第6話 ミッキー・カズと遺言状

 この手紙を受け取るのは季子、時彦、アーサー、リリィ、そしてもしかしたら警察も入っているのかもしれない。だとしたら私は失敗したのだろう。嘲笑ってくれ。

 私の資産は目減りしていっている。若い頃のような勘が当たらず株式の相場を見るのも嫌になって来てしまった。そこで私はゆっくり目立たないようにすべての株式を売却し、現金化した後は円相場を見て、それらをすべてきんに変えた。百グラムずつの延べ棒なので、季子と時彦の二人で半分ずつ分けて欲しい。一本はおそらく私の死の謎を解くだろうアーサー達への報酬として、一本は迷惑をかける八月朔日弁護士に最後の報酬として。


 私は若いうちに大金を手に入れてしまったがために、誰も信じられなかった。一日に何度も銀行のカードの場所を調べたし、親しい仲になりたい女性がいても興信所を挟んで粗を見付けては別れることを繰り返していた。そんな中で家族だけが唯一絆を持てる存在になっていた。早くに亡くなった両親に代わって世話をしてきた兄弟たちだ。だが彼らも早世した。残された季子と時彦を、どうして愛さないことが出来ただろうか。

 だが私の愛情は、それこそ金銭をベースにしたものでしかない。季子には学費を、時彦には融資を、それが私の愛情の表し方だった。どうしても愛していると示すことが出来ず、結局結果はこんなものだ。おそらく死体で見つかるだろう私は、それでも二人を愛している。だから二人を愛している。死ぬほどに愛していると、伝えるための手紙がこの遺言状だ。私の遺産は東京のマンション、書斎の金庫の中に入っている。鍵は同封してあるのでダイヤルだけは最後の意地悪だ、自分たちで開けてごらん。アーサーの手に掛かればすぐだろうがな。あの二人はあまり信用するな、人たらしな所があるから何でも頼んでしまいたくなるぞ。


 妻はなかったが子供は持てた、良い人生だった。良い人生のままで終わらせたかったがための最後だ。二人には迷惑を掛けるかもしれないが、そこは年寄りのわがままとして許して欲しい。二人とも自立した大人になっているだろうからこそ、私はこの手紙を残すのだ。先に東京タワーより上で待っているよ。なるべく遅くこっちに来て欲しい。私とは違って、人生をしっかり往生してからが一番いい。

 どうか悲しまないでくれ。私の最後の願いはそれだ。安らかに眠るためのお願いだ。どうか、どうか悲しまないでくれ。親の顔を描いて来いと言う課題で私を描いてくれた季子。将来の目標に私のような優しい人だと書いてくれた時彦。嬉しかったよ。言葉で言い表せないほど、私は幸福だった。どうかお前たちもそうであるように。最後の言葉としてこれを残そう。

 愛しているよ、季子。愛しているよ、時彦。


「以上が氏の遺言です。ちなみに一緒に入っていた鍵がこれです」


 玖院氏のマンションで聞いたその遺言は、痛ましいまでのラスト・ラブレターだった。金塊の他にもマンションを担保にした現金、生命保険など、合わせれば数千万の価値になるだろう。所長から鍵を受け取った諏佐刑事が書斎に向かい、金庫の鍵を開ける。かちっと音がしてドアが開く。

 今日は口紅を付けていない季子が泣き出し、時彦も肩を震わせていた。

 開いた金庫の中には直径一センチぐらいの金の延べ棒が積まれていて、初めて目にするインゴットに腰が引けてしまう。

「こんな……、こんなの要らなかったのに! 今まで私たちを育ててくれていたおじさまには、もっと長生きして欲しかったのに……一昨日だって、おじさまの年と同じワインをこっそり用意して、驚かせたかっただけなのに……」

「俺は融資してもらった金を返しに来たんだ……事業も軌道に乗って来たから、これからは恩返しの番だって、俺は、俺は」

 泣き崩れる遺族二人に対してアーサーとリリィは無反応だった。否、そもそも何か反応したことがあっただろうか、この二人は。玖院氏にも事件を回してもらったことのある恩人だと言っていた割に、この事件に出張るつもりはなかった。引っ張り出したらスピード解決だったが、それでも二人はポーカーフェイスでいる。それが少し怒りになり掛けていたが、自分がどうこう言える立場ではない。そもそも事件の担当だったわけでもないのだ。自分が命じられたのは、この遺言状公開の場にいること。何故だろう。この気持ちに慣れて置けとでも言うのだろうか、所長は。

「詳しい手続きは後に行いますので、お二方とも後に日付の調整をお願いいたします。ちなみに朝比奈君、ロックの文字は何だったの?」

「アーサーで良いって言ってるのに。ミス・オーガスト」

「妹と被るでしょう。紛らわしいわ」

 確かに。

「『たわあ』。おそらくは幼い時に行ったと言う東京タワーの事じゃないかな」

 わああ、と緩いニットのセーターに顔を押し付けながら季子が喚く。

「私、私言ったの、上の階があるなら行ってみたいって……追加料金が要るのも知らずに、私、私っ……でもおじさまは良いよって言ってくれて、すごいねって、もっと上まで行ってみたいねって、私、あああああ」

「俺も行きたいねって言って……そのうち休みがあったら、スカイツリーにでも行こうかなんて話してたのに……こんな愛なら要らなかった! 自立した途端に放ってくれたらそれでも十分だった!」

「遺産放棄は出来ますけれど、故人の遺志には背きますね」

「くっう、ううううう……」

 そして。

 浪花の大富豪の事件は、幕を下ろした。


「釈然としない顔だね、ミッキー」

 多分止めてくれと言っても無駄なので、自分はふるふる頭を振るだけにする。

「結局玖院氏は自分が振り回された大金を二人に押し付けて逝ってしまったんだ。まあ怒っても良いと言えば良いが、それをするのはあの二人の役目だからね。さてと、噂のスカイツリーにはまだ行ったことがなかったんだったな。行くかい? リリィ」

「昨日アーサーが寝かせてくれなかったからちょっと眠いけど、行っても良いよー」

 ぶばっと吹いたのは自分とタクシーの運転手だ。これから事務所に戻ってリリィのスーツケースを受け取り、空港まで送って行くようにと言うのが自分に申し付けられた事だが、いつの便で帰れともチケットを渡されてもいないので、寄り道はいくらでも出来る。

「そう言えばリリィ、ロンドンからのお土産は? ロンドン焼きとかないの?」

「んー、愛と死に満ちた数々の事件の話なら」

「って言うかロンドン焼きって何ですか。どんどん焼きですか」

「あはは、ミッキー良く知ってるぅ! しかし愛と死に満ちた事件は何処でも変わんないねえ。自分勝手で愛に満ちている。エゴイズムが実に気持ち良いよ」

 またふつふつと怒りがこみ上げるが、落ち着くために息を吐く。人の一生なんてエゴイズムの塊だ。そしてそれは、大概の場合受け入れられない。どんぐりの背比べな平均値の幸福に満足しているのがいいのだ、きっと。

 それが出来ないから犯罪が起こる。それを許すわけには行かないから、二人は探偵をやっているんじゃないのか。訊いてみると、けたけた笑われた。

「そんな正義感、俺達にはないよ。ちょっと人より頭が良いだけ。何かと何かを結びつけることに長けているだけ。でもそうだな、その閾値が近いからこそ俺達は二人で探偵なんてことをしていられるんだと思うよ」

「心中できるぐらいの愛さ」

「そうだねアーサー」

「そうだろう、リリィ」

 運転手は無に徹している。正しい事だと思う。心中できるぐらいの愛、と言うのも自分には理解できないが、心中するぐらいなら死んだつもりで一発逆転をかませばいいのではないのだろうか。追い詰められた時、人は強くなる。司法試験に五回失敗している自分はそう思う。

 ああそうか、『だから』自分は所長に選ばれたのかもしれない。どこまで事件を読んでいたのか分からない、あの所長に。

「運転手さん、すみませんがスカイツリーに向かってもらえますか?」

「構わないけど、良いのかい?」

「はい、僕もこの後は仕事は入ってないので、東京見物しようかなと。と言うわけで、デート気分にならないで下さいね、お二人とも」

「ヒュー! 話が分かるねえ、ミッキー! ミス・オーガストに振られたら神戸においでよ、知り合いの事務所紹介するからさ!」

「不吉なこと言わんで下さい! あそこに辿り着くまでどれだけ這い上がるのを続けたか!」

「ミッキーはあんな所長さんでも大好きなんだねー。俺は葉桜ちゃんと夜桜ちゃんに挟まれるならそれもそれで良い」

「リリィ……俺達の愛って……」

 ぷっと笑ってしまう。

 きっと昨日のリリィが眠れなかったのは、二年分の報告をしていたからだろう。

 愛する人に、不在の間の事を。

 そしてアーサーもきっと同じことをしたんだ。

 だからうとうと、リリィに寄りかかって目を閉じている。リリィは幸せそうに、寄りかかり返している。


 おかしな二人だが嫌いではない。スカイツリーが見えてきたところで、俺は二人を起こした。

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玖院氏事件の思い出 ぜろ @illness24

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