こうさく
時計の針は午後九時を指している。
ぺかぺかと点滅しているオン・エアのボタンが、わたしを呼んでいる。
このボタンを押したとき、わたしは私に変身するんだ。
私はネットの世界でならなんだって出来るんだから――!
「こんばんわこ~! みんな笑顔で生きてるか~!」
「みんなの心のアイドル、煮恋わこだよ~」
「今日も私と楽しい時間を過ごして、元気と笑顔をチャージしよ!」
普段のわたしでは考えつかないような大きな声を出す。
声色はボイスチェンジャーを使って変えてはいるけれど、今のわたしをパパやママが見たらびっくりするだろうなあ。
お兄ちゃんはどうだろう……逆に褒めてくれるかも?
走馬灯のように大好きなみんなのことが通り過ぎたけれど、弾幕のようなコメント欄を見るとわたしの中から私が飛び出してくる。
『わこわこ!!!』
『わこわこですー』
『わこちゃん今日も可愛いヤッター』
『わこ~』
『今日もwkwkしてきた』
見て、パパ、ママ、お兄ちゃん。
わたしのこと、画面越しだけどこんなにたくさんの人が待ってくれている。
このコメントの滝は、わたしが唯一この世界で生きている『証』なんだ。
待っていてくれる画面越しのみんながいてくれるから、わたしはもっと頑張れる。
「みんな~! 今日も楽しんでいこ~ねっ!」
高らかな選手宣誓に合わせてコメント欄の流れはさらに速くなる。
この場所だけは、この時間だけは、私は自由に動ける! 自由に決められるの!
わたしのもう一つの顔。
それは動画配信プラットフォームの大手『ワイチューブ』で活動しているバーチャルアイドル、
特定の事務所に所属しない、いわゆる『個人勢』ってやつね。
チャンネル登録者はまだまだで六百人くらいだけど、でもわたしの命綱ともいえる名前も知らないお兄さん、お姉さんたちだ。
私はこのリスナーのお兄さん、お姉さんのことを親しみをこめてリスちゃん、と呼んでいる。
『wkwk』
『wkwkwkwk』
『kkk』
「あ、そこのリスちゃん! wを打つのをあきらめないで~。くくく……って悪いボスみたいになってる~」
本当に他愛ないやり取りだけど、わたしはきっと、普段からこういうやりとりがしたかったんだと思う。
だってわたしの周りはみんな――
『あ~心がwkwkするんじゃ~』
『ちょっと困ったわこちゃんも可愛い』
『かわ いいぞ』
「はいは~い。脱線しちゃうからそろそろ始めるよ~」
「今日は何を話そうかな? ……えーと、じゃあ~」
ここでなら、わたしはわたしで居られる。
だからもっともっと、たくさんのリスちゃんと仲良くなりたい。
もっと、仲良くなりたかった。
~~
「どれどれ、釣り堀にはなにが置いてあるのやら~」
スレッド名があまりにも見え透いた釣りで、普段の私ならまずスレッドを開くことすらないけれど、何故だかつい押してしまった。
まあ、どうせ開いてしまったのなら物見遊山としゃれこみますか。
そう軽い気持ちで依頼内容を確認したけれど、思いのほか本文は長いうえに、しっかりとした日本語だったので嚙み砕くのに数分かかってしまった。
こんなクソみたいな釣りタイトルなのに……と謎の敗北感に襲われた。悔しい。
要所だけ掻い摘むとこんな内容だった。
『閲覧ありがとうございます。
今回は下記に該当する方を募集しています。
①動画編集が可能な方
②動画の閲覧、及び登録者をより増やす方策を考えていただける方
③短期集中で対応が可能な方
業務に関して一通りの成果が上がりましたら、別途ご提案をさせていただく場合もございます。
報酬、及び勤務形態に関してはWeb面談の際に改めてお伝えします』
「あれ、思ったより、いやだいぶ中身はまともそうに見えるなこれ……」
とはいえいくつか不明な点もある。
まず依頼主のプロフィール欄、これが全くの空欄かつ評価欄もまっさらだ。
つまりごくごく最近に新規で作られたアカウントからの依頼になる。
約半年程度クラウドソージングを使ったり、事前に調べた経験からすると、この手のアカウントはだいぶ怪しい。
良くてイタズラ、最悪個人情報だけ抜かれることもある。
ただ、Web面談をする旨も書いてあるから、そこも大いに引っかかる。
単なるイタズラや個人情報目当てなら面談をする必要性が薄いからだ。
「う~~ん。どうなんだこれ……」
思った以上に難しいひっかけ問題に出くわしたような声を出してしまった。
でも、それくらいこのスレッドを建てた人間の真意が読めない。
そもそもこんなに真っ当な本文が書けるなら、わざわざ釣りタイトルにする意義なんてないと思う。
あまりにもタイトルが怪しいばっかりに、投稿からすでに一日近くたっているのに案件応募数はゼロなんだから。
「うーん……でも、まあとりあえず面談だけ受けて、そこで報酬とか確認すればいいか」
「面談のツールは捨てアド作ればいいわけだし」
最後には好奇心と美味しい報酬を妄想して、結局応募してしまった。
ほら、こういう無鉄砲さは若者の特権ってやつだから……
~~
「なぜかしら! ち~っとも書き込みがないわ。困ったわね……」
おかしい。わたし渾身の発想だったのに、一日近くたっても全く書き込みがない。
同じくらいの時刻に書き込みがあった他の案件で報酬が高そうなものは軒並み交渉中、あるいは既に成約済のものだってあるのに。
冷静になるとあのタイトルが問題だったのかも、と思えてきて瞳孔をぐるぐると回してみたけれど、時間は当然巻き戻らない。
「たしかにタイトルはちょっと大げさかもしれないけど! 中身は至って普通の依頼だから誰か気づいてぇ~……」
「そもそも大げさだとしても決して嘘は言っていないもの。もう明日にはお家に帰らないといけないわけだし」
「……もう少し待つしかない、よね」
わざわざ目立つタイトルを選んだのはわたしだし、覚悟を決めて待つしかない。
そう決意しなおすとぴよ~ん、と気の抜けた通知音が病室に響いた。
もしやと思ってメールアプリを立ち上げると、受信ボックスに新着メールが入っている。
「もう、待ちくたびれたんだから! 早速読まなきゃ」
逸る気持ちを抑えながら中身を検めると、だんだんと気持ちは白けてしまった。
というのも、まるでコピー・ペーストしたかのような無機質な内容だったから。
『鳥。様、初めまして。書き込みを拝見し、是非挑戦したいと思い応募させていただきました。
私は過去に鳥。様のご依頼に類似している案件を複数お受けしています。
ポートフォリオは下記のURLをご覧ください。
(略)
それでは良い回答をお待ちしています』
「え~、なにこれ~。わたしの人生賭けた依頼なんだから、もう少し心のこもった応募文だとよかったのになあ~」
せっかく結ばれた縁だというのに、人間ってやっぱり贅沢らしく、ついつい悪態をついてしまった。
でも、提示されたポートフォリオを確認すると、確かにわたし、いえ、私がやりたい路線と合致している。
応募文のコピペっぽさはさておいても、この貴重な縁を逃してはいけない。
そう、わたしの直感が鳴り響いている。
確証を得たら即行動がわたしのモットー!
一秒たりとも貴重な時間を無駄にしないわ。
「えっと……この度はご応募いただきありがとうございます」
「素晴らしいポートフォリオだと思います、早速なのですが面談の日付、を……」
この日はしばらくの間、打鍵音のみが不規則なエレクトロのように響いていた。
やさしくころしてあげる 在依野梨 @ariyori_no_74
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