♯10 ビルの中の攻防(2)

 邪悪な咆哮が、フロアの中央に立つ僕の足元に伝わってくる。

『お前を喰わせろ!』

 その狂った思いが、どんどん近づいてくる。


 ナナコが側に付いてくれていても、恐怖心は完全には消えない。上の階に逃げ出したいという本能を、僕は必死で抑え続けていた。


 咆哮だけではなく、奴らの重い足音もはっきりと聞き取れるようになった。僕の足の下で、確実に奴らの気配が感じられる。

 すぐ下の階まで来ている。

 しかしまだ爆発音は聞こえてこない。

 不発だった?

 本能的に罠に気づいた?


 そんなマイナス思考に駆られ始めた時、突然ナナコが「五、四、三――」とカウントダウンし始めた。

  

 何だ?

 そう思った直後、階下で爆発音がし、続いてレーザー銃の発射音が聞こえてきた。


 やった。罠にかかったのだ。

 僕は思わず握り拳を作っていた。


「今、一匹始末したわ。でもまだ二匹残ってる」


 ナナコの説明に、僕は頷き返し、次の爆発を待った。

 一匹倒したことで、僕を縛っていた緊張感は少しだけ緩んでいた。

 速攻で一匹倒せたのだから、残る二匹もすぐに倒せるはず。


 しかし二、三分経っても次の爆発音は聞こえてこなかった。

 どうしたのだろう。

 僕の視線に気づいたナナコが口を開く。


「目の前で仲間が殺されて、罠に気づいたのかもしれない。二匹とも前進せず、ウロウロしているわ」


 奴らは人間だと七、八歳くらいの知能はあるということなので、こちらの狙いに気づいた可能性は十分あるだろう。どうすれば罠を回避できるか、考えながら動き回っているのかもしれない。


「このまま長引くとまずいわね」

「それは何で?」

「奴らが階下で動き回っているのは、上の階に行く別ルートを見つけようとしているからかもしれない」

「階段以外にもあるの?」

「一つはエレベーターね。でも階段とエレベーター前には罠を仕掛けてあるから上がって来られない。もう一つは――」


 そこで言葉を切って、ナナコは視線を動かした。

 そこには窓があった。


「さっきあなたも見たとおり、奴らは垂直の壁も難なく移動できる。数が多すぎて、全ての窓に爆弾は設置してないから、通り抜け可能な窓を見破られたら外に出られてしまう」

「下の二匹は気づくかな?」

「奴らにも個体差があって、状況を理解できる者と食べること以外は何も考えていない者がいる。下にいる二匹が前者だったなら、外壁を伝ってこちらに上がってくる選択肢を見つけられるかもしれない」


 その話を聞いた途端、背筋が寒くなった。

 罠が意味を為さないのなら、ここは安全地帯から一転して袋の鼠状態になってしまうのではないか。

 そんな僕の不安を察知したのか、ナナコが微笑みを浮かべて話し掛けてくる。


「安心して。仮に奴らがここに上がってくるようなら、私たちも上の階に移動して態勢を立て直せばいいだけ。今話しながら全ての階を調べてみたけれど、窓の数が極端に少ない階がいくつかある。――最も近い階だと、三十七階ね。もし逃げないといけない状況になったら、そこまで移動して、上の階に通じる全てのルートに爆弾を仕掛ける。それで今度こそ全滅させられるわ」


 ナナコの説明で、芽生えた不安がふっと消えた。

 大丈夫。奴らがどれだけ知恵を付けても、頭脳勝負でAIに適うはずもない。どんな状況になっても、ナナコなら常に最善の一手を用意しているはずだ。


「今、仲間から報告があって、二匹とも、このフロアの真下でウロウロしているみたい。――安全な窓の存在に気づいた可能性もあるから、念のため三十七階まで移動しましょう」


 僕は頷き、ナナコと並んで走り出した。

 と、その直後だった。


 耳を劈く凄まじい衝撃音が背後で轟いた。

 音の大きさだけで、僕の足はもつれて転びかけたほど。

 振り返ると、直前まで何も存在していなかった空間に、二匹のエイリアンが立っていた。


 いったいどうやって……。

 僕の視線は自然とエイリアンの足元に向けられていた。

 爆発が起こったかのように、絨毯が敷かれていた床には大きな穴が開いていた。


 こいつら……天井を突き破ったのか……。


 状況を理解すると同時に、僕はレーザー銃の引き金を引いていた。

 三発連続で胸の辺りに命中したが、エイリアンはびくともしない。まるで痒いところを掻くように、エイリアンはレーザーが当たった箇所を擦っている。


 僕は更に引き金に力を籠めようとした。

 瞬間、レーザーが当たった方のエイリアンが僕に向かって絶叫した。僕の全身は震え、引き金に触れている人差し指は固まってしまった。


 もう一方のエイリアンが、僕に向かって飛び掛かるような態勢を取った時、ナナコが僕の前に立った。

 その状態から、ナナコはエイリアンに向かって何かを投げつけた。

 ソレが当たると同時に、部屋じゅうに煙が充満した。


「古典的だけど、コレはなかなか使えるのよ。さあ、逃げるわよ」

 ナナコは僕の腕を引っ張り、階段を駆け上がって行く。

 しかしすぐに後方からエイリアンたちの禍々しい声も迫ってきていた。

 足止めできたのは数秒程度。


「僕の足が遅いから、このままじゃ三十七階に着くまでに追いつかれるよ」

「そうね。プランAは無理そうだから、プランBに変更するわ」

「プランB?」

「プランAよりも、あなたの囮としての危険度は増すことになる。それでもいい?」

「もちろんだよ。今の僕にある選択肢は、ナナコの作戦に従うことだけだからね」

「私が必ず二匹を殺すから、あなたは私を信じて役目を果たして」

「わかった」


 ナナコは三十階にあるエレベーター前で立ち止まった。ボタンを押すとすぐに扉が開く。ナナコはそのまま僕を奥に立たせた。


「あなたはここに立っていて。次にこの扉が開いた時、そこに立っているのは奴らよ。でも、私が合図するまで、絶対に銃を撃たないで。引き金を引く時は、私が撃ってと言った時だけ。約束よ」

「大丈夫。その言いつけをちゃんと守るよ」

「本当は詳しい作戦内容を教えてあげたいけれど、もう時間がない。とにかく私を信じていて」

 そう言い残し、ナナコは扉を閉めた。


 ほんの一瞬だけ、静寂が訪れたが、全てを切り裂く咆哮が聞こえたかと思うと、ソレは段々とこちらに近づいてきた。扉は完全に閉まっているが、獣の臭いが鼻を刺激し始めた。ずっと緊張状態にあったので気づかなかったが、奴らこんな強烈な臭いを発していたのか。

 床を震わせていた振動が、ぴたりと止んだ。


 扉の前に、奴らが居る。

 奴らも、僕がここに居るとわかっている。

 

 向こう側に居るのがただの獣なら、この鉄の扉があれば大丈夫だと安心できるが、先ほど分厚い床を突き破ったパワーを見せられたばかりなので、鉄扉が何の役にも立たないことはわかっていた。


 ドンッ! と扉を叩く音がした。

 続いて、鉄扉がガタガタと小刻みに動き出した。それが十秒、二十秒と続く。


 扉をこじ開けようとしているのだろうか。

 先ほどみたいに鉄扉を突き破るのが手っ取り早いはずだが、そうしないのは、僕が中にいるからかもしれないと思った。全力で突っ込んでしまうと、僕を殺してしまう可能性がある。そう考えているのではないか。『生きている人間を食べる』ことに執着しているエイリアンが大半なので、僕のその考えは当たっているような気がした。 


 小刻みに動いていた鉄扉が、ふっと動かなくなった。

 かわりに聞こえてきたのは、小さな声だった。

 まだエイリアンの言語は解明されていないようだが、どうやら奴らも会話をするらしいので、今僕が聞いているのは話し声だと推測できる。

 中にいる人間を傷つけずに、どうやってこの扉を開けるかを話し合っているのかもしれない。


 その僕の予想が正しいと言わんばかりに、チーンという音が鳴り響いた。

 どうやら開閉ボタンの存在に気づいたようだ。


 扉が、ゆっくりと、開いていく――。


 眼前には、先ほどのエイリアンたちが立っていた。

 黒い防具を被っているので顔は隠れているが、目だけは見えている。真っ黒な四つの目が、僕を捉えている。


 目が合った瞬間、二匹のエイリアンは大口を開け、発狂したように涎をまき散らし始めた。


 言葉は通じなくても、僕にはわかった。それが喜びの動きだと。


 二匹は、僕に向かって腕を伸ばし、同時にエレベーター内に入ってこようとした。

 しかし、どちらも巨体なため、つっかえて入ってこられない。

 すると、まるで言い合いをするかのように、互いに向かって絶叫し始めた。


 そのの最中、後方の天井から、ナナコが姿を現した。上半身だけが見えている、逆さの状態。


 その体勢のまま、彼女は、二匹のエイリアンの頭を叩いた。


 とても攻撃したようには見えない。僕にはその動きの意味が呑み込めなかった。


 頭を叩かれた二匹のエイリアンは、同時に振り返った。

 瞬間、爆発が起こり、頭部を守っていた防具が粉々に弾け飛んだ。


「今よ! 頭を狙って撃って!」


 ナナコの叫びと同時に僕は右側のエイリアンの頭部目掛けてレーザー銃を発射した。阿吽の呼吸でナナコは左側のエイリアンの頭部にレーザーを発射していた。


 一瞬、反撃の態勢を取ったかのように見えた二匹のエイリアンだったが、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。緑色の液体と脳味噌が床に流れ続けている。


 僕は二匹の死体を跨いでナナコの元に歩み寄った。


「私が合図するまでよく我慢したわ。初めての戦闘にしては上出来よ。――何発かは私に当たったけど」

 そう言ってナナコは左腕を擦った。

 見ると、レーザーが当たった痕跡が残っていた。


「ご、ごめんナナコ」

「大丈夫よ。人間と違って痛みはないし、機能に問題もない。――どう、エイリアンを倒した感想は? 自信がついた?」

「まだ実感は湧いてこないけど、頭部さえ見えている状態なら、僕でも倒せるんだとわかったのは良かったよ。奴らも無敵じゃないんだって」

「そのとおり。きちんと作戦を立てて戦えば、決して怖い存在じゃない。こいつら、はね」

「並のエイリアン……」


 ナナコたちの話によると、よく見る体長二メートル前後のエイリアンよりも一回り以上大きなエイリアンが存在しているようだった。並のエイリアンよりも力が強く、スピードも速く、そして知能も高いらしい。

 最初、地球に来た時点では、その一回り大きなエイリアンは全く目撃されていなかったらしい。現れ始めたのは、数年経ってからとのこと。


 その事実に関して、以前トモヒコがこんなことを話していた。

『あくまでも、まだ仮説の段階だが、奴らは人間を一定数食べると、巨大化する可能性がある。もしその仮説が真実なら、エイリアンに人間を食べさせてはいけない理由ができたことになる』


 AIが、エイリアンに連れ去られた人間を助け出そうとするもう一つの理由が、コレだった。

 並のエイリアンでもこの強さなのに、もっと強いエイリアンが何百匹、何千匹も現れたら、人間を囮にしても太刀打ちできない状況になるかもしれない。まだ推測の段階ではあっても、人間をエイリアンに食べさせないことが最善なのは間違いなかった。

 

 突然下の階から足音が近づいてきた。

 ドキリとしたが、足音の正体は新型アンドロイドだった。


「まずいことになったぞ」

 現れるなり新型アンドロイドはそう切り出した。

「まずい? 何が?」

 ナナコが訊き返す。

「まだ感知できていないのか? これだから旧型はダメなんだ」

 その返答に、ナナコは微笑みを浮かべた。

「へえ。あなたたちも嫌味が言えるのね。知らなかった。それで、何がまずいの?」

「大量のエイリアンがこちらに向かってきている。およそ五十匹ほどだ」


 ナナコの表情から笑みが消えた。

「今、私も感知できたわ。――本当ね。五十匹くらいいるわ」

「他の仲間はまだ戦闘中だ。どうする? またこの人間を囮にするのか? 五十匹相手に通用するとは思えないが」

「大丈夫。たった今、五十匹纏めて倒す方法を思いついたわ」


 表情を全く変えない新型アンドロイドのはずだが、その言葉を聞いて一瞬驚いた表情をしたようにも見えた。

「そんな方法が本当にあるのか?」

「ええ。あるわ。今まで一度もやったことがないけれど、きっと成功するわ」

 ナナコは僕を見つめてにこりと笑った。

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