後編 人は慣れる生き物か?

 考えて考えて出したアイデアは、部屋が片付く前に母親に来てもらうことだった。

 中が見えないよう押入れの前に段ボール箱を積んで、まだ片付けが終わっていないという体で。

 自分の荷物の上に載せるように、スーパーでつぶした段ボール箱をいくつかもらっておく。

 

 住み始めてからは部屋の中にいると気にはなったけれど、特に反応はなかった。

 寝る時が一番怖かったが、引っ越しの疲れですぐに寝てしまった。それ以降も怖いと思いつつも寝不足になるほど眠れない日はなかったので、私は結構図太い神経の持ち主なのかもしれない。

 

 母親が来る前日に、おおちゃんに声を掛ける。

 おおちゃんとは、押し入れ女の略だ。

 ルームメイトなのだから、少しでも親しめるようにと思い決めた。

 

「明日、私の母がこの部屋に来るので、中が見えないように前に段ボール箱を置きますね」


 森本さんの許可をもらっているので、おおちゃんに断りを入れなくてもいいかと思ったが、ルームメイトなら一言あるべきだと思い直したので声を掛けた。

 しかし、返事はないし、顔も上げない。

 私が声を掛けたくて掛けたので、無視されても気にしないで段ボール箱を積んでいった。


 翌日来た母親は部屋を見るなり「部屋が片付いてから呼んでくれればいいのに」「さっさと片付けないと、一部屋しか使えないじゃない」と文句を言っていたが、聞き流す。


「今呼ばないと、仕事に慣れるまで疲れて呼ぶ気力ないよ。いつ呼べるようになるか分からないよ」


 お茶を入れながら答えると、母親は文句を言うのをやめて箱を差し出す。

 実家の近所にある洋菓子店の箱だ。


「お母さんありがとう」


 思わず笑顔になる。

 ここのマドレーヌはおいしい。ケーキもおいしいが、それは実家に帰ったときのお楽しみに取っておく。


「あんた、マドレーヌ好きだよね。お父さんも『行くならマドレーヌ持っていってやりなさい』っていうくらいだから。ここの本当においしいからねー」


 確かにその通りだけど、あることが気になってしまう。

 

 昼食は母親の買ってきたお弁当を食べた。

 食べ終わってからも少し話をして、母親は帰っていった。

 駅まで送ってアパートに戻るが、部屋に入る前に森本さんにメールする。

 気になったことを確認するためだ。

 

「押入れの人はマドレーヌを食べることできますか」


 そう送ると少ししてから電話が掛かってがきた。


「食べられますけどなぜですか」


「今日、母が来てお土産にマドレーヌを持ってきました。美味しいマドレーヌと言っていたので、聞こえてたら私ひとりで食べるのはちょっと気まずいなと思いまして。食べられるならおすそ分けしても大丈夫ですね」


 森本さんが電話の向こうでちょっと笑ったような気がした。電話を終えると部屋に戻り、ダンボール箱を動かしてマドレーヌを一つ差し出した。


「母の手土産のマドレーヌ、美味しいと思うのでよかったらどうぞ」


 顔を上げないが気にせずに足元に置いておく。

 とりあえず母親を迎えると言うひと仕事を終えホッとした。


 出社のときにエコバッグを出し、帰ってきたときに入れるのは慣れれば大したことはなかった。無言で持って行くのも気が引けるので押入れから持ち出すときは「これを出しとくね」、持ち込む時は「ここに置いておくね」とおはようただいまの挨拶と共に声をかけるようにした。

 森本さんからメ-ルが来たので、おおちゃんの様子を知らせた。これ以降月に一回メールが来るようになった。おおちゃん確認メールだ。


 声をかけても顔を埋めたまま反応はないけれど気にせずにいたら、三か月ぐらい経ってから持って行くねと声をかけたときに顔を上げるようになり、帰ってきてからもただいまと声をかけると顔を上げるようになった。

 顔を上げるだけですぐに顔を埋めてしまうが、反応してくれることが嬉しかった。

 あの後母からは片付け終わったかとメールが来るが、遊びに来たいとは言ってこないので安心している。


 おおちゃんにはたまに自分用のおやつをおすそ分けしている。

 その都度森本さんに確認していたら、大家さんに確認してくれたのか市販のお菓子なら大丈夫と返事があったのでその都度連絡することはなくなった。

 お菓子をあげるとき大丈夫だとは思っても、おおちゃんの様子が気になるのでつい見てしまう。

 森本さんに確認しなくなってから、おおちゃんを気にする時間が増えた。


 それからまた三か月経ったころから、すぐに顔を埋めずにいるようになった。

 表情は無表情のままだったけれど何か嬉しくなった。少しずつ進歩した反応があるのが 嬉しい。

 お正月に実家に帰るのは一泊二日にした。

 別に、おおちゃんが心配だった訳じゃなく、他人に部屋に入られるのが嫌なだけだ。

 

 同じ毎日を過ごしているが、引越して一年くらいたつと表情が柔らかくなったような気がした。気のせいかもしれないけれど、そう思った方がルームメイトとの絆が深まったような気がする。

 どんな絆か分からないし私からの一方的な物かもの知れないが、私は一人暮らしのときにはなかった安心感を感じていた。

 その後も朝夜の声掛け、たまにお菓子のおすそ分け程度の付き合いが続いた。

 

 平日の昼間に森本さんからメールが来た。月一のおおちゃん確認メールではない。

 内容は、大事な話があるので会いたいとのことだった。森本さんの大事な話といったらおおちゃんのこと以外にない。仕事が終わってからすぐに電話して、帰りに有島不動産(有)へ行った。

 森本さんの話は意味が分からなかった。

 

「えーと、私に二、三日部屋に帰るなと言うんですか。理由も教えてもらえずに?」


「申し訳ございませんが、理由は言えません。こちらの一泊二日、二泊三日の旅行を選んでいただければ」


 森本さんの指す旅行パンフレットには高級旅館の名前が見える。私には縁のないところだ。心が動いたが、理由が分からないのはとても不安になる。

 それを伝えると森本さんは「大丈夫ですよ」と簡単に言う。


「あなたなら大丈夫だと思ったので、この話が大家さんから来たときにあなたに話をしてみると答えたんです。無理だと思っていたら、大家さんに断ってあなたにこの話をしていません。それに、受けていただけたらこれから家賃を二万円引きにさせて頂きます」


 「え」


 三万円から二万円引くと一万円。  

 一万円⁉

 心惹かれる、思いっきり惹かれるが、本当に大丈夫なのか。

 いつも大丈夫というが、大丈夫の根拠は何なのだ。


「なぜ大丈夫だと思うかと言いますと、今までの積み重ねです。今までのメール、電話やお会いしたときの言動の。それに一番は」


 森本さんは言葉を切り、社長に視線を向ける。私も社長を見るが、電話中でこちらを気にしていないようだ。


「社長があの物件を見せていい、と許可したからです。社長が許可した人だから大丈夫に決まってます」


 思い出そうとするが、社長の許可が下りたことは記憶にない。

 それを伝えようとする前に、森本さんが話始める。


「社長は人を見る目があるし、勘が鋭いので大事な案件は社長が判断します。だから、あなたなら大丈夫なんです」


 よく分からないが、私は信用されているらしい。それに気をよくして、というよりも、家賃減額に惹かれて今回の話を受けようとしている自分が怖い。あの部屋に慣れてしまった自分が……。

 それに森本さんが大丈夫と言っているなら、大丈夫なのだろう。今までもそうだった。

 またもや合わなかったら新しい部屋を探すと約束を取り付けて、話を受けた。

 

 一泊二日で、ホテルに泊まることになった。

 パンフレットにあった高級旅館ではなく、宿泊者限定で見て美しくおいしいアフタヌーンティーが楽しめると評判のホテルだ。

 高級旅館は疲れそうと私が断ったからだ。会社へ行く途中の駅前のビジネスホテルでもよかったが、そういうわけにはいきませんと森本さんが選んでくれた。


 のんびり過ごしアフタヌーンティーを楽しんだ私は、森本さんからのメールを見て部屋へ帰った。

 押入れの上の段を見つめたまま身動きが取れなかった。 

 押入れの中に女がいた。

 体育座りの女がいた。

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押入れ女 @mia

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