2. 強い魔法の力

「な、何者だと……、言われましても」


 リディアの威圧的な態度に、佑は言葉を詰まらせた。

 彼女が何を言っているのか、全く理解出来なかった。しかし、嘘を付いているようには見えない。

 リディアの黒い服、使い魔の狼スキア……。壁に掛けられた三角帽子と黒いコートも気になった。棚に飾られた色とりどりの瓶の中身はなんだろうか。動物の剥製、人間の頭蓋骨のようなものもある。魔法がどうの、ルミールではない別の世界ともリディアは言った。

 そもそも、雪の中を彷徨い、行き倒れた末に、巨大な狼に助けられるなんてあり得ないはずだ。

 考えたくはないが……、


「ま、まさか、本当に異世界……?」

「かの地の人間から見れば、このルミールは異世界なのだろう」


 リディアは椅子の上から見下すようにして、床に座る佑に言い放った。


「我々ルミールの人間はかの地の存在を知っているが、かの地の人間はルミールを知らないとはよく言ったものだな……と、そんなことはどうでもいい。タスク! 私はお前のことを聞いているのだ。お前は一体何者だ。何故そんなにも強い魔法を帯びているのかと聞いている」

「ま、魔法……?! い、言い掛かりですよ!!」


「言い掛かりな訳があるか。あの吹雪の中で死なずに済んだのは、精霊の加護があったからに他ならない。相当強力な魔法だ。 ルミールに縁のある人間と関わりがあったか、それともその人間から石を奪ったか。……奪うはないな。石のようなものは身につけていなかった。となればやはり、ルミールの人間に近しかったということになる。――言え! お前は何者だ、タスク!!」


 椅子の上から殺気を漂わせて睨み付けてくるリディアに、佑は圧倒されていた。

 そして、自分の直ぐ隣で荒く息をしながら見下ろす巨大な狼スキア。

 嘘はついていないのに、何故信じて貰えないのか。佑はリディアとスキアを交互に見ながら、自分の手が手袋の中でじっとりと汗で濡れていくのに気付いていた。


「……さ、サラリーマンです」

「はぁ?」

「えええ営業をしてます。金融商品の。主に投資信託とか、保険とか」


 追い詰められた佑は、思わずそんなことを口走っていた。

 多分、リディアの求める答えとは違う。しかし佑は、他に回答を持ち合わせていなかった。


「何を言っているのだ、タスク。営業……? 物売りか?」

「あ、いえ。その、形のある商品ではなく、金融資産形成のお手伝いを」

「形のないものを売る? ……詐欺師か」

「さ、詐欺ではないですよ。将来に向けてコツコツと自分の力で資産を形成するためのお手伝いと商品の紹介をして……。って、なんて説明すれば良いんだ。と、とにかく、決して怪しい者ではないんです。――ところで、リディア……さんは、ま、魔女……?」


 そんなこと絶対に有り得ないと思いつつも恐る恐るそう言うと、リディアは不機嫌そうに顔をしかめた。


「そうとも、紛うことなき魔女だ。ルミール随一の魔女リディアが言っているのだ。お前から、強い魔法の力を感じる。しかもお前自身が持っている力ではない。誰かがお前に魔法をかけたのは明白。……全く分からん。一体お前は何者で、何のためにルミールに」


 身に覚えのない魔法の話に、佑の頭は混乱していた。

 きっと、自分の常識の通じない世界だ。金融の話すら不審がられるなんてあんまりだ。

 だが一つだけ、答えられる質問があるのを佑は逃さなかった。


「……息子を、捜していたんです」

「息子?」

「吹雪の中、息子の後を追って……、気付いたらここに。――そうだ、あいつも同じかも知れない。この世界に来てるのかも! スキアは、俺以外の人間を拾ってきたりは」


 佑は立ち上がってリディアの前に進み出た。

 リディアは驚いて椅子の背もたれにグッと体重をかけた。


「ちゅ、中学生くらいの……って、そうか。中学生じゃ通じない。あなたと同じか、もうちょっと若いくらいの少年です。俺が着てる、こういう感じの手触りのダウンジャケットを着てて、赤い色の入ったブーツを履いてる少年で」


 縋るような気持ちで訴える佑に、リディアは小さく首を振って目を細めた。


「いいや。……残念だが、スキアが拾ってきたのはお前一人だ。炎の中に見えたのも、お前だけだった」


 佑はガクッと膝から崩れ落ちた。


「だが、もし迷い込んでいれば、スキアじゃない別の奴が見つけている可能性も捨てきれない」

「えッ! 本当ですか?!」


 リディアの言葉に、佑はパッと表情を明るくした。

 が、そのままシッと人差し指を突き出される。また、声を大きくしてしまった。佑は慌てて口を結んだ。


「まぁ、落ち着けタスク。スキアが驚くと言っただろう」

「は、はい……」

「嵐の夜には特別な魔物が現れたり、普段は出入り出来ない洞窟が現れたりするものなんだ。普通の人間はそんな日にはしっかり戸締まりして、早く火を消しさっさと寝るが、ハンターや冒険者達はこれ幸いと挙って動く。望みは薄いかも知れないが、そいつらが見つけて保護していれば、或いは……」

「だったら……!!」

「あくまでも、可能性。まぁ、気になるようなら、嵐が収まった後で町に出てみればいい。半時ほど歩いた所に、ギルドのある大きな町がある。金額次第では、真面目に捜してくれるだろうよ」


 金額次第、という言葉を聞いて、佑はぐったりと肩を落とした。


「……金目のものなんか、持ってない」


 息子同様、佑も着の身着のまま飛び出したのだ。


 腰までの黒いダウンジャケット、中には綿のカッターシャツとジーパン、雪用の長靴。手袋、ネックウォーマー……。ポケットには家の鍵、財布、スマホ。元の世界に息子と一緒に戻れるのだとしたら、何一つ、失くせない。


「ところで」


 リディアは椅子からひょいっと立ち上がった。

 思いのほか小さい。佑の胸の辺りから見上げるようにして、顔を覗き込んでくる。

 ランタンと暖炉の火で、リディアの影が怪しく揺らいだ。


「改めて訊く。タスク、お前の周囲にルミールの人間はいなかったか」

「な、何言ってるんですか。いるわけないじゃないですか」


 両手を肩まで上げ、降参のポーズを取って否定する佑に、リディアは納得いかない様子で迫った。


「でなければ、ルミールの人間だということを隠していた可能性もある。……そうだな。魔法を帯びた宝石か、装飾品か……。そういう物を持っていた人間が近くにいたはずだ。お前の左手の指輪には石が付いてない。何か石の付いたようなものを見かけたことはないか?」


 石、と聞いて、佑はふと妻の形見を思い出した。


「ブレスレット」


 ピクリと、リディアの眉尻が動いた。


「今は竜樹……、息子が持ってるはずだ」


 リディアは険しい顔をして、咄嗟に佑の胸ぐらを掴んだ。

 グイッとダウンジャケットを引っ張られ、佑は前のめりになる。リディアの美しい顔が眼前に迫り、佑は慌てて身体を仰け反らせた。


「そのブレスレット、まさか何種類か、石が連なっていたりは……?」

「え……、ええ、そうです。五種類の石が、一つずつ……。どうしてそれを?」

「ルミールには古くから、生まれ子に貴金属を与える習慣がある。石の数が多い程、身分が高い証拠。しかも、それが全部違う種類の石なのだとすれば……」


 ふぅと、リディアは一旦息を整えた。

 佑は唾を飲み込み、次の一言を待つ。


「昔……、身分の高い娘を一人、かの地に逃したことがある。王位継承を巡って内紛が起きたことが原因でな」

「そんな。幾ら何でもこじつけ過ぎですよ」


 ハハッと、佑は苦笑いした。


「ブレスレットは紗良さらの形見なんです。妻は死ぬまで、自分のことは殆ど喋らなかった。だけど異世界なんて。あり得ませんて」


 リディアの手が緩んだ。申し訳なさそうに頭を振り、黙りこくった。

 解放された佑は、ダウンジャケットの胸元を戻した。

 そのまま二人とも、余計なことは喋らなくなった。

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