3. 妻の形見

 スキアの監視の下、リディアに差し出されたスープとパンを、佑は黙って食べた。

 作りかけのシチューが置かれたままのキッチン。何も食べずに出て行った竜樹。

 どこかで食べ物にありつけているだろうか。

 暖かい場所で、眠れているんだろうか。






 夜が更けていく。






 久方ぶりに、妻の夢を見る。


『石には一つ一つ意味があってね』


 左腕には美しい装飾のブレスレット。五つの石が連なり、輝いている。


『水と火、大地、光と闇。世界を構成する五つの力を表してるの。竜樹にも何かあげたかったな』


 記憶の片隅に追いやられていたそれは、リディアの話に少し、合致している。






 *






 嵐は少しずつ弱まり、朝方にはすっかり収まっていた。

 リディアはいつもより早めに目を覚まし、薄暗い部屋の中で、暖炉の真ん前に眠る男をじっと見下ろした。

 狼姿のスキアをベッド代わりにして、タスクは気持ちよさそうに寝息を立てている。

 やはり魔法の気配がする。こんな冴えない中年男から、何故高位の精霊魔法の気配がするのか。何も知らないとタスクは言ったが、本当なのかどうか。


「うう……っ。重っ」


 唸り声がして目をやると、青髪の少年が自分の腹の上に乗っかったタスクの頭を持ち上げているところだった。


「スキア、おはよう。優しいな、ベッドになってくれてたのか」

「そのつもりはなかったんだけど、このおっさん、凄く寂しそうにしてたから、つい……」

「ははは。疲れたんだろう。何もかも失って、絶望していたところをお前に救われたのだ」

「だとしても、こんなにぐっすり、死んだように寝てるなんて」


 床の上にタスクの頭を置いて、少年姿のスキアはようやく重たいタスクの身体の下から抜け出した。

 大きくため息。上体を捻り、軽く身体をほぐしている。


「大切な物を失った直後程ぐったりくることはない。もう少し、寝かせてやりなさい」


「それは構わないけど。……で、どうなの、リディア。こいつ、リディアの知ってる誰かと関係がありそうってこと?」

「――まぁ、ハッキリ断言は出来ないが、可能性はかなり大きい。彼女も持っていた。金のブレスレットに、石が五つ連なっていたものを。中央には翠玉エメラルドが嵌められていた。加護の魔法を使う精霊が宿る石だ。もう一つ、魔除けのような魔法もかかっていたが、あれは金剛石ダイアモンドに宿る精霊が使う魔法だ。かの地でも美しい石は高値で取引される貴重品。如何にも平民にしか見えぬタスクが、この二つの石を同時に持っているとは考えにくい」

「……なるほどねぇ」


 スキアはよいしょと屈んで、タスクの顔をまじまじと覗き込んだ。

 半分開いた口の端っこによだれの跡がある。だらしない。気を抜くにも程があると思ってしまうくらい、ぐっすりと寝続けている。


「どうするつもり? こいつ、行方不明の息子を捜しに来たんだよな? オレが買い出しに行くついでに、町に連れてけば良い?」


 リディアの方を見ると、かまどで沸かしたお湯で、温かいココアを淹れているところだった。甘い香りがフワッと漂い、スキアはぐぅとお腹を鳴らした。


「連れてったところで、ルミールの金もなければ、地理も分からんだろう。もし仮に、タスクがあの人の夫だったなら……、訊かなければならない。彼女が死んだとは、どういうことなのかも」

「……政争に巻き込まれるのは懲り懲りだって言ってなかったっけ」


 スキアはテーブルのそばまでやって来て、木のカップをそっと手にした。中に注がれたココアがもくもくと甘い湯気を上げている。


「もし本当に彼女が死んだのならば、次は息子だ。今度こそ、守り抜かねばなるまい」


 椅子に深く腰掛けて、ふぅふぅと過剰にココアを冷まそうとするスキアを、リディアは向かい側の席から微笑ましく見つめていた。






 *






 ベロベロと巨大な狼に顔を舐め回されて、目を覚ます。佑にとっては最悪の朝だった。


 朝早くからガサゴソと、リディアは忙しなく動いていた。


 外は晴れていた。小さな窓が開き、冷たい外気が直接小屋の中に吹き込んでいた。外は、見渡す限りの雪原だ。


「良く寝たか」

「あ、はい……」


 やっぱり、夢ではないようだ。

 ここは自宅でもないし、長年暮らしてきた街も、どこにもなかった。


「夢を……、見たんです」


 窓枠の向こうに広がる雪景色に目をやりながら、佑はぼうっと夢の内容を思い返していた。


「生前、妻が俺に話してくれた、石の話」


 遅めの朝ごはんを用意していたリディアは、手を止めて佑を見た。


「石には一つ一つ意味があるとか、世界を構成する五つの力を表しているとか。――彼女は本を読むのが好きでしたから、きっとそういうものに影響されたんだと思っていました。現実にはそんなものは存在しない。スピリチュアルなものやファンタジーめいたものが好きなんだと、微笑ましく見ていたくらいです」


 冷たい風が頬を撫でると、佑は目を細めて白い息を吐いた。


「綺麗な装飾が施された金のブレスレットを、彼女は普段使いしてたんですよ。普通はそんなの、お祝いの席やお出かけの時くらいしか付けないのに。持ち主を守ってくれるとか、生まれた時から死ぬまで一緒だとか。……何を言っているのか、俺には理解出来なかった。理解してやれなかった。自ら死を選んだ理由すら、結局分からずじまいです。不甲斐ない俺に、彼女は本当のことを話せなかったんでしょうね。息子にも見放されて、家出されてしまって。追いかけてきたら、この有様です」


 昨晩のスープの残りとトーストしたパン、蒸かした芋のサラダがテーブルの上に置かれている。

 リディアはもう朝食を済ませたのだろう、一人分の食事が載ったトレイを、彼女はそっと、佑のいる方の席に置いた。


「妻の名前は、サラと言ったな」

「……はい。リディアさんの言う、その……、どこかのお姫様の名前は?」

「サラではない、別の名だ。追われていたこともあって、偽名を使っていた可能性もある」

「別人の可能性も、ありますよね……?」

「どうだろう。私の知る限りでは、身分の高い人間がルミールから出た話は、他に聞かない。五つも石を施したブレスレット、ということであれば、貴族か王族に限られるからな。……もっとも、肖像画がある訳でもない、お前の記憶を見ることも出来ない状態では、全くの憶測だがな」

「肖像画……?」

「いいから食え。私も忙しい」


 リディアはそう言って、いそいそと火の始末を始めた。

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