【君の世界を巡る旅】~亡き妻は無実の罪で国を追われた異世界の王女でした――。妻の死の真相と行方不明の息子を追う、《優し過ぎる男》と《妻の過去を知る魔女》の長い旅の物語~

天崎 剣

【1】異世界《ルミール》へ

1. ホワイトアウト

 十五になったばかりの息子にぶん殴られた頬を気にしながら、たすくはホワイトアウトの中を彷徨っていた。

 二月、猛烈な寒波が日本海側を襲った。外出禁止を各メディアが訴える中、佑の些細な言葉がきっかけで、息子が家を飛び出してしまったのだ。


竜樹りゅうき!! 待て、行くな……!!」


 外は真っ白で、何も見えなかった。数メートル先さえ見えないくらいの猛吹雪。

 命の危険を感じるなか、竜樹はダウンジャケット一枚羽織って、着の身着のまま出て行った。


「一体何を考えてるんだ。来週は私立の入試もあるんだぞ?!」


 佑は夕食の支度をやめ、急いで家中の火を消し外に出た。

 異常な寒波で車はすっかり雪に埋まっている。


「ダメだ……。歩くしかない」


 意を決し、佑は長靴で雪の中をザクザク進むことにした。

 猛烈な吹雪に煽られ、大人の佑ですらまともに歩けない。凍てつく雪が容赦なく顔面を叩き付けてくる。

 途中まで竜樹の足跡を追えていたのに、次から次へと吹く雪で、足跡はどんどんかき消された。

 除雪機すら動いていない。公共交通機関は麻痺している。民家も疎らな町外れ、この雪ではさすがに遠くまでは行けないだろう。


――「言いたいことがあるなら、言ってくれれば良かったのに」


 佑は知らなかったのだ。たったそれだけの言葉が、中学三年、多感な息子にとって、とても深く心を抉るものだったなんて。


 妻が冷たい川に身を投げたのは、暑い夏の日だった。思い悩んでいた妻を近くで見ていたのは竜樹だった。仕事ばかりでまともに妻を見ていなかった自分に腹を立てた。どの時点まで戻れば彼女を救えたのだろうか。

 慣れない家事で精も根も尽き果てていた佑の口からポツリと出たのが、その一言だった。

 聞くなり竜樹は、まるで我慢が限界に達したみたいに、凄まじい形相で佑に殴りかかった。


――「今更遅せぇんだよ! 聞く気もなかったくせに!」


 竜樹は止めるのも聞かず、猛吹雪で荒れ狂う外の世界へと飛び出していった。

 妻の自殺の理由を、佑は知らない。

 きちんと話をしていれば、妻は死ななかっただろうし、息子は家を飛び出さなかったはずだ。


 息子の足跡が消えた道を、佑は必死に辿った。

 雪の中、足はどんどん重くなった。正面から激しく叩きつける雪の粒に、次第に身体が冷たくなっていく。

 追いかけなければ。

 竜樹がどこかへ行ってしまう。






 *






 びゅうびゅうと魔物が鳴いているような吹雪の夜。

 ランプと暖炉の灯りが小屋の空気をオレンジ色に染めている。

 外の嵐を気にしながら、少女は一人、暖炉の火をじっと見つめていた。年代ものの肘掛椅子がギイギイと鈍い音を立てても、彼女は微動だにしなかった。

 銀髪に近い白い髪は腰まで長く、炎が反射して明るく煌めいている。紫水晶アメジストのような双眸は、炎の向こう側に何か別のものを見ているようだ。

 年の頃は十五、六。暗い紫色の口紅。細かいレースで縁取られた布を肩に引っかけ、丈の長いドレスのような黒い服を着ている。

 ギィーッと音がして小屋の扉が少し開くと、少女は慌てた様子で椅子から立ち上がった。


「スキア! 見つけたか」


 扉の隙間から出てきたのは、青い髪をした少年だった。

 身体中に雪をひっつけた彼は、重たい何かを引きずりながら小屋の中に入ってきた。

 小さい彼の身体に似合わぬ重厚な冬装備。マントにも長靴にもびっしりと雪がひっつき、歩く度、床の上に大きな雪の塊がボロボロ落ちた。

 少年が何かと共に全部中に入ったことを確認すると、少女はこれ以上雪を小屋に入れまいと思いっきり扉を閉め、大きく息を吐いた。


「リディアの言ったとおりだった。こいつ、変な臭いがする」


 床に転がした重たい何かを、少年は身を屈めてまじまじと覗き込んでいる。

 はぁはぁと白い息を漏らしながら、少年は手袋をはめたままの手でくっついた雪を払い落とした。

 程なく、黒い髪をした男の顔が見えてくる。

 更に雪を落とすと、少年が見た事のないツルツルした素材の服が顕になった。


「やっぱりな。かの地の人間だ」


 少女は眉間にしわを寄せ、その側に屈み込んだ。


「もう少し遅かったら死んでいた。スキア、ありがとう。寒かったろう」

「他でもないリディアの頼みだし。……にしても、なんだこいつ。強烈な魔法の臭い。魔除けか加護か……、何かの魔法がかかってる。かの地には、相当強い精霊魔法の使い手でもいるのかな」

「いいや。かの地に魔法は存在しない。こいつはかなり……、特殊・・だ」

「どういうこと?」

「理由は分からんがな。ルミールの人間と近しい可能性がある。嫌な……予感がする」

「へぇ。それって魔女の勘?」


 リディアと呼ばれた少女は「まぁな」と小さく言って、ゆっくり立ち上がった。


「スキア、そいつを暖炉の前に運んでやれ。そしたらご褒美をやろう。この前町で買った上物の干し肉だ。お前もゆっくり身体を乾かしたいだろう。そいつの監視ついでに暖炉前の特等席を貸してやる。……いいか、間違っても、そいつのことは食べないように」

「失礼だな。食べないよ。ばーか!」


 スキアはケラケラ笑いながら、すっくと立ち上がった。






 *






 パチパチと何かが燃える音がして、佑はハッと我に返った。

 暖炉だ。火が直ぐ目の前で燃え盛って、視界全体がオレンジ色に染まっている。

 硬い床に敷かれた絨毯に寝転がっていたらしく、背中が痛い。上半身はすっかり温まっていたが、長靴の中はじっとり濡れていた。

 山小屋のような場所。

 おかしい。

 確か雪の中を彷徨っていたはずだ。


「竜樹……!」


 慌てて上体を起こそうとしたところで、何か巨大なものがヌッと動いたのが見えた。


「スキア、そこまで」


 女の声。

 大きくフサフサとした何かは、佑の真上に覆い被さるようにして止まった。


「やっと目が覚めたな。スキアが拾ってこなかったら、雪の中で死んでいたかも知れないよ」


 佑は恐る恐る視線を上げた。

 犬? ハァハァと荒い息をしている。それにしては随分……。


「うわぁっ! デカッ!!」


 それは佑の背丈の二倍もありそうな――巨大な、狼だった。

 暖炉の火に照らされ、金色の目がギラギラと光って見える。狼はよだれを垂らし、長いベロを見せて佑を見下ろしていた。


「おおっと、あんまり大きい声は出さないで。スキアが驚く。大人しくしてれば襲ったりしない。とっても良い子なんだ」


 ギィと椅子の鳴る音がした。

 目をやると、肘掛け椅子にゆったりと座る美しい少女がいた。頬に手を当て微笑みを称えながら、じっと佑を見つめている。

 年の頃は十代半ばに見えるが、妙に貫禄があった。


「だ、誰だ……!!」


 佑はガバッと身体を起こし、大声を上げた。直後、ついさっき少女に注意されたことを思い出し、慌てて口を手で塞ぐ。手袋の先っぽは生乾きで、独特の臭いが鼻に入った。佑はウッと顔を顰めて手を離した。


「私はリディア。スキアは私の使い魔だ。お前、名は?」

「た、佑です。曽根崎そねざき佑」

「では、タスク。かの地からこのルミールに、一体どうやって迷い込んだ」


 リディアは前のめりになって眉尻を上げた。

 組んだ足がスカートを捲り上げ、美しい太ももがチラリと見える。年齢にそぐわぬ威厳と異様な雰囲気に、佑はブルッと背筋を震わせた。


「か、かの、地……?! 迷い込んだって、どういう……」

「ルミールではない別の世界から来たのだろう? 確かにな、嵐の夜には二つの世界の距離が縮まるから、稀に迷い込む奴がいる。……にしても、妙だ。こんなに魔法の気配を漂わせて迷い込んで来たのはお前が初めてだ。タスク、お前は一体何者だ」


 リディアはそう言って、床に座り込んだままの佑を睨みつけた。

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