やさしくころしてあげる

在依野梨

はじまり

 ……息苦しい。

「   」


 ……悲しい。

「   」


 ……怨めしい。

「   」


 どうして。

 どうしてこんなにも、世界は私を見放すのか。

「   」


 どうしてこんなにも、目に映る世界の色は濁っているのか。

「   」


 前世の私は何か大きな罪でも犯したのか?

 分からない、分からない! 何も——


〜〜


 私はいつものように、パソコンのディスプレイをぼんやりと覗いている。


 私の名前は取乗日夜とのりひよる。日の光と夜が同居しているという現実にはありえない状況の名前が体を表すかのように、父母から存在を無視された高校二年生だ。


 父と母は現在進行形でお互いに不倫をしていて完全なる仮面夫婦。子供である私は家族を繋ぐ楔と言えば聞こえはいいが、実際のところは両親ともに私を引き取りたがらない。

 人のことを貧乏神かなにかと勘違いしているのでは? とたまに文句を言いたくなる。

 ま、実際は文句なんて何一つ言えない、ただのお人形ちゃんでしかないけど!


 いつ捨てられるとも分からない子供の私にできることは、父と母が居る前では精一杯良い子の振りをすることのみ。

 あまりの無力さとくだらなさで時折おかしくなりそうだけど、今のところどうにか持ち堪えている。


〜〜


 今私が眺めているウェブサイトは『スキルシェアリング』略して『スキシェ』というクラウドソーシングのサイトだ。


 父も母も私になんの興味もないので、どちらも高校生の私に全くお小遣いをくれない。最低限生きられる衣食住を提供しているのだから、それ以外に渡すものは何一つないと言わんばかりに本当に一円もお小遣いをくれないのだ。クラスの子達はみんな家族からどんなに少額でも毎月お小遣いを貰っていて、その上で足りなければこっそりアルバイトをしているというのに。


 一方で私の場合はというとそもそもの家族という前提条件が倒壊している。

 私はさっさと振り払いたい服についた埃と同じなんだと思う。家族でもなんでもない。

 父と母のお互いが望む離婚というゴールに到達したとき、恐らく私はどちらからもお払い箱にされるだろう。

 だからお小遣いも一人で稼ぐ必要があるということだ。


 保護者の同意があればスキシェは十六歳以上から利用がOKというありがたいルールがある。

 しかも保護者の同意に関しては厳格にチェックされるわけじゃないので、実際は親に許可を取らなくても自分名義の預金通帳さえ持っていれば普通に始められた。

 一応両親には事後報告で家で出来る内職を始めたから、とだけは直接言った。

 二人ともまるで興味がないのか返事は「そう」「程々にな」これだけだった。


 父と母は今この瞬間に、私が足下にあるかもしれない地雷を踏んで即座に爆発しても何食わぬ顔でコーヒーを啜っているだろう。爆発オチなんてさいて〜。

 無惨に私が飛び散っても無反応であろう父と母を想像するとさらに気が滅入ったので、これ以上は何も言わなかった。


〜〜


『スキル』を『シェアリング』するという名前の通り、スキシェは自分のスキルの切り売りができる。

 例えば売り手側は自分はこんなスキルがありますよと宣伝して検索から流入してきた買い手側からの依頼を受けたりする。より一般的な方法は買い手側がスキシェの中にある掲示板、通称シェ板に『〇〇できる人を募集しています』という書き込みをし、それを見た売り手側が自ら売り込んで仕事を請負うという感じだ。

 採用数に対して希望者が多かったら、面談なりテストなりで候補を絞るあたりは現実のアルバイトと大差無いと思う。

 晴れて採用が決まると個別にメッセージのやり取りをして、契約を詰めていき、最終的に依頼を請負うというのが一連の流れとなる。


 私がスキシェで売っているスキルは、動画制作に関するだいたい一通りのスキルだ。

 買い手が望んだシナリオの台本を書くことがある。こんなふうに動画を編集して欲しいと言われたら編集もする。動画のサムネイルをもっと派手にして視聴者を増やしたいと言われたらサムネイルを五種類くらい作ってどれにするか相談する。

 スキシェに関してはだいたいこんなところだ。


 幸いなことに、動画編集のあれこれを学ぶこと自体にお金は大してかからなかった。かかったのは、動画編集に耐えうるスペックのパソコンを買うためのお金くらい。


 最初は学校で強制的に購入させられた低スペックのパソコンでもできる台本制作から始めた。高校から直帰して、真っ先に自分の部屋の鍵を閉めてそこから平日は毎日四時間程度作業した。土日はさすがに頭と体が辛いので基本的に休むことにしている。

 文字の入力はまあまあ早かったことが功を奏して、動画の台本作成のみで三ヶ月後には新しいパソコンを買える程度のお金を稼ぐことができた。


 高スペックのパソコンを手に入れる目処が立ったら次は動画編集について解説動画を見漁った。休日や学校の休憩時間もずっと見ていたと思う。雑魚スペックのパソコンでも辛うじてダウンロードだけは出来るフリーソフトとかは事前にダウンロードしておき、動かし方を確認しながら勉強した。


 そしてパソコンが届いたらマニュアル付きの動画編集の仕事で実践しつつ、請負う仕事の幅を広げていった。おかげでクラウドソーシングを始めてから半年ちょいで月の手取りは一般的な高校生アルバイターと同じか、あるいはそれ以上稼げるようになった。


 あーあ、来年は確定申告に関してどうするかもちゃんと調べないといけないなぁ。めんどくさいな〜。


〜〜


 通常のアルバイトを選ばないことによって別の煩わしさは生まれて来るものの、こうしてひとところだけに依存せずにお金を稼げるという事実は私を辛うじて私たらしめた。


 どう考えても危ないパパ活とかじゃなくて、かと言って変な客に絡まれる接客業のバイトでもなくて、私は自分の力だけでお金を稼ぎたかった。

 そもそもの話、誰かに雇われるということは、一つの雇われ先からお金を貰うということだ。


 私は家族っていう人生最初の雇われ先ガチャに外れた結果、どうしようもないブラックな職場かぞくを引いている。この上で更に当たり外れが大きい本当の職場ガチャを引くなんてもううんざりだ。

 もちろん、職場ガチャを避けても案件ガチャは残る。とはいえ一点集中型の職場ガチャと違い、リスク分散型の案件ガチャは外れを引いたら外れ案件だけ切り捨てれば良い。


 逃れようのない環境の中で苦しんだ身として、このリスクヘッジは生きるための最善手だと信じている。

 私はこの生き方しか知らないけれど、それでも私は私だ。これからも、私の信じる道を歩いていく。


〜〜


 ……相変わらず父と母からは全く相手にされないという事実に苦しみながら、どうにか私は今日という運命の日まで普通の高校生を装っていた。


「さてと、今日もお買い得な案件が落ちてないかなぁ〜?」

「楽で、リテイクが少ない神案件が特に良いな〜。案件ちゃん、私は怖くないよ〜」


 今日も今日とて、さっさと帰宅した私は美味しい案件がないかスキシェの掲示板を眺めている。学校終わりのいつものルーティンワークというやつだ。

 するとタイトルが気になるスレッドが目に飛び込んできた。大仰なスレ名だから一瞬釣り? とも思ったけれど、そのスレッドのバナーから目を離すことは出来なかった。


『自分の人生を売ります。本当の意味で自分の存在を殺してくれる人を募集します』


「……まぁ、スレッドの中身見るだけならタダだし! どれくらいの釣り針か確認しようっと」


 私は、興味本位でそのスレッドのリンクを左クリックする。ほんの一瞬の読み込みが発生したのち、スレッドの全容が明らかとなる。


 そして私は、人殺しへの第一歩を歩んだ。

 人はただ前に進むしかない生き物なんだと、この時の私はまるで理解していなかった。

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