♯11 ビルの中の攻防(3)

「おんぶするから、私の背中に掴まって」

 そう言ってナナコは中腰になった。


 最初、それが誰に向けられた言葉なのかわからなかった。

 常識的に考えれば、ナナコが新型アンドロイドをおんぶするのは明らかにおかしく、人間の僕に言ったのだと判断するのが妥当だろう。

 ただ、僕は怪我をしているわけでもないので、なぜ突然おんぶされることになるのかは理解できなかった。


「おんぶ? 僕に言ってるの?」

 念のため確認してみる。

「私があなた以外に誰をおんぶするの? 私がアンドロイドをおんぶしてたらおかしいでしょう」

 僕が思ったことをナナコは口にした。


「でも、僕、足は怪我してないよ」

「こちらに向かってきているエイリアンたちを誘き寄せるために、一刻も早く屋上に行く必要があるのよ」


 その説明でおんぶの意味を理解した僕は、急いでナナコの背中に乗ると、落ちないように彼女の首に両腕を回した。


 そういえばと、僕はふっと思い出した。

 昔、高熱が出て寝込んでいた時、ナナコにおんぶしてもらったことがあったなと。医師アンドロイドの彼女は、僕をおんぶして診療室まで連れていき、適切な処置を施してくれた。

 あの時の温もりが、僕の身体じゅうに再び伝わってきていた。


「あなたたちは、このビルを出て離れたところで待機していて」

 僕をおんぶした格好で、ナナコは新型アンドロイドに指示を出す。

「一緒に戦わなくていいのか?」

「作戦内容を話している余裕はない。あなたたちも破壊されたくないでしょう? 生きていたいなら、早くこのビルを出て」


 二体の新型アンドロイドは、顔を見合わせたあと、走って階段を下りて行った。

 反対にナナコは階段を駆け上がり始めた。二段跳び、三段跳びと、物凄いスピードで。

「もっとしっかり身体に掴まって。あなたがどれだけ力を入れても痛くないから。手を離したら大怪我するわよ」

「わ、わかったよ」

 言われたとおり、僕は両腕に最大限の力を籠めた。


 アンドロイドの素早さは父親から聞いて知っていたが、ここまで速いとは思わなかった。しかも僕を背負っている状態でこのスピード。単純な脚力ならエイリアンよりも速いのではないか。

 風を切るように走り続けたナナコは、あっという間に屋上に着いた。


 地上で見るよりも、太陽を近く感じる。

 その太陽の下を、二機の宇宙船が飛行しているのが見えた。少しずつこちらに近づいてきているのがわかる。あの中に、五十匹のエイリアンがいるのか……。


「あいつらに手を振って」

 と、ナナコが言った。

「え、あいつらって、エイリアンのこと?」

「そうよ」

「……それだと、あいつら全員ここに降りてくるんじゃ?」

「それが狙いだからいいのよ。五十匹に分散されると、倒すのが面倒になるからね。一網打尽にするには、ここに集めるのがベストなのよ」

「……わかったよ」


 ナナコを信じて、僕は宇宙船に向かって手を振り始めた。

 多分、人喰いエイリアンに向かって手を振ったのは、僕が人類初だろう。

 宇宙船のスピードが、ぐんと加速したように見えた。


 手を振りながら僕は考える。

 先ほどの三匹は、負傷することなく倒すことができたが、あれだけの大群を相手に、どうやって戦う気なのだろう。

 遮蔽物のないこの場所では、罠を仕掛けても丸見えだし、不意打ちもできない。五十匹相手に真正面から戦っても、勝機はゼロのはず。さすがに五十匹相手に、僕が囮として機能するとは思えない。


 何か、あるはずなのだ。ビルの中で戦うのではなく、こうして屋上に出た理由が。新たにやってきたエイリアンたちをここに誘き寄せる意味が。

 短い時間で考えを巡らせたが、正解だと言えるような答えには辿り着けなかった。


 やがて二機の宇宙船が僕たちの頭上で停止した。


 下方のハッチが開き、次々とエイリアンが降りてくる。浮遊して降りてくるのではなく、二、三十メートルの高さを落下してきているので、奴らが屋上に着地する度に重い振動が伝わってきた。


 乗っていた全員が着地したのだろう。宇宙船のハッチが閉じられた。僕とナナコを囲むようにして、数え切れないくらいのエイリアンが立っている。実数はわからないが、ナナコたちが五十匹いると言っていたのだから、その数字が正解なのだろう。


 五十匹全員、頭部を守る防具を装着している。

 仮に、僕を食べるために、全員が弱点である頭部を晒して突撃してきたとしても、ナナコひとりでは全滅させられないはずだ。威力の高い、たとえば爆発系の武器を使えば皆殺しにできるかもしれないと思ったが、しかしそれだと僕とナナコも粉々になってしまうだろう。


 やはりこの場を切り抜ける方法は思い浮かばない。


 未だにおんぶされている格好の僕は、上体を伸ばしてナナコの表情を窺った。


 ナナコの青い瞳が、点滅していた。

 旧型のアンドロイドの瞳が点滅する時は、外部と通信していることを意味する。どこと、どんなやり取りをしているのかはわからないが、屋上に奴らを集めた答えがそこにあるのだろう。


 恐怖心が完全に消えたわけではなかったが、打開策を考えているであろうナナコの顔つきを見て、きっと大丈夫だという気持ちも芽生えた。元より、僕の命運はナナコが握っている。だから最後まで信じることにした。


 僕の正面に立っているエイリアンが、大音声の奇声を僕たちに浴びせた。

 呼応するように、周りのエイリアンたちが次々と咆哮を上げ始める。


 最初に叫んだエイリアンが、頭部を守る防具を片手で外し、足元に放り投げた。それが合図であるかのように、一匹、また一匹と防具を外していく。


 こいつらの中に、序列はあるのだろうか。それとも単にそいつが一番威勢がいいのだろうか。

 何でも最初に行動を起こしているそいつが一歩前進すると、他のエイリアンたちも一歩前進した。そいつが二歩前進すると、他の奴らもきっちり二歩前進する。

 そんな風に、僕たちを囲んでいる五十匹は、じわりじわりと近づいてくる。もういつ飛び掛かってきてもおかしくない距離だ。


 ナナコ、いったいどうするつもり?

 心の声が通じたのか、ナナコの呟きが聞こえてきた。

「大丈夫。落ち着いて。もうすぐ決着がつくわ。だからもっとしっかり私に掴まっていて。さっきは手を離したら大怪我をすると言ったけど、今度は手を離したら命を落とすことになる。何があってもその手を離さないで」


 聞き終わると同時に、僕はナナコに掴まっている両腕に最大限の力を籠めた。ナナコが人間だったら窒息してしまうであろうというほどに、僕は彼女の首を両腕で絞めていた。


 もうすぐ決着がつく。

 ナナコはそう言った。

 しかしまだ彼女が何をしようとしているのかわからない。その気配さえ見えない。


 僕たちをぐるりと囲んでいるエイリアンの先頭にいる奴らが、飛び掛かるような態勢を取った。


 その次の瞬間だった――。


 ふっと、前方の上空に何かが現れた。


 ドローンだ。


 そう認識した時には、ドローンは僕たちの頭上に留まっていた。


 ナナコがジャンプし、ドローンの下方に付いている取っ手を掴んだ。


 と同時に、ドローンは凄まじい速さで急上昇した。


 怖いとか、落ちるとか、そんな感情や思考が生まれた時には、すでにドローンは上昇を止めて空中で停止していた。


 文字どおりの浮遊感に包まれる中、僕は視線を下に向ける。

 先ほどまで僕たちが立っていた屋上との距離は、一〇〇メートルくらいだろうか。


 高所恐怖症ではなくても、身体ひとつでこの高さまでくると、誰でも卒倒するほどの恐怖を覚えるだろう。これは、エイリアンに囲まれている時とは別の質の怖さだ。


 しかし、そんな恐怖心よりも、疑問の方が上回っていた。


 これが、ナナコの作戦?


 確かにこれだけ離れていれば、エイリアンの跳躍力でも攻撃は届かないだろう。

 

 でも、奴らには宇宙船がある。あれに乗れば、簡単に追いつける。


「これからどうするの? すぐに追いつかれるよ?」

「結末は五秒後にわかるわ」

「え? 五秒後?」


 訊き返した直後、何かの音が僕の耳に届いた。


 これは……空気を切り裂くような音……。


「あっ……」


 僕の目が、上空を飛ぶ白いミサイルを捉えた。

 そう認識した次の瞬間には、ミサイルは屋上に着弾していた。二発、三発と、立て続けにミサイルは着弾し、その度に衝撃波が僕の身体を震わせた。


 闇のような黒煙が立ち上り始めた。

 煙に呑み込まれないよう、ナナコがドローンを移動させる。

 

 三発のミサイルが着弾した屋上から、エイリアンの気配は感じ取れない。いくら鋼鉄の肉体を持つエイリアンといえども、あの大爆発に耐えられるとは思えない。しかも、奴らは全員頭部を晒していた。

 しかしナナコは上空に留まっている。まだ下へ降りるのは危険と判断しているのだろうか。


 やがて、少しずつ黒煙が薄くなっていき、ミサイルが着弾したところが見え始めてきた。

 屋上には、いや、もうそこに屋上はなかった。上の方にあった何階かは消失していて、六十階建てだったビルは五十五階前後へと縮小していた。


 どこにも、エイリアンの姿は見当たらなかった。宇宙船ごと、五十匹のエイリアンは木端微塵に吹き飛んでいた。


「作戦どおり。完璧」

 そう言ってナナコは微笑んだ。

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絶望トライアングル 世捨て人 @kumamoto777

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