であうまえ

 わたしは何もできない。

 周りはみんな優しい。

 わたしは恵まれていると思う。

 でも、私は……何もできないから。


〜〜


 ゆるゆると目を開けると、そこはいつもと同じ、まっしろな天井が広がっている。


「……病院って、どうしてどこもまっしろなのかしら。飽き飽きしちゃう」

「病院イコールまっしろって方程式だと、まっしろな風景を見るだけですぐに病院のことを思い出すわ。逆効果じゃない」


 わたしの問いかけに答えてくれる人は今は居ない。みんなまだ仕事をしている時間だから仕方ない。そう心の中で自分を納得させた。

 起きていても暇なだけだし、夕方にみんな戻ってくる。

 ……今起きていても、ただ虚しいだけ。

 だから、もう一眠りしよう。


 そう決めて、わたしは再び瞼を閉じた。


〜〜


 寝たり、起きたりを何回か繰り返していると、だんだんと日が傾いてきた。気づいた時周りの空の色は、水色から橙色へと変化していた。

 あぁ、やっと日が落ちたんだ。

 この気持ちは恐らく毎日感じている。


 わたしは明るい時間が嫌い。

 特に朝。もう本当に嫌で嫌で仕方がない。

 だって朝になるとみんな仕事や学校で居なくなってしまうから。

 そうしたら夜までわたしはひとりぼっち。

 ひとりぼっちは嫌なの!

 ……朝のことを思い出すと赤ちゃんに戻ってしまう自信があるくらいには嫌い。


 大嫌いな朝のことを考えてひとりむくれていると、コンコン……、コンと馴染みあるリズムのノックが聞こえてきた。

 それを聞いた途端、今この瞬間までむくれていた顔も萎み、そのかわりに笑顔が零れた。


「いらっしゃい! パパ、ママ、お兄ちゃん!」

 視線を扉の人影に向けると、予想通りわたしのパパ、ママ、お兄ちゃんの三人が立っていた。


「阿鳥、お昼の間はなんともなかったかしら?」

「元気な阿鳥の顔を見ないと一日が終われないよ」

 ママの心配そうな声、パパの優しい声を聞くと今日も無事に一日が終わったと心底安心出来る。


 ……あ、わたしは阿鳥あとり久野阿鳥ひさのあとり

 訳あって何年も入院生活を送っているけれど、パパと、ママと、そしてお兄ちゃんがいるわ。それと……画面越しの知らないお兄さんお姉さん達も見守ってくれている。

 みんなが居てくれるから、わたしは痛くても、寂しくても頑張れるから。


「やぁ、阿鳥。今日も笑顔がかわいいよ」

「もう、お兄ちゃんたら。今更何言ってるの? わたしは今日だけじゃなくて、ずっと笑顔がかわいいわよ」

「……だな! これは一本取られた。さすがはぼくの妹だ!」

「でしょでしょ。わたしは自慢の妹だから!」


 他愛のないやり取り。それでも遠慮なく会話を振ってくれるお兄ちゃんのことが大好きなの。

 逆にパパやママは、最近あまり元気がないのか、お話していてもどこか上の空というか、反応がワンテンポ遅いというか……


「あなた。そろそろ……言わないと」

「む。あぁ……」


「……阿鳥」

「? なぁに、パパ?」


 不意にママの沈んだ声が聞こえて、わたしの体がピクリと反応した。ママにも元気でいて欲しいから、元気がないと無意識のうちに気づくみたい。

 そして目を伏せるママに続いて、パパがとても悲しそうにわたしと目を合わせて、ゆっくりと話しはじめた。


「阿鳥。実は……明後日家に帰られるようになったんだ」


 それだけ言って、パパは一度口を噤んだ。


「えっ、うそ」


 わたしはお先が真っ暗になったような気がして頭がぐわりと傾きかけた。本当にふらついたらみんなに心配されるから、すぐに冷静にはなったけれど、明るい気分には到底なれなかった。

 きっと普通の病気なら、退院できるなら、お家に帰られるなら嬉しいことだろう。

 でもわたしの場合は、お家に帰っていいよって言われること自体が……

 わたしが今にも泣きそうになっていると、わたしの髪を急にぐしゃぐしゃと混ぜてきたお兄ちゃんが、笑っていた。笑ってくれてる。


「明後日は母さんが阿鳥の大好きなご飯ばっか用意してくれるってさ」

「それと! 家帰ってきたらお兄ちゃんとたくさんゲームしような!」

 お兄ちゃんが笑ってくれるとわたしも釣られて笑顔になれる。やっぱりお兄ちゃんはすごいなぁ。


 何とか気持ちを持ち直せたわたしは、それから少し話して、三人と別れた。


〜〜


 改めてひとりぼっちになると、私って一体何なんだろう? と考えてしまう。

 私はこのまま、ある日パタッと死んで、みんなからゆっくり忘れ去られてしまうのだろうか。

 考えても仕方ないことなのに——


 ……

 あ、ひらめいた。

 どうせ死ぬのが避けられないとしても、忘れられない方法がひとつあるじゃない。

 やっぱりわたしって天才?!

 まだいつものアレまでは時間があるし。今のうちにわたしに協力してくれる人をネットで探さなきゃ。

 わたしは居てもたってもいられなくなり、ベッド横に置いてあるノートパソコンを手元に持ってきて、調べ事に勤しんだ。


 しばらくネットサーフィンをしていると『スキルシェアリング』というサイトに行き着いた。ここは色んな人が自分の得意を活かして金銭のやり取りをしているらしい。

 サイト内をあれこれと確認していると『スキルシェアリング板』という書き込み掲示板に行き着いた。


「えーと。スキルシェアリング板には目的を書き込んだら、それを見た人が自分を売り込みに来てくれるのね」


 これだ。わたしは自分からは動けないし、相手から売り込んでくれる方が何かと都合が良い。


「何よりわたしから声をかけるより、わざわざ売り込んでくれる人の方がやる気いっぱいだろうし!」

「そうと決まれば早速書き込みましょうか」


〜〜


『自分の人生を売ります。本当の意味で自分の存在を殺してくれる人を募集します』


「これでよし、と」

「これくらい派手なタイトルにしておけばみんな興味を持って内容を見てくれるに違いないわ!」


 自分のかしこい閃きに嬉しくなってつい笑ってしまう。このポジティブさは、きっとわたしの良いところのひとつだと思っている。


「あ、と……いけない、もうこんな時間だわ!」


 スキルシェアリング板に詳細を書き込むためにたっぷりと時間を使ったから、気づいたら時計は21時手前を指していた。

 今日の21時はみんなに会いにいかないといけない。だって21時に会おうねって約束したんだもの。

 みんなに会って、お話することがわたしの生きがいだし、みんなもわたしとお話することを楽しみに待ってくれている。

 だから行かなきゃ。


 現実でなにもできなくても、ネットの中でなら、わたしは、私は、自由なんだから。

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