第17話 善処します

 地面に臥せて時を待っていたアーウィンは、正面の扉が動いた気配に首を上げた。姿を見せたのはアウゲを伴ったヴォルフだった。


「ヴォルフ! お姫さま……!」


「お待たせ」


 ヴォルフはいつもの軽い調子で言う。


「まさかとは思ったけれど、友だちというのはアーウィン王子のことだったの?」


「そうですよ」


 ヴォルフはそれが何か?と言いたげな顔をする。


「王子をこんなところに待たせているなんて……」


 それに答えたのはアーウィン自身だ。


「ああ、はは、お気になさらず、お姫さま。俺が待ってるてうたんです。ヴォルフは戻ったらええってうてくれたんやけど、友だち残して帰られへんから」


「そうなのですか。なんだか巻き込んでしまって」


「いや全然。お陰でお姫さま乗せられるし、むしろ役得っすわ」


「は? お前、もしかして不埒なこと考えてる?」


 アウゲとアーウィンのやりとりを微笑みながら見ていたヴォルフが突然目を鋭くする。


「不埒なことってなんやねん。ええやん、ちょっと匂い嗅ぐぐらい」


「嗅ぐなよ、この、スケベ翼竜」


「ええ? そこまでう!?」


「ちょっとヴォルフ、失礼だわ」


 アウゲは眉を顰めてヴォルフを窘める。


「ほんまやで。さすがお姫さま、ええ匂いしはるだけやなくて物分かりも最高。ヴォルフには勿体無い。どうです? 翼竜族に乗り換えはらへん?」


「お前……! おれがどんな思いして姫さまを取り返したと思ってんだよ。気安く口説くな」


 ヴォルフは硬い鱗に覆われたアーウィンの背中をはたく。


「アカンかぁ……。そういや、よう見たらお前服の袖方っぽなくなってもうてるやん。どうしたんや」


「色々あったんだよ。ね、姫さま?」


「ふふ、そうね」


 アウゲは目を伏せて微笑んだ。


「なんや大変やったみたいやな。まあ、楽な試練なんか、ないか……。ともあれ、乗りや、お二人さん。オレ、よ温泉浸かりたい」


「鱗がふやけるまで浸かっていいよ。火山の麓の熱めの温泉がおすすめだね」


「ほな、そこにしょう」


「外にも温泉があるの? 私も行きたいわ」


 アウゲがヴォルフを振り返る。


「え……」ヴォルフは眉を顰める。「お城のお風呂も立派だけど、不満ですか?」


「いいえ、不満というわけではないけれど、外の景色のいいお風呂にゆっくり浸かったらとても気分がいいんじゃないかしらと思って」


「……善処します」


 ヴォルフは難しい顔をして答える。


「お姫さま、多分こいつ新しい温泉掘る気やで」


 アーウィンがいかにも楽しそうに言う。


「えっ、どうして?」


 アウゲは思わずヴォルフをふり仰ぐ。


「だって、姫さまが薄着になったところで他の魔族が来ちゃったらどうするんですか!? 誰にも知られてないところに姫さま専用の温泉掘る以外に選択肢なんてあります!?」


「ええ……?」


 カッと見開かれたヴォルフの眼力に気圧されてアウゲは少し後ずさる。


「お前アホやな、ホンマ」


 アーウィンは鋭い歯の並んだ口を大きく開けて笑った。


「アホで結構だよ」


「……もう、わけがわからないわ」


 ただ露天風呂に浸かってみたいだけのアウゲは唇を尖らせた。



***



「すまない、本来なら俺が行かねばならんのだが」


 オルドがグラナートに言う。ヴォルフを出迎えるという名目で編成された捕獲部隊の現場指揮は本来であれば隊長のオルドが執るべきだったが、負傷の影響を測りかねるということで、副隊長のグラナートが代行することとなった。オルドは指揮所で待機する。とは言えこれまでの戦闘で騎士たちの疲労は濃く、動かせるのはごく一部だ。今、指揮所にはオルドとグラナートの2人しかいない。


「これまでの任務に比べれば散歩みたいなものさ。だって、ヴォルフさまの首根っこを掴んで連れ帰ってくるだけだろう? それに、アウゲ姫もいる。姫はヴォルフさまに勝手はさせないよ」


 グラナートはオルドの逞しい肩に手を置いた。長身のグラナートだが、その手は驚くほどに繊細で女性的だった。


「試練は終わり、魔王の代替わりは成った。冥府の者たちもこれまでのように大きな顔はできないさ。心配するな」


「だが……」


 不安そうに太い眉尻を下げるオルドを安心させるためにグラナートは笑ってみせる。


「私はそんなに弱くないよ。……でも、お前が死にかけるほどの深手を負ったのは、私のせいだものな。心配されるのは仕方ないか」


 グラナートは小さくため息をついて、オルドの肩に頭をもたせかけた。オルドは、シンプルに一つに結えただけのグラナートの金髪を撫でる。


「無茶だけはするな」


「わかってる。気をつける。今度は馬で行く。高いところは苦手だ」


「ああ。そうしろ」


 オルドは髪を撫でていた手をグラナートの肩に移動させ、引き寄せた。グラナートも力を抜いて身体をオルドに預け、逞しく広い背中に腕を回す。


「オルド隊長、ヴォルフさまが辺境から抜けて……ごめんなさい!」


 突然扉が開いて閉じた。普段はアウゲ付きの侍女であるザフィアだ。オルドとグラナートは身体を離す間もなく、抱きあっているところをまともに目撃されてしまう。

 我に返ったオルドが扉を開けた。


「すまない、こちらこそ……。ヴォルフさまが辺境から抜けたら教えてくれと頼んだのはこちらなのに」


「用件だけ。ヴォルフさまは辺境から抜けて、姫さまとアーウィン王子と真っ直ぐ帰城される様子です」


「わかった、ありがとう」


 オルドの陰で気まずそうに目を逸らしているグラナートを見て、ザフィアは微笑んで部屋を後にした。


「もう行くよ。辺境を抜けられたということは、もう少しすれば私にもわかるはずだ」


 ザフィアほどではないが、グラナートもまた「追尾」の能力の持ち主だった。


「ああ、気をつけてな」


 グラナートが部屋を出ると、ザフィアが待ち構えていた。


「……わかってる。任務中に不謹慎だった」


 グラナートは足速に歩きながら、前を向いたまま早口に言う。


「私はあなたの上司じゃないわ。そんな無粋なことを言いにきたんじゃないわよ。ただ、姉妹が幸せそうで良かったってことを言いたかっただけ」


 ザフィアは大股に歩くグラナートから遅れないよう、小走りになる。


「あなたたちのじれじれを100年見守ったんだもの、これくらいのご褒美、あってしかるべきだと思わない?」


「……」


 グラナートはぴたりと足を止める。


「……わかってて?」


 ギシギシと軋む音が聞こえてきそうな動作でザフィアの方に顔を向ける。


「当然でしょ? 私の力を軽く見ないでもらいたいわ。あなたに察知されないように、ちゃんと気配も消していたしね」


 ザフィアは悪戯っぽく笑って肩をすくめる。


「大っぴらにしちゃえばいいのよ。どうせみんな知ってるんだし」


「や……でも……、近衛騎士の中でそういう関係になっているのは、どうかと、思うし……。陛下にもどう報告すればいいのか……」


「何言ってるのよ」


 途端にもじもじし始めた男装の姉妹をザフィアはニヤニヤしながら小突く。


「試練が終わって代替わりは成った。となれば、次の魔王陛下はヴォルフさまよ。魔界イチ人前でいちゃついてる人に何を気後れする必要があるのよ」


「まあ……そういう理屈も、なくはない、のか……」


 グラナートは再び歩きはじめる。


「ありよ。大ありだわ。じゃ、がんばってね」


 ぽんぽん、と騎士服の肩を軽く叩いて別れる。ザフィアも自身の仕事に戻らねばならない。着飾らせ甲斐のある彼女の主人がもうすぐ戻るはずだ。念入りに準備したかった。

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