参列者の場が、秀吉と一益という織田家きっての重臣同士の喧嘩に参席者の中から悲鳴のような声が上がる。


『ま 待たれよ、一益殿!』


『お待ちくだされ、滝川様!』


 慌てて声を上げ一益を背後から止めようとする坂井直政と青山宗勝である。


『む、これはいかんか・・・』


 坂井、青山の二人が一益を止めようとしたほぼ同時に一益の正面に立ち塞がり何とも辛そうな表情を浮かべた若者の姿が一益の視界に入ったのだ・・・


『一益様・・・お止めくだされませ。この通りにございます・・・』


 若者は、深々と一益に頭を下げ全身で懇願しているのがよく分かる・・・


『・・・照政殿、顔を上げられい』


『一益様が、羽柴の義父ちち上様との喧嘩を止めるという言葉を聞くまで私は顔を上げませぬ・・・』


『こりゃ、困ったのう・・・あ奴とは喧嘩にもならぬと思うが、それでもだめか?』


『それでもだめです・・・フフフ』


 頭を下げながら含み笑いをしており、一益にはきと物を言う若者は池田照政といい一益と同じ一族の池田恒興の次男であり後に池田輝政の名乗りになる人物である。


『仕方がないのう・・・筑前の奴は今はそなたの義父であるからな・・・』


 照政は、この時期秀吉の養子となり羽柴姓を名乗っていた。


『ちくっと、増上慢になっておるあ奴をこらしめようかと思ったが・・・しょうがないのう。そなたにずっと頭を下げられては恒興殿にも申し訳ないからな・・・承知した。そなたの義父殿には手は出さぬ、これでよいか?』


『ありがとうございまする、一益様!』


 照政は、そう言うと顔をやっと上げる。


『ところで、そなたの親父殿は、参っておるのか? さっと見渡したところ姿が見えぬようだが・・・』 


『この地には来ておりますが・・・参席はしておりませぬ・・・』


『うん⁉・・・』


 照政の表情にわずかながらも影が差すのを見逃さなった一益はあえてその理由を尋ねるのをやめる・・・


『まあよいわ! まだ腹の虫も収まらぬのでもう一言筑前に申してこの場を辞することにする。ほれ、そなたわしの代わりにこれを供えてくれぬか』


 一益は懐から供え物を取り出すと照政に渡す。


『承知致しました』


『池田殿に宜しく伝えてくれ』 


『はい』


『さてと』


 そこで一益はこちらの成り行きを興味津々といったていで見ている秀吉に向かって叫ぶ!


『羽柴筑前守秀吉殿!』


『な なんじゃ!? 改まって・・・』


此度こたびの当地大徳寺での信長様の御葬儀、誠にご苦労に存ずる!このような洛中、洛外にもわたる大きな御葬儀の様子をあの世から信長様もさぞ喜んでおられるとそれがしも推察しており申す。織田家家中の一端に連なるそれがしからも謝意を申し上げてこの場を辞することにしようと存ずる、いかに筑前殿・・・?』


『・・・う うむ、そのような丁寧な言上を受けては無下にはできぬ。謹んでお聞きいたそう・・・』


『ありがたき言葉を頂戴致した・・・されば、申し上げる』


 一益は、声を大にし秀吉に伝えるのであった


『亡き織田右大臣家のため家中においてこれだけの規模の葬儀を催された者は無し。それがしは筑前殿の亡き織田右大臣家に対する忠義の念に感じ入り申した。更に取り立てて感服したのが・・・』


 そこで一益は、言葉を止め秀吉の顔をじっと見つめ、ニヤリと笑い口角を上げるやここが肝要とばかり声を励ます。


『この場を見まわせば、それがし達一同にしてみれば主筋の織田家の方々のお姿がお見受けにならぬこの葬儀・・・於市の方様をはじめ、信雄様、信孝様もご不在・・・また同じく宿老衆達、柴田殿、丹羽殿、池田殿の姿も見ることも能わず・・・これは、これは、本当にご苦労に存ずる、羽柴殿・・・フッ フッ フ・・・』


『か 一益! き 貴様ぁ!! わしをなぶるか!!!』


『嬲る? これはいなな、申しようだと存ずるが・・・それがしは事実を申したばかり。それよりも逆に、貴殿は嬲られていると思われるような後ろめたさが胸中にあるのでござるか・・・? いったい、誰のためにこの葬儀を開いておられるのかな? 実は羽柴殿、貴殿ご自身のためではないのですかな?』


『う うぬわっ!!!』


 秀吉は、一益の言葉に激昂し腰掛けていた床几を倒すや立ち上がると憤怒の目で一益を睨みつける。


『おやっ⁉、図星でござるか? 羽柴殿におかれてはそれがしの言葉が痛く感じ入られたかのようにござるな?』


『お おのれ!・・・言わせておけば!!!』


 秀吉は、己に対する痛烈な皮肉の言葉に顔面が真っ赤になりながら歯を食いしばり怒りに震える・・・、そして嘲笑を向ける一益のもとに足を踏み出そうとしたその時、


 一益が大喝一声!!


『秀吉!!!』


 思わず一益の言葉にその場に立ち止まる秀吉に一益は今度は低い声で告げる・・・


『おぬしのその赤顔をこの場でつまみ上げるのは赤子の手をひねるよりも造作はないが、万人が注視するこの場でわしにやられればおぬしの面子も無くなるであろうが・・・さればここでは、勘弁致してやる。照政殿や坂井殿、青山殿の配慮に感謝致せ・・・』


『くっ! きっ 貴様!!!』


 秀吉はそれでも思わず一益のもとに足を踏み出そうとするが、一益の様子を見て足を再び止める・・・


 一益は、激昂し、こちらに掴みかからんばかりに来ようとする秀吉を見るや左足をやや広めに踏み出すと腰を落としまるでそこに鉄砲が有るかのように左手を宙に受けさせ右手は引き金に指を置き、頬を銃身に当て狙いを定めるような姿勢を取った・・


『・・この距離なら、まず外すことはないのう・・・秀吉よ、よおく料簡致せ! 己が野望のためにこれ以上故織田右大臣家をないがしろにするつもりなら・・・』


『なっ⁉』


『『『 ダッア~ンンン・・・』』』 


 一益は自ら銃声を強く叫ぶと、姿勢を元に戻し更に秀吉に告げる


『この通りになるのを憶えておけ・・・』


 一益は、怯むような眼で自分を見る秀吉に一瞥を加えると鷹揚に秀吉に背を向けると、今の有様を見てその場で立ちすくんでいる池田照政や坂井直政、青山宗勝に優しく声を掛ける


『それがしは、これにて失礼致す。ご貴殿方の配慮、ありがたく存ずる・・・では、御免・・・』


 


 

        ~~~~☆    ★    ☆~~~~





(フッ・・・今思えば・・・ちとやり過ぎたか・・・フフフ・・・)


 天正十一年正月元旦 滝川一益は、彼の居城である伊勢長島城の天守から小雪が舞う中、薄明かりの朝日を眺めながら今から三か月ほど前の出来事を思い出していた・・・


『何を一人で思い出し笑いをしておるのですか、叔父御おじご


 その時、背後から声を掛けられる・・・


『うん? 慶次郎か』


『ええ、慶次郎です。還暦を過ぎた爺様が新年の朝日に向かって一人笑いをしている構図はなかなか見るに堪えないものでしたからな・・・フフフ、して、何を思い出されておったので?』


『こ奴め、言うわ! クックック・・・。うむ・・・大徳寺での信長様の御葬儀の時の事よ』


『ああ・・・あの時の』


 慶次郎こと前田慶次郎利益は、思い出したのかおもむろに鉄砲を構える仕草をとると


『ダッア~~~ン、でしたかな?』


 一益は慶次郎のその仕草が可笑しかったのか大きな声で笑う


『ハッハッハ!!! そうじゃ、その時の事ぞ、ガッハッハ・・・』


『その時の様子を是非とも見たかったものですな。叔父御の啖呵の切り方や、秀吉殿の狼狽ぶりやその有様を見守る周りの人々のくるくる変わる表情を誠に見たかった。とても残念です・・・』


 心底残念そうな表情で話す慶次郎の姿を見て一益は胸中にてつぶやく・・・


(本当に困った奴じゃ・・・利久としひさ殿のもとに居ればよいものを・・・)


 利久殿というのは、慶次郎の養父前田利久でありこの時期尾州荒子に居を構えており、更に付け加えると能登の国主であった前田利家は利久の実弟であった。慶次郎は前田家に養子に入ってからも自由気ままに自分の実の本家筋になる一益のもとに事あるごとに身を寄せており一益が上州厩橋うまやばしにて関東を治めるため赴任した時も慶次郎はそれに付き従いその結果、この時期から半年ほど遡った時期に起きた本能寺の変に乗じた北条勢との戦いであった神流川かんながわの合戦の折にも一益の軍勢の先手として奮闘したが破れ、その後信濃、美濃を経て伊勢に戻るまでの苦難の道中も一益と共に帰還した経緯があったのだ。


『・・・して慶次郎。そなた、何ぞ用があったのではないか?』


『おっ! そうでござった。叔父御、一同もう揃っており新年の挨拶を待っておりますが・・・』


『そうか、もうそのような時刻か・・・では、参るか』


『はっ』






        ~~~~~~~~~~~~~~~~





『皆の者、明けましておめでとう!!』


『『『 明けまして、おめでとうございまする!!! 』』』


 一同が声を揃えて年賀の挨拶を伝える姿を眺めた一益は満足そうに頷く。


『旧年中は、信長様が不慮の事もあり、誠に当家にとって激動の一年であった・・・が、しかし今年もまた皆の元気そうな姿を目にし、わしはとても喜ばしく思う』


 そこで一益は言葉を区切り、改めて一同を見回すとゆっくりと語り出す・・・


『思えば、昨年武田家を滅ぼし、亡き信長様より一時は上州一国はもとより信濃においても二郡を拝領致し、元からの北伊勢四郡を加えて広大な領国を任せられたのが夢、幻の如くであった・・・今の我が身を顧みれば、北伊勢長島の一郡のみ・・・この情けない現状の原因はひとえにわしが不徳の致すところにある・・・高い場所からであるが、この通りじゃ、許せ、皆の者・・・』


 一益は、その場で深々と頭を下げるのであった・・・


『何を仰せかと思えば・・・殿、お顔を上げられませ。殿がそのような殊勝な態度を見せると我等まで辛う感じますぞ・・・』


 と、顔を伏せた一益に最初に応じたのが木俣忠澄である。


 年の頃四十代になるかならないかに見えるこの痩身の男は、無頼 武闘派の多い滝川家の中で筆頭家老を務めており、若年の頃から智謀に秀で、尾張美濃の国境で起きた一揆勢千余人ほどをわずか百人程の味方を率いて謀事を用い散々に一揆勢を打ち破った逸話を持ち更にはその槍捌きの凄まじさに「木俣の槍」と敬称されるほどの槍の名人であった。


『又左衛門(木俣忠澄)か・・・おぬしはそう言うがのう・・・』


 一益は忠澄の呼びかけに顔を上げ答えようとするが・・・


『殿はな、そのようなしおらしい態度よりふてぶてしいぐらいの態度が似合うておりますのでな・・・フッフッフ・・・』


『・・・フッ、そうか?』


『左様でございますぞ殿!! 親父殿が申すとおりじゃ!!!』


 親父殿と追従し声を上げたのが忠澄が実子、忠征ただまさである。まだ二十歳そこらの若者ながら父忠澄と共に一益に仕え武勲を挙げ更には領国経営にも非凡な才を見せて始めたこの時期滝川の姓を頂き、滝川忠征と名乗っている。更に補足するとこの若者は後年、御三家筆頭尾張徳川家の家宰をつかさどる家老職まで務めるまでに至るのだが・・・


『又左殿親子の申す通りにござる・・・殿が我らに頭を下げる必要はないとそれがしも思いまするが・・・』


『平右衛門・・・おぬしもか・・・』


 一益に右平衛門と呼ばれた男は潮風に当たり過ぎたためかちじれて白くなっている両の鬢をほつれさせながら幾分目を細めながら一益を見つめている・・・


 この男もまた滝川家の家老を務め、名だたる滝川水軍の総帥を任せられており名を篠岡平右衛門益忠という。年の頃は一益とそうは変わらないであろう・・・彼は半生以上を主である一益と共に歩んできたのだ・・・その平右衛門が自分に非は無いと言う・・・


 一益は、不覚にもこみ上げるものを感じ、次の言葉が出ずにいる・・・


『こりゃあ~、御家老職の方々に先を越されてしまったわい・・・』


 その時、野太いどすのきいた声が一益に近い最前席に座る男の口から洩れたのだ・・・


『お二方が、そうまで言っておるのに、一族の我らが申さぬわけにはいかぬな』


 男は、顎を上げ一益をじっと見るや、口を開く


『殿! いやっ、ここはあえて言わせてもらうぞ叔父御と! あの上州神流川の負け戦はけっして叔父御のせいではないぞ! その攻めを一人で受けようとするのはいかがなものかとわしは思うがな!!』


『なんじゃい、義太夫?』


 一益にこのようなぞんざいな口をきく男の名は滝川義太夫益重といい滝川一族に名を連ねている。益重は武闘派の多い滝川家においても家中きっての武闘派であり常に戦場では先鋒を任せられて、その武勇は他家にも響き渡っている豪の者であった。


 ここで注釈だが信長が、一益に信を置き一益を重用した理由として一益の調略能力を非常に買っていたのだが、この益重も主である一益に負けず劣らず武勇に秀で更に調略能力にも長けていたのである。これは、他の滝川家の物頭級に言えることなのだが滝川家の家風として潤沢な細作や乱波を用いての諜報活動を行い、それをもとにして戦略、戦術を考えるという思考が家中全体に行き届いており情報戦において織田家中においては他の追随を許すことは皆無であったのだ・・・この事が一益率いる滝川家の強みとなって今に至る。


『あれは、誰が大将をやっておっても負け戦じゃて、上州という地にも明るくなく、当家が得意とする諜報活動も序に就いたばかりで準備も何もできぬ状態であの北条の大軍相手に戦ができるわけがない。それでも、一度は退け、家中ほぼ全員をあの上州厩橋から信濃、美濃を経てここ長島まで無事戻れたのは叔父御の器量だとわしは思うがな、益氏はどう思う?』


『・・・それがしもそう思う』


 義太夫益重に問われた益氏も同意する・・・益氏こと滝川益氏もまた滝川一族であり滝川益重と並び武勇に秀でており、益重とは違って口数の少ない寡黙な益氏は戦場においては最も困難とされる殿しんがりを受け持つ事が多い。これからも分かるように、この男が常に冷静沈着にその場での対応を間違えないという一益からの信頼の証であった。


『それにしてもじゃ、あれほど清々しいぐらいに負けた戦はいつ以来だ???』


 義太夫益重が周りの者に問うと、あちらこちらから声が上がり始める


 あれは、ここの長島一向一揆での負け戦以来だとか、いやっ、信長様がお怪我をされた本願寺との戦いであろう・・・とか・・・


 にわかに、騒々しくなった一座の中で益氏は静かに立ち上がると、上座に座る一益に近づくとそっと耳打ちする・・・


(叔父上、先程細作より知らせがあり伊勢亀山城主関盛信殿、並びに関一政殿姫路に出立し不在のよしにございます・・・)


(関親子が・・・心得た、益氏ご苦労。わしの方にも姫路に放った乱破より知らせがあった。秀吉は今、姫路にいるとな・・・)


 益氏は一益の答えを聞くと、目礼し元の場所に戻る・・・


『静まれ、皆の者や静まれ!!』


 義太夫益重は、益氏が腰を下ろすのを見届けると一同に向けて声を上げる


『叔父御! いや、ここは改めて言うべきか? 殿! 一同に成り代わり言上申し上げる。一度や二度の負け戦で殿は我等に頭を下げる必要はないと存ずる。ここに居る一同全て滝川一益という男に男惚れして仕えておりまする故にな!!!』


『むっ⁉』


『そうだな、皆の者?』


『『『 おうさ!!! 』』』


(お前たちは・・・)


『・・・故に、殿。今後一切我等に頭を下げる事など不要にお願い申し上げる。今まで通り、ふてぶてしく我等に命じればよい・・・』


『・・・』


 一益は自分を見つめる一同の瞳の思いに感ずるものがあったのであろうか・・・暫くの間この場に居合わせた各人の顔をそれぞれ改めて見直すのであったが・・・やがて一つ空咳をするとようやく口を開く・・・


『そち達の思い、十二分に承知した・・・かたじけなく思う。・・・ならば年頭における当家の指針を申し渡す前に、当家が取り巻かれておる現況について皆の者に改めてすり合わせを致す』


 一益の言葉に一同は黙って頷く・・・


『旧年中の師走、筑前は柴田修理殿の勢力下の所領であった長浜を調略によって奪いそしてその矛先を岐阜に向け信孝様を屈服させ三法師様を安土へとお連れさられた事は皆も承知であろう・・・この筑前が行動は修理殿に真っ向から喧嘩を売ったことにほかならぬ。ほかならぬ修理殿のことじゃ、自分の所領を掠め取られて黙っておるわけがない・・・雪が解ける春になれば必ず筑前との戦になるは必然。この状況下で当家が取る方策として三つほど考えられる・・・まず一つ目の策として、どちらの陣営にも属さず傍観を決め込み、勝った側に付く・・・というものじゃ。この策の長所は勝ち馬に乗るという自明の理にかなうことが最大の長所である・・・が、逆に短所としてどっちつかずの態度を取ったばかりに勝者からさげすまれ下手をすれば今の所領さえも没収されるやもしれぬ。更に申せば当家は伊勢長島一郡に過ぎぬ勢力なれど修理殿陣営から協力を申し込まれる可能性もあるのだ。その可能性が大だと思う筑前にとっては傍観は敵対と見なして大軍を擁してこの長島に攻め込まれるやもしれぬ・・・まあ、その時はわしが首を持たせ倅に家督を譲ることによってこの長島の所領だけは安堵してもらおうかと考えてはいるが・・・。次に二つ目の策として、秀吉側に付くというものじゃ。これまでのあ奴とわしの行きがかり上、わしが直接筑前の下に赴いて協力致したいと述べてもあ奴は帰れ!! と、言うやもしれぬので、そこで』


『プッ! クッ ハッハッハ!!! それは、そうでござるな、ハッハッハ!!!』


 その時、一同が座する場所の最奥で目立たぬように座っていた慶次郎が大きな声で失笑する


『なんじゃ、慶次郎・・・』


 一益は苦虫を嚙み潰したような表情で慶次郎を睨む・・・


『これは失礼致しました。大事な話の最中に申し訳ござらぬ。それがし、ついあの大徳寺での信長様の御葬儀の顛末を思い出してしまい、筑前殿と叔父御の様子を想像するだに不覚にも笑いがこぼれてしまいましたので、ククク・・・』


 慶次郎の言葉に、周りから忍び笑いをする者がちらほらと見える。恐らくは、秀吉と一益のやり取りを聞き及んでいる者達であろう・・・


『しょうがない、奴め・・・』


 一益は、苦笑を浮かべ慶次郎に黙っておれと言わんばかりに顎をしゃくると慶次郎は神妙な顔つきに戻り頷く。


『さて、話しの続きだがわしは筑前の傘下に入る場合には丹羽殿と池田殿の二人に仲介を頼もうと思う・・・これならばさすがの筑前も否とは申せんであろう。まだ当家は筑前と戦の状態ではないからな、戦が始まる前であれば宿老の二人からの仲介を経たわしからの願いは受けざるをえまい・・・この策の最大の長所は当座の間この長島の地が合戦の場にならぬということじゃて、一見良策に見えるこの策であるが、この策には重大な短所・・・欠点がある・・・』


 一益はそこでいったん話しを止め、一同を見渡す・・・


『・・・その欠点とは、修理殿が筑前に勝った場合よ・・・』


 一益は グイッ っと背筋を伸ばして顎を引きながら語り始める。


『丹羽殿、池田殿は、修理殿と直接干戈を交えなければ修理殿が筑前に勝った場合であっても同じ宿老衆ということで所領の没収の可能性は低い・・・むしろ中立を守ってくれれば修理殿は二人に対して加増の沙汰をくだす可能性が大じゃ・・・ところが、当家に対してはどうかのう・・・修理殿にしてみれば、今までのよしみを反故にして筑前の傘下に入ったわしに対しいい気はせぬであろう・・・であれば筑前派に付いた諸将に対する見せしめとしてわしの首を刎ね、この長島の領地を没収となるやもしれぬ・・・まあ、そうなったらなったでまたこのわしが首一つで丹羽殿、池田殿に仲介を頼んで穏便に済ませれるよう動いてみるつもりだが・・・』


 一益の言葉に一同は無言のまま聞き入っている・・・


『そして、三つ目の策であるが、これはもう皆も予想しておるであろう修理殿に付き筑前との戦に臨むということだな・・・この策を取れば、前述の二つの策と違って筑前が修理殿との戦に勝てば間違いなく当家は滅びる・・・たとえ丹羽殿や池田殿に取り成しを頼んでも筑前は敵対したわしを許すことはなかろう、このことはしかと皆には申しおいておくぞ、よいな・・・だが、その危うさの反面、見返りも大じゃ・・・当家が修理殿に加勢し修理殿が筑前に勝った暁にはこの北伊勢長島の一郡の所領から大幅な加増が見込める・・・と、いうことじゃ。皆、よくこの三つの策について熟考してくれ・・・』


 滝川一益という男は日頃はものぐさで面倒そうな態度をとるのだが、家の指針を決める大事な会合の場合は必ずこのように物頭以上の者を集め、自家を取り巻く状況を皆に自分の分析を取り混ぜ全て隠さず開陳し、それに対する方策を述べ、更にその策が幾つか有ればその策ごとの長所、短所も説明し配下の者達に十分理解させ比較検討させた後に最後には決断を自らが下す丁寧な手法を採っていたのである。


『・・・叔父御、実際にどっちが勝つとふんでおるのじゃ?』


 一座の沈黙を破ったのは義太夫益重であった・・・


『・・・筑前じゃのう・・・』


『ほう・・・』


 益重は、一益の言葉が意外だったのか次の言葉が出ずにいる・・・


『殿、そう見立てた理由を教えてくださらぬか・・・?』


 筆頭家老である木俣忠澄が、口ごもる益重に代わり一同を代表して一益に尋ねる。


『うむ。まずはその兵力差じゃて、これはどう見ても修理殿が動員できる兵力と筑前の兵力の数が違い過ぎる・・・筑前は自身の兵と畿内の傘下の諸大名を集めれば恐らく七、八万の兵は動員できるであろう、これに信雄様の軍勢を合わせれば十万近くなるやもしれぬ。修理殿は、せいぜい二万から三万・・・この差は大きい・・・』


『兵力の差が歴然としているのが、理由にござるか?』


『ああ、その通りだ。じゃが昨年のある時期までは、それでもわしは戦をすれば修理殿が必ず勝つと考えておったのだ又左よ、長浜が取られるまではな・・・』


『ふむ、長浜を・・・お続けくだされ・・・』


『平地での野戦となれば、いくら兵力差があろうと筑前は修理殿の敵ではない! これは今でもそう断言できる、鎧袖一触がいしゅういっしょくであろうな・・・』


『・・・』


『秀吉自身の軍勢は、弱い!!・・・これはどうにもならないほどの弱さじゃ・・・』


 さも気の毒そうに語る一益の姿におかしみを感じた忠澄は相槌をうつ・・・


『それは、それは筑前殿もお気の毒にござるな・・・フフフ・・・』


『姉川での合戦、大坂本願寺門徒との合戦、はたまた越前での一向一揆衆との戦い、野戦において奴の軍勢はいつも分が悪いとなると腰が砕けすぐに退却しようとする有様じゃ・・・だが、これは筑前が悪いわけではない。奴はわしのように一騎当千の物頭や一族の者達や強い兵士を配下に持っておらぬ。これは、奴のこれまでの成り立ちが原因であり所領が増えて急ごしらえに作った寄せ集めの集団に強さを求めるのは酷であるからのう・・・かわりにと言ってはなんだが、筑前が傘下の将領級で戦える者を挙げれば、細川、中川、高山、筒井あたりか・・そして、久太郎・・・実戦経験は少ないが蒲生氏郷殿もそこにはいるか・・・さりながら・・・筑前の凄みはそこからじゃ・・・自軍の弱さを認めつつそれを補いながら旗下の軍勢を常勝軍団と世間で噂されるまでにしたのは紛れなく奴の手腕によるもの。播州三木城の戦い、因州鳥取城の戦い、備中高松城の戦いこれら世間の耳目を集める戦では常に勝利をつかみ取った・・・この三つの合戦には共通点がある・・・又左、わかるか?』


『・・・いずれも、対籠城戦にござるな』


『その通り、いずれの戦も相手方の籠城戦であるな。わしが着目したのは相手方が籠城戦を選ぶより仕方がない状況を筑前が作り上げたということだ! わしは久太郎に頼み奴の戦の仕方をつづうらうらまで聞き及んだ・・・そこで改めて気付かされたのよ、あ奴は自軍の弱点である野戦に持ち込まれぬよう敵に相対する時は常に相手の兵力より倍以上の兵力をもってあたる・・・さすれば相手は籠城するより手立てがなくなる・・・筑前は、その兵力を集めるために全力で準備をしてきた事をな・・・わしも大兵力の軍勢を指揮した事、一度や二度ではないのでよおく分かるが兵を集めるのも大変だが、その兵達を戦力として維持し続ける大変さは身に沁みておる。糧食や武器弾薬、銭・・・これを全てなし終えて初めて戦える軍勢となるのじゃ・・・筑前はそれを見事やり遂げておったわい・・・』


『殿は、筑前殿を嫌っておられるとばかり思っておりましたが、その実は、たいそうお認めになられ評価されておったのですな。以外にござった・・・』


『ふん! 嫌っておったのはあ奴のほうじゃよ! 何故か分からぬがあ奴はわしのことを嫌っておる』


『フフフ・・・筑前殿が殿を嫌っておることはさておいて、話しの続きでござる。柴田様の方が野戦では筑前殿より強い・・・にもかかわらず長浜の一件で殿は柴田様でなく筑前殿の勝ちと見立てたわけは・・・?』


『うん? おお、そうであった! その理由であるが・・・これ、慶次郎! 陰でクスクス笑おうてばかりおらず、ここに来てそちが佐和山から長浜、そして木之本、そこから先の北国街道沿いで見知った状況を皆に説明せよ! そしてこれが肝要だが、お前が感じた事を全て皆に事細やかに話すのじゃ!!』


『えっ⁉ それがしがですか?』


『早う、致せ!』


 一益は、渋々立ち上がりこちらに来ようとする慶次郎を脇目にしながら一同に補足説明する


『実は、わしと慶次郎で師走の暮れに修理殿と筑前との予想合戦場となりうる長浜付近をこの目で見に参ったのだ・・・そこでわしは目の当たりにした光景に驚いたのだが・・・うむ、ここから先は慶次郎、そちが申せ!』


『いや・・・さすがに、これは・・・叔父御、やはりそれがしでなく』


『慶次郎・・・やるのじゃ・・・』


 一同の注視を浴び、困り果てた表情の慶次郎に一益からドスのきいた声が容赦なく突きつけられる・・・


『分かり申した! では僭越ながらそれがし前田慶次郎利益が語らせていただきまする・・・』


 慶次郎は大きく息を吸い、そしてゆっくりと息を吐くと瞳に力を籠め、注視する一同に語り始める。


『大垣から、垂井、関ケ原を抜ける道中から感じたのですが、美濃方面から西へ佐和山方面に向かう人馬の数が異常に多いと・・・何台もの荷車が連なり西へ西へと、この様な有様はそれがしは初めて見もうした・・・関ケ原より緩く下りながらやがて左手に佐和山城が望まれるようになると、もうすでにその地点で佐和山城下に入ろうとする人々の数でごった返しておったのです・・・北国街道と中山道の合流地では、美濃方面からくる人馬の流れと北国街道から来る人馬の流れ、更には安土、佐和山方面からくる来る人馬の流れのため大渋滞になっており、佐和山城主堀殿の御家来衆達がそれこそ息をつく暇もなく通行の整理をしておりました・・・東・・北・・そして南、更には湖を利用して水運で西から運ばれてくる荷駄の数・・・それが全て佐和山の城下に集積されていく様子を見ながら、それがしは鳥肌が立つ思いがしたのです・・・今、この時代はこの佐和山の城下で動いているのだと・・・』


『ほお・・・』


 誰ともなく、嘆息する声が上がる・・・


『やっとの思いで佐和山城下に入ると目についたのが新しく建てられたばかりの蔵の集まりでございました・・・蔵、蔵、蔵・・・蔵だけが数百も並んで林立しているのです・・・皆様方、少し想像してくだされ、蔵だけの集合地でござるよ? ありえませぬ、いったいどれだけの食糧をはじめとする様々な物品をこの地に集積しようとしておるのか・・・』


 慶次郎はそこで話しを止めると(これで良いのでしょうか?)と言わんばかりの視線で一益を見る・・・それに応じるよう一益は黙って頷く・・・


あふれかえるような、東西南北から集う人々の息遣いや彼等の生気に満ちた瞳を眺めながらそれがしは感じたのです・・・筑前殿は、この地で天下を睨んでおると・・・この地で幾数万の兵を抱えても、半年や一年は優に滞在させれるのだという自らの強い意志をまるで体現しているようにそれがしの瞳には映りもうした・・・』


『それほどの賑わいか、佐和山は?』


『はい・・・』


 義太夫益重は、慶次郎の返事にそっと腕を組み、考え込む風情になる・・・


『長浜は、いかにも予定戦場に最も近い出城といった雰囲気を醸し出しておりました。北国街道から南下する勢力に対しこの長浜城は最前線で戦う部隊のための兵站集積場であり、負傷した兵たちの傷の治療場、戦場に荷物を運ぶための荷車多数並べられ、それを曳く馬の厩舎が新しくあちこちに建てられおりました。なかでも自分の目を惹いたのが、長浜城の目前にある湖畔に数多あまたの伐り出された材木が浮かんでいた事でござる。どれだけの数を揃えたものかと・・・数えるのも馬鹿馬鹿しくなり止めましたが・・・湖面を埋める材木の数に筑前殿はひょっとしたらあの長篠の合戦のように長大な馬防柵でも構築するのか・・・と、考えてみたりしましたが?』


 慶次郎は問うように一益を見る。


 一益は、ニヤリと笑うと、そのまま続けろとばかり顎をしゃくる・・・


『その後、長浜を後にした我等は北国街道沿いを北上すると木之本という地に大掛かりな陣を構築している様子が視野にはいりました。恐らくは、筑前殿はここを本陣にするのではないかと予想致した次第にござる・・・そこで我等は、その陣の前に構築されつつあるものを目の当たりにし、絶句しました。北国街道を挟む田上山と大岩山を結ぶように長大な土塁が、北国街道を遮断するように築かれつつあったのです! その高さは私の身の丈よりはるかに高く、掘られた地面の底から換算すると一丈(約3m)は優に超えておったかと・・・この土塁は決して馬では越えられぬ・・・それがしは、この土塁を見、筑前殿の強い決意のほどを垣間見た気持ちになりもうした。柴田殿の軍勢を一兵たりとも北近江の平地にに入れるつもりはないと・・・筑前殿は・・・野戦を考えておりませぬ・・・』


『うむ、ご苦労・・・。良い考察であった、褒めてとらす・・・』


『はっ、ありがたく存じます』


『慶次郎、今後そなたも兵を率いる立場で戦場に立つこともあろう・・・その時のためにも常に自分が将であればどうするという事を念頭におき、必ず事前に戦場に赴き、その目、耳で感じた事を頭の中で整理し考え察しろ・・・それが真の意味での考察である・・・しかと実際の戦場で役に立てよ、よいな?』


(あっ! この人は・・・そのために私を連れ出したのか・・・)


 慶次郎は、自分を連れ出した一益の意図に気づき、心が震えるのを感じ取る・・・


『叔父御、肝に銘じておきまする・・・』


 珍しく殊勝に自分に頭を下げ感謝いている慶次郎を一益は優しい視線で見ていたが、やがてこちらを注視する家臣団一同に向かって語りかける・・・


『と、まあ慶次郎の言ったように佐和山、長浜の現状、そして予定戦場近くの木之本に北国街道を遮断するように大掛かりな土塁を築いており、そこに筑前が本陣を構えようとしているのは皆も理解したと思う。さて、ここからであるが、慶次郎の報告に少し補足を付け加え、わしが何故に長浜を筑前が奪取したことで秀吉の勝ちを予想したのかを説明しようと思う・・・皆、心して聞くように、よいな?』


『『『  ・・・  』』』


 黙然として頷く一同の視線を前にして一益は口を開く・・・


『皆の者、頭に思い浮かべよ! 木之本付近の地図をじゃ。秀吉が本陣を置こうとする木之本から見て右手に田上山がある。恐らくは、秀吉はそこにも陣を構え、北国街道を挟むようにして対岸にある大岩山にも陣を構えるであろう。奴はその二つの陣を結ぶように土塁を構築しておる・・・これが秀吉にとって修理殿の軍勢を迎え撃つ最後の防波堤であろうと考えられる・・・わしの予想では秀吉の奴は今後更に大岩山の先にある岩崎山にも陣を作りそこでも街道を挟むように土塁を構築し、更にはその奥にも左手に位置する堂気山と街道を挟んで対岸に位置する東野山を結ぶ地点にも土塁を構築しようとする意図が見えた・・・用心深い秀吉は防波堤となる土塁を一重、二重、そして更には三重の備えで北国街道を南下しようとする修理殿の軍勢をなんとしてもこの地で留めおこうという強い意志が現地で感じられたのじゃ・・・先程、慶次郎も言っておったが、あの長浜城の前に浮かぶ、湖面を埋め尽くすような材木の群れはこの長大な土塁の上に強固な柵を構築させるための資材だとわしは、ふんでおる!

秀吉は、今春、修理殿が雪解けを待って南下するまでにからにある長城のような土塁、柵の壁の構築準備を全て終わらせるつもりなのであろうな・・・もしわしの予想通りになれば修理殿率いる越前軍団は嫌が応なく足を止められる事になろう。人が手足で登るのも難しい急斜面な土塁の壁やその上に建てられた防柵を壊しながら無理やり突破しようもするならその間、土塁の両側の山に構築されておる陣から雨のように矢玉が降り注がれるのは火を見るよりも明らかである・・・修理殿は、やむを得ず旗下の軍勢に付近の山に陣を構えることになろうな・・・秀吉の目論見もくろみは、修理殿に足止めを食わせ持久戦に持ち込むことにある・・・わしは現地を見てそう断言するに至った・・・』


『・・・持久戦になれば、筑前殿が有利になると、殿は考えておられるのじゃな?』


 木俣忠澄が確認するように一益に問う・・・


『左様じゃ、又左よ。わしは長浜から木之本までの道筋で至るところに武器弾薬、食料を備蓄する集積所の姿を目にした・・・特に姉川を越えてまず目についたのが小谷城に向かう裾野の集落地であった・・・この村全体が、羽柴軍の後方兵站基地になっておったのだよ・・・これを見て分かるように筑前はな、戦場に最も近い出城的な位置にある長浜城から続く予定戦場までの補給路を十二分に確保しているという事だ!だが、それに比べて修理殿の方は・・・どうであろうかのう?修理殿の本拠地北ノ庄は予定戦場よりから遥か遠く、この木之本に近い山岳地帯に一番近い城というと・・・利家殿の嫡男前田利長殿が治める越前府中城になるのか・・・仮にその府中城を後方補給基地の中心に据えたとしても筑前が奪取した長浜から木之本までは四里ほど、それに比べて府中城から木之本までとなると、おそらく十五里以上はあるか・・・補給路があまりにも遠すぎる。仮に羽柴方の小谷城跡地付近のように、越前方面から北近江路に向かう山岳地帯の入り口にある今庄辺りに兵站補給地を構築したとしてもやはり長浜よりは遥かに遠い・・・更に付け加えれば、修理殿が筑前並みに武器弾薬、食料を準備して戦場に到着できるかということじゃ・・・慶次郎が先程申しておったように長浜だけでなく、その後背に位置する佐和山には半年から一年はもつというように数万の兵力を維持できる潤沢な食糧、弾薬の備蓄がされておるのだ・・・果たして修理殿がそこまで見通して準備してくるかどうか不安じゃて・・・長々と話したがこれが秀吉が長浜を奪った事により補給の件も考え持久戦に持ち込めばあ奴の方が有利になると見込んだ理由である・・・』


 一益は、言葉を区切り合点がいったかというように一同を見渡す・・・


 一益の理路整然とした説明に、満座は暫くの間、沈黙がその場を支配していたがやがてやはりこの男がその沈黙を破る・・・


『・・・なるほどのう・・・確かに叔父御の言うように持久戦、長期戦に持ち込めば筑前殿有利というのは、理解した。長引けば兵糧の問題で修理殿が窮し、いずれ撤退を余儀なくされるという事じゃな・・・だがのう、叔父御よ。修理殿でれば、戦場に立ち、相手の陣張りを見ればその恐れは十分予測できうるであろうが、ならばそれを打破しよう動くのは必然ではないか・・・? それをどう見る??』


 義太夫益重が、一益に尋ねる


『まあ、そう考えるであろうな益重よ。わしが修理殿の立場であっても現状打破のための行動をとるのは必然。大量の兵員を移動できる主要街道を土塁によって封鎖されておれば街道を挟む両側の山岳地帯を縫って移動しようとするのは当然。守る筑前にしてもそれは百も承知の事ぞ。であればそれを防ぐためにその山岳地帯、具体的に言えば各山々に陣を構えるのは必然である。この守りに特化した陣は小規模の城のような砦・・・そうじゃ山砦さんさいとでも言おうか、修理殿にしても一両日で相手の山砦が落ちぬとみれば、自軍においてもある程度の長期戦に耐えられるような山砦を構築するであろうよ・・・益重、この山岳地帯での戦は攻める側の柴田、守る側の羽柴が限定された山岳地域での山砦の争奪戦になろう・・・わしが知る限り、このような戦は日ノ本史上、初ではないかと思う・・・』


『おお!・・・ 日ノ本史上初とは・・・』


『いずれにしても、山砦を奪い合う構図になれば時間がかかるは明らかだ・・・そこでじゃ、わしは修理殿の立場になって改めて考えた。迂回して木之本に行ける道は無いかと』


『いかにも、考えるはずじゃ』


『やはり、あったのじゃ。大岩山の西に位置する余呉湖と琵琶湖の北端との間に敦賀と木之本を繋ぐ街道があった。住人たちは塩津街道と呼んでおるようだが、この道を使えばわざわざ北国街道の両脇にそびえる山岳地帯を通らずに木之本に至るではないか・・・わしは、その街道の所在を耳にし、慶次郎を引き連れ木之本より西に琵琶湖へ向け足を運んだのだが・・・街道の右手に見える【賤ヶ岳】を目の当たりにしてここ【賤ヶ岳】に秀吉が砦を構えれば塩津街道を南下して木之本に抜けようと敵に対し、絶好の防衛拠点になることに気づかされたのじゃよ・・・飯浦の渡しまで足を延ばし、そこで夕焼けの空を背景にした広陵たる琵琶湖の風情を味わいながらわしは見るともなく飯浦の渡しに停泊する船に目を向けて他愛たわいもない考えを浮かべたのだ・・・


(わしならば、湖北の水軍を率いて一挙に秀吉の本拠の長浜を衝く・・・それを知った秀吉の顔を想像するだけでも可笑しいが・・・)


 敦賀から迂回し塩津を経由しここ飯浦から【賤ケ岳】を抜け木之本にまでに至る・・・策としてはあるが、よくよく考えれば塩津街道は長浜の領土内であったため秀吉が無策でこの道を使用させる事はないと悟ったのじゃよ・・・奴は戦が始まるとなればこの道も封鎖するとな・・・その後時間も押してきたので飯浦の渡しをあとにしようした時であった。一艘の戦船が波止場に着こうとするのが視界にはいったのだ・・・その戦船の艦橋の先には所属を表すのぼりが琵琶湖の西風に吹かれ、はためいている・・・その旗幟はたのぼりには直違紋すじちがいもん図柄が・・・五郎左殿の家紋を見てわしは、驚愕したのだ・・・筑前と修理殿との戦の勝敗の鍵は丹羽殿の手にある・・・と・・・』


『勝敗の鍵が丹羽殿の手中にあると⁉ そ それは如何なる事であろうか?』


 一益の言葉に驚きの色を隠せず、少しどもりながら尋ねる義太夫益重に、周りの者からも同じように、それは、どういったことであろうかと一斉に声があがる。


『改めて申すが、今一度目を閉じ北近江から若狭、敦賀、越前の位置関係を思い浮かべよ!』


 黙って目を閉じ、それぞれの位置関係を頭に思い浮かべようとする一同に向かって一益は、ゆっくりとした口調で語り始める・・・


『わしが見た丹羽家の戦船は、長浜から琵琶湖を挟んだ対岸側にある海津から寄港した船であった・・・海津という地は、塩津と並んで湖北水運の要衝地であり丹羽殿が治める地である。丹羽殿の所領は、若狭一国と西近江の高島郡と志賀郡の二郡も丹羽殿の宰領地なのだ・・・そして前述の海津という地はその高島郡に含まれる・・・ここまではよいか?』


 黙ったまま頷く一同を見て、一益は続ける・・・


『高島郡は、若狭、敦賀と国境を接する広大な北近江の地なのじゃ、ここが肝要なので再度申すが、【敦賀】と国境を接しておる、よいな・・・木之本に通じる塩津街道は海津から敦賀へと通ずる西近江路は敦賀国境前で合流に至る・・・何が言いたいかというと、修理殿と筑前が木之本付近で戦となった場合、その最中に丹羽殿が筑前に付くと旗幟きしを明らかにし、筑前に加勢したとなれば・・・修理殿率いる北陸軍団は瓦解し敗走するであろうという事だ!・・・何故ならば、若狭もしく、高島郡から丹羽殿が敦賀へ向けて兵を出したらどうなる?・・・敦賀を抑えられたら、敦賀以東にそれぞれの所領を持つ前田殿、金森殿、不破殿、佐久間殿、佐々殿、もちろん修理殿も含めてであるが彼等は、退路を断たれる事になるぞ・・・修理殿の軍団の瓦解、敗走は予測でなく自明の理である・・・』


『⁉ なんとのぉ・・・、言われてみればその通りじゃ・・・気づかなんだわい・・・』


 義太夫益重は、カッ と目を見開くや嘆息するようにつぶやく・・・


『ただ義太夫よ、わしはなぁ、丹羽殿は、此度こたびの戦においてはそこまで積極的に筑前に加勢する事は無いと考えておるのだ・・・』


『うん? それは何故にござる』


『確かに、信孝様がお在す岐阜攻めにおいて丹羽殿が筑前に加勢して出兵したのは事実である、が、しかしその出兵理由はあくまでも三法師様をお迎えし安土へ御動座していただくという、清洲会議にての決まり事を遵守するための出兵であったからだ。ところが此度の筑前と修理殿の戦はあくまでも二人の私闘である。筑前が修理殿の所領の一部であった長浜を奪ったことが原因であると、丹羽殿は断じられておると。池田殿も同じ考えであろうと想像するぞ・・・されば丹羽殿、池田殿の宿老衆二人は、此度の戦には中立の立場を採るであろうとわしはそう考える。それが丹羽殿が此度の戦いにおいて積極的に筑前に対し加勢、出兵は無いと考える理由じゃ・・・』


『・・・ふむ、なるほど・・・』


『これは、余談になるやもしれぬが、わしは黒字の直線をバツ印のように交差させた直違紋すじちがいもんを掲げたあの戦船いくさぶねの雄姿を思い出し、改めて感じたわい・・・丹羽殿は、湖北どころか琵琶湖全体の制海権を支配しておるのだな・・・と・・・。義太夫よ、おぬし堅田かただ衆の名を聞いたことがあるじゃろ?』


『堅田衆? そりゃ、琵琶湖において最強の水軍集団の名では? 確か、琵琶湖では水軍の事を湖族と呼ぶのであったかな? それはいいとして、その堅田衆が何か?』


『うむ、その琵琶湖最強の水軍、堅田衆を丹羽殿は自らの傘下に置かれておった事実をわしはうっかりと失念しておった・・・』


『いや、叔父御ちょっと待て・・・堅田水軍衆の棟梁であった猪飼いかいという男はあの明智が乱の時に奴は明智方につき、反明智と旗幟を鮮明にし戦った瀬田城主山岡景隆殿との瀬田橋沖の合戦で死んだと聞いておったが・・・』


『さすが情報通の義太夫益重じゃて、その山岡殿にあの戦船の件で気になったわしは直接堅田衆について問い合わせたところ、棟梁であった猪飼昇貞は確かに戦死したが、丹羽殿が志賀郡の領主になるや昇貞の息子に秀貞に命じて堅田水軍の再編をさせ今では父の昇貞の時代より精強な堅田衆になったということだった。堅田衆の練達の操船術は琵琶湖において屈指のものであるらしく、彼等は昼、夜問わず、琵琶湖の南北、東端西端まで最短距離でそれこそ縦横無尽に湖面を走破できるのだと聞き及んだのだ・・・高島郡、志賀郡という近江国の西半分を自らの所領とした丹羽殿は短期間の間で琵琶湖水運の要となる志賀郡に本拠を持つ堅田衆を再編から傘下に入れたその手腕、さすがとしか言いようがないわ、カッカッカ・・・わしは、それを聞いてある場面を思い浮かべて身震いするほど興奮したぞ義太夫!!!』


『・・・な なんじゃい、叔父御。 うれしそうにして・・・。その気味が悪い程のご機嫌な目つきは・・・いったい何を思い浮かべたのじゃ?』


『よう、聞いた、義太夫よ!』


(この叔父御は、いつもこうじゃ・・・)


 義太夫益重は、嬉しそうに興奮しながら話す一益を見て苦笑する・・・


(本当に面白いことを見つけて余人に話しをする表情は、まさに悪童そのままじゃて・・・)


『湖南の坂本城、もしくは湖北の海津から丹羽殿が大挙堅田水軍を率いて琵琶湖を横切り飯浦の渡しに向かってくる情景を想像してみい! 日中であれば、その帆先を白くさせながら押し寄せる大船団の全景が【賤ケ岳】の山頂からも眺めれるであろう、夜間であれば各戦船が醸し出す灯りの群れが一糸乱れず飯浦に迫りくるその情景を!!! 想像するだけで武者震いがするわい!!!』


『『『 おお・・・ 』』』


 一益の熱に籠った言葉に義太夫益重をはじめ、皆その勇壮な情景を思い浮かべ嘆息の声を上げる・・・


『さて、ここからはわしの考察じゃ。丹羽殿の家紋を掲げた戦船が筑前が支配下にある長浜領の飯浦に着船している事実を見てもわかるように筑前は湖北を含めて琵琶湖海上の警備哨戒の任を丹羽殿に任せておるのは自明であり、この観点から見ても筑前と丹羽殿は協力関係にあると断言してよかろう・・・丹羽殿は、筑前が苦戦となれば旗下の水軍衆を率い、秀吉に加勢する可能性が大であろうとな・・・湖北山岳地帯で柴田、羽柴両軍が激突する最中さなか、【賤ケ岳】更には余呉湖を周辺に陣取るそれぞれの部隊が柴田方か、羽柴方かその時になってみなければ分からぬが、これだけは断言しうる。その大挙到来する水軍衆を見て羽柴方ならば狂喜乱舞し、柴田方であれば・・・浮足立ち、そして丹羽家直違紋を目の当たりにすれば【敦賀】が丹羽殿に抑えられる!・・・退路を断たれると想像するであろうよ・・・その結果、琵琶湖側に面する余呉湖付近の柴田方の軍勢は撤退しようとし、それが引き金になり戦線が崩れ、修理殿の軍団は瓦解するであろうと・・これが、わしの見立てじゃ・・・』


 一益の言葉を一同はしわぶきの音一つも上げずに聞き入っている・・・


 一益のこの予想は幸か不幸か的中することになり、実際の史実でも長秀は、勝家来たるの報を受けるや、海津から西近江路経由で塩津街道に兵を進めさせ、国境を封鎖し勝家に塩津街道を利用させないようにしてしまう。更にどういう理由か判明していないが、秀吉方苦戦と感じた長秀は、真夜中に自ら水軍衆を率い夜間渡航を決行し琵琶湖を横断し飯浦の渡しの南に位置する山梨子の地に旗下の軍勢を上陸させるや、余呉湖東岸に位置する岩崎山、大岩山の両山砦を陥落させ、更に余呉湖南に位置する羽柴方の【賤ケ岳】の山砦をも落とそうとする柴田方の佐久間盛政、柴田勝政の両部隊に対し、銃口を向け羽柴方への加勢の意思を示す。その後両軍の睨み合いの膠着状態から木之本に秀吉本隊の到着の情報がもたらせられるや、佐久間、柴田の両隊は権現坂砦に向けて退却を始める。その権現坂砦の近くの茂山には前田利家が佐久間、柴田の両隊の後詰として陣を構えていたのであった。退却してきた両隊から賤ケ岳方面の戦況を聞いた利家は、長秀の参陣と秀吉本隊の木之本到着の報を受けるや両隊を置いて峰越えに移り、塩津街道に抜け、敦賀方面へ脱出したのであった。利家戦線離脱後は、一益の予想通り、勝家傘下の将達の離脱が始まり、文字通り勝家の軍団の瓦解に繋がる。利家の胸中を推し量れば、長秀の参陣によって退路の遮断の恐れが生じたばかりか、大垣に滞陣しているとばかり思っていた秀吉本隊の着陣を見てこの戦に分は無いと判断した結果が利家にこのような行動を採らせたのである。


『叔父御の話しを聞けば聞くほど、修理殿の分が悪く感じるのう・・・特にじゃ、丹羽殿が筑前殿側について参戦したなら、そこで勝負がつくではないか・・?』


 義太夫益重が思ったままの感想を一益に吐露する・・・


『いかにもだな。だが、戦はやってみなくては分からぬ。例えばだが、湖北山岳地帯での戦の折に、長浜城主である柴田勝豊殿の部隊が旧主である修理殿の軍勢を目の前にして寝返らぬとはかぎらぬぞ、もし合戦の最中に寝返りがあれば逆に秀吉方の軍勢が瓦解するやもしれぬぞ・・・また丹羽殿が本当に参戦するかどうかもだ、あくまでわしの予想に過ぎぬ』


『まあ、そうじゃが・・・』


『・・・して、殿の存念は? いかがされるので・・・?』


 益重の言葉を受け継いで、忠澄は一益に問う


 一益は暫しの間、うつむきながら考え込む風情であったがやがて、決然とした表情で忠澄に答える。


『わしは、修理殿に付こうと思う』


 おおっ!! と、一同からどよめきの声が上がる。


『・・・なかなか、分の悪い賭けかとそれがしは考えますが・・・。殿、当家を宰領する家老おとなとしてあえて申し上げる。ここは、丹羽殿、池田殿をお頼りになって筑前殿に頭を下げ、かの御仁の傘下にくみされたほうが当家の行く末にとってよろしいかと、愚考致しますが・・・?』


『すまぬのう、又左・・・』


 一益は、苦し気に忠澄に答える・・・


『分の悪い賭けと・・・重々承知しておるのだ・・・わし自身は所領の大小はもう気にはならぬが、今の当家の現状を顧み、長年わしに付き従ってきたそなたたちに少しでも報いてやりたいとわしは強く思う。ここは、一度勝負してみようと・・・。言葉を費やし、いろいろ言うたが本音を言えばやはりわしは、大人になりきれぬのであろうな・・・わしは、あ奴に 秀吉に頭を下げ臣従するような真似はしたくないのだ・・・これは、わしの我儘にすぎぬ。・・・もしそなたが、納得しかねる当家から暇を請うとなれば、わしが責任をもってそなたが他家に仕官できるよう努めるつもりじゃ、勝手な言い草であるが、これで勘弁してくれ・・・』


 一益は、上座から忠澄に頭を下げる・・・


『殿、それがしの事を思われるのであれば、直ぐにお顔をあげられよ!』


 一益は、忠澄にいわれるがまま、面をあげる・・・


『フッフッフ・・・殿、最初からそう申せばよいのですよ。筑前殿に、いいえ、秀吉に頭を下げたくないと! それがし達に忖度せずに自分がこうしたいから俺の命に従えと・・・のう、皆の衆!!?』


『おうさ、又左殿の申す通り!! 叔父御のは、今まで通りふてぶてしく我らに命ずればよい!』


 忠澄の呼びかけに義太夫益重が応じるや周りの者達からも、そうじゃ! そうじゃ!と同意の声が上がり続ける・・・


(良き、家臣をお持ちになられましたな。叔父御・・・)


 慶次郎は、その様子を一座の後方から眺めながらそっとつぶやくのであった・・・




『皆の気持ち、承った! この一益、本当に良き家臣団を持ったと痛感致した・・・ありがたく・・・思う・・・この通りじゃ・・・』


 謝辞を述べ、再び一同に頭を下げた一益は、ぐっと面を上げまなこに力を籠め口を開く・・・


『では、筑前を相手に戦をするにあたって、当家の指針を述べる・・・わしは、雪解けを待って近江路に兵を出す修理殿を待っての挙兵はわしはせぬ!』


『『『 おおっ⁉ 』』』


 どよめく一同を見渡し、一益は続ける。


『修理殿の挙兵を待って当方が兵を挙げれば、筑前は主力は修理殿に当て、当方にはこの長島を包囲するだけの兵を残せばよく、奴にとって、この長島方面での戦は片手間の作戦になってしまうからだ・・・まあ、こちらは兵をこぞっても三千ほどであるからなククク・・・だがそれでは、つまらぬ!!』


 一益は不敵な笑いを浮かべるや、言葉を続ける・・・


『わしは、ここ長島、桑名から伊勢亀山までの東海道に、この北伊勢一帯に秀吉をおびき寄せるつもりじゃ。それも、奴が総力を持って当方に当たるより仕方がない状況をわしは作るつもりである・・・。北伊勢に奴の総兵力を引き込み、奴の備える食料、弾薬を北伊勢の地に全て吐き出させるつもりじゃ・・・こちらで戦を長引かせ、奴が頼みとしておる佐和山の備蓄分まで手をつけさせる事態になればしめたもの。湖北山岳地帯で戦う修理殿に対してもこれは間接的に援護となろう・・・食料事情が当初の予定通りでなくなれば修理殿と退陣し持久戦に持ち込めばかつとふんでおる秀吉も

その時点でそんなに余裕は無くなるであろうからな・・・更には修理殿が湖北まで到着する時まで北伊勢にて我等が秀吉の兵を引きつけておけば、湖北山岳地帯での戦場においての兵力差が格段に減る・・・これも修理殿に対し馳走になるであろうよ』


『『『 おお・・・』』』


 ため息をあげる一同の後ろから、慶次郎が一益に問うた・・・


『で、ありますが叔父御。わずか三千ほどの兵力の当家がどうやって筑前殿の総力、七万とか、八万と予測される軍勢をそう首尾よくこちらの思うように北伊勢の地に引き込めるのでありましょうか? そんなに都合よく筑前殿が動きましょうか?』


『うむ、そちの言うこと、もっともじゃ。であるから、筑前が血相を変えて総力を挙げ北伊勢の地に来たくなるようこちらで舞台を作っておく』


『舞台・・・ですか?』


 一益は、慶次郎の問いに答えると不敵な表情を見せ、寡黙な滝川益氏に視線を向ける・・・


『慶次郎が、あのように申しておるが、益氏よ最も重要な舞台の一つである伊勢亀山城はどれぐらいで落とせる・・・?』


『・・・現在、亀山城主関盛信殿、ご子息一政殿が姫路に向かっており二人が城内に不在であることは確認しておりまする。かねてより、一政殿が世継ぎになる流れに反し、盛忠殿を擁立せんとする家老職一派とは話しがついております故に、盛信殿、一政殿不在の今が絶好の機会かと存ずる・・・船の準備次第にございますが、亀山の地にそれがしが到着すれば三日もあれば・・・亀山城は落とせるかと』


『と、益氏が申しておるが、平右衛門 戦船いくさぶねの用意はいかに?』


 一益の問いに二番家老で滝川水軍総帥の篠岡平右衛門は表情も変えずに答える。


『大廻舟、三十艘。小廻舟、六十艘、殿の下知あればすぐに出せますぞ。上陸予定地の千代崎、白子、豊津、どの港にするかについては、当日の風向きによって決めさせていただくことになるかと・・・』


『だそうだ、益氏』


『承知致しました、篠岡様』


(えっ⁉ 今、益氏殿は何と言った?? 亀山城を三日で落とすだと???)


 慶次郎は驚愕する


『峯城は、どうじゃ義太夫?』


『城主、岡本良勝殿は元々岐阜城主織田信孝様の家老職であったが此度、筑前殿に鞍替えしたばかりじゃ・・・それもあって岡本殿に不信を持つ家老職一同はすでに調略済みじゃて。わしも、三日もあれば落とせるであろう。平右衛門殿、海路は宜しくにござる』


『承知致した・・・』


『けっこうである。義太夫よ峯城の件、了解した。では、次じゃ』


 一益はついで、滝川忠征に視線を向け問う


忠征ただまさ、関城はいかに?』


『はっ、他人任せになりますが益氏殿が亀山城を落とせば三日もあれば、更に国府城、鹿伏兎城も更に数日で調略可能でございます』


『よう、準備した。忠征! 褒めてとらす』


『はっ!』


『益氏、聞いたな? 忠征の功、そちの働き次第だぞ?』


『承って、そうろう


(な 何を言っておるのだ・・・この男達は・・・)


 慶次郎は、一益らの会話に驚きのあまり思考がついていけないでいる・・・


 (伊勢亀山城だけでなく、峯城、更には関城、国府城、鹿伏兎城まで数日で落とすだと!!⁉)


『叔父御!!』


 たまりかねた様に、慶次郎は、声を上げる。


『うん?』


『叔父御は、初めから秀吉殿と戦うつもりであったのであろう?』


 一益はゆっくりとかぶりを振ると


『それは、違うぞ慶次郎。わしが筑前との戦を決意したのは今の今じゃ・・・決め手となったのが関親子が亀山城を留守にしておると、先程益氏から聞き及んだことにある』


『ん⁉』


『確かに、最前皆の前で筑前に頭を下げたくない一心からあ奴と戦いたいと申したが、実際に決意したのは平右衛門、益氏、益重、忠征の報告を受けてからじゃ・・・戦になるならぬは別として、そのために事前準備をしておく事は家を預かる当主の務めであるからのう・・・まあ、慶次郎も思うところはあろう。じゃが、その話しはこの軍議のあとにせい、よいな・・・』


『いやっ! そういう事でなく、それがしが言いたいのは叔父御はいつから筑前殿との戦を念頭に置かれて、三人の方々に調略準備を命じていたのかということです』


『フッ・・・、大徳寺の信長様の葬儀の後からじゃ・・・』


『えっ⁉』


 一益は慶次郎から視線を移し一同を見渡すと改めて申し渡す。


『皆の者、聞いておった思うが、秀吉を招き入れる舞台はどうやら準備できておるようだ・・・今が、秀吉を“もてなす”ための最重要拠点である亀山城を奪取する絶好の好機ぞ!!姫路に秀吉へ臣従のための年賀への参賀中、自分の居城が取られたと報告を受ける関殿にはまことに申し訳ないが、その件をおとそ気分のところ耳にした秀吉の顔を想像するだけでも傑作じゃて、ハッハッハ!!! 伊勢亀山城及び周辺の諸城を支配下に置くことによってを亀山から桑名にかけての東海道に蓋をするような状況を作り出す・・・よいか、東海道を遮断させるのだ。わしが秀吉傘下の城を落とせば奴は怒り狂い必ず奴は奪い返そうとするのは必定! ましてや北伊勢方面の東海道筋に所領を持つ奴の傘下の城主達を守らなくてはならないからのう、彼等を見捨てれば奴は世間に対し面子を失い、輿望も落ちるというものだ・・・修理殿との決戦の前に何としても我等を北伊勢方面から駆逐しようと秀吉は必ず総力を挙げ我等を潰しに来るのは火を見るよりも明らかである・・・その数、およそ、七万から八万というところか・・・フフフ・・・血がたぎるわい、あの上州で相対した北条勢よりもさらに大軍ぞ!! 皆も、あまりはしゃぎすぎるなよ、よいな!!』


『はしゃぐなと言うが、一番はしゃいで嬉しそうにしているのは叔父御ではないか!のう、皆の衆⁉』


『ハッハッハ!!! そうじゃ、そうじゃ義太夫殿の申すとおりじゃ』


『・・・それがしも、同意致します・・・』


 義太夫益重の呼びかけに、忠征ばかりでなく寡黙な益氏さえも同意の声を上げると周りからも一斉に


 そうじゃ! そうじゃ!! これほどの大軍相手に戦とは、たぎるわい!!!


 と、あちらこちらからも声が上がる・・・


 一座が喧噪となる様子を慶次郎は呆れた様子で眺めながら苦笑している・・・


(主が主だと、その配下の者達も一緒か? クックック・・・困った人達であるな)


 一益は一同の喧噪を頼もしそうに眺めていたが、やがておもむろに右手を差し上げる・・・


 その姿を見止めた一同が徐々に静まる・・・そして完全にその場が静けさに支配されるやゆっくりと腰を上げ一座を見下ろすと断じるのであった。


『我等は、今、この時より羽柴筑前守秀吉相手に戦をつかまつるる!!』


『『『 おうさ!!! 』』』


 


『我が存念を申せば、筑前こと秀吉はあれほど亡き織田右大臣家から御厚配を受け人がましい地位に取り立ててもらった厚恩を忘れ、信長様、信忠様がお隠れなってからというもの織田家当主である三法師様がご幼少の身をいいことに全て三法師様の御為と称し己が野心のため、主家である織田家に対し度々たびたびの不遜、慮外な言動・・・主家である織田家に対して、ないがしろな態度をとるきゃつめを、わしは黙視する訳にはゆかぬ! 旧年中十二月の変事を思い出せ!。きゃつめは、信雄様を隠れ蓑にし主筋である信孝様を岐阜城において大兵を持って包囲し恫喝し屈服させしめ、更にはあろうことか信孝様のご母堂や妻女まで人質に取ったという・・・これは主家筋に対する一臣下がとる態度ではないぞ!!!』


『『『 ・・・ 』』』 


『わしは、修理殿、丹羽殿、池田殿、そして秀吉のように宿老ではないのでのう織田家中での権力争いなんぞ関係がないわ! あるのは、義憤の一字よ・・・我が娘が信忠様の乳母になり、そして信長様の目に留まり側室にまでわれ、更には信長様との間に孫娘まで授かり、わしは織田家の親族となったのだ・・・。信長様・・信忠様・・三法師様と続くわしとってかけがえのない織田家の家燭かしょくをきゃつは、己が野心、野望のために利用しようとしておるのだ・・・わしは、・・・

わしは・・・ 断じて、きゃつめの行いを黙ったまま座視はできぬ!!!』


『『『 ・・・ 』』』


 一益の並々ならぬ決意を受け、一座は静まりかえる・・・


 ややあってから、一益はそっと息をつき険しかった表情を改めて再び口を開く


『さて、又左よ』


『はっ』


『ここ長島城の兵糧、弾薬はどうなっておるか』


『半年ほどは、籠城に耐えまするが、足りませぬか?』


『それは重畳ちょうじょう。さすがは又左じゃ! さりながら面倒を掛けるが、桑名周辺から亀山までの東海道筋にて米と塩を買い占めてくれぬか、秀吉の奴を干上がらせてやろうと思うが、できるか? 金蔵の銭は全て使ってもよい、もしそなた一人で手に余るなら角屋かどやを使え、七郎次郎にはわしが直接使いを出そうに。儲けさせてやるから早舟で長島に来るようと伝えれば、喜んでこの地に来るのは間違いないからな、ハッハッハ』


『大湊衆の角屋七郎次郎殿を・・・承知致しました。して集めた荷はどちらに運ばせるので・・・?』


『ここ長島にも幾分か運び、桑名城にも十二分に運びこめ。残りは全て、奪取した亀山城、峯城、関城を中心に運び込むのじゃ。それでも入りきれぬほど集まったなら余剰の荷は角屋に処理を任せておけばよかろう、何と言ってもあ奴は大湊きっての廻船問屋の豪商であるからな』


『承りましてござる』


『それと又左、至急甲賀53家のうち東海道周辺に所在する土山郡の山中、黒川、土山、芥川、大野の各家並びに甲賀郡の隠岐、佐治、岩室、神保家に、更には水口郡の美濃部、新庄、嵯峨、宇田、高山の諸家に使いを頼む。これから塩、米、の値が上がる故、今のうちに買い集めるがよかろうとな。おお、そうじゃ!余分に荷駄車を多く揃えると吉じゃと・・・わしの挙兵で東海道、草津より以東では塩、米などの兵糧やそれを運ぶ荷駄車は需要が高くなるは必然。秀吉にしてもわしの思いがけない挙兵でにわかに出立となれば、あの大軍を維持するために進軍先の街道筋の村々で兵糧、備品の徴収をせざるを得ないであろうからな、そのためにも、各家におかれては、突然の徴収に十分な備えをされるがよろしいと伝えおいてくれ・・・うむ⁉ そうじゃな、備蓄分にも余裕ができたなら、徴収される前に自発的に余剰分を秀吉側に提供するのも良き考えかと、これも付け加えておくように。そうすれば秀吉の心証もよくなろう・・・とな』


『殿、本当にそれでよいので・・・? 筑前殿に利することになりますが・・・』


『いいのじゃ、いいのじゃ。構わぬ! むしろわしが使いを出した家々全てが秀吉に兵糧や荷駄車を提供してくれたほうが、わしにとって好都合であるからな、ハッハッハ・・・』


『好都合⁉・・・殿、それがしの頭では殿の深慮遠謀はわかりかねますので・・・』


『ふむ、そうか・・・いやさ、たいした理由ではない。秀吉自身は遅くとも来月には軍備を整え東海道を南下してくるであろう。それと時を同じくし多方面からも進軍してくる可能性が高い・・・。おそらくは、美濃多羅口か、もしくは君畑越えか・・・ひょっとしたらその両方面から進軍してくるかもしれぬ・・・。そこでじゃ、秀吉は敏い男だからのう、何故に甲賀53家に繋がる家だけがこうも首尾よく徴用の品々を提供しに参ったかと不審に思わせればよいのじゃ。不審に思わせればしめたもの、奴はどうしてこのように用意周到に甲賀53家だけが準備できたか、各家々に問うであろう・・・その時に正直にわしから事前に知らされていたと伝える家もあるかもしれぬが、口ごもる家々もあるであろうよ・・・そこで奴がわしと甲賀53家との関係を思い出し、疑心暗鬼を生ぜさしめれば、面白いと思うたまで。草津から亀山まで至る東海道周辺がわしの影響下にあると大げさに感じてくれればそれでそれでよい・・・亀山城周辺での戦の最中に、京、大津方面からの東海道の補給路が断たれる恐れがあると・・・な。フフフ・・・目に見えぬわしが影に秀吉の奴が少しでも怯えてくれれば、痛快、この上ないわ、フッフッフ・・・』


『⁉ ・・・なんと! ・・・恐ろしい事を考えつきまするなぁ、殿は・・・』


 又左こと木俣忠澄は心底、恐れ入ったとばかりの表情で一益に告げるのであった・・・




(な なんというお人じゃ!! 凄すぎる・・・凄すぎるぞ、叔父御は !!!)


 慶次郎は、一益と忠澄のやり取りを聞いて、心の中で拍手喝采していたのである。


(確かに戦場において、叔父御の戦場眼の確かさは十二分に知っておったが・・・まさか、このような視野の広さとでも申すか・・・うまく表現できぬのがもどかしいのう・・・うーん・・・お! そうじゃ、大局的なものの見方ができるお人であったとは・・・敬服いたしますぞ、叔父御 !!! )





『おお、そうじゃ。京 大津と言えば、あの御仁にもあらかじめ念を押しておかねばならんかったな・・・』


 心中にて自分のことを絶賛中の慶次郎のことなど全く気づかない様子で、一益は思い出したように言葉を続ける・・・


『大津瀬田城城主、山岡景隆殿にござるな?』


 忠澄が応じると


『うむ。山岡殿は、わしが北伊勢で筑前相手に挙兵したと聞けば姫路から京を抜け東下しようとする筑前の軍勢を眼前にしたとたん、また瀬田の大橋を焼き落そうとしかねんからな・・・「昨今の筑前が態度、織田家に対する不忠の疑いあり!」とか申してのう・・・』


『そうじゃのう・・・実際に明智が謀反の時に山岡殿は瀬田の大橋を焼き落しにした実績がある・・・』


 義太夫益重が今度は応じる・・・


『ああそうじゃ・・山岡殿は瀬田にて明智が謀反軍を前にして、織田家に不忠をはたらいた明智は許すまじと叫び、独断で瀬田の大橋を焼き落としを命じ、安土へ向かおうとする明智の軍勢の行軍をさまたげ、戦った人物であるからのう・・・であるがため、わしが直々に書状をしたため山岡殿にまた大橋を焼き落とすなどという事をせぬよう諫め、軽挙妄動を慎むよう念を押しておかねばなるまい・・・昨年の六月に焼き落しをして、まだ一年の経たずにまた大橋を焼き落しなんぞしてしまったら動機がいかなる理由であれ山岡殿の名が歴史上に悪名として残ってしまうわい・・・それにじゃ・・・』


 一益は、ニヤリと笑うと


『山岡殿が瀬田の大橋を焼き落してしまうと、それを理由に秀吉の奴が当地に来襲するのを躊躇してしまうやもしれぬ・・・そうなると、せっかく奴を“もてなそう”と北伊勢の地にて舞台を設けて準備しておる我等の努力が無駄になってしまうでないか? どうじゃ?? 皆の者⁉ そうは思わぬか・・・?』


 『『『 そうじゃ、そうじゃ!!! その通りぞ!!! 』』』


 一益の言葉に、どっと沸く一同である・・・


 彼等の、その有様を見て一益は満足したように、ウンウンと小さくうなずき更に言葉を続ける。


『けっこうである。皆の意気や良し! されば各々おのおのの【舞台】で我等が滝川家の戦の【舞】で秀吉勢を丁寧に“もてなし”てさしあげろ!! 此度の戦で滝川家は攻めや、退却戦だけでなく籠城戦においても屈指の実力をもっておることを満天下のもとで披露してやるのだ、よいな!・・・うむ、よい面構えじゃ。さて、その籠城戦についてであるが・・・』


一益は、そこで益氏、益重、忠征の顔を順番に見ると真剣な眼差しで彼等に告げる。


『最前線に立つそなた達三人には特に申し付けておく・・・我が滝川家の家訓として城を枕に討ち死になんぞという言葉はありはせぬ! 必ず生きてこの長島に戻って参れ、よいな、これは厳命である! 大軍相手に包囲されての戦い、難しき事態になるは必須ぞ!!。されば、 亀山城、峯城、関城の将となるそなた達は戦の幕引きの潮時を間違えるな。十分余裕をもって相手方に降るのじゃ。わしの方からも降伏の時期については指示をよこすようにするが、現場のそなた達の考えを尊重するので必要とならばそなた達の判断で降るのじゃぞ! 降伏にあたっては、そなた達の命はもちろん、城兵達の生命全て助ける事を開城条件に致せ、必ずじゃ!! 敵方とはいえ、相手は元々、同じ織田家中の者らぞ。開城し降伏するのであれば、無下にそなた等や城兵の命までは奪わぬであろう・・・重ねて厳命致す・・・必ずや、生きてこの長島に戻るのじゃ・・・』


 益氏、益重、忠征は、一益の言葉にそれぞれうなずく・・・


 この場面から後日になるが史実においても、彼らが守将となった亀山城、峯城、関城の開城の際には城兵と共に長島城に無事戻ることになる。一益の言いつけを守ったのであった・・・


『・・・叔父上、それがしの方からも、お願いしたい儀があります・・・』


 このような場では、問われぬかぎり自らすすんで発言をしない寡黙な益氏が発言を求めたことに対し、一益は驚きながらも興を覚え応じる・・・


『うん⁉ なんじゃ、益氏。 何なりと申してみよ』


『・・・叔父上が我等に与えた口上、確かに承りました。その上であえて申し上げます。叔父上自身も戦の潮時をお間違えないように切にお願い申し上げまする・・・叔父上の身にもし万が一なことがあれば、我等滝川一党の旗頭を失う事になりまする・・・たとえ、滝川一族が離散の憂き目にあったとしても叔父上がご健在であればまた集う機会も訪れましょう・・・益氏、伏してお願い申し上げるしだいにござる』


『益氏⁉ (・・・そちは・・・)・・・』


 一益は、益氏の真摯な懇願を受け絶句する・・・


(わしは、良い臣下に恵まれたな・・・)


 心を震わせながら一益は胸中にてつぶやく・・・


『承知したぞ、益氏!! そなたの言葉、肝に銘じよう!!!』


『・・・ありがたき幸せにござる・・・』


『だが、安心しろ! たとえ戦局が当方に利有らず、我等がまわり全てが筑前に降ったとしてもこの長島は二月ふたつき三月みつきでは落ちはせぬ。いや、半年経っても落ちはせぬぞ! そなたらがここ長島に戻るまでは孤軍となったとしても戦い続けておるわ! 心配無用ぞ、ハッハッハ・・・』


 一益が益氏に発した言葉は、大言壮語でなく史実においても実際にその通りになり柴田勝家、於市の方夫妻や、岐阜城主織田信孝がこの年天正十一年四月に相次いでその生を終えた後も孤軍奮闘で戦い続け、彼が秀吉に無念の投了を告げたのは七月の盛夏の時期であった・・・小雪まじりの正月元旦から戦い始め、実に半年以上も戦い続けたのである・・・。



『さて、わしが存念はたった今申した通りじゃ! この場で他に聞きたい事があれば申すように・・・』


『殿・・・』


『うん⁉ 平右衛門か、いかが致した・・・?』


『この戦、北伊勢において我が方が制海権を握っておることが前提となっておるとそれがしは理解しておるのだが、いかに?』


 次席家老で滝川水軍の総帥である篠岡平右衛門が今までの沈黙を破り、渋い声で一益に問うた・・・。


『いかにも、平右衛門の申すとおり北伊勢の制海権を握っておくことが一大前提である。制海権を握っておらねば亀山方面への補給並びに、その方面からの撤退時に我が水軍が活用できなくなればこれこそ一大事だからのう』


『なれば、お尋ねするが、志摩の棟梁についてはどうなさるおつもりか?』


『志摩の棟梁? あっ!!』


『あの御仁は今は筑前殿と盟約を結んでおる信雄様の与力衆でありますぞ。筑前殿が我が水軍を目障りと申して、信雄様に頼んで志摩の棟梁を動かせと命じられたらいかが致す所存でありますかのう・・・あの御仁がこの戦に乱入されると、当方にとってちと面倒なことになりますぞ・・・』


『う・・む・・・。 九鬼の棟梁の事を失念しておったわ・・・』


 平右衛門や一益が、棟梁と呼んでいる人物は志摩一国を領する九鬼嘉隆くきよしたかのことである。嘉隆が麾下きかの九鬼水軍は当時日ノ本最強と称せられており、その最強水軍が敵方になり北伊勢沖に姿を現すことを平右衛門は危惧していたのである。


 日頃、卓抜した諜報力を生かし抜かりの無い一益が秀吉との大戦の前に北伊勢における制海権の鍵を握る嘉隆の存在を平右衛門に指摘されるまで失念していたには理由があった。その理由とは一益と嘉隆の関係にあったのだ・・・二人の間の関係は余人には分からぬほどの濃い信頼関係を基に成り立っていたのである。一益から見てひと回り以上年下の嘉隆には、自分が頼めば否とは決して言うまいと断言できるほど、一益は嘉隆に対し信を置いていたのである。


 一方で嘉隆からの目線で言えば、彼にとって一益は自身を含め一族の大恩人であり、今の自分があるのも全て一益のおかげと言っても過言ではないと言い切るほどだ。その嘉隆にしてみれば一益が自分に信頼を置く心以上に一益に対して信頼感を抱くのは当然であった・・・。


 一益、嘉隆の関係は古く二人の出会いは、この時期から二十年以上前の永禄三年(1560年)にまでさかのぼる・・・永禄三年といえばあの桶狭間の戦いがあった年だ。この年に嘉隆は自分の故郷である志摩を追われ尾張の知多半島と東三河が接する尾張口に逃亡してきた一族と共にひっそりと身を寄せ合い先の見えぬ自分達の将来を憂いながらもつつましく日々を送っていたのであった・・・ところが、そのような状況下にあった嘉隆や九鬼一族に手を差し伸べた男がいた・・・そう、滝川一益である・・・。嘉隆はじめ、九鬼一族にしてみれば一益の武骨な節くれだったその手がどんなにか頼もしく思えた事であったろうか・・・


 一益はこの時期、桶狭間の合戦で織田家が辛うじて今川義元の軍勢を撃破した戦後処理にいそしむ日々を送っていた。主である信長から、「三河の元康(松平元康)との関係を、なんとかせい!」と、例の通り無茶振りされた一益は三河松平家との交渉窓口になっていた刈谷城主水野信元のもとに足繁く通っていたのである。因みに水野信元は松平元康(のちの徳川家康)の母、於大の方の兄であり元康にとって伯父にあたる。そのような折に、信元の口から我が領内に伊勢志摩から難を逃れてきた一族がいると聞かされた一益は興を覚えて嘉隆が住まう場所に立ち寄ったのが二人の出会いの始まりであった・・・。一益は嘉隆の口から伊勢志摩における勢力争いの結果嘉隆の一族が離散し、一部の者達がここに逃げおおせてきた経緯を知りそれからは日を置かず嘉隆のもとに立ち寄り生活に必要な物資を届けるようになると、嘉隆に信長様の配下にならぬかと提案したのであった。いずれ、信長様は伊勢方面にも勢力を伸ばし数年の内には伊勢志摩まで勢力範囲にしてしまうであろう。その時には必ず水軍が必要となる。九鬼家といえば志摩で最も名の聞こえた水軍衆であろう。貴殿がその気があれば信長様の下で力を蓄え、武功を挙げれば信長様の後押しを受けて、故郷である志摩の地を再び手に入れる事も可能だと・・・嘉隆にとって一益の言葉は一筋の光明となり己が生きるための希望になったのだ。その後嘉隆は一益の紹介で信長に目通りが叶い、一益配下の与力衆として織田家に仕えることになる。織田家に仕える事になった嘉隆は離散した一族を呼び寄せ、九鬼水軍を再編し一益と協力しながら、信長の北伊勢攻略戦から始まり、伊勢長島一向一揆衆との戦いや、天下の耳目を集めた毛利方についた村上水軍との二度にわたる木津川口の戦いなどを経て武功を挙げ、今は、故郷である志摩一国を領する大名に至る・・・。このような経緯があり、嘉隆が今日の自分があるは、一益のおかげと言い切るのも無理はないのだ・・・。


 一益にとって、自分を慕ってくれる嘉隆の存在は自分よりはるか年齢が下の友人、更には、僚友として共に水軍を率いて戦場に立つ事数え切れず・・・もはや莫逆の友と呼んでもおかしくない間柄であったのだ・・・。


 なればこそ、嘉隆が自分に対し刃を向ける行動を採るなどとは頭の片隅にもよぎることはなかったのである。


『平右衛門よ、よくぞ気づかせてくれた。礼を申す・・・』


『いえ・・・』


『まあ、なんじゃ・・・九鬼の棟梁の件はわしに任せてくれい、最悪、北伊勢沖に棟梁が来たとしてもその時は、“”ハシカ“” にでもなってもらうわい、フフフ・・・』


『“”ハシカ“”・・・? に、ござるか・・・フフフ、それはようございますな。“”ハシカ“”は、うつる病ですからな・・・戦どころではなくなりますのう、フフフ・・』


『ククク、棟梁には上手く病になるようわしからもよくお願いしておこうぞ。おっ、そうじゃ! 念のため、もう一人、熊野水軍のおさである堀内氏善ほりうちうじよし殿にも当地に参らば、“”ハシカ“” になるよう直々にお願いしておかねばなるまいて』


『フフフ、左様にございますな、良きお考えかと存ずる』


『二人には、戦の真似をしてくれればよいと頼んでおこう。水軍には水軍の、海賊に海賊の、海には海の掟がある・・・おかの人間である信雄様や秀吉にわかるわけがないわ・・さて・・他にはもうないか・・・?』


 一益は、改めて大広間に集まった一同の顔を見渡す・・・




(これが、最後の別れとなるやもしれぬ者もおる・・・わしが、わがままを許せ・・・)


 一益は、こみ上げてくる感情を懸命に抑えながら、一人、また一人づつ顔を注視する・・・


(ん?・・・)


 その中で、こちらを楽しそうな表情で見つめる男と視線が合う・・・


正重まさしげ、そちは、もう徳川殿の下に戻ったほうが良いのではないか?何もおぬしがこの分の悪い戦に付き合う必要はないぞ』


『これは一益殿、つれないことを申される。それがしは、ここに残りますぞ、自らの意思で』


『・・・そちの言葉嬉しく思うが、徳川殿や本多殿の胸中を思うとな、やはりここは戻ったほうが』


『お待ちくだされ、一益殿!』


 一益の言葉の途中で正重と呼ばれた男がさえぎるように叫ぶ!


『あの陰気な兄者の正信が、それがしの事を気にかけておる訳がござらぬ。ましてや徳川の殿なんぞわしの事を嫌っておるのは徳川家中において知らぬ者はないわい!』


 話しの途中で言葉使いがぞんざいになっているこの男は、本多正重といい、家康の謀臣である本多正信は、実兄であった。正信は正重の口の悪さに辟易としており弟の徳川家出奔の折も正重の武勇は惜しみながらも家中での評判を気にして引き留めることはしなかったのである。家康もまた、主君である自分に対しずけずけと物申す正重を疎み、正重出奔の折も咎めもせず周りの者に、これで言われざる事を、言われずにすむわと、こぼしたそうだ・・・そしてあの信長が、海道一の勇士と評した正重は長篠の合戦以降、どういうわけか一益に仕えるようになり今に至る・・・


『わしは、ここが居心地が良い・・・戦馬鹿が揃い、あけすけにものを言い合い、家中が明るいのが心地良いのじゃ。一益殿、いやっ、殿!! わしをここに居させてくれまいか、わしも殿の下で、滝川一益の下で存分に槍働きがしたいんじゃ・・・』


『正重・・・』


『それがしも、正重殿に同意致し申す!!』


 その時、正重の隣に座る男からも声が上がる!


成里しげさと、おぬしもか⁉』


 一益に成里と呼ばれた男は、牧野成里といい家康の譜代衆である三河牧野家が本家筋にあたる人物であった。成里は後に堀久太郎秀政の盟友である長谷川秀一の家老職を務めるに至る人物である。


『殿、それがしは、正重殿に申されたお言葉がとても寂しく思われてなりませぬ』


『・・・』


『確かにそれがしも、正重殿も、木俣殿や篠岡殿のように生え抜きの滝川家の家臣ではありませぬ。ましてや、殿の一門である益重殿、益氏殿、忠征殿ような立場ではないことは十分に承知致しておりまする・・・されど方々が殿と一緒に過ごされた時間には及びませぬが、当家に仕えてまだ日の浅い我等ですが滝川家に対する思い、更には殿に対する忠義の念は方々にも負けぬと思っておりまする・・・殿、どうかそれがし達にも方々達同様にこの場で 戦え と命じてくれませぬか? この成里、伏してお願い申し上げるしだいにございます・・・』


『おお、よう言った成里殿!! わしからもお願いじゃ、殿! ここに居させてくれ、皆と一緒に戦わせてくれぬか!!?』


『おぬし達は・・・それほどまでに・・・』


 二人の思いに、一益は言葉を失う・・・


『・・・殿、お二人の意をくんであげては、いかがですかな?』


 又左こと忠澄が固まった一益に助け舟を出すように促した・・・。


『・・・おぬし達は・・・おぬし達は・・・本当に、大馬鹿者よ!!』


『今更!! わしは、とうに昔から大馬鹿者よ、カッカッカ・・』


『お褒めの言葉と、受け取らさせていただきまする・・・』


 一益の言葉に、正重、成里がそれぞれの言い方で礼を述べる。


『ならば、よし! 二人とも存分に働くがよいわ』


『おう!』


『はっ!』


 一益は二人に頷くと


『頃合いか・・・』


 と、つぶやきおもむろに立ち上がる・・・


『やれやれ、新年を祝う宴の膳も冷めてしまったのう・・・じゃが、今年は出陣のための宴の膳となりそうだ・・・一忠かずただ!』


『はっ!』


 一益は嫡男の一忠を呼び寄せる・・・


『出陣前のたむけとして、ひとさし、舞を皆に贈ろうと思う・・・相伴いたせ』


『承りました・・・父上、玉鬘たまかずらで宜しゅうございましたか?』


『うむ、つづみと、シテを頼む』


『承知いたしました・・・』


『慶次郎! 笛は持参しておるか?』


『はっ⁉ 持っておりますが・・・』


『それは重畳。そちの奏でる笛の音は、わしは好んでおる。そなたも相伴致せ!』


『いきなりに、ですなぁ・・・まあ、そこまで叔父御に言われてしまえば否とは申せませぬ・・・フフフ、承りました』


 一忠と慶次郎は、一益を挟んで両脇に腰をおろす・・・


 一益は、足元にある膳を移動させると元の位置に戻り姿勢をただし正座すると目をつむり気息を整える・・・


 頃や良しと、一益は目を開け締紐にさしてあった扇子を抜くと、すっと立ち上がる


 一忠と慶次郎はそれを見て、互いに目配せすると慶次郎がそっと笛を口元に当て息を吹き込む・・・


 ひゅう~~~ ひゅっ、ひゅううう~~~ ぴぃっっ!!


 ポンッ  ポン  ポポンッ  ポポポポッ  ポポン~~~~


 一忠の鼓の音を確認した一益は、右手で扇子を持ち左手でゆっくりと広げるとそのまま手を伸ばしうたい始める・・・


「是は諸国一見の僧にて候・・・我この程は南都に候ひて・・・霊佛霊社残りなく拝み廻りて候・・・」


 謡いながら扇子をひらめかせ、右に左に静々とすり足で歩をすすめながら舞う一益の姿を一同はじっと見つめる・・・


(・・・見事な舞じゃ・・・叔父御は、どこでこんな技を、覚えたのであろうか・・・)


 慶次郎もそんな感想を抱きながら、笛を奏でつつ一益の舞を凝視し続ける・・・


 鼓と笛の音が奏でられる中、一益は謡い・・舞う・・ まばたきもせず舞う一益の姿を追い続ける一同は、これが見納めになるやもしれぬぞと、覚悟を決めた者も居たであろう・・・


 やがて、永遠に続くであろうかと錯覚するような静謐な時間の中、一益の舞に終焉の時を告げる鼓の音が一忠の手から発せられる・・・


 ポンッ!!  ポポン ・・ ポン ・・・・


「心は真如の玉鬘・・・心は真如の玉鬘・・・長き夢路は覚めにけり・・・」


 ぴ ゆ~~ ぴゆ~~~  っぴぃ!!!


 慶次郎の笛の音が舞いの終わりを告げると、一益はそこで扇子をゆっくりと閉じ、自然体でその場に立ち、扇子を締紐に差し込むのであった・・・


 一瞬の間の後、一同からの歓声と拍手を浴びた一益は少し照れ臭そうでありながらも満足感を浮かべた笑顔を一同に見せ、一忠と慶次郎にねぎらいの言葉をかける


『一忠、慶次郎、ご苦労であった・・・われながら、いい出来であったと思う。そなた達も膳の前に戻れ』


 一益はそう言うと、自分の膳を取りに戻り、ドカッと胡坐あぐらを組み座りなおすと、黙って杯に酒を注ぎだす・・・


 それを見た一同も無言で杯に酒を注ぐ・・・


『皆の者、杯を飲み干すがよい』


 一益はグイっと飲み干すと一同を見渡す・・・


 そして一同が飲み干すのを認めると、ふてぶてしい表情に変わり一同に告げる。


『フッ・・・、そなた達に申し渡す・・・』


 一益が、次の言葉まで間合いをとるために、嫌が応でも大広間が緊張感に高まる。


『・・・我等は、【進むも、退くも、滝川】ぞ、 秀吉めに、滝川家の戦の仕方を存分にみせつけてやれ、よいな・・・では、命じる。東海道を・・・』


 一益は、そこで立ち上がると、杯を床に叩きつける!!


 そして低い声で、一同に告げる・・・


『・・・蹂躙じゅうりんせよ・・・』


 と・・・


 


 


 

                完







 


 








 


 


 




 








 










 



 



















 








 










 


 




 













 






 




 

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垣間(かいま)見る ある歴史の情景 繚乱 @kabiryouran

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