本文
4月、まだ寒さが残る。
自転車通学で冷え切った体をさすりながら、駐輪場から昇降口へ向かう。
「みんなと一緒のクラスだといいなぁ」
私は白い息に希望を混ぜ込みながら呟いた。
今日から新学期が始まる。1年生の時には色々あったけど、無事に進級することができた。この制服もすっかりと体に馴染んだ気がする。
「今年も陽貴くんと同じクラスになれるといいなぁ」
無意識出た独り言に私は思わず首を振った。
陽貴くんと同じクラスになるのが嫌なわけではない。ただ、気恥ずかしさが溢れて来たのだ。
私の好きな人。
心の中でそんな風に言葉を浮かべて見るだけで恥ずかしくなる。そのまま心がどこかに飛んでいってしまいそうなほど、軽やかな言葉だ。
陽貴くんには色々助けてもらった。だから好きになった。私としては、物語が1つ書けてしまいそうなほどのことだったけれども、それだけで好きになってしまうなんて、我ながらチョロいと思わずにはいられない。
希望を胸に、少し軽くなった足が立てる音も小刻みになっていく。
昇降口の前にある掲示板には人だかりができていた。クラス表が貼ってあるのだけだ、あれではとても見に行けない。電車通学の人たちと時間が被ってしまったのかなぁ。
もう少し人がはけてから見に行こうと思っていると、人だかりの中から見知った顔が出てきた。
私は胸の前で小さく手を振った。相手——つまり六花ちゃんも気がついてくれた。ぱぁっと、きっと漫画ならそんな効果音がついた様子で、小走りで寄ってきてくれた。
……私も小さいわけじゃないけど、セーターとブレザーに阻まれてなお揺れるモノを見ると、六花ちゃんは本当に大きいのだと思う。
大変だとは思うけど、羨ましくもある。
「おはよう、六花ちゃん」
「おはよー結」
六花ちゃんは満面の笑みで、まさに太陽と言った感じで挨拶を返してくれた。六花ちゃんの明るさには私もいつも助かっている。
「結は今来たの?」
「うん。クラス表を見ようと思ったんだけど、混んでるからもう少し空いたからにしようと思ったところだよ」
「そーなんだ! じゃあこれ一緒に見よう」
六花ちゃんはそう言ってスマホの画面を見せてくれた。
「写真撮って来たんだ。ゆっくり見たいし」
「ありがとう。じゃあ見ようか」
「同じクラスだといいね」
「うん」
六花ちゃんとは去年も同じクラスだった。最初はあまり関わりもなくて話さなかったけど、ある出来事を経て仲良くなった。気がつけば1番話す相手になったと思う。
1組から順番に見ていく。徐々に知ってる名前も出てくるけど、私の名前も六花ちゃんの名前も、それから陽貴くんの名前もまだ出てこない。
六花ちゃんは知ってる名前を見るたびに反応していて、かわいらしいなぁと横目に思う。
「あ……」
「どうしたの?」
「陽貴くんの名前あった」
「ほんとだ! 7組だね」
出席番号5番一ノ
「あ、私の名前もあった!」
出席番号23番・
私はそれを見て六花ちゃんに言う。
「よかったね」
「うん!」
六花ちゃんも陽貴くんのことが好きだ。何があったのかはわからないけど、仲良くなった頃にはもう好きになっていた。
私たちはそれぞれ、陽貴が好きなことを知っている。最初は気まずかったけど、それも時間が経てば気にならなくなった。というか、陽貴くん相手にそんなことを気にしていると馬鹿らしくなる。
私、2人と同じクラスがいい! そんなことを思ってすぐに視点を下に下げていく。
「私もだ! よかった〜」
出席番号40番・
「わー。嬉しい! 今年もよろしくね!」
六花ちゃんがガバッと抱きついてくる。相変わらずリアクションが大きい。けど、今は私もそれくらい嬉しい。ぎゅっと抱き返す。
「そうだ」
六花ちゃんはそう言って私から離れると再びスマホの画面を私に見せて来た。7組のクラス表だ。
「見てここ!」
「椿ちゃんも一緒なの!?」
「ね! 奇跡だよこれ!」
出席番号2番・
椿ちゃんは六花ちゃんの中学時代からの友達で、私も六花ちゃん経由で仲良くなった女の子だ。
「そうだ。椿にこの写真送ろうっと」
六花ちゃんはそう言うと手早く操作して写真を送った。
「そう言えば今日は一緒に来なかったの?」
「うん。寝坊したから先に行っててって。また遅くまで起きてたんだよきっと。こういう時くらい早く寝ればいいのに!」
「まあまあ。椿ちゃんも頑張ってるんだと思うし」
六花ちゃんは椿ちゃんと一緒に来たかったようで、というか一緒にクラス発表を見たかったのだと思う。
「遅くまで起きたくて起きてたんじゃない」
ぶっきらぼうな言葉が飛んで来た。
言葉の持ち主は今まさに話題になっていた椿ちゃんだった。
「椿ちゃんおはよう」
「ん、おはよ結」
「椿! なんで? 寝坊したからもっと遅くなるかと思ったのに」
「途中までお兄ちゃんが送ってくれた」
「なるほど!」
六花ちゃんの言う通り夜ふかししたからなのか、椿ちゃんは眠そうに大きなあくびをした。
「送った写真は見た?」
「写真? あぁ、なんなさっきスマホが鳴ってたっけ」
「早く見て見て」
「ちょ、くっつかないで。見れないでしょ」
「ごめんごめん」
椿ちゃんは六花ちゃんを引き剝がすと、スマホを取り出した。
「二人と同じクラスなんだ。よろしく」
「うん。あ、そうだ。陽貴も一緒なんだよ」
「……あっそ」
「えー!? 嬉しくないの?」
「別に」
椿ちゃんらそっけない態度で六花ちゃんを躱しているけれど、イヤリングが控えめに輝く耳は赤くなっている。
照れているからなのか、嬉しいからなのか。両方だと思うけど。
椿ちゃんも陽貴くんのことが好きだから。あまり表には出さないだけで。
だから六花ちゃん、椿ちゃんから少し離れてあげようか。六花ちゃんはスタイルよくて背が高いし、反対に椿ちゃんは私よりも小さくて可愛らしい。
身長差があるから、六花ちゃんに抱きつかれるといつも椿ちゃんは苦しそうだ。
「2人とも、そろそろ教室に行かない? 寒くなって来ちゃった」
「あ、そうだね。同じクラスだしいくらでも話せる!」
「いいから離れて」
「ふふ」
県立汐見台高校はごく一般的な県立高校だ。偏差値が高いわけでも低いわけでもない。部活はほどほどに活発で、文化部は特に盛んかもしれない。
特にこれと言った特徴はないけれど、県のほぼ中心に位置しているからか生徒の数は他よりよ若干多いかもしれない。
廊下は冷えた空気が横たわっていたけど、2年7組の教室に着くと温かい空気が身を包んでくれた。ドアを開けた時にはふわっと中から空気が膨らんで来た。
教室にはもう来ている生徒もいて、楽しげに談笑している生徒も何人かいた。反対に1人でスマホを弄ったり、机に突っ伏している人も。
座席表を見て自分の席に荷物を置いて、六花ちゃんの席に椿ちゃんと私は集まった。3人の中心には六花ちゃんがいることが多いから、自然と六花ちゃんの場所に集まる。
まだ来てない生徒の席の椅子を借りた。
六花ちゃんが残念そうに言った。
「やっぱり席遠いね」
「私の名字だと仕方ないね。前、真ん中、後ろ、って綺麗に分かれてるから」
椿ちゃんは廊下側の前方、六花ちゃんは教室の真ん中、私は窓側の後方が出席番号順の座席だ。
「いつまでこの席なのかなぁ?」
「担任の先生、三輪先生でしょ。あの人テキトーだから今日明日にでも言えば席替えしてくれそうだけど」
「椿ちゃん、あんまりそういうことは言わない方がいいよ」
「でも結そう思うでしょ?」
「う、うーん……」
椿ちゃんの言葉を否定できない。三輪先生、悪い人じゃないんだけど少し抜けてるところがあるから。
「いいなぁ、椿」
「なんで?」
「だって陽貴と席近いじゃん」
「そう?」
「そーだよー。あたしと変わって欲しいもん」
「知らない人よりかはいいかもしれないね」
そこで私はふと時間が気になった。私たちは特別早く来たわけではないので、朝礼の時間まで時間がそこまでない。実際、教室には人が増え始めほとんど揃っている。
「陽貴くん遅いね」
「一ノ瀬、家が近いからってギリギリに出てるんでしょ」
「確かにいつもそうだ」
「昨日もゲームしてたみたいだね」
流石に新学期初日から遅刻するなんてことはないと思うけど、少し心配だな。
そう思っていると、がらがらと扉が開いた。
「危なかったぁ」
聞き覚えるある少し低めの声が飛び込んで来た。遅れて少し制服の乱れた陽貴くんが入って来た。
「陽貴おは——」
六花ちゃんが今日一番明るい声で陽貴くんに声をかけようとした時、私でも、椿ちゃんでもない可愛らしい声が陽貴くんにかけられた。
「寒いから早く入れよ陽貴」
「痛い痛い。わかったから、ふくらはぎを蹴るなって」
声の持ち主はまだ廊下にいるからわからないけど、凄く陽貴くんと親し気だ。
私の知る限り、学校での陽貴くんはそこまで交友範囲が広くない。だから陽貴くんがあそこまで砕けている相手なら私たちも知っていると思うのだけど、声の持ち主に心あたりがなかった。
六花ちゃんと椿ちゃんを見ても心当たりがなさそうで、不思議そうな顔をしている。
急かされて入って来た陽貴くんに続いて入って来たのは、綺麗な黒い髪を背中に流している、とびきりかわいい女の子だった。陽貴くんに不満げな表情を浮かべているけど、その表情すらかわいらしさに溢れていた。
六花ちゃんや椿ちゃんもかわいいけど、あの子は全く方向性の違うかわいさを持っていた。
ただ、あれだけかわいいのなら校内で噂になっていると思うのだけど、聞いたことはおろか見たこともなかった。
「あ、いたいた。あはようみんな」
陽貴くんが手を上げながら寄って来た。
私は動揺を隠しながら言葉を返した。
「お、おはよう……」
「初日から遅刻せずに済んでよかったよ」
「そうだね。私たちも丁度話してたところだったんだ」
「うん、そうそう」「……ん」
二人は空返事だった。代わりに陽貴くんの後ろにいる女の子に意識が向いていた。かくいう私も気になって仕方ない。近くに来てわかったけど、この子本当にかわいい。どうしたらあんなに綺麗な白い肌になるのか。
私たちの視線に気が付いた陽貴くんは、横に避けると女の子の腕を軽く引いて私たちの前に立たせた。少し強引だな、と思っていると女の子もそう思ったらしく、抗議の意味を込めて手を叩き落とした。
陽貴くんは女の子に謝りつつ私たちに紹介してくれた。
「こいつは
「初めまして、墨夜恋です」
墨夜さんは丁寧に腰を折った。さらりと髪が揺れる。
「あたしは鶴海六花!」
「依田椿」
「はじめまして、鑓水結です」
挨拶はしたけど、どうして転入先が陽貴くんと一緒に? と思っていると、六花ちゃんが素直に聞いてくれた。
「えっと、転入生と陽貴くんが一緒に?」
「転入生と言っても別に今日初めて会ったわけじゃなくてさ」
陽貴くんはあっけらかんと言った。
「恋は小学生の頃からの幼馴染なんだ」
「幼馴染!?」
六花ちゃんが驚いた様子でまじまじと墨夜さんのことを見た。声には出さなかったけど、わたしも同じくらい驚いた。
色々と聞きたいことがあったけど、そこでチャイムが鳴った。
私と椿ちゃんは受けた衝撃に揺れながらそれぞれの席に戻った。
右斜め前、六花ちゃんの近くの席にいる墨夜さんの後ろ姿はとても綺麗だ。
幼馴染。思わぬ強敵の出現に頭を悩ませることになった。
***
全校集会もホームルームも、墨夜さんのことが気になって、ずっと心ここにあらずの状態だった。
私が知る限りで陽貴くんのことが好きな女の子は、私を含めて4人だけだった。私、六花ちゃん、椿ちゃん、それから3年生の渡会にちか先輩だ。
この4人はそれぞれが互いに陽貴くんのことが好きだということを知っていている。それに加えて、誰が陽貴くんと付き合うことになっても恨みっこなしという協定まで結んでいるし、陽貴くんのことで話しているうちに仲良くなってしまった。
部活に入っていない私は他学年と関わることがないから、先輩、それもあのにちか先輩と仲良くなれるなんて思ってもみなかった。
そういうことで今の私の心情は、突然横から叩かれたみたいな衝撃を受けて混乱しているといった感じだ。六花ちゃんも椿ちゃんも同じようだった。
放課後、色々と気になって話を聞こうとしたら、陽貴くんは墨夜さんと用事があるとかですぐに帰ってしまった。
残された私たちはすぐに決めた。これは緊急会議が必要だと。
「というわけなんです、にちか先輩。急に連絡してすいません」
最寄り駅の近くにあるファミレスに4人が集まっていた。つまり、陽貴くんのことが好きな4人だ。
この中で1人クラスどころか学年が違う先輩に、今日あった出来事とどうして呼び出したのかを説明した。
先輩は綺麗な顔を神妙にさせていた。
「大丈夫。午後は入学式があるから部活も休みだったし、確かに重要なことのようだしね」
「本当にそうですよね! 陽貴に幼馴染がいたなんて」
「うん。聞いたことなかったかびっくりした」
「私もだね」
やはりにちか先輩も知らなかったらしい。
そして椿ちゃんが大事なことを言う。
「それに凄くかわいかった」
「その、墨夜さんという子は、そんなにかわいかったかい? 君たちも凄くかわいいけれど」
「あはは、ありがとうございます。そうですね、私たちとはタイプが違うというのもあるんですが」
「芸能人みたいだったよね。空気が違うっていうかさ」
「あと口調が男の子っぽいんだけど、それがギャップっていうか」
「そこまでなんだね」
にちか先輩の言葉に私たち3人は頷いた。
名前通り夜のように黒い髪。二重瞼の大きな目。桜色の唇。それぞれのパーツが黄金比で並んでいて、でも作り物のような印象は受けない。文字通りの美少女だった。
「あと、これが一番大事だと思うんだけどね」
にちか先輩は一呼吸置いて言う。
「墨夜さんは、陽貴君のことが好きそうだったかい?」
「うーん、どうなんだろう」
「距離感は近かったよね。六花ちゃんよりも近かったかも」
私たちの中では六花ちゃんが1番距離感が近い。それは六花ちゃんの性格が理由だ。けど墨夜さんは性格が理由ではなさそうだった。
なによりも、六花ちゃんが自分から縮めているのに対して、墨夜さんはどちらかというと陽貴くんが詰めているように見えた。心を揺らしている、というか。
「でも、好きって感じはしなかった」
私と六花ちゃんが黙り込むと、椿ちゃんが冷静に言った。
「確かに」
「でもでも、陽貴くんはどう思ってるのかな!?」
「それこそ何も考えてないでしょ。考えてたら私たちはこんなに苦労してない」
納得の理由だった。椿ちゃんの言葉に、にちか先輩まで激しく頷いているし。
「じゃあまとめると、恋愛的な関係ではなさそうだけど、厄介なライバルと言った感じなのかな?」
「あ、ですです。そんな感じかもです」
「うん。要注意だね」
「ん」
話がまとまったところで私は考えた。
今、陽貴くんは墨夜さんと何をしているのかなぁ、と。
***
「お前、なんか面白いことになってるな」
「え、急にどうしたんだよ、恋」
俺の言葉に陽貴が訝しげな表情を浮かべた。
転入初日。今日はなかなか面白い物が見れた。昔から陽貴は面白いことになっていたが、高校ではこんなことになっているとは。
俺が海外に行っている間、陽貴はどうやらラブコメのハーレム主人公になっていたようだ。どうしたらこんな状況になるのか。一番面白い時期を見逃してしまったらしい。
鑓水と鶴海と依田だったっけ? あの3人、俺が陽貴と一緒に登校してきた時と言い、幼馴染って言った時と言い、言い反応するよな。あれ、俺が女子だって勘違いしたままだろ。
本当は男だって言うつもりだったけど、何やら面白いことになっているし、結果的にはよかったのかもしれない。
まあ、流石に明日には言わなくちゃいけないけど。というか、生理的な問題で自然とバレるのだけど。
「恋、何企んでるんだ?」
「は? 何が」
「悪い顔をしてるから」
「そうか?」
こいつ以外にそういうことを指摘されることはないんだが。流石幼馴染で親友なのだろうか。
「まあ、明日のお楽しみだよ」
「……明日は休もうかな」
「何言ってんだよ。陽貴がいないとつまんないだろ!」
主役がいないで物語が始まると思うなよ、このハーレム野郎。
***
私は昨日以上の衝撃があるとは思っていなかった。激動だった去年でも、ここまでのことはなかった。
「ふぁ~、おはようみんな」
赤くなった目の下に隈を作って、眠そうに登校してきた陽貴くん。それだけなら、陽貴くんはよく徹夜明けで登校してくるから珍しくない。
問題は、やっぱり当たりまえのように陽貴くんの隣にいる墨夜さんだ。墨夜さんは化粧で誤魔化しているのか隈はないけど、目は赤くなっている。そして眠たそうに大きなあくびまでしている。
一緒にいた六花ちゃんと椿ちゃんも動揺していた。
だって、私だって健全な女子高生で、そういうことは得意じゃないけど、想像できるくらいの知識はあるわけで。
朝の憂鬱とした眠気が吹き飛ぶには過剰だった。
「おはよう、陽貴くん、墨夜さんも。2人とも眠そうだね」
「おはよう鑓水さん。昨日は陽貴の部屋に泊まったんだけど、寝かせてくれなくて」
「ッン!!」
ね、寝かせてくれなくて!? それって。
「朝までやっちゃったよな、陽貴」
「朝まで!?」
「でも楽しかったろ?」
「は、陽貴! あ、朝から何言ってるの! 墨夜さんも!」
六花ちゃんは意外と初心だから俯いちゃってるし、椿ちゃんは耳だけ赤くしてそっぽ向いてる。突っ込めるのは私しかいなかった。
「何って——」
「えー? ただ久しぶりにゲームしちゃっただけなんだけど……。鑓水さんは何を想像したの?」
墨夜さんはニヤッ、とした笑みを浮かべた。こ、この子わざと私たちが勘違いするような言い回しをして!
「鑓水さんのえっちー」
「そ、それは……っ!」
な、何も言えない。言ったら、え、えっちな子だって陽貴くんに思われちゃうかもしれないし。
それも踏まえた上で揶揄って来てるんだ。
「ま、冗談冗談。ごめんね、鑓水さん。仲良くなるには冗談も必要かと思って。陽貴の友達らしいから遠慮がなさすぎたよ」
「ううん。大丈夫だよ」
「恋はすぐ人をおちょくるからなぁ」
「ん?」
「なんでもないです……」
墨夜さんに睨まれて怯む陽貴くん。
そして、六花ちゃんと椿ちゃんもようやく再起したようで、援軍に来てくれた。
「2人は本当に仲がいいんだねー」
「まあ、親友だからな」
「お前、そんなことよく正面切って言えるな……。こっぱずかしくないのか?」
「本当のことだろ!」
「だからそういうところが……」
墨夜さんは陽貴くんに飽きれた様子でため息を吐いた。……正直その気持ちはわかる。陽貴くんは真っ直ぐに気持ちを伝えて来るから、こっちにその準備ができていないと受け止めきれないことがある。
「でも墨夜さん、よく親が陽貴の家に泊まるの許してくれたね」
「家が隣だしね」
「そうなんだ?」
家まで隣なんだ。本当に、色々な面で陽貴くんと墨夜さんは近いんだな。私たちが1年かけて近づけてきた距離を軽々と越していった。
墨夜さんは教室の前に掛けてあった時計にちらりと目を向けると、陽貴くんに言った。
「陽貴、チャイムなる前にトイレ行こうぜ」
「うん」
「「「え」」」
トイレに一緒に?
「ちょ、ちょっと待って!」
「ん? どうした結」
「どうしたも何も、一緒にトイレに行くって」
「いや、トイレくらい一緒に行くだろ」
「同性ならね!?」
異性と一緒には行かないよね?
「同性……?」
陽貴くんは何故か首を傾げた。そんな、まるで初めて聞いた言葉みたいな反応してどうしたの?
そして視線を墨夜さんに移動させると、「あっ……」という言葉を漏らした。
陽貴くんは何か言いたげに頭を掻くと、錘をつけられたかのようにゆっくり口を開いた。
「そう言えば、恋について大事なことを言ってなかったか〜。2日続けて寝不足で頭が回ってなかった」
「間抜けだなぁ陽貴」
「恋が自己紹介の時に言ってくれればよかっただけだろ。絶対わざと黙ってただろ……」
「俺の鉄板ネタだからな」
陽貴くんと墨夜さんは2人で通じ合っているようで、私たちを置いてけぼりにして進めていた。
「もう! 2人だけで話さないで、あたしたちにも分かるように話してよ!」
「あ、すまん」
陽貴くんが「どうする?」と墨夜さんに問いかけると、墨夜さんは「ん」とだけ返した。陽貴くんはそれにため息を吐くと、私たちに向き直って改まった様子で口を開いた。
「ここにいる墨夜恋。僕にとっては普通なんだけど、なんかほとんどの人にはそうじゃないみたいでさ」
「普通じゃない?」
確かに普通ではないかわいさだけど、そういうことを言いたいわけじゃなさそう。
「実はさ、男なんだよね」
おおよそ、普通に生活を送っていたら聞かない言葉に私たちは揃ってフリーズした。
私は口先だけがかろうじて動かせた。
「……誰が?」
「恋が」
「レンガ?」
「墨夜恋」
「……?」
私はこんがらがった頭のままに、すっと、墨夜さんの方に目を動かした。
黒く長い艶やかな髪と可愛らしい顔。女子用制服に身を包んだ細く、薄い体。
どこからどう見ても国宝級とか、100年に1人とか、そういう冠詞が付くレベルの美少女にしか見えない。
墨夜さんをまじまじと見ていると、引き込まれそうな黒い瞳と視線が重なった。
墨夜さんはにこりと微笑んだ。
やっぱり、とても男の子には見えない。
「陽貴くん、嘘は良くないよ」
「嘘じゃないけど!?」
「えー、こんな可愛い男の子いないよ」
「うん。陽貴、早くホントのこと言って」
2人も私と同じような反応をしていた。2人だけじゃない。教室にいる他のクラスメイトも、ちらちらとこちらを見ているが似たような様子だ。
そんな周囲を察したのか陽貴くんは弁明をした。
「確かに、見た目は女子にしか見えないかもしれないけど! 恋は間違いなく男子だって!」
「そこまで言うなら何か証拠はないの、陽貴くん」
「ここで上だけでも脱いでもらうのが手っ取り早いんだけど……」
「そ、そんなのダメに決まってるよ!」
「わ、わかってるって。流石にそれはしないって。僕もそこまで腐ってないから」
なんてことを言い出すのか、この人は。
ただ、陽貴くんがそんなことまで言うということは、墨夜さんは本当に男の子なのかな?
陽貴くんは必死そうな表情で墨夜さんに寄った。
「おい、恋。何かないのか証拠になりそうなものは」
「頑張れー陽貴」
「そんな状況じゃないって! 僕がヤバいやつみたいな感じになっちゃうから!」
「んー。とりあえず楽しめたけど……。貸し1な」
「元は恋のせいでっ」
「ん?」
「わかった。わかったって。貸し1でいいから頼むよ」
「りょーかい」
陽貴くんと墨夜さんの間で交渉が成立したようで、墨夜さんは満足そうな笑みを浮かべた。
墨夜さんは自分の席に行くと、鞄の中から財布を取り出して、そこから何かを取り出した。そしてそれを持ってくると、私たちに見せた。
「保険証?」
「そう。ほらここ見て」
墨夜さんが指で指した項目を見た。小さい物なので、六花ちゃんと椿ちゃんの顔が自然と近くなった。
息を呑む音が左右から聞こえた。私もそうだった。
「お、男?」
氏名・墨夜恋と記載された保険証の性別の項目。そこには確かに【男】と記されていた。
ばっ、と視線を墨夜さんに向けた。
どこから、どう見ても、美少女で。
たださっきまでと違うのが、そのかわいい顔に浮かべている表情で。
イタズラ成功という声が聞こえて来そうな、にやりとした小悪魔のような顔だった。ああ、されでもかわいいと思ってしまう。
「嘘!? ほんとに男の子なのー!?」
「……」
六花ちゃんは墨夜さんと保険証を交互に見て比べて、椿ちゃんは唖然と言った様子で墨夜さんのことを見つめていた。クラスメイトのみんなも、ざわざわと驚愕の色に染め上げられていた。
「どうだ? これで俺は男だって納得してくれた?」
渦中の人間である墨夜さん、もとい墨夜くんはなんでもなさそうに言った。
ただ、私はまだ思考がショートしていて、その言葉に上手く返せない。言いたいことが多すぎて、喉の奥で言葉が氾濫しているみたい。
墨夜くんは「あ」と言うと、保険証をスカートのポケットに入れて、廊下の方に歩いていく。
「あ、早く行かないと。チャイムが鳴っちゃう」
「あ、おい恋! この状況でトイレ行くのか?」
「俺の膀胱は待ってくれないんだよ!」
スカートを揺らして走って行く墨夜くんの背中を呆然と見送った。教室には話したいような、しかし何を話せばいいのか、そんな微妙な空気に包まれて静かだった。
「きゃあきゃあ!?」「うおっ!?」「はあああ!?」
廊下から悲鳴やどよめきやらが聞こえて来た。阿鼻叫喚だ。何事かと思ったけど、その疑問はすぐに解けた。
「ここは男子トイレだぞ!?」
男子の叫び声だった。……墨夜くんの向かった方だった。
墨夜くん、多分というか間違いなくあの姿で男子トイレに入っていったんだ。男子の慌てた様子も、その他のざわつきも納得だった。
きっと、廊下にいる人達に対する感情はクラスのみんなで一致しているろ思う。
——自分たちと同じ目にあったんだなぁ……。
***
興味津々と言った様子だな、これ。
昼休み、ようやくまとまった時間が取れるということで、陽貴のことが好きな3人が弁当を持ってやって来た。
陽貴は今、購買に行っている。
午前中はずっとそわそわしていたが、その度に陽貴に絡みに行くと反応が面白かった。男だと告げてなおあの反応、これからもまだまだ楽しめそうだ。
他のクラスメイトも雑談はしているが耳を傾けている。
弁当を広げながら俺は言う。
「聞きたいことがたくさんありそうだな。答えられる範囲で答えるよん」
「はいはい! あたしからいい?」
「もちろん」
「墨夜くんはどうして女子の制服着てるの?」
鶴海が前のめりに聞いて来た。いきなり直球だ。
「好きだから。これの方が俺には似合うから」
「確かに良く似合ってる。あたしたちよりも似合ってるかも」
「鶴海さんたちだってかわいいじゃん」
お世辞などではなく、本心からそう思う。まあ、俺の方がかわいいけど。
「でも、学校から許可が降りたね」
「鑓水さん、実はこの学校の制服には女子用とか男子用とかの記載はないんだよ」
「え、そうなの?」
「屁理屈だけどそう言う感じで押し切ったんだ」
「す、すごいね」
まあ、少し問題もあったから少々交渉はしたけれど、それは今は言わなくてもいいか。そのうち察しが着くだろうし。
鶴海が菓子パンを食べながら言う。
「でも、それなら男子の制服というか、ズボンも欲しかったかも。パンツスタイルで着こなせそうじゃん」
「六花ちゃん身長高いから似合いそうだね」
「鶴海は様になりそうだ。俺は似合わないからなぁ、あまり。制服だと特にな」
身長の低い俺が制服のズボンを履くと、子供感が強くなりすぎてしまう。
「まあ流石にお金がもったいないけどね!」
「でもこの学校、割とかわいい制服だから良くないか?」
「だよねー! あたし、この学校選んだのそれもあるもん」
「六花ちゃん……」
「えー、女子にとっては重要じゃん」
会話も盛り上がっているなか、黙々と食べ続け、小さい弁当箱を空にした依田が、口を拭きながら呟いた。
「2人とも、大事なこと聞き忘れてる」
「あ、そうだった。ごめんごめん」
「そうだったね。ありがとう椿ちゃん」
どうやら事前に3人で話し合いをしていたらしい。
代表して、鑓水が意を決して様子で口を開く。
「答えたくなかったらいいんだけど」
その声は小声だった。
「墨夜くんは、陽貴くんのことが好きなの? その、恋愛的な意味で」
「……」
俺は思わず固まってしまった。まあ、そりゃそうか。あんな風にしてたらそう思われても仕方ないけど。
「いーや。俺の恋愛対象は女の子だよ。だから陽貴に恋愛感情は一ミリもない」
俺がそう答えると3人は安心した様子で肩を下ろした。
「まあ、陽貴はどうか知らないけど」
「え」
陽貴も女の子の方が好きだと思うけどな。しかし、毎回面白いなこの人たち。
「いやー、ぎりぎり買えた」
購買から陽貴が戻って来た。
「は、陽貴!」
「あ、はい。どうした六花?」
「陽貴は、墨夜くんのことが好きなの?」
あれ、その質問の仕方だと、陽貴は勘違いをしてもおかしくないが。
「え? まあ、そりゃね」
「そ、そんなぁ……」
「え、何その反応……?」
何のことだかわかっていなさそうな陽貴は、鶴海の反応に首を傾げながら椅子に座った。
「なあ、結」
「陽貴くん……」
「椿——」
「……」
「さっきからいったいなんなんだ!?」
続く2人の反応に陽貴は目を白黒させた。
なんか、俺が手を加えるまでもなく面白くなっていくなこいつら。
そろそろフォローでも入れておくか、と思っていたら思いもやらぬ方向に話が転がり始める。
「でもおかしいなぁ。陽貴、あたしの胸見てる時あるんだけど」
「そうだよね。私もだよ六花ちゃん」
「私は足だけど」
なんか、陽貴の性癖暴露大会が始まりそうなんだけど。
「え、ちょ、なんで俺急に言葉のナイフ突き立てられてるの?」
「陽貴……お前、男子高校生として仕方ないかもしれないけど、もう少し気をつけろよ」
「ぐっ、ぬぬぬぅ」
まあでも、手を出したりなんてことはしていないだろうしいいんだけど。そこで何かしていたら、教育の時間が必要になるところだった。
「……というか、恋。このおかしな状況、どうせ恋の仕業だろ?」
「いや、そうでもないと思うけど。まあ、フォローしようとしたらなんか話が広がっていってたから」
「できればその前になんとかして欲しかったんだけど」
疲れた様子の陽貴にわかりやすく言う。
「要するに、さっきの鶴海の質問は、お前が俺を恋愛的な意味で好きかっていう質問だったんだよ」
「はあ?」
間の抜けた声を出す陽貴。
俺たちの会話を聞いていた鑓水が、まさか、といった様子で聞く。
「陽貴くん、もしかして質問の意図を理解してなかったの?」
「確かに俺は恋のことは好きだけど、それは親友としてってことだからな!?」
「なんだー。紛らわしいよ陽貴ー」
「こっちの台詞なんだけどなぁ」
「いつもの陽貴でしょ」
いつもこんなことしてるのか陽貴。
誤解も解けたところで、ようやく落ち着いて昼ごはんを食べられた。でもやっぱり、クラスメイトの視線はなくならない。俺、という話題になる存在がいるのもあるけど、鑓水と鶴海と依田、3人が目を引くほどの美少女だからというのもあるだろう。
そんな3人が陽貴のことを好きだとは。だから、男だと明かし、陽貴の思いも聞いた後だというのに、警戒心がまだある。本当に、俺は陽貴なんかのヒロインをやるつもりはないというのに。
昼飯を食べ終えた陽貴がトイレに席を立ったタイミングで、俺は3人に向かってにこりと笑った。
「君たち、まだ俺のこと警戒しているだろ」
3人の顔を見渡す。図星、と言った反応が揃って返って来た。
「だから、1つ提案させて欲しいんだけど」
「「「提案?」」」
彼女たちにとってメリットがあるのは当然、俺にとってもメリットのある提案だ。
俺は満を持して言い放つ。
「俺が、君たちと陽貴が仲良くなる手伝いをしてあげるよ」
④俺をヒロインにするな! ヒトリゴト @hirahgi4
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