第18話 帰還

 眼下の風景が岩山から徐々に平原になり、それがさらに草原に変わった辺りで、草原の中に佇む礼装した騎馬の一小隊が見えた。


「完全にウチのみなさんだな……」


 その姿をアーウィンの背の上から認めたヴォルフが呟く。


「みんな、よおわかったはるやん。見張っとかなすぐふらっとどっか行くからな、お前」


 アーウィンが笑い混じりに言い返し、迎えにきた人族の小隊に向けて高度を下げていく。背中にアウゲを乗せているので急降下というわけにはいかない。円を描きながら徐々に高度を下げる。


「日頃の行いが悪いから信用してもらえないのよ」


 ヴォルフの膝の間に座ったアウゲもヴォルフを振り返る。アウゲの銀の長い髪が風にあおられて、ヴォルフの頬をくすぐった。


「そんな、姫さままで……」


「しかし、試練が終わって、ちゃらんぽらんなお前もついに魔王か。まさに年貢の納め時やな」


「なんでそんなに楽しそうなんだよ、腹立つな」


「お姫さまと蜥蜴に迷惑かけんよう、せいぜい気張れや」


 アーウィンは尖った歯を見せて笑った。


「あなたが……」


 信じがたい、いや、信じたくない、と言いたげに、ヴォルフの腕の中のアウゲがちらりと振り返る。


「大丈夫、姫さまはこれまでどおり刺繍しててくださいね」


 ヴォルフは腕の径を縮めてアウゲに頬擦りする。


「そんなわけにいかないでしょう、これからは」


「お前の番がお姫さまで、ホンマ、人族は命拾いしたよなぁ。おんなじ系統の人やったら、魔界はエラいことになってたで。よぉできてるわ」


「どういう意味だよ」


うたまんまの意味やけど?」


「おれだって、真面目にやる時はやるんだよ。ね、姫さま?」


「ええ、まあ、『やる時』はね……」


 アウゲは歯切れ悪く言う。


「その『やる時』とやらはごくたまにしかないわけやな」


 アーウィンは乗り手に何の衝撃も感じさせず、ふわりと地面に降り立った。騎士たちは下馬して地面に膝をつく。


「やあみんな。わざわざ悪かったね、こんなところまで」


「お迎えにあがりました、魔王陛下。人族一同、陛下のご帰城を心待ちにしております」


 代表して、捕獲部隊の隊長を務めるグラナートが述べる。


「うん、わかった。これから帰城する」


「アウゲ姫」グラナートが顔を上げてアウゲを見る。「無事のご帰還、一同を代表し、心よりお祝い申し上げます」


「ありがとう、グラナート。あの、ザフィアは大丈夫かしら。あの時一緒にいたせいで、責任を感じていないといいのだけれど」


「お心遣い、ありがとうございます」


 グラナートは胸に手を当てる。


「ザフィアが一緒にいて何もできなかったのなら、それはもうどうしようもないことだって母上もフォローしてました。大丈夫ですよ。気になってたんですね」


 ヴォルフがアウゲの顔を覗き込む。


「ええ……。でも、陛下がそう言ってくださったのなら、よかったわ。ザフィアは責任感が強いから。実際にどうなったのか私自身よくわからないくらい一瞬の出来事だったのだけれど。気がついたらあの部屋にいて……あっ」


 アウゲが小さく叫んで両手で口元を覆う。


「どうしました?」


 ヴォルフはぎょっとして鋭く尋ねる。


「どうしましょう……。ペーパーナイフを忘れてきてしまったわ。あなたが贈ってくれたものだったのに……」


「ペーパーナイフ?」


「ええ。たまたま手に持っていたせいで、辺境に持っていってしまったの」


「なぁんだ、そんなもの……」


 申し訳なさそうなアウゲをヴォルフは脱力しながら抱き締める。


「でも、気に入っていたのに。とっても」


 アウゲは上目遣いにヴォルフを振り返る。


「大切にしてくれてたんですね、嬉しいな。じゃあ、前のより気にいってもらえるものを探します、世界中から。あ、世界っていうのは、魔界と冥界と現世を合わせたところって意味です」


「ありがとう」


 アウゲは目を閉じてヴォルフに身体を預けた。


「帰りましょう、おれたちのいるべき場所に。アーウィン、もうひとっ飛び、頼むよ」


「おう。任せまかしとき」


「じゃ、先に行ってるよ。みんなはゆっくり来て」


 アーウィンは上昇気流を起こし、それにふわりと乗った。騎士たちのマントが大きくはためく。アーウィンは真っ直ぐ魔王城を指して飛んだ。



 アーウィンが魔王城の前庭に、重力を感じさせずふわりと降り立つと、よく気がつく執事頭の指示ですぐさま階段状の台が据え付けられた。ヴォルフはアウゲを横抱きに抱えて、危なげなく階段を降りる。

 普段は各地に散らばっており滅多に城で顔を見ることのない臣下が揃っていた。ヴォルフは本当に魔王になったのだとアウゲはそれを見て実感する。


「魔王陛下のご即位を言祝ぐとともに、我々臣下一同、身命を賭してお使えする所存にございます」


 一同を代表して人族の宰相が言う。こちらの宰相は、冥府の宰相とは対照的にすらりと背の高い、長い栗色の髪の男性だった。彼もまた他の魔族同様若く美しい。


「ありがとう。まあ、そんなに肩に力入れずにやろうよ」


「しかしながら陛下。魔界は慢性的な人手不足に喘いでおりお言葉は大変ありがたく頂戴いたしましたがのんびり緩くやれるほどの余裕はございません」


 宰相は礼の姿勢を崩さないまま言う。


「あ……うん。ごめん」


「最初は何かとおわかりにならぬことも多うございましょうからしばらくの間わたくしどもが交代で城に詰めて補佐することにいたしましたのでご心配には及びません。なに、試練が終わってしばらくは冥府の者も大人しくしているでしょうから仮眠の時間くらいはございましょう」


 そう言って宰相は口元だけで笑った。


「そっか……それなら、良かった……」


 ヴォルフは僅かに後ずさる。一見美しい宰相だが、よく見ると、光のない妙に平板な目をしている。完全にキマっている目だ。


「えっ……と、母上と父上はどうしたんだろう……?」


 ヴォルフは居並ぶ重臣たちの後ろに控えている執事頭に救いを求める。


「先王陛下は、しばらくバカンスに行ってくると、先程王配殿下とお発ちです」


 メーアメーアがこともなげに答えた。


「は!? くっそ母上……。さすがおれの母上だけあるな……逃げ足が早すぎる……」


 ヴォルフは絶望的な表情で呟く。


「ともあれ今日はめでたい日。ご即位を祝い、今宵は宴を開きましょう。この場にいない者たちもほどなく駆けつけますゆえ」


 宴などいつ以来でしょうか、ハハ……とキマった目で呟いている宰相に気取られないよう、アウゲはヴォルフに囁く。


「宰相は大丈夫なのかしら、色々と」


「多分だいじょばないですね、あれは」


「やはり、そうよね……」


 ひそひそ話をしているヴォルフとアウゲに気づいているのかいないのか、キマった目の宰相がアーウィンに歩み寄り王族に対するのと同じ礼の姿勢を取る。


「アーウィン王子。この度のご助力、人族を代表して御礼申し上げます。翼竜族国王陛下へは、また改めまして正式に」


「ああ、気ぃ遣わんといて。ほな、俺、温泉に浸からてもろてから帰るわ。ほなな、ヴォルフ、お姫さま。またウチにも遊びに来てや」


「おう、ありがとう。じゃあね」


「お姫さま、こいつのことよろしく」


 アーウィンは巨大な目でアウゲを見る。


「ええ、もちろん」


 アウゲは礼の姿勢で答える。


「ほな、また遊びにくるわ」


 アーウィンは上昇気流を起こし、それに乗って垂直に上昇した。上空で風を捉えてぐんぐん遠ざかっていく。


「アーウィン王子、いい人ね。そしてあなたとは本当に友だちだったのね」


 アウゲが風に靡く髪を押さえながら言う。


「えっ、今の今まで信じてもらえてなかったんですか? ひどい」


 ヴォルフが笑いながら答える。


「アーウィン王子があまりに素直で人柄がいいから……」


「確かにあいつはちょっと単純ないい奴ですけど、そんなことしませんてば」


「そうよね。ごめんなさい」


「いいですよ。元はと言えば母上が姫さまに余計なことを吹き込んだせいですからね」


 ヴォルフはアウゲを抱き寄せてこめかみの少し上にくちづけた。


「参りましょう、陛下」


「宰相ってせっかちだよね」


「よく言われます」


 一同は異様に歩くのが速い宰相に先導され、小走りに入城した。

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